たとえば、医者の現実なんてこんなものさ、という話


こんな話を聞いたことがある。


<CASE1>

 夜中に他所の病院で当直をしていたら、「痛みが強いので、注射をしてもらいたい」という患者さんが来た。診察しようとしてカルテを見たら、その人のカルテには、その注射の使用歴がズラッと並んでいた。

 「…これって、中毒じゃないのかな」

 ある種の鎮痛剤は、いわゆる「麻薬」と同じような作用と依存性があるのだ。
 当直の看護師さんに聞くと「この患者さん、最近毎晩こんな感じで、夜中に痛みを訴えて来られるんです。前は週に1回あるかどうかだったんですけど、ここのところ1日に何回も。どう考えても中毒なんですけど、注射を断るとものすごく怒って暴れたりされて、主治医の先生も困っておられて…最近は、主治医の先生が注射してくれないことが多いから、当直の先生しかいない時間帯に来られて、『痛くてしょうがないから、注射してくれ』って言われるんですよ」とのことだった。
 本来の医者の仕事からすれば、こうやって一日に何回も「痛み止め」を使うような患者さんでも、痛がられるたびにキチンと検査をして、問題がなければ「痛み止めは必要ない」という態度を断固としてとることが「正しい医者のありかた」だと思う。
 しかしながら、夜中の外来で、他に待っている患者さんがいて、断ると暴れたり脅かされたりするような状況となると、「正しさ」を追求するべきなのか悩ましい。
 そんな不毛なやりとりをしているあいだに、本来診るべき患者さんは、ただ待たされているだけの状況になってしまうわけなのだし、その人を一介の当直医が説得できるような状態でもないだろう。
 そして、その「痛み止めの人」は、その状況を承知の上で、わざわざ当直医しかいない夜中にやってくるわけだ。


<CASE2>

 カンファレンスで、「その患者さんの胸水を穿刺して(患者さんの胸腔内に細い針を刺して、中に溜まっている胸水を抜くこと)、細胞の検査に出しましょう」という話になった。それで、カンファレンスが終わった夕方に「今から胸水の検査をしたいと思うのですが…」と患者さんに話をして「原因が早くわかるのならいいですよ」と言っていただけた状況。

 そこで、担当の看護師さんに「今から胸水穿刺をやるから」と言うと、「えっ?なんで今からなんですか?別に今日じゃなくてもいいでしょ?こんな時間に言われても…」というリアクション。それでも彼女はとりあえず準備をしてくれたのだが、患者さんの前で、「別に今からやらなくてもねえ!それなら、カンファレンスに出ずに検査すれば、夕御飯の時間が遅れなくて済んだのに」とずっとご機嫌斜め。主治医の研修医に当り散らしている。

 確かに彼女の言うことももっともで、今回の件に関しては「患者さんの立場」からすれば、突然に検査をされることには抵抗があるのもわかる。しかしながら、「原因不明の状態」から早く脱出するためには、とても大事な検査でもあるのだ。
「カンファレンスよりも患者さん優先」というのはその通りなのだが、だいたい、カンファレンスというのは、自分の担当患者さんについて、スタッフ間で連絡をとりあって不測の事態に備えたり、他の医者の意見を求めたりするものなのだ。
 だから、本質的には「患者さんのため」のはずなのだけど、確かに、現場的には「カンファレンス優先」というのはなんだかなあ、と思うこともある。

 しかし、そういう「約束事」を前提にしておかないと、みんなそれぞれ外来やら検査やら研究やらを抱えている医者たちが一度に集まるなんてことは不可能なのだ。
 ゆえに、こういう「カンファレンスのあとに突然の検査」なんてことはしばしば起こる。

 担当医は、この看護師さんの「患者さんの食事が遅れる」という言葉はその通りだと思っていたし、患者さんに対しても急な検査で申し訳ない、という気持ちもあった。しかし、その一方で、「早くこの病気の原因をハッキリさせたい」という目的もあったわけだ。

 もちろん、「そこまでの緊急性」が、この状態であったのかは微妙なところではあるけれど、体に大きなダメージを与えることはほとんどない検査ではあったし、先送りしたところで問題そのものの結論が出るわけでもない。
 ただし、検査後はしばらく仰向けに寝て安静にしていなければならないし、万が一急変があったりすると、手薄な夜中にトラブルになる可能性もあり、看護師の言うことも最もではあるのだ。
 しかしながら、カンファレンスで「今すぐ」と言われた駆け出しの研修医にとっては、選択の余地もないことで。
 結局、検査のあとには、気まずくなった病室の空気だけが残った。
 大事なのは、どちらが正しいか?というより、そのことを患者さんの目の前で医者と看護師が言い争いをする意味があるのか?ではなかったのか。

 

 どちらもフィクション、そう、フィクションだ。
 医者の仕事なんて、こんな後味の悪いフィクションだらけなのだ。