厚木市立病院の「悲劇」


毎日新聞の記事より。

【厚木市立病院で8月、当直中に救急受付を訪れた市内の無職男性(73)が診察を受けないまま別の病院に転送され、直後に死亡していたことが分かった。市立病院側は「心肺停止の患者が搬送される予定で、男性側に『対応できないので他の病院へ行ってください』と説明した」としているが、遺族は「事務職員しか対応せず、そんな説明も一切なかった」と食い違い、市立病院の対応に憤っている。
 男性の妻(67)の話では、日曜当直体制の8月12日午前、男性が「頭が痛い」と訴え、妻の運転する車で同病院を訪れた。救急受付の脇のソファに横になり、看護師が妻に体温計を渡した。いっこうに診察してもらえないので催促すると、職員から「1時間半待つことになる。(嫌なら)他の病院へ行って」などと言われたという。別の患者を搬送してきた救急隊員がやりとりに気づき、見るに見かねて救急車を要請。別の病院に運ばれたが、直後に急性心筋梗塞(こうそく)で死亡した。
 市立病院事業局は取材に対し「心肺停止状態の患者が搬送されることになり『救急車を呼んで別の病院で受診して』と話したが、男性側が『病院が救急車を呼ぶべきだ』と主張したので『規則で、病院が救急車を呼ぶのは医師、看護師が同乗する場合だけ』と説明した」と話している。
 男性の妻は元看護師。男性は以前に心筋梗塞で市立病院の前身の県立厚木病院に入院したという。「待っている間、医師も看護師も来なかった。市立病院の対応はひど過ぎる。こういうことが二度とないよう、声を上げることが大切と思った」と話した。】

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 この記事を読んだ、「救急病院での当直経験がある医者」の率直な感想というのは、「こんなことが自分の当直している時間帯に起きなくてよかった……」というものではないでしょうか。
 この話、最後の「別の病院に運ばれたが、直後に急性心筋梗塞で死亡した」という部分を除けば、おそらく今夜も日本中の救急病院でみられている「ありふれた光景」なのです。当直中に「心肺停止の患者さん」が搬送されてきて、救急蘇生が行われている間、頭痛で受診した患者さんを1時間半待たせる」なんていうのが、「望ましいこと」ではないのは百も承知なのですが、だからといって、やめたらその患者さんが死んでしまうにもかかわらず、心臓マッサージを中断して、「頭が痛いので電話連絡もなしにいきなり受診してきた患者さん」を診に行くというのは、やっぱり難しいのではないかなあ、と。逆にそれで心肺蘇生中の患者さんが亡くなられたりすれば、「救急蘇生中の患者を放置!」ということで訴えられたかもしれませんし。

 とはいえ、この不幸な転帰を辿ってしまった患者さんは、「頭が痛くて我慢できないから救急病院を受診した」という、ごくあたりまえのことをしただけなのですから、何も責められるべきことはないのです。謹んでご冥福をお祈りします。

 事務職員の対応は、確かに「人間味がない」ようにも思えますが、「この病院で救急患者を対応しきれないときの対処法」なんて、おそらく彼らは知らないんですよね。そんなマニュアルもなかったでしょうし。公立病院の事務職の人の多くは、「転勤で病院という部署にまわされていきているだけの地方公務員」であり、そんなに医療に詳しいわけでも、患者さんの対応に慣れているわけでもないのです。「自分の病院に来ている救急患者さんを他の病院に『丸投げ』するのはしのびない」というような意識もあったのではないかと。「1時間半待つことになる。(嫌なら)他の病院へ行って」というのは、確かに冷たく聞こえる言葉なのですが、自分で診療することはできない彼らの立場であれば、そう言うしかないのも事実なんですよね。医者や看護師だって、患者さんの「重症度」というのは、顔を見ただけではわからないことも多いのです。「頭痛」「胸痛」「腹痛」なんていうのは、まさに「ありふれた症候」なのですが、「お腹が痛い」人には、便秘だけの人もいれば、腸閉塞や子宮外妊娠で生命の危機にある人もいます。「軽症だと予想していたら、CTや血液検査の結果をみてびっくり」というようなことは、けっして珍しいことではないのです。
 本来は、「救急の専門家が、最初に急患全員の様子をみてトリアージ(重症度の評価)を行い、それにしたがってその後の診療の優先順位などを決めていく」ことができればそれに越したことはないのですが、残念ながら、日本の「普通の救急病院」はTVドラマ『ER』ではありません。もっとも、「どんな患者さんでも原則的に受け入れる」という点に関しては、世界レベルでみても、評価されてしかるべきだとは思いますけど。

 多くの病院では、救急外来に来られた患者さんに最初に対応するのは看護師あるいは事務職員であり、待合室には順番待ちの行列ができているにもかかわらず、彼らが 「医者にすぐ診てもらえるようにかけあってきます!」と安請け合いしてしまうほうが、実際に診療しているスタッフにとっては「迷惑」です。全員いっぺんに診察することなんてできないのだから。それにしても、【別の患者を搬送してきた救急隊員がやりとりに気づき、見るに見かねて救急車を要請】っていうのは、「救急隊員の美談」っぽいのですが、僕はこれを読んで、「そんな状況なのに、まだ別の患者が搬送されてきてたのかよ……」と、スタッフがかわいそうだと感じてしまいました。

 こちらの「救急患者の受け入れ」という厚木市立病院のページでは、

<救急の診療体制>
  外科系医師2人、内科系医師1人、小児科医師1人、
  放射線技師1人、臨床検査技師1人、
  薬剤師1人、看護職員4人
※ほかに脳神経外科、循環器科、麻酔科がオンコール体制で待機

 ということですから、当直医が4人もいて、オンコールで脳外科の手術や心筋梗塞にも対応できそうで、かなりの規模の病院なのは間違いないのですが、その一方で、この「救急患者の受け入れ」というページには、「1. 休日や夜間は、厚木市立病院に他の医療機関からの紹介や救急搬送された患者さんが集中するため、厚木市休日夜間診療所や病院郡輪番制病院の診療時間内であればそれらの医療機関で診療されることをお勧めします」などの、「救急患者さんに対する、病院からのお願い(というか悲鳴)」も書かれているのです。おそらく、ギリギリのところで、なんとか救急医療を行っていた、というのが実情だったのでしょう。もっともこれは、「大部分の公立病院の救急医療の現実」なんですけどね。別に、この病院が特別だったわけではなくて。

 それぞれの関係者について考えれば、患者さんとその御家族は、受診する前に病院にまず問い合わせてみて、その上で、この病院を受診するかどうか決めればよかったのかもしれないし(とは言うものの、現場的には「じゃあ、空いているなら確実にすぐに診てくれるんですね?」なんて言われても困るんですよね。実際にその患者さんが電話してきてから来られるまでの間に心肺停止の患者さんが来院されることもありますから)、病院側と「どちらが救急車を呼ぶか」という言い争いになったときに、不本意でも自分で救急車を呼んでおけばよかったのかもしれません。そしてもちろん、事務職員も、「規則」ではあるけれども、状況をみて(っていっても、それがいちばん難しいっていうのはわかるんですけどね。ほんと、「明らかな重症」と「すぐには死なない人」くらいは判別できても、その中間っていうのはわからないものなんです)、救急車を呼んであげればよかったのかもしれません。そういう患者さんが搬送されてきたら、僕がその搬送先の病院の当直医であれば「なんでそっちで診もせずに救急車で送ってくるんだよ……」と不快になること請け合いですけど。

 そして、医師や看護師も、救急蘇生の合間にでも、少しでも様子をみてあげていたらよかったのかもしれません。「頭が痛い」という症状で来院されて、「心筋梗塞で亡くなられた」そうなので、本当に症状が「頭痛」だけであれば、すぐに診断はつけられず、頭のCTを撮って「脳出血はないけどなあ……」なんて悩んでいるうちに急変、あるいは頭痛薬のみ処方してそのまま帰宅、ということになっていた可能性もありそうですが……

 「では、いったい誰が悪いのか?」と考えてみるのですが、結局のところ、こういうケースでは「運が悪かった」「病気が悪かった」としか言いようがないような気がするんですよね。
 人間は、病院にいても、脳梗塞や心筋梗塞を発症することがあるし、死んでしまうこともあります。
 病院にいて、治療を受けることによって、これらの病気の可能性を減らすことはできますが、もちろん、「絶対に死なない」わけではないのです。
 病院なんて、救急医療なんて、限界だらけなんですよ。
 「そんなの認めたくない」という気持ちは僕にも理解できるのですけど、それが現実です。
 
 とりあえず僕も「待ってもらっている患者さん」の状態については、なるべくこまめに確認するように心がけようと思います。僕にできるのは、そのくらいのことなので。
 「日本中どこでも、待たずに最高の救急医療が受けられる社会」であれば、それがベストなのはわかっているんですけどね。
 でも、「そんなのムリ」なんてことは、もう、みんな気づいているのではないかな……