慈恵医大青戸病院の事件について


共同通信の記事より。

【東京慈恵会医大青戸病院(東京都葛飾区、落合和彦院長)で昨年11月、前立腺がんの摘出手術を受けた千葉県の男性患者=当時(60)=が1カ月後に死亡する医療ミスがあり、警視庁捜査1課は25日、業務上過失致死容疑で医師3人を逮捕した。手術方式を許可した診療部長(52)と麻酔医師2人の計3人も26日、書類送検する。
 手術は腹腔(ふくくう)鏡という器具を使うが、斑目容疑者らは、内視鏡業者から術中に取り扱い説明を受け、手術方式のマニュアルを見ながら執刀するなどずさんだったとして、異例の強制捜査に踏み切った。
 捜査本部は(1)経験の浅い斑目容疑者らが担当した(2)より安全な開腹手術への変更が遅れた(3)大量出血への輸血用血液の確保を怠ったことが事故を招いたと判断した。】

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 この記事を読んでの最初の感想は、「バカだなあ…」でした。
 僕は、いつもマスコミの医療事故報道を見て、そのあまりに偏見に満ちた内容に憤りを感じることが多いのですが、これはもう、言い訳しようがないですね。逮捕されて当然。
 それにしても、この腹腔鏡手術を執刀した医師は、よほどの「怖いもの知らず」だったんでしょうね。助手としてついただけの2例の腹腔鏡での前立腺がんの治療経験で(しかも、そのうち一例はうまくいかずに途中で開腹手術に変更)、自分が執刀しようとするなんて…

 普通、新しい検査や治療、手術などを覚えるときには、

(1)   まず見学

(2)   助手として手伝いをする

(3)   経験豊富な医師のバックアップの元で術者に

(4)   経験を積んでひとり立ち

 というステップを踏むことになっています。
 もちろん、その手技そのものの難易度や危険性によっても、このステップは変わってくることになるのですが。
 例えば、採血をするのと(いや、それも患者さんによっては、ものすごく難しいときもあるけど)心臓の人工心肺を使用するような手術とでは、全然違ってくるわけですし。
 それにしても、この執刀医は(3)(4)のステップを飛ばしていきなり自分が術者になろうとしたわけですから…
 僕は弱虫なので、そんな怖いことは絶対にやりたくありません。
 何か起ったらどうするんだ!って、思うけど、この人は功名心に負けてしまったんでしょうね…

 ただ、医者の中には、「誰にも教えてもらわずに、自分はこんなこともできた」なんていうのを自慢にしている人がときどきいるのです。マンガのように、いきなり心臓手術なんてのは、周りのスタッフがいなければ不可能なことなので絶対にムリですが。まあ、あんまり若い医者のテクニック自慢は、多少割り引いて考えてもらったほうがいいと思います。
 だいたい、この医師は、「全身麻酔だから、不慣れな自分がやってもどうせわかんない」って、患者さんをナメてたんじゃないのかなあ。

 この事故の問題点は、

(1)   腹腔鏡での執刀経験のない医師が経験豊富な医師のバックアップなしに(要するに、傍できちんとチェックしてもらうことなしに)執刀したこと

(2)   途中で出血などの危険な兆候がみられたにもかかわらず、腹腔鏡での手術にこだわって対応が遅れたこと

 があげられます。

 報道で挙げられた「医療器具メーカーの担当者に操作方法を聞いていた」なんていうのは、こちらの方が9月26日の日記に書かれている通りで、よくあることなのです。
 高度先進医療の現場では、珍しいことではありません。
 医療器具は一般的に高価で、使い回しがききません。やっぱり、他人のお腹に入ったものを使われるのは、未知の感染等の危険もありますし。
 それに、手術場で使用する際には、当然滅菌されていないといけませんし。
 メーカーによって操作法が違うこともあります。
 使用器具は、大きな病院ではコストの関係で、使い慣れたものを使えない場合もありえますし。
 
ミスが許されない以上、その器具の使い方に成熟した人のヘルプを求めるのは、全然おかしくないことだと思います。
 むしろ、「医者と看護師以外が手術場に入るのはおかしい」なんてのが時代錯誤なわけで。

実際、最近の医療器具は複雑になりすぎて、動かし方を理解しているつもりでも思わぬトラブルが発生する可能性もあるのです。

ただ、僕はこの事故の影響については、いろいろと考えてしまいます。

「先進医療」というものが、誤解されてしまわないか、と。

基本的に「先進医療」というのは、医者のためのものではありません。

もちろん、医者の名誉欲が、その発展に寄与している部分もあるでしょうけど。

腹腔鏡による前立腺がんの手術というのは、

(1)   体の傷が小さくて済み、手術後の体力回復が早い

(2)   うまくいけば、手術中の出血量も少なく、合併症も少ない

 というようなメリットもあるのです。

 実際に、開腹手術を受けた(前立腺に限りませんが)人の話を聞くと、やっぱり「お腹を開けると体力の回復にけっこう時間がかかるし、傷口にも長い間違和感みたいなのが残る」という人が多いようです。

 一度開腹をすると、手術後も内臓の癒着で腸閉塞を起こしやすくなることもあります。

やっぱり、身体に傷が大きく残るのは嫌だ、という人は多いでしょうし。

もちろん、開腹手術の場合には、術野(術者が見える範囲)が広くとれて、治療がしやすい、とか、出血などの合併症に対して対処しやすい、とか、なんといっても、術者がその手技に慣れている、というメリットもありますが。

腹腔鏡手術は、「いかに傷を小さくして、いかに患者さんの体力を落とさずに治療できるか」という目的を持ったものであり、原則的には患者さんのメリットを追求するためのものです。

それを「自分の研究目的」にしてしまったのは、この執刀医の心得違いで、「先進医療」そのものに罪がある、というわけではないのです。

医療というのは、人間相手にしか練習できない(もちろん、動物を使って手術の練習をする場合もありますが、いくら動物で練習しても、やはり人間相手でないと技術は上達しません)という宿命を持っています。

「人間を練習台にするなんて!」と思われるのは当然のことなのですが、もし、「未熟な医師は患者さんに触るな!」ということになり、熟練医しか手術の執刀ができなくなれば、熟練医は高齢化していく一方で、いつか、その受け継がれるべき技術は絶えてしまうでしょう。

どの医者も、未熟な時期はあったのですから。

でも、だからこそ、そういった未熟な医者を一人前にしていくために、周囲のバックアップと医者本人の謙虚さが必要なのだと思います。

執刀者が未熟なら、より周りが患者さんの安全と治療のために配慮して、事故を起こさないようにする。

日本はアメリカのように、「金がない人は、治療を受ける代わりに若手医師のトレーニングに協力する」というようなシステムの国ではありません。

まあ、アメリカ式が悪いというよりは、世界的には日本の医療制度のほうが異質なのかもしれませんが。

大学病院で未熟な医者に診察をさせてくれる患者さんたちは、不安を感じつつも「上司の先生がしっかりチェックしてくれているはず」という信頼がなければ、安心して診療を受けられないでしょう。

それにしても、もし僕の上司が「最先端の医療をやりたい。助手しかやったことないけど、俺が執刀する」と言って、僕がその助手につくことを命令されたとしたら「そんなの危険です、やめてください!」と上司に言えるかな…と考えると、暗澹たる気持ちになりますね、正直なところ。