『コード・ブルー』第4話と医者の「適性」について
参考リンク:ミュンヒハウゼン症候群
いやあ、ミュンヒハウゼン症候群の患者さんって診たことないんですけど、あの人、どうやってインスリンを手に入れたんだろう?
実は、ずっと気づかずに見逃してた、というケースがあったのかもしれないし、あそこまで徹底的じゃなくても「病気をアピールすることが生きがいになっているような患者さんはけっして少なくないんですよね。ああいうふうに「詐病」の存在を世間にアピールしたことにはけっこう意義があるとは思いますが。
まあ、緊急性がなさそうな気管切開をわざわざ人手が少ない夜中に「練習のために」やるのはどうかと思うよ。
以下、今回の話(第4話)ついて、僕の正直な感想。
「藤川に『辞めろ』と言った黒田先生の判断は、正しいんじゃないか」。
これは僕の実感なのだけれど、医者の仕事というのは、「やる気」だけで続けていけるようなものじゃない。とくに、彼らが目指している「フライトドクター」のようなハードな仕事の場合はなおさらだ。
僕は「医者らしい医者になりたかった」ので内科医になったのだけれども、僕自身、「もっとオンオフがしっかりしている科のほうがよかったかなあ」とか「外科に行っていたら、医者を続けていけなかったんじゃないかなあ」と思うことも多いのだ。
医者としての理想を追ってハードな科に行く人間は、いわゆる「マイナー科」と呼ばれる科(眼科とか精神科とか)を内心軽くみたりしがちたのだけれども、実際、医者になってみると、そういう考え方はかなり変わる場合が多い。
当たり前の話なのだけれども、患者さんにとっては、「見えるようにしてくれる」眼科医も「医者」なのだ。逆に、脳外科医がすべての疾患をパーフェクトに診られるわけでもないし、糖尿病の治療をしている医者なんて「こいつ説教ばかりしやがって」なんて嫌われてしまったりもする。
そして、キツイ科や休めない科が金銭的に恵まれているかというと、必ずしもそういうわけではない。小児科などは、仕事はキツイ上に、(子供は体重が軽いので)必然的に薬を使う量が少なく、病院からは「不採算」だと責められたりすることさえあるのだ。
医者という仕事は、「肉体的にハード」だ。
僕はいままで、素晴らしい知識を持っているにもかかわらず、体力的な問題や人間関係のトラブルで、現場を去ってしまった若い医者をたくさん見てきた。
外科医(循環器内科や救急、いまでは小児科や産婦人科、麻酔科も)のような「肉体的にキツイ科」というのは、「体力に自信が無かったり、持病を抱えている人間」にとっては、「自分を追い詰めてしまう」ことが多いし、人間、「体力的についていけない」環境で、気力だけで自分を支えていくというのは至難のワザなのだ。体がキツイと、集中力が落ちるし、悲観的にもなる。ミスもしやすくなり、自信もなくす。まさに悪循環。
実際に働いてみて向いていなさそうだ、と感じたら、早目に軌道修正をしたほうがいいんじゃないかと思う。
「フライトドクターだけが、医者じゃない」のだし、「風邪しかみない高齢の開業医の先生」だって、ある意味、「他の専門的な医者が軽症の患者さんを診るために費やす時間を減らしている」わけだ。それはそれで、重要な役割なんだよね。いや、そこまで枯れてしまうのは、若者には難しいことだというのもわかるんだけど。
たぶん、ドラマ的には、藤川はそれなりに立派な「フライトドクター」になれるのだろうが、現実はそんなに簡単じゃない。
医者の世界は「ナンバーワン」だけを必要としているわけじゃないし、同じ「患者さんに医療行為を行うための仕事」であれば、「やりたい科」を考えるのと同時に、「それが自分に本当に向いているか」を考えてみたほうがいい。自分の体力や性格(他人とずっと一緒にいても平気か、というのは、外科を志望する人間にとって、けっこう大事な要素なんじゃないかな)を正直に分析してみないと、のちのち、後悔することになりかねない。
藤川は、「危ないフライトドクター」にはなれるかもしれない。でも、僕の印象では、彼なら、「優秀な内科医」になれる可能性が高い。逆に、「内科医としては忍耐力に欠ける」人が、「優秀なフライトドクター」になることだってあるだろう。
さて、10年後の彼にとって、どちらが良い状況なのか?
ただし、これは「普通の医者レベルの話」であって、僕がいままで見てきた「本当に優れた医者」たちは、「ああ、この先生は外科医だけど、内科に入っていてもどこかの教授になっていただろうなあ」という人が多かったし、極端な話、基礎系で働いている人でも、「この人は、臨床をやっていても偉くなったに違いない」と感じさせるものがあったのだけれど。