「大学病院は、研究主体で患者不在」という偏見
埼玉医大医療ミス、罰金刑破棄し教授らに猶予付き禁固(読売新聞)
埼玉県川越市の埼玉医大総合医療センターで2000年10月、同県鴻巣市の高校2年古館友理さん(当時16歳)が抗がん剤を過剰投与されて死亡した医療ミスで、業務上過失致死罪に問われた同センターの元耳鼻咽喉(いんこう)科科長兼教授・川端五十鈴(68)、元指導医・本間利生(37)両被告の控訴審判決が24日、東京高裁であった。中川武隆裁判長は、両被告を20―30万円の罰金刑とした1審・さいたま地裁判決を破棄し、川端被告に禁固1年、執行猶予3年、本間被告に禁固1年6月、執行猶予3年を言い渡した。
中川裁判長は「主治医に対する監督責任しか認定しなかった1審判決は誤りで、2人には、カルテ内容のチェックを怠ったり、過剰投与による副作用に適切に対処しなかったりした治療医としての過失もあった」と指摘した。
検察側は、両被告の責任が主治医(33)(執行猶予付きの禁固刑が確定)に比べて格段に低いとした1審判決を不服として控訴していた。
判決によると、滑膜肉腫(かつまくにくしゅ)と診断された古館さんに、主治医は週1回の間隔で投与すべき抗がん剤を、7日間連続投与して多臓器不全で死亡させた。両被告は主治医の誤った治療計画を承認し、連続投与にも気づかなかった。
〜〜〜〜〜〜〜
この判決自体には、僕は異存はありません。少なくとも、指導医には研修医の治療をチェックする義務があるでしょうし。
とはいえ、実際には指導医というのはなかなか忙しくて、外来やら研究やら、自分の仕事の合間に研修医の面倒をみているのが実情で、研修医の仕事を1から10までは把握しきれていない場合も多いのです。ただ、この医療過誤については、あまりに酷いと思いますが。一週間も気がつかなかった、なんてね。
教授に関しては、現実的にトップが入院患者さんひとりひとりの病状や治療内容を完全に把握していることはありえないと思います。大学病院では、教授はカンファレンスで週に一度全体的な流れをチェックするくらいのところが大部分なのでは。
とはいえ、「責任者」であることは確かなので、罪を問われるのは当然のことです。
この事件は起こってはならない医療ミスだと思うし、判決も妥当だと思うのです。
ただ、イヴの夜にこのニュースを観ていたら、フジテレビの夜中のニュース番組の中で、コメンテーターが訳知り顔で、このニュースに対して「大学病院は、研究主体で患者さんを軽視している。患者さんは高度な医療を大学病院に期待しているのだから、もっと患者さんのための医療をするべきだ」という発言をしていたのは、ちょっと悶絶しました。
あなたは、大学病院に入院したことがあるんですか?と問いたい。
僕は「大学病院至上主義者」ではありません。むしろ、点滴や採血も自分でやらないといけないし(ただ、これはその大学によって違うと思います)、患者さんの外出・外泊の手続きの煩雑さやカンファレンスの多さなど、「大学病院の問題点」も理解しているつもりです。
ただ、この医療ミスを槍玉にあげて、「大学病院は、患者さんを研究材料にしている」なんて偏見を植え付けるようなコメントを全国ネットで垂れ流すのは勘弁していただきたいなあ、と心から思うのです。
この人は、いまだに「大学病院」=「白い巨塔の世界」だと思い込んでいるんじゃないかなあ…
あの原作を山崎豊子さんが書かれたのがいつだか、ご存知なんでしょうか?
この人が言うように「大学病院は研究重視」なのは確かです。でも、「研究重視」=「患者さんをないがしろにしている」というのは、全く筋違いですし、患者さんを実験材料にしているなんてことはありません。
もちろん、研究に協力をお願いすることはありますよ。患者さんの不利益ではないにしろ、面倒な思いをさせてしまうこともあるかもしれない。
でも、それはあくまでも「現在もしくは未来の患者さんのため」であって、「研究材料」なんて、とんでもない話です。
それに「患者さんは大学病院に高度の医療を期待している」といわれても、では、その「高度な医療」とやらは、大学病院にいさえすれば、天から降ってきたり、地から湧いて出たりするのでしょうか?そんなわけはないのです。
そう考えると、「研究に(可能な範囲で)協力していただく」代わりに「最先端の医療を受けられる」という日本の大学病院のシステムは、「お金がない人は医療費を免除あるいは削減する代わりに研究に協力していただく」というアメリカなどのシステムと比較して、不公正なものではないと思います。
「その恩恵を受けられないのに、研究への協力ばかりさせられる」という人が出てくるシステムよりは、合理的なのではないでしょうか?
「研究は医者の身勝手」で、「患者さんには先進医療を提供しろ」と要求するのは、「未熟な医者には患者を診せられないから、研修医は医療に関わるな」というのと同じことです。
では、熟練医が死に絶えたら、誰が医療を支えるんですか?
U−18でも、連れてきましょうか?(参考:「ブラックジャック」)
じゃあ、大学で研究できなかったら、どこで研究するんでしょうか?
もう、医療はこれ以上は進歩しなくてもいいってことなのかな…
もちろん、医者によっては、「研究主体」の人もいます。
でも、大部分の医師にとっては、大学病院であろうが、田舎の診療所であろうが、「患者さんが大事」なのです。
医者なんて、普通の人間がやっている(しかも、多くの人は「困っている人を助けるため」になった)職業なのですから、「患者さんを研究材料に」なんて、アブノーマルな感性を持った人ばかりだと思いますか?
普通の人間であれば、「病気の人に対して、なんとかしたい」と思う人が大部分だと思うのですが。
スクープとあれば、悲しんでいる人に平気でマイクを向けて「報道の自由」などとうそぶく、あなたたちのような人種と一緒にしないでいただきたい。
だいたい、「大学病院の医者」と「地方病院の医者」というのは、しょっちゅうローテーションでお互いに入れ替わっていますし、要するに「入れ物の違い」でしかないのです。同じ試験に合格しているんですから、そんなに質が違うわけないじゃん。
大学病院を特別視しているのは、マスコミの人たちのほうなのでは。
だいたい、こんな純然たる「医療ミス」に対して、「大学病院はみんなそうだ!」なんてどうして言い切れるのかなあ…悪いことする警察官がひとりいたからって、「警察はみんな腐っている」とか言い切るのと同じなのでは。
それが正しいなら、視聴率操作をする人がいるテレビ局とか、みんな最低のウソツキ人間の集団ってことになりますけどね。