誰が医学部に「年齢制限」を作ったのか?


毎日新聞の記事より。

【群馬大医学部(前橋市昭和町3)の今年度入学試験で、年齢を理由に不合格にしたのは不当だとして、東京都目黒区の主婦(55)が大学を相手取り、医学部医学科入学の許可を求める訴えを6月30日までに前橋地裁に起こした。
 訴状によると、主婦は今年度入試で医学部医学科を受験したが不合格となった。群馬大に個人情報の開示を請求すると、主婦のセンター試験と2次試験の総得点が、合格者の平均点を上回っていたことが判明。
 入試担当者に説明を求めたところ、55歳という年齢が問題となったという説明を非公式に受けたという。原告は「年齢を理由とした不合格判定は合格判定権の乱用」と主張している。
 群馬大総務課は「事実関係を調べたうえで対応を検討したい」と話している。】

参考リンク:向学心を阻む”年齢の壁”(東京新聞)

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 僕は医者になって10年くらいになりますが、正直、今現在の「学力」では、自分が卒業した大学の医学部を受験しても、絶対に受かりません。まあ、あれはあくまでも「受験用の勉強」だとしても、やっぱり、年齢とともに新しいことに順応していく能力は低下していくような気はするし、もうこれでいいんじゃないか?というような、悟りというか諦めみたいな感情も出てくるものだと思うんですよね。だから、55歳で合格者の平均以上の点数を取ったというこの55歳の女性は、ほんとうに凄いです。

 そして、平均点以上を取っていたのに、この女性を「不合格」にした大学側に憤りを感じます、と言いたいところなのですが……

 群馬大学というのは、国立の医学部としては、偏差値的には「中堅」という程度の評価でしょう。意地の悪い言い方をすれば、「東大の医学部に入れるのに、群馬大学医学部を選ぶ人はほとんどいない」というレベルの。

 その一方で、「医者になる」という目的のためには、必要十分条件を満たしていますし、今の日本の医療制度では、医学部を出ていないと医者にはなれませんから、「医者になりたい人」にとっては、受かれば嬉しいに決まっています。とはいっても、ちゃんとカリキュラムについていって、国家試験に通るというのはけっこう大変だし、平均的な医学部では、100人の学生が入学すれば、実際に医者になれるのは80〜90人、というところ。こういうのは、一部の大学を除けば、東大でも京大でもあんまり変わりません。

 しかしながら、自分が大学に勤めて、「体制側」になってみると、『学生』という存在に対する見方が、医学部では、どうもちょっと違うということがわかってきました。ひらたく言えば、多くの地方大学医学部では、学生を「自分の大学の病院に就職するかもしれない(してほしい)人材」としてみています。さきほど書いたように、いま、日本で医者になるためには、医学部を卒業していなければなりません。そして、大学病院というところは、常に若い医者を補充していかないと成り立たないようになっているのです。いわゆる「大学病院」であれば、ちゃんと身分が保障されたスタッフ待遇であればどこの大学でも「来てくれる人がいなくて困る」という事態はまずありえないのですが、その下の「実働部隊」であり、「安い給料で、馬車馬のように働いてくれる駒」である研修医や医員を確保するのは、年々難しくなってきているのです。それでも、いわゆる「有名大学」であれば、外から研修に来たり、入局してくれる人もいるのでしょうが、ごく普通の地方の医大クラスだと、「国家試験に合格したら、地元に戻る」とか「有名大学に入局する」という人も多くなる一方で、他所からわざわざ入局してくれる人は少ないのです。そういう大学にとっては、やはり「ウチの大学病院で働いてくれる人」を確保するための最大の「資源」というのは、自分の大学の卒業生、ということになるんですよね。6年通っていれば、愛着も出てくるし、いろんな人とのつながりも出てくるし、もともと地元の人も多いだろうから。そういうわけで、医学部、とくに地方の医学部の入試の基準というのは、「自分の大学病院で働かせたい人材」を選んでしまいがちになるようです。すなわち「就職試験」の要素が強くなりがち。そりゃあ、使う側としては、若くて体力があって世間ずれしていない(まあ、こういうのは年齢に完全に比例するものじゃないとしても)人のほうが「手下として使い勝手がいい」と思うはずですし。

 今回の55歳の女性の件に関しては、事前に年齢制限等に関して明らかにしていなかった大学側に否があるのですが、そんな不公正なことをしなければならないくらい、地方大学の医学部は追い詰められている、とも言えるような気がします。実際に自分が試験をする側だと想像してみてください。それこそ「点数が上位から何人」という明確な基準で合格者を決めたほうが、はるかにラクなはずですよね。でも、そうできない「事情」みたいなものを、多くの医学部は抱えているのです。いやもう、いっそのこと成績順にしちゃったほうがいいと思うし、それで「年齢が高くてもだいじょうぶ」なのかどうか、実践してみればいいような気もするんですけどね。

 「そんなの大学じゃない!」確かにその通り。その言葉を、僕たちも何度も大学時代に発してきました。もっとアカデミックで自由な場所だと思っていたのに!

 しかし、上の参考リンクの記事を読んでいると、僕もこの女性が考えている「理想の高齢者医療」というのがどんなものか、現場で実際に医師として取り組んでみてもらいたかったなあ、という気がしてきました。「家族として考える理想の高齢者医療」と現場の医療者のギャップを明らかにしていくのに、こんなにいい機会はないのになあ、と。現場で働いている人間としては、正直「今の医療現場は、理想だけじゃ動かないんだけどなあ。この人は、医者になっても、その『理想』を貫くことができるのかなあ…」というような、ちょっとイヤミな興味も少しだけありますし。

 ただ、ひとつ誤解してもらいたくないのは、別に大学に現役で受かろうが、何年か浪人していようが、社会人経由だろうが、大部分の医学部の学生たちは、多かれ少なかれ、自分なりの「理想の医療」あるいは「目標とする医者像」みたいなものを持って入学してきています。でも、そういう「理想」というのは、どこかで少しずつ変容していって、「現実がこれだから、しょうがないよね…」と自分を納得させるようになってしまう…どうして、そうなってしまうのか…

 僕自身が、高齢者医療にかかわってきて思うのは、「幸福な高齢者医療」に必要なのは、実は、医療側の努力というよりも、むしろ、家族側の理解と努力なのではないかなあ、とうことなんですけどね。お互いにそんなふうに責任の押し付け合いみたいになるのは、よくないことだとはわかっているんだけど。