夏休み特別企画?「幽玄当直日誌」
注意!ちょっと不愉快な内容かもしれないので、弱音や愚痴や文句がキライなひとは、読まないでください。
バイト先の病院に着いて、早速回診。上のほうの階には、ほとんど寝たきりもしくは痴呆の高齢者の人たちが住んでいる(「入院している」というより、「住んでいる」というのに近いだろう)。
回診をしていて、先週も先々週も同じ質問をされた。話し方はハッキリしている。
でも、この階ではこの患者さんが「自己管理能力が高い」ということで、インスリン自己注射を自宅でする予定なのだ。
予定予定といいながら、もう半年くらい経っているのだが。
痴呆のおばあちゃんに聴診器をあてようとしたら、蝿を追い払うように「シッシッ」と手で追い払われた、というより、殴りかかられた。おまけに、聴診器を捉まれて、離してくれない。なんとか引き剥がそうとするが、近づくと殴られる。けっこう力が強いし、言っても伝わらない。泣きたくなりつつも、なんとか指を聴診器から引き剥がす。
腹が立つし、やり返してやりたいくらいだが、ガマンするしかない。相手は「患者さん」だから。
あとは、寝たきりの人に聴診器を当てる。
聴診器で得られる情報は、心音や呼吸音、腸音だけなのだが、とりあえずどんな患者さんにも当てる。何か病気があるかもしれない、というのは半分建前で、状態が変わらない高齢の患者さんでも、聴診器をあてれば、なんとなく納得してくれるからだ。
「ありがとうございました」なんて言われると、なんとなく気まずい。
一介のバイトの僕が、何をしている、というわけでもないのだ。
長期療養型病床の10人回診して、寝たきりで意識がハッキリしない人が半分、社会的入院の人が残りの半分、といったところ。
誰か他人のことばかりにかかわっていている間に、自分がどんどん年をとっていくのは、本当にせつない。ましてや、相手は、意識もハッキリしないようなお年寄りだ。
それは、家族だってせつないだろう。
こんなに人間が長生きする時代だから、親が80歳まで寝たきりなら、子どもは50歳くらいまで、もしくは、もっと長生きすれば、それよりもっと年を取るまで面倒をみなければならないことだって多い。今は、年寄りが年寄りの世話をしなければならない時代なのだ。
この仕事を始めた当初は、面会に来ない家族、年寄りを病院から自宅に連れて帰りたがらない家族に対して、憤りを抱いていた。でも、キャリアを積むにつれて、それは仕方がない、という気もしてきた。自分の親とはいえ、自分の仕事もあれば、家庭もある。僕だって、自分の身内に対して、冷たい家族であった経験もあるし、たぶんこれからもそうだろうと思う。
ときどき、こうしてお年寄り相手に医療をやっているうちに、自分も年老いていくんだなあ、自分の人生って、若さって何だろう?と思うことがある。
その一方、「じゃあ、お前の『自分の人生』とやらを好きに生きてみろよ」と言われて、「自由」とかいうやつを与えられたら、きっと僕はそれを上手く使いこなせないだろう。
他人のことばかり考えて生きるのも辛いし、自分のことばかり考えられるほどの主体性もないのだ、結局は。
外来に呼ばれて、外来患者さんを診ていたら、「エコーをお願いします」と言われる。
外来の健診の人と、入院患者さん。「それって、僕の仕事なんですか?」と言い返したくなるが止めた。そんなことしても、僕のイメージが悪くなるだけで、ムダだからだ。
院長が出てきて「まあまあ」とでも言われれば、「はいはい」とか言うしかない。
外来で忙しいのかもしれないが、自分の入院患者さんのエコーくらい、自分でやればいいのに。僕だって、時間的に外来と回診で一杯一杯なのだ。
結局、めんどうだからやらされている、だけのような気がする。
まあ、そういう面倒なことをやるのがバイトの仕事なんだろうな。
仕方がないさ、僕だって金がないと生きていけないし、偉そうにネットなどやっていられない。
でも、患者さんにはなるべく丁寧に。この人たちには罪はない。僕はプロのサービス業だ。苛立ちを伝えてはいけない。それにしても、臨床を離れてエコーがヘタになった。
もともとヘタだったけど。
ようやく回診に戻れるかと思ったら、今度は外来に紹介の患者さんが来ている。
「専門の先生に」ということだが、だいたい専門の先生に、と紹介されている時点では、専門医でもどうしようもないレベルのことか、専門医の必要はまったくないことが多い。
今日は、前者のほうだった。あとでその旨担当医の先生に申し送りをすると「やはりそうでしたか」ということだった。
帰る予定の時間をかなり過ぎて、ようやく辞することができた。
日々の糧をいただいていることには大感謝なのだが、やっぱり、仕事というのはラクなもんじゃない。