「感動的な代理母出産」の理想と現実
向井亜紀さんと高田延彦さん夫婦の「代理母出産」の番組が、先日放映されていました。
子宮頸癌に侵されながら、自分と高田さんの「遺伝子を継いだ子供」を作るために、至急を全部摘出することを避けようとする向井さん。そして、どうしても子宮を摘出しなければならないと聞かされて、「せめて卵巣だけは」と再発・転移のリスクを考えれ危険な道を選び、辛い治療に耐えて、さらに代理母による「自分の遺伝子を継いだ子供」を作ろうとした向井さん。
インターネット上などでさんざんバッシングされて、「起き上がれないほどショックを受けたこともある」というエピソードなどを聞かされると、ああ、なんだか悪いことをしたなあ、なんて。
番組を観ながら、本当に「うまくいってほしいなあ」と僕は心から思っていました。
結局おふたりは、見事に「子宝」を授かることができたのですが。
でも、この話は、「感動」だけで済ませてしまっていいものなのかどうか?
今回は、「代理母」について、あまりに感情論ばかり並べ立てても仕方がないので、参考になりそうなサイトをいくつか集めてみました。
<参考リンク>
「向井亜紀さん夫妻の代理母、シンディ・ヴァンリードさんへのインタビュー記事」
これらの記事を読んでみると「代理母になる人たち」というのは、ある程度厳選されているんだな、ということがわかります。少なくとも明らかに金目当ての人は、除外されているようです。
代理母の報酬は1万ドルのものから、3万ドルくらいまで(日本円では、多くて300〜400万円くらい)ですから、妊娠することに伴う、つわりをはじめとした苦痛などを考えると、けっして恵まれた「仕事」とはいえないでしょう。
もっとも、「家にいてもできる」とか「特殊な技能を必要としない」という一面があるのは確かですが。
ただし、代理母が選ばれるには、本人の希望以外に「健康であること」はもちろんですが、「既に子供がいる女性」とか「前回が安産であったこと」「家族がすべて同意・協力してくれること」などの条件をつけられているらしいのです。
実際に代理母になった女性たちのインタビューからは、彼女たちが「お金目的」だけではない、ということも伝わってきます。
「世の中には子供ができなくて困っている人たちがいて、自分には子供を産む能力がある。そして、自分は妊娠・出産はそんなに苦にならない」ということであれば、確かに「誰かのために代理母になる」という選択肢もありなのかなあ、という気もするのです。
少なくとも、遺伝子上の父母からは喜ばれるし、それで悲しむ人が誰かいるの?と言われると、考えるところです。
ただ、実際の代理母のインタビューを読むと、家族は協力しながらも、まあ、少なくともあんまり喜んではいないのかなあ、なんて。自分の妻が誰か他人夫婦の子供を宿しているという状況は、けっこうストレスになるんじゃないかなあ、と。
シンディさんは「もう満足したから、代理母はやらない」と言われています。あの向井さんのパワーに常に接していたら、けっこう大変だったんじゃないかなあ、なんて想像してしまいもするのですが。
「自分の子供ではない子供をお腹に宿している」というのは、けっこう気を遣うものなのではないかなあ、などと想像もするのです。
かえって、自分の子供のほうが、まだ気が楽なのではないか、なんて。
それに、代理母になることには経済的なメリットがあることも否定できません。彼女の「子供のできない夫婦のかわりに子供を産んであげたい」という気持ちも真実なのでしょうけど「これで家のローンも返せたし」というのも、また本心だと思いますから。
そして、代理母コーディネーターへの報酬が、代理母への報酬と同等もしくはそれ以上ということからは、「代理母のコーディネートは、『完全な善意』からではない」ということなのでしょう。
「代理母出産」には、本当に難しい問題がまだまだあります。
(1)「代理母」から生まれた子供の本当の母親は誰なのか?
(2)「代理母」というシステムは、人間にとって「正しい生殖行為」と言えるのか?
(3)「代理母」によって、「子供を生産するためだけの女性」が生まれてくるのではないか?(極論すれば、「金持ちだけが子孫を残せる」という「生殖差別」が出てくるのではないか?)
そして、
(4)何かトラブルが起こったら、どうするの?
というようなこと。
(1)〜(3)については、いろいろなところで語り尽くされていますし、僕も以前書いた記憶があるので、割愛させていただきます。というか、なんとも結論のつけようがないものですから。
今回は、(4)のことを取り上げてみようと思います。
女性にとって「妊娠」というのは、けっして「普通の状態」ではありません。妊娠中毒症なんて、妊娠を契機に悪化する病気もありますし、悪阻や出産時の危険もあります。現に、向井さんの「代理母」となったシンディさんは、子供が双子だったということもあって、いままでの出産時には自然分娩だったにもかかわらず、今回の出産では帝王切開になっています。後遺症はなくても、体に傷が残ってしまったわけです。
こう言ってはなんですが「他人の子供のために!」(もちろん、ご本人は、そんなことはおっしゃっていませんので念のため)
さらに、「代理母出産」には、まだまだいろんなトラブルがあるのです。
有名な「ベビーM事件」というのがあって、これは、依頼者の夫妻と代理母の間で子供の親権が争われたものです(依頼した夫婦の夫の精子と代理母の卵子による妊娠)。実際に自分のお腹を痛めて生んだ子供に上が移るのは、ある意味自然な感情でしょう。この場合では遺伝的にも「自分の子供」ですから、向井さん夫妻のように「完全に遺伝子の関連はない」という場合よりも、母性を刺激されるのかもしれませんが。
「生まれてきた子供に障害があり、依頼者夫妻が子供の引き取りを拒否」などという事例や「男の子が欲しかったのに、女の子だったからという理由で引取りを拒否」という事例もあるのです。「ブラックジャックによろしく」というマンガのNICU編にも出てきた「こんなに苦労して不妊治療をしたのだから、産まれてくる子供は完璧なはずだ」という「パーフェクト・ベビー願望」というのは、「代理母」の場合にも存在するでしょう。
実際は、不妊治療でも代理母でも、生まれてくるのは「完璧な子供」とは限らないのです。それは、自然な妊娠・出産でも同じことなのですけど。
子供に障害があったからといって、リセットボタンを押すわけにはいかない。
「そこまでして『自分の遺伝子を継いだ子供』が欲しいですか?」というのは、子供を作ることができる人たちの傲慢なのかもしれません。現実には「連れ子イジメ」というような話は枚挙にいとまがないわけだし。
逆に、遺伝子がつながっていても、虐待される子供だっている。
僕は、向井さん夫妻の「成功例」だけが「美談」として一人歩きしてしまうことを危惧しているのです。
向井さんたちの世間の目との戦いは凄いことだと思うけど、世間の夫婦の中には「自分たちの子供のために、他人を傷つけようとは思わない」という考えを持って夫婦で生きることを選んだり、「子供に遺伝的なつながりは絶対的なものじゃない」ということで養子をもらったり、子供は欲しいけど、経済的に難しい(最低500万円くらいかかるらしいですから)、ということで、あきらめている夫婦だっているわけです。
彼らは、彼らなりの「選択」をしただけのことで、そこにはまた向井さんと同じような葛藤もあったはず。
だから、「代理母」だけが正しいんじゃない。
それは、あくまでも「ひとつの選択肢」だということ。
普通、テレビ局がお金を出してくれたり、本を出したりできないしね。
(もちろん、そのことに付随して向井さんと子供たちには「プライバシーがなくなる」というデメリットもあります)
それにしても、ここまでして子供が欲しい人たちに子供ができずに、子供を虐待する親に子供がボコボコできてしまうというのは、人間って皮肉な生き物ですよね。
まあ、自分のこととして考えてみると「臓器移植による生存」が受け入れられるのは、自分がその恩恵を受けられる可能性があるからで、「代理母」が受け入れられないのは、自分には関係ないと思っているから、なのかもしれないなあ…