2009年12月定例議会 藤本ひろし一般質問
答弁・再質問はもうしばらくお待ちください。
藤本ひろし(質問):日本共産党市議団の藤本博司でございます。通告にしたがって一般質問を行います。
民主党中心の新しい政権が発足して三ヶ月第173臨時国会も閉幕しました。今取り上げられ問題の中に岩国にとって大事な問題のひとつに「核密約」問題があります。新政権は日米核密約の実態を明らかにするための調査を進め現在「有識者委員会」による検証作業が行われ一月に公表されると報道されています。
日本共産党国会議員団も笠井亮さんが衆議院外務委員会でこの問題を取り上げ岡田外務大臣に質疑を行いました。
この核密約に基づき米軍岩国基地に核兵器が持ち込まれていたとする証言や証拠が今までに明らかになってきています。
この問題は過去のこと済ませるわけにはいきません。密約が存在する限りいつでも核兵器を持ちこむことができるし、この点からも岩国に核兵器が持ち込まれたのかどうか検証しておくことがどうしても必要です。
今まで何度も岩国基地への核持込の疑惑が明らかにされながら、合併前ですが本議会でも再三にわたって取り上げられてきました。岩国市当局の答弁は「国に聞いて見たけれど国は事実を承知していないと云う、いずれにしても核の持ち込みは事前協議の対象になっており、もし事前協議があれば、政府としては常にこれを拒否する方針である。岩国市としては国の非核三原則を堅持する政策を支持するものである。基地の運用について市民の生活に著しい重大な影響を与える場合には言うべきことはいい、行動するべきときには行動する」というような答弁にとどまり、なんら疑惑は解明されていません。
今までは政府は、核密約はないと云う態度をとってきたのでありますから、このような答弁でごまかしていましたが今度はそうはいきません。
新しい展開になってきたのですから、岩国市としても新しい対応が求められているのではないでしょうか。
合併以後に国会で核疑惑問題が取り上げられるのは初めてです。
岩国市としても政府が核疑惑を解明するというこの新しい事態に対応するために改めて岩国基地に関連して明らかになっている核持ちみの疑惑について整理してみる必要があると思います。
膨大な事実がありますのですべてを述べるわけにはいきませんが、私は4つの大きなポイントがあると思っています。
1、第一は1956年から1958年にかけてA3スカイウオーリア、A4スカイホークという核兵器搭載可能戦闘攻撃機の配備とともに同時期に、基地内に地下弾薬庫が6つ建設されその中の二つに4段階ある爆発度の基準の一番大きな大爆発を意味する危険度「1」の弾薬庫の存在が明らかになったことです。
2、第二段階は基地沖に水爆を積んだLSTが1959年9月から1966年7月までの約7年間、岩国基地沖200メートル前後の海上に核爆弾B28数発を積んだ海軍のLST1122(揚陸艦)
サン・ホアキン・カウンティ号(灰色の幽霊)1625トンが、いつでも核爆弾を陸揚げできる体制で停泊したり移動したりしていました。
この時期、岩国沖に米空母が集中的に16隻寄港しており、空母の核攻撃機能との関係が考えられます。
このLSTは、たまたま釣りのため船で近くを通りかかった広島県の医師親子が写真にとっており、写真が新聞にも掲載されました。
1981年米元国防省職員であったダニエル・エルズバーグ博士がこの事実を、米政府内文書で暴露いたしました。
1987年4月当時のライシャワー駐日大使もこの事実を認め、1966年夏速やかに撤去するようラスク国務長官に進言したと証言しています。このLSTは岩国を一時離れた後、南ベトナムのダナンに派遣されましたが「有事」には岩国に再配備される方針であったことが米政府秘密文書で判明しています。
それは、岩国基地の海兵航空隊攻撃機と、空母艦載機への核爆弾供給を任務にしていたもので、その行動は東アジア全域に及ぶものでした。
第3段階は、核兵器取扱専門部隊の岩国駐留が明らかになったことです。
核兵器専門部隊MWWU-1(MARINE WING WEAPONS UNIT-1)が岩国基地に駐留していたのは1973年から1983年まででした。米海兵隊「核作戦教範」によれば、MWWU-1は核兵器の貯蔵・核爆弾の整備・組み立て・試験引渡しを任務とするものでこの部隊には「教範」通り、核兵器組み立て作業所(NUCLEAR ASSEMBLY SITE)が設置されていました。そしてまたそこには重要度の高いところに設置される照明設備がありました。1983年3月MWWU-1はグアム島の米海軍アガナ航空基地のブラボーエリアに移駐し、1998年になって岩国の核兵器組立作業所は解体されました。
このことを証明したのが、1979年日本共産党の不破哲三書記局長(当時)です。国会の衆議院予算委員会であきらかにされました。これは日本共産党が入手した米軍内部文書、米第一海兵航空師団の「核兵器要員信頼度計画のための名簿」によるもので、核兵器専門部隊MWWU-1が存在していた1976年、岩国基地に172人の核兵器取り扱い要員がいました。このことは核兵器が岩国基地に持ち込まれていたことを決定的に裏付けるものでした。この要員は三つに分かれていました。それは、
@直接核兵器に接近し、航空機に積み込み投下する任務をもつ「クリティカルポジション」74人。A核兵器に接近するが、それほど習熟はしていない、場合によってはクリティカルポジションにもかかわる「リミティッドポジション」とBさらに習熟しておらず、運搬などの任務を持つ「コントロールポジション」の98人でした。
この要員の任務とポジションは、核兵器があるときだけ存在するもので、核兵器がなくなるか任務を離れるかすれば消滅するものです。
このことは、この要員が岩国基地にいた間は、岩国基地に核兵器が存在していたことを証明する動かない証拠です。
これとは別に、核兵器取り扱い要員は沖縄普天間基地の第36海兵航空群のヘリコプター輸送部隊にも86人配置されていたことがこの文書に書かれていました。
以上のようにこうした事実は、すべてアメリカの解禁された公文書や電報、元政府関係者らの証言で明らかになったものです。
こうした事実がありながら政府は密約はないと国会で堂々と虚偽の答弁を行い国民に真実を隠し続けてきたわけですが、核密約がここまで明らかになった以上、岩国市としても岩国基地への核持ち込み疑惑の解明を改めて求めるべきだと思いますが市長の見解をお尋ねします。
次に基地問題の二店目KC−130空中給油機部隊の先行移転を認めないことについてお伺いいたします。報道によると10月に公表された「2010米会計年度海兵隊航空計画」で岩国に移転が予定されているKC−130空中給油機部隊が普天間の代替え基地が完成する前の2013年4月に岩国基地に配備されると明記されていることが明らかになりました。
KC−130空中給油機部隊の岩国移転は1996年のSACO最終合意により「普天間基地の代替え施設が提供された後、岩国飛行場に移駐する」とされ、2005年「再編実施のための日米ロードマップでも「KC−130飛行隊は司令部、整備支援施設及び家族支援施設とともに岩国飛行場を拠点とする」とされていたものです。2013年4月までに普天間の代替え施設が完成しないことは明らかで、先行移転以外何ものでもありません
改めてKC−130空中給油機の先行移転は認められない旨国及び米軍に対して申し入れるべきだと思いますが市長の見解をおたずねします。
次に雇用対策についてお尋ねします。
戦後最悪の雇用情勢の中で新卒高校生の就職内定等が大変厳しいと伺っています。市内企業などが来春卒業予定の高校生をどの程度採用する予定があるのか、また就職内定状況はどういう状況かお聞きします。また新卒高校生の採用について企業への特別要請を行う必要があると思いますが見解をおたずねします。
雇用対策については、地方自治体と国市や町の権限は限られたものがあります。とはいえ工夫次第では雇用を拡大することは可能だと思います。
特に岩国にはいくつかの大企業がありこのようなときにこそ大企業に社会的な責任を果たしてもらう必要があります。
雇用の悪化が賃金の低下を生み、内需の縮小、国内生産の縮小がさらに雇用の悪化という「負の悪循環」を作り出しています。11月末の速報値で完全失業率は5、1%に上り15才から24歳までの完全失業率は9、3%と一年前に比べて2、6ポインとも上昇するという深刻な状況です。こういう状況を打開するためにしない大企業に対して、とりわけ新卒高校生の採用を拡大してもらうよう、岩国市として特別の取り組みを行ってもらいたいと思いますが市長の決意をおたずねします。
最後に岩国駅と周辺のバリアーフリーについて、岩国駅前周辺整備計画及び地下道の自転車用スロープの改善についてお尋ねします。
私の知人が足が悪いため電車で出かけるときに、岩国駅の階段を上り下りすることができないため、岩国駅を利用しないで和木駅までわざわざタクシーで出かけて行ってそこから電車に乗っておられます。いつになったら岩国駅を利用できるのかと怒っておられます。また、駅地下道を自転車で通行するのに傾斜が急なために、わざわざ三笠橋や昭和橋を大回りしないといけないと多くのお年寄りが困っておられます。
私は平成15年、6年前の12月議会でも同じ質問を行いましたが、岩国市中心市街地活性化事業等により駅前広場構想の中で計画せざるを得ないと答弁されています。どう計画されているのかお尋ねします。