イラン人双子姉妹の頭部分離手術その後



参考リンク(1):イラン人双子姉妹に手術中止を説得した医師の話(ロイター通信)


参考リンク(2):頭部分離手術は「金のため」だった?(共同通信)


 報道によると、この手術にかかった費用は30万ドルだそうです。「30万ドル!」と言いたいところですが、前にこの記事を取り上げたときにも書いたように、この手術には、28人の医師団と100名のスタッフが関わっており、仮に、医師ひとりあたり1万ドルもらったとしても、日本円では100万円くらいのものです。100万円ぽっち(と言っては、問題があるでしょうけれど)のために、自分のキャリアを台無しにしてしまうような、明らかに危険な手術をやろうと言う医者は、ほとんどいないと思います。
 むしろ、この30万ドルという金額は、最低限の「必要経費」に近いものではないかなあ、と。
 怪しげな医療ブローカーが、「中間搾取」している可能性は否定できませんが。
 
 上記リンクで、執刀医の先生が言われているように、姉妹の「別々の人生を歩みたい」という気持ちは、非常に強いものだったんでしょうね。
 しかし、正直言うと、医療側にも問題点があるのではないか、とも感じるのです。
 「手術をやめるように説得した」とはいうけれど、そんなにリスクが高い状況ならば、本人たちの意志にかかわらず、「手術をしない」という選択肢もあったはず。実際に開頭した時点で、「脳圧が高くて、手術をしなくても数年以内に生命の危険がある」ということがわかったらしいのですが、はじめる前までは、緊急性のある手術ではなかったわけですから。
 ひとまず延期して、体制を整えなおすということだって可能なはず。 
 新しい血管がみつかった時点で危険を感じた際に「親族が中断を拒否」しても、医療側には「中止する」という選択肢だってあったわけですし。
 
 このインタビューの断片からは、彼らの善意と努力が感じられる一方で、「医学の進歩のため」にリスクが高い状況を承知の上で手術を行った、という彼らの本音も感じられるのです。
 金のためというよりは、名誉のために。
 
 もちろん、こういう「挑戦」が、医学の進歩につながってきたことは理解できますし(あの有名な「華岡青洲の妻」の話やジェンナーの種痘の話なんて、現代的には「ひどい人体実験」なんですよね)、「とにかく一刻も早く独立したい」という姉妹の強硬な意志もあったのでしょうけれど、やっぱり、医者の名誉欲という要素は完全には否定しがたいと思います。「世界初の難手術を成功させて、歴史に名を残したい」とか「医者として、そういう難手術を経験してみたい」とか。
 医療スタッフのうちけっこうな数は、そういう「勉強・経験組」で、高額報酬を要求していたとは考えにくいです。むしろ「この歴史的な手術に立ちあえるなら、タダでもいい」という医療関係者も多かったはずで。
 
 2人は、「医学に貢献するため」に手術を望んだわけではないでしょうから、「姉妹が医学に残した貢献は長く生き続けるだろう」というのは、ちょっと医療側の傲慢なのでは。
 ただ、アメリカという国は、そういう「挑戦」を評価するという土壌の国ですし、あくまでも希望する患者さんに対してだけですが、リスクの高い「未来の人類のための先進医療」へのトライアルに積極的な国ですので、一概に現在の日本人の医療道徳観で語ってはいけないのかもしれませんね。
 
 ところで、僕はこの医師の話を読んで、ひとつ思ったことがあるのです。
 それは、「最初から2人のうち1人を殺す(もしくは、死んでもいい)」という前提ならば、ひとりは確実に助けられた(そして、独立した人間として生きることができた)のではないか、ということです。
 こういうのは医療の精神からは、確実に反していることは承知の上なのですが。
 2人とも助けようとして、両方死ぬくらいなら…というのは、「合理的」だと言えなくもない。
 
 もちろん、そんなことは許されませんし、本人たちも望まないでしょうけれど。
 
 医療というのは、技術や合理性だけじゃなくて、道徳・倫理観や宗教観など本当に難しい問題を避けては通れないのです。
 
 病気に苦しむ人にとっては、「医学の進歩なんてどうでもいいから、自分の病気をなんとかしてくれ!」というのが本音なんでしょうけど。
 僕だって、自分が患者だったら、そう思いますよ、まちがいなく。