ブラックジャックによろしくSP〜涙のがん病棟編(激しくネタバレ)


 原作では、まだ未完のこのエピソード、今回の特番ではどんなふうにまとめているのか興味深く観せていただきました(残念ながら、実際に観たのは後半だけなんですけど)。
 それにしても、某巨大掲示板や公式サイトのBBSの盛り上がりを考えると、あの「古畑任三郎」の裏という絶望的な状況のなか、かなり反響は大きかったと思われます。
 「ブラックジャックによろしく」は、読んだ人が何か言いたくなる話であることは間違いなさそうですし。

 原作の漫画のほうは、単行本にわざわざ「完結してから判断してください」という注意書きが書いてあるので、今回はドラマのほうの感想を。とはいえ、原作との比較もせざるをえないのですが。

 僕は内科医ですから、抗がん剤の治療を患者さんに対して行った経験はあります。薬が効いた方もおられれば、副作用ばかりが出て、不幸な転機をとられた患者さんもいらっしゃいます。ただ、この場合の「効いた」というのは、「完治した」ということではなくて、あくまでも「使わなかった場合より、長い延命期間が得られた」ということです。ただ、その延命期間については、強い副作用が出てしまって、結局副作用で患者さんを苦しめた期間のことを考えればあまり実質的な延命にならなかったのではないか?と感じたり、その一方で、「何もできません(もちろん、苦痛をやわらげる対策はとるにせよ)」と言われるより、「抗がん剤」という「最後の望み」があるだけ、精神的に救われる場合もあるのかな、と思うこともありました。

 僕が少しショックを受けたのは、このドラマに対する反響として、「最後の結末が中途半端」とか「辻本さんが助かったのかどうかはっきりしてもらいたかった」というようなものがけっこうあったことです。
 僕の経験やいろいろなデータから考えると、辻本さん(=薬師丸ひろ子)は、「抗がん剤が非常によく効いたとして、何ヶ月延命できるかどうか」だと思います。でも、テレビを観た人の中には、「あの新しい抗がん剤を使えば、助かるかもしれない(いや、延命だって、「助かる」の範疇なのかもしれないけれど)」というような印象を持った人もけっこういたみたいなのです。

 現在の医学では、一部の「抗がん剤が非常に有効な癌」を除いては、抗がん剤による治療は、癌の根治には結びつきません。
 おそらく、ドラマとしては、「最期は先生についていて欲しい」という辻本さんの言葉で、ひとつの結論がついているです。
 辻本さんは、斉藤先生という信頼できる医者に出会えたことに満足できて、その人に看取ってもらうことが「救済」になる、という。
 ただ、僕は正直なところ、「それは医者の仕事なのだろうか?」「それは、本当の救済なのだろうか?」「という気もするのです。
 「最期は先生についていて欲しい」「先生が主治医でよかった」という患者さんの言葉は、医者にとっては何よりも嬉しい賛辞です。これほど、自分が医者をやっていく上で、勇気を与えてくれる言葉はないと思います。
 でも、その一方で、「医者は、患者さんの『こころ』を支えることができるのだろうか?」という疑念は、いつも心の中にあるのです。
 辻本さんは、今は症状は落ち着いているみたいですが、これから病状が進行してくれば、痛みや倦怠感などに襲われることもあるでしょう。

 その場合に、斉藤先生は、ずっと辻本さんの傍にいてあげられるかというと、おそらく、そういうわけにはいきません。研修医には他の患者さんを診療するという仕事もあるでしょうし、バイトにだって、行かないと食べていけません。
 それに、「末期がんで、自分の力では何もできない患者さんの傍にいること」というのは、医者にとって、とても辛いことなのです。それに医者というのは、あくまでも患者さんにとっては「他人」です。
 僕は自分が患者であれば、むしろ自分に対して最大限の専門知識を発揮してくれて、最大限僕のプライバシーを尊重してくれるような医者を主治医に望むのですが、実際の患者さんは、ときとして医者に「病気の治療をするという技術以上のもの」を望んでいるのだろうと思います。
 それはときに、医者にとって「重過ぎる期待」でもあるような気がします。

 斉藤先生や僕のように、人間としてまだまだ経験が乏しく未熟な人間にできることって、せいぜい「患者さんに失礼がないように自分の職分を務めること」くらいではないかなあ、と。
 漫画版の「ブラックジャックによろしく」では、辻本さんが斉藤先生に新しい抗がん剤TS−1の使用を勧められて、それが、根治には結びつかないという斉藤先生の言葉に「どこまで人をバカにするつもりですか!」と斉藤先生に平手打ちを食らわすシーンがあるのです。
 僕は、このシーンを読んでいて、こういうのが患者さんにとっての本音なんだろうな、と自分が平手打ちを食らわされたような気分になりました。

「優しい医者」が並べ立てる綺麗事よりも、命が欲しい。そんなの、当たり前のこと。
 そして、医者というのは「どうにもならないことをどうにかする」というのを要求される仕事なのです。

 前にも書いたのですが、この「ブラックジャックによろしく」の本当の主人公は、「治らない癌」に対して抗がん剤の可能性を追い求める庄治先生や「治らない癌」に対して、それなら患者さんの生命の質を上げるにはどうすればいいかと考える宇佐美先生なのです。
 でも、多くの医者は、この2人や斉藤先生のように頑なではなくて、ケースバイケースで庄司先生になったり、宇佐美先生になったりしながら、日々の医療に従事しているのです。

 しかし、このドラマを観た患者さんが、正月明けに「自分もあの未承認薬をカルテを書き換えて使ってくれ」とか、「最期まで先生についてほしい」なんて言ってきたらと思うと、ちょっと不安。
 本当に、ひとりの重症患者さんのことをキチンとするには、日本の臨床医には時間が無さ過ぎるのです。

 僕は、「患者さんの心のケアは医者の仕事だ」なんて、断言できるほど傲慢にはなれません。それだけは、確かなことです。

 そうだ、最期にひとつだけ。漫画版の辻本さんは、それなりの御高齢の(60〜70歳くらい?)の方だったのですが、今回は薬師丸さんでしたから、かなり若い設定だったでしょう。でも、この漫画の本質からすると、「若い人間の末期がん患者」というより、「それなりの高齢者の末期がん患者」のほうが、よりテーマが明確だったのではないかと思うのは、僕だけでしょうか?「若い重症患者さん」だと、どうしても「若い」というだけで、僕たちも「なんとか治療する」という方向にいってしまいがちなものですし。

傍からみたら「寿命」でも、人間には「生きたい」という切実な想いがある、というのがひとつのテーマだとすれば、ある程度高齢の患者さんのほうが、よりテーマが浮き彫りにされるのではないかなあ、と思うのです。

マンガ版も「完結」したら、またあらためて感想を書きたいと思います。