「病気腎移植」における「医療の善意」をめぐって


参考リンク;[解説]病気腎移植の問題点(YOMIURI ONLINE)


 4月8日の日曜日の夜、大先輩2人に囲まれて肩身の狭そうな滝川クリステルさん出演の「新報道プレミアA」という報道番組を観ていたのですが、その中で、「病気腎移植」についてのレポートが流れていました。出演されていた御家族は、息子さんを30歳の若さで亡くされているのですが、この息子さんは14歳のときに末期の腎不全と診断され、最初にお母さん、次にお父さんの腎臓を移植されました。いずれの腎臓も5〜6年くらいしかもたず、もう「維持透析を受け続ける」という方法しか生き延びる道はない、はずだったのですが、「このまま透析を続けていては、仕事もできないし、生きている意味がないのではないか」と悩むこの息子さんに対して、万波医師は、「腎臓がある、ただし2%しか働かない腎臓だ」と説明して、腎移植を行ったそうです。結果的に、その移植はうまくいかず、息子さんは30歳で亡くなられました。御両親は、「息子は14歳のときの病状では、もう何年も生きられなかったはず。それを助けてくれたのは万波先生だし、感謝はしています。でも、最後の腎移植のときに、手術前日に息子から1本の報告の電話を受けただけで、自分たちに何の説明もなかったのは、本当に悲しいし、疑問だと思っています」と仰っていました。ただ、その「2%しか働かない腎臓」だという点に関しては、万波医師は、「自分はそんな説明はしていない」と仰っておられるのですが。

 この番組では、万波医師の今までのキャリアや生活ぶりも紹介されていました。若い頃に日本の腎臓疾患の治療に限界を感じた万波医師は、アメリカに留学して腎移植の技術をみがき、これまでに600人あまりの腎臓移植を手がけてこられたそうです。66歳になられるのに(離婚されているということもあって)「ほとんど病院にいて、家に帰るのは寝るときだけ」、という、僕からみれば仙人のような生活ぶりには、正直驚きました。66歳っていうのは、外科医として最前線に立つには、かなり厳しい年齢のはずです。それでも、医療の現場にこだわりつづける姿は、「たぶん、これを観た『一般視聴者』たちは、『この清貧さを他の医者も見習え!』とか思ってるだろうなあ……」と考えさせられるものもあったんですよね。少なくとも、万波医師は、お金儲けのために病気腎移植をやっているわけではないのだな、ということは伝わってきました。学会発表を積極的にされているわけでもなさそうでしたので、「地位や名誉のため」でもなさそうですし。この「病気腎移植問題」で取り上げられなかったら、おそらく「理想の医師」として地元の人たちから尊敬される名医としてキャリアを終えられていたのではないでしょうか。

 僕はこの番組を観ながら、正直、この患者さんに対して、「両親の腎臓を一つずつもらってしまったのだから、もう、人工透析で我慢しておけばよかったのに」とも思ったんですよね。そもそも、腎臓の場合は「人工透析」という生き延びるための方法がまだ残されているのだから、誰のものかもわからないような腎臓を移植されるのをOKするなんて、あまりにも楽天的すぎないか、と。

 でも、自分のこととして考えてみれば、今までずっと信頼してきた医師に「可能性に賭けてみないか」と薦められれば、30歳にして週3回の透析を受け、「人生において何もできない」と思い込んでいる人間なら、「やってみます」と答えるのはけっして不思議なことではないんですよね。極端な話、「ダメならまた透析すればいいや」と思っていたのかもしれないし。万波医師の側には、自分を慕って頼りにしてくれるこの患者さんを何とかしたいという気持ちは確実にあったはずです。ただ、その気持ちが暴走して「目の前の患者さんを助けるには、どこまでのことが許されるのか?」という判断がつかなくなってしまったのかもしれません。それでも、万波医師のおかげで救われたという患者さんも沢山いますし、その患者さんから言わせれば、「失敗することがあるかもしれないけれども、自分にとっては命の恩人」だったりするわけです。

 ただ、移植そのものの是非はさておき、万波医師は、本人のみならず、なるべく多くの周囲の人にも、ちゃんと説明しておくべきだったと思いますし、これに関しては、「独善的な判断」だったということになるでしょう。実際にその話をしたら御両親は反対されただろうか?というのは、今となってはなんとも言えませんが。

 少なくとも、「自分の正しさを信じるあまり、周囲への配慮が欠けていた」ことは事実なのだと思います。しかしまあ、「周りのことばかり気にする人」だったら、あんな実験的な治療はやらなかったような気もしますけど。

 それにしても、この問題には、「移植医療」あるいは「医療そのもの」の難しさをあらためて考えさせられます。あまり公言されている話ではありませんが、多くの日本人は、海外(中国や東南アジアの国々)に、「誰のものかもわからない臓器」の移植を受けるために渡航しています。「移植を受けなければ死ぬ」という状況の人に対して、そんな危機的状況に無い人が「人道に反するから、移植なんて受けるな」というのは、なかなか難しいことでしょう。「どんな由来の臓器かは知らないけれど、自分が移植されなくても、どうせ誰かのものになるんだから」と言われたら、どう「説得」するべきなのか。もし自分の身内が、「臓器移植を受けないと生きられない」という状態であっても「海外での臓器売買は悪いことだ」と諦めることができるのか? 「このまま死ぬくらいだったら、『実験医療』でもなんでもいいから、可能性に賭けたい」という患者さんがいた場合、その意思は否定されるべきなのか? もしそれが癌の切除後の臓器であっても、「とりあえずその臓器で何年か長く生きられるのなら、それを移植してくれ」という人は、けっして少なくないはずです。

 僕には、医者というのは、あまりに信頼されすぎたり、独善的になってはいけないよなあ、ということまでしかわかりませんでした。正直なところ、「いくら説明しても、結果がうまくいかなければトラブルになることはある」というのも現実なんですけどね。