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"ROKUTAN'S ROOM"
◆ 私の尊敬する、大学で教鞭を取ったりするスーパー超ウルトラ大ティーチャー、ROKUTAN 先生。
◆ 以前は石鹸作成サークルの顧問をしていたが、現在は違うサークルの顧問。年度によって異なるそうだ。(記2001.10.17)
◆ どうも、著作物が刊行されているらしい。現物は、未確認。 内容は、専門分野とは、別。やはり、底知れない才能がある。(記2001.2.12)
◆ 高校生の頃、平泳ぎの選手だった。100メートルで15秒早ければ、身長が20センチ高ければ、長崎宏子(元オリンピック選手)になれたハズだったと、自分では力説している。 (記 2000.7.9)
◆ 建築学について語った直後、"プシュー!" と奇声を発することがある。仕事に行き詰まると、"ウニャニャ" と言って、弱音をお吐きになる。笑うと、眉だけ "ハの字" になるところが、キュート。ベトナムに、1ヶ月間の学術調査に出かけたり、する。
◆ 現在のお住まいに引っ越してからしばらくの間、何と、紀子(きこ)様の実家のごとく、テレビを所有されていなかった。俗世間の悪習に染まるまいとする、見上げた心掛け。
◆ 自分の愛弟子には、土曜の深夜に、いっしょに一晩中でも遊んでもらえる程に、愛され信頼されている。夜中の卓球に、青春を燃やす事もある。
◆ 箸が転がるのを見ているだけで、大笑いする程の、今時珍しい純真さ。
◆ 学術研究用の分厚いノートに突如、「お金は嫌いだ・・・」の一文が。これは、とある仕事に対する、報酬金の過大さを嘆いた、先生の精神の高潔さをはからずとも表現している。感動的。そこにイタズラ書きをしてしまった筆者は、非常な罪悪感を感じて、反省している。
◆ ブランキー・ジェット・シティと椎名リンゴとUAの音楽作品を、所有。音楽にも理解がある。生まれながらの学究肌。
◆ 現代の紫式部、ROKUTAN 先生の大活躍に感動した方は、ファンレターを!。

■ 1999年10月11日

● Sakanoさん、Rokutan先生と、永福町でご会食。先生とご一緒すると、いつも楽しい。先生は、明日の授業の準備があるにもかかわらず、まるで逃避するかのように、パスタ、ピザ等を、たいらげる。
● この後なぜか、筆者のウチにご来襲になり、コーヒーをお召し上がりになる。

■ 2000年4月16日

● 4月16日の午前3時(!)に筆者のウチにご来訪になり、コーヒーを満足げに賞味し、友人達と束の間の休息をムサボる、Rokutan先生。何故か帰りたがらないRokutan先生は、「コーヒー10杯飲んだら帰る」と豪語!最近、テレビを入手したが、ほとんど見ていないらしい。

■ 2000年5月22日 / 愛車"MINI"で各地を疾駆、距離メーターは14万km近くに

● 5月22日の24時(!!)、友人とのディナーの帰りに、またも筆者宅に訪れた、Rokutan先生。解散を発表したロック・バンド、ブランキー・ジェット・シティの横浜公演のチケットを、弟子と共同で確保。ご満悦。
● 午前1時を経過したので、「そろそろご帰宅の時間ではないですか?」とお伺いをたてたところ、テレビを見ながら、2杯目の冷たいコーヒーの入ったカップを持って、「今日は授業は無いモーん!」と固まっていた。

■ 2000年5月27日

● Sakanoさんの仕事場より、Rokutan先生が電話をくださる。
●「今日は Sakanoさんの仕事場に、届け物をしました。私の可愛い愛車をホームページに載せて頂き、有り難う御座います。私の友人に、"ギターの帝王"(私を何故かこう呼ぶ)のお宅の事を話したら、興味を示していました。Sakanoさんとも、非常に居心地が良いと話しました。先日作った石鹸は、Sakanoさんにも好評です。今日、手元にあります。今、吉祥寺ですけど、井の頭通りと甲州街道は、近いですね。コーヒーが沸いた頃、電話をください。」と、何故か来たがる。
● このページは、Rokutan先生の高貴な人格を通して、人々の心に安らぎを与える事を、目標としているのです。本日はRokutan先生の来襲を水際で防ぐ事が出来たが、再度の襲撃の際は、暖かいコーヒーを出して、おもてなしする事であろう。

■ 2000年7月9日

● 7月9日、ブランキー・ジェット・シティーの横浜での公演からの帰途、またも、広いとは決して言えない我が家を襲撃した、Rokutan先生。横浜アリーナの2階席で、我を忘れて激しく踊っていたらしい。ブランキーのロゴ入りジッポーを購入、シリアル・ナンバーが1000番ジャストだったので、異常に興奮していた。
● Sakanoサンとお弟子サンを引き連れていた。横浜の中華街で、春巻、チャーハン、ビーフンなどを大量に購入し、我が家を食堂をとしてご使用になった。
● 今日は何故か、自らを哲学者と称する。確かに学校の大先生だが、哲学的な言動をしているとは言い難い。頭の上にコーラの空き缶を載せて、無我の境地に達していた。今日は、午前1:00にご帰宅。「実家(我が家の事??!!)に帰って来ました。ここにいると、あっという間に時が過ぎて行く。」

■ 2000年11月3日

● 久々に、Rokutan先生と遭遇。今日は、実に先生らしい行動で、有意義な一日であった。昨年に引き続き、学園祭(埼玉)で演奏させて頂く。到着した我々バンドのメンバーを教室にお招きになり、顧問をしている石鹸作成サークルの作品と、グラフィック作品を収録するCDを頂戴する。実にありがたい。お礼として、ロック・バンドのブランキー・ジェット・シティーのビデオを進呈する。ご自宅で、激しく踊りながらご覧になるに違いない。
● 演奏終了後、先生と中華料理を食する。
「学校付近で唯一といってもよい、ラーメンの美味しいお店なんです。餃子とチャーハンも頂きましょう。あ、杏仁豆腐も2ツください!」
● お食事中、お母様から電話が来る。不用になったソファーを譲り受けることになったが、輸送費が1万円もかかるそうである。
「1万円でも、買うより安いですよね。取り敢えず、実家に行かなければ。あ、仕方がない、お宅でコーヒーを頂きましょう。私が、東京まで先導します。さあ、行きましょう。」
・・・・。私は決して、先生を招待したつもりはない。しかし、筆者の家族がバンドの練習中なので、そこまで迎えに行かなければならない。練習場所は、バンドのメンバーの自宅の防音スタジオ。到着したが、まだ練習が継続中とのことなので、待っている間に、居間にお邪魔しコーヒーを頂く。そこでナゼか、進呈したばかりのブランキーのビデオを見る。音楽も理解する ROKUTAN 先生は、ブランキーについて語り続ける。
● 練習が終了後、メンバー達と飲み屋で会食。初対面なのに意気投合。Rokutan先生は、人とつきあうのが非常にお上手である。またもや、感動した。楽しい宴会は深夜まで続いたのだ。

■ 2001年1月8日

● 本日、Sakano家で新年会が開催される。イチゴ好きな Rokutan先生は、杏仁豆腐にイチゴをトッピングさせるという画期的なアイディアを披瀝し、招待客全員を驚嘆させる。料理にも精通していることを見せつける。先生の能力の底知れなさは、神秘的な深海魚の生息するマリアナ海溝より深い。ちなみに、本日はおとなしくご帰宅された。

■ 2001年2月12日

● 実家でくつろいでいた Rokutan先生、またも我が家を急襲。Sakanoさんは、本日はご多忙の為、"急襲"は欠席。AJICOとSHERBETSのビデオを見ながら、先生に持参して頂いた、とても美味しいコーヒーを頂戴する。ダビングしたビデオと交換に、ちょっと早いバレンタイン・デーなのか、チョコレートを受け取る。
● 「うーん、UAとベンジーが組むとは・・・今後はますます注目ですね。UAは、パティ・スミスが好きだそうです。最近は、"ゆらゆら帝国"が非常に良いんです。」と、私の存じ上げないアーティストの名前をすらすらと列挙し、驚異的に豊富な音楽知識を示す。やはり、尊敬に値する、素晴らしいお方だ。

■ 2001年3月11日

● 2ヶ月連続で、Rokutan先生、とても狭い我が家を急襲。先生曰く、「居心地が良いんです。ここは、第二の我が家です。」・・・?Sakanoさん、ご夫妻で同行。そして、Sakanoさんが、最近入手された非常にカラフルなトカゲをご持参。
● Rokutan先生は本日、著名な先生がたとのご会合の帰りであった。非常なご多忙のなかでのご来訪、しかも夜11時、非常に光栄である。何と今回は、我が家へのプレゼントとして、芸術性の極めて高い写真集、"ボールの周辺"を頂戴する。人のご恩を忘れることのない、極めて人間の出来た、素晴らしいお方だ。ちなみに本日は、わりと淡白に、あっさりとご帰宅。

■ 2001年10月17日

● お仕事でご多忙の Rokutan先生、半年近くお顔を拝見していない。その神々しいお姿を拝む事がかなえば、誰しもリッチな気分になる。Sakanoさんのお宅へ、先生と共々お邪魔しようと作戦を練る為、久々に電話をさせて頂いた。本日もお仕事中、お邪魔をしてしまい実に申し訳ない事をしたと反省している。先生との会話は、他のどんな偉人との会話をも凌駕する程の素晴らしい、貴重な経験である。よって、30分にも及ぶ長電話も決して苦になる事はない。
● 筆者:「Sakanoさんちは、Inagiにあるんです。」
先生:「ウチから遠いのですね。それでは、Kitaさんちに寄ってから行きましょう。」
筆者:「いや、それでは余計に遠回りでは・・・?」
先生:「そんな事はありません。お宅でお茶を頂いてから行きましょう。」
筆者:「????」
先生の距離感覚は、完全に常識を超越している。一見したところ矛盾しているようでも、先生の解説にかかると、全てが正しい理論に変化する。これは、研究のために東アジアを踏破し尽くした、Rokutan先生ならではの経験からくる能力であろうか?東洋の思想には、西洋の整然とした論理的思想とは異なる、神秘的な部分が確かに存在するのだ。今日も先生は、学術にサークルの顧問にと、超ご多忙である。そのエネルギーと全てを可能にする天才には、ほとほと敬服するしか手はない。

■ 2002年5月18日 / 深夜1時頃、自ら入手した香り深い珈琲を賞味し、筆者の如き一般人には窺い知れない極めて奥深い思考に浸った、多忙この上ない、メッチャ偉大なる学者にして教師、この日のROKUTAN先生

● "東洋の神秘"、神出鬼没の権化、Rokutan先生が久々に我が家を急襲。その底知れぬ実力を示された。先生はこの所ずっと、お仕事が多忙であらせられ、私どものような町人、いやさ一般人風情と談笑する時間など全く無かったのであった。久々に会合の機会を提供され、本当に有り難いと思っている。しかも、お約束の"二日越し"のご滞在である。
● 筆者が某所でバンドのリハーサル中、Sakanoさんからの電話がかかる。
「今日はお暇ですか?お宅にお邪魔しても宜しいでしょうか?」
ま、まさか、ひょっとしたら久方ぶりに、Sakanoさん達とツルんでの、Rokutan先生の襲来があるのか?
その後、先生ご本人から直々に電話がかかる。
「今、Yoyogi-Ueharaに居るんです。至近距離ですね。到着は11時過ぎです。」
言っておくが、Yoyogi-Ueharaと我が家とは、至近距離とは言えないのだが・・・。近所だろうと遠距離であろうと、行きたいトコロがあればスっ飛んで行く先生、その尽きる事のない、コンコンと涌き出る泉の如く迸るエネルギーには、圧倒されざるを得ない。それはそうと、家主が11時に我が家に到着するのはムリだ。まさか、家主が不在の時刻に乗り込んで来るとでも言うのだろうか?
● 11時半頃、筆者、やっと我が家に到着。カーテンの間から屋外にこぼれる、我が家の照明の光り。玄関を開けると、見なれない3足の靴が。"急襲トリオ" 、ROKUTAN 先生、SAKANO さん、MINO さんが、家主が不在にもかかわらず、私の家族と楽しく談笑している。超有り難い事に、類稀なる美しさの花束を持参され、我が家を華やかに彩って頂いた。更に、コーヒー、お菓子、アイスクリームと、至れり尽せりの大大サービスの大盤振舞。感動の嵐が吹き荒れた。最近購入したブランキ・ジェッド・シティーの DVD を立て続けに4本もご覧になられ、ご満悦のご様子。良かった良かった。しかも、午前2時近くまで滞在され、心から一般人との対話をエンジョイされたご様子。ここまで楽しい時を過ごさせて頂いたのも、大先生の責任、いやいや、大先生おかげである。

■ 2002年7月12日 / 近所も寝静まった深夜に我が家で談笑する急襲の巨匠 ROKUTAN 先生

● けだるい金曜日の夜、我が家で寛いでいるところ、Sakanoさんから電話が来た。
「これからお邪魔しても宜しいでしょうか?」
本当に"急襲"が好きなお方だ。
「ところで、車の隣りの席にもう一人いるんです。」
?誰だろう?
「ど、どうも。」・・・それは、最近ご無沙汰しているバンド仲間、筆者とはただならぬ(?)関係の、テナー・サックスの巨匠、Kato氏ではないか。一体どうしたというのか?今日、Sakanoさんと Kato氏は共にライブ演奏を繰広げ、その後に急な思いつきで、我が家を襲撃しようという話になったらしい。どうして我が家が楽しいのか、いまだに良く分からない。しかも、夜食としてカップ・ラーメンとビールを持参し、我が家を食堂として利用しようという魂胆であった。勿論お土産も頂き、これは非常に有り難い。
● ところで急襲といえば無論あの方、我々の崇拝する Rokutan先生はどうしたのか?いつもの通り、Rokutan先生を我が家に招聘する意思は毛頭ない。その時、Sakanoさんの携帯電話が、けたたましい音を鳴らした。筆者の額には、うっすらと冷汗が浮かんでいた。ついつい、Sakanoさんの携帯電話を受け取ってしまった。
「今、Omiyaの自宅にいるんです。今から出発すれば、1時間あまりで到着します。」
「いや、今から来て頂いても大しておもてなしも出来ませんし・・・。」
「ご心配は無用です、コーラとお菓子とアイス・クリームは持って行きます。」
しまった、非常にウカツであった。先生のような頭脳明晰な大学者と、筆者のような一般人風情が、議論になっても勝負にならないのを忘れていた。Rokutan先生がまたも我が家を急襲してしまう!だが、もう遅い。またも、お約束の"二日越し"のご滞在である。
「今日は、楽しい映画のDVDを持ってきました。終わるまでに約2時間かかります。」
これを見出すと、終了が午前3時になってしまう!それだけは、何とか阻止しなければ。
● サックスの巨匠のKato氏と、学会の"魔術師"の(?)Rokutan先生、二人はほとんど初対面である。Kato氏は独特の喋りの"間"を持ち、話相手を煙に巻いてしまう。だが、Rokutan先生の独自の論法も、対話する相手を自分の世界に引きずり込んでしまう、マサにトーキング・マジシャン(?)である。二人の会話は、噛み合わないようで噛み合う。このイリュージョンのような話術に、Sakanoさんと筆者は完全に魅了されてしまった。
● 我々は、カシオペア、パット・メセニー、ブランキ・ジェット・シティー、AJICOのDVDを立て続けに見た。ジャズ・サックスの名手、Kato氏は、カシオペアやパット・メセニーといったギター奏者を中心とした演奏の映像を、興味があるのか無いのか分からない、実に落ち着いた表情で鑑賞していた。だが、AJICOの映像を見たとたん、目が爛々と輝き出した。
「UAは素晴らしい!」
予想だにしなかった発言が、あの地味なKato氏の口から迸り出た。UAが好みだったのか?この衝撃の事実に、一同は驚愕の表情を浮かべた。また、ブランキ・ジェット・シティーの初期の映像を見て、上半身裸で演奏する硬派なロック・ギタリストの浅井健一の姿に、非常に感化された模様。パット・メセニーのステージ衣装と言うべきボーダー・シャツにも影響を受けたかもしれない。Kato氏は生真面目なジャズのサックス奏者だが、ステージで上半身裸でギターをぶら下げながらサックスを演奏する、そんな姿がどこかで目撃される日が来るのかもしれない。
● 皆様がご帰宅になられたのは、結局午前3時であった。蒸し暑い夏の夜、こんな形で過ごす事もあるのだなと、あきれ・・・いやいや、納得したのであった。全ては、Rokutan先生達のおかげだ。

■ 2003年4月29日 / 相変わらず超ご多忙であり最大の得意技である急襲を繰り出す暇もないROKUTAN先生

● しまった!晴天も長続きせず、気分も何となく晴れない今日この頃であるが、スカッしない気分なのは天気のせいだけではなかった。私が全宇宙の中で最も尊敬する、現代の清少納言にして楊貴妃であらせられる ROKUTAN 先生と、1年弱という長い時間お会いしていない事に気付いた。先生は、人間の持つ悩みという悩みを、同じ部屋で談笑するだけで消散させるという、極めて有り難い能力を備えている。是非、近日中にお姿を拝見して、その発散するエネルギーを照射させて頂いて、我々の日々の暮しに春先の晴天の如き清々しさを取り戻したいところである。だが先生は、今日も学術の探求に余念が無く、我々のような町人風情と談笑する暇など全然ないのである。そんな多忙の学術生活の少ない余暇を利用して、草木も眠るウシミツドキに我が家を急襲するに相違無い。神出鬼没の襲撃の気配を感じる今日この頃である。きっとまた、チョー有り難いコーヒー豆を持参してやって来るに違いない。
● そうこうしている今日、実に残念なニュースが先生から届けられた。先生がこよなく愛していたあの愛車MINIが、遂にボツになってしまったのである。サスガに、18万キロもお乗りになっていれば、一身に先生の愛を受けていたお車といえども、寿命も尽きようというモノだ。断末魔には、排気ガスをまき散らして、厳冬にでも「死にたくなかったら窓あけんかい!」状態であったという事である。次回の急襲の時には、どんなお車で来るのか楽しみ(苦しみ?)だ。それとも、夜中にOmiyaから歩いていらっしゃるのだろうか?

■ 2003年5月18日 / 超ご多忙の中でも急襲の事は決して忘れる事がないROKUTAN先生、今日も急襲は大成功、ご満悦!

● 5月17日の土曜の夜、筆者はMachidaで演奏であった。演奏終了直後、突如携帯電話が鳴った。
「今日、SakanoさんとEifukuchoでお食事の最中なんですが、これからお邪魔します。勿論コーヒーは買いました。」
筆者の予感は的中した。やはりRokurtan先生であったか。そろそろ急襲のある頃だと思っていたところだ。しかし、"これからお邪魔しおます"と、完全に断定的なのは恐れ入った。
「私はいまMachidaにいるので、帰宅するのは1時になりますが・・・。」
今から考えれば、ここで言葉を濁したのは大失態であった。少しでも隙を見せると、急襲の餌食になる事を失念しておった。だが、まさか食事後に2時間以上もEifukuchoに滞在して、更に我家を急襲するとは誰も思わない。しかもこれでは予告付きで、正確には"急襲"とは呼べない??
● 筆者は帰宅し、今日の疲れを癒そうと入浴に参ろうと思った瞬間であった。
「では、これからお邪魔します。」
しまった!先生の急襲に対する執念は、学問を探求する際の驚嘆すべき執着力と全く同様のものである。この執念こそ、先生が社会的な成功を収める為の原動力なのである。いやはや、大変なお方とお近づきになれたものだ。間もなく、狭い狭い筆者宅の呼び鈴が鳴った。Rokutan先生とSakanoさんがお見えになった。時刻は既に午前1時を廻っていた。今日もまた、急襲、コーヒー、お土産という三大要素が充足されていた。毎度であるが、非常に有り難い。
「Eifukuchoに、良いシチリア料理のお店を見付けました。ここを起点にして、いつでもお邪魔出来ます。良かったですね。」
「????・・・・・。」
● 「このソファーは座り心地が非常に良いですね。Sakanoさんと私で、ピッタリ・サイズです。このお宅は、4人でちょうど良い広さですね。」
と、先生独自の手前勝手な理論で、筆者宅が狭いのを皮肉っているのであろうか?我家のどこが居心地が良いのであろう?いつもながら、不思議に思う。
「レッド・ツェッペリンの映像はありますか?」
とSakanoさんのリクエストがあり、筆者はDVDを取り出して再生した。
「このギタリストが、リッチー・ブラックモアですか?」
や、やった!完全無欠の大人物のハズの先生でも、間違いを犯す事があろうとは!レッド・ツェッペリンのギタリストがジミー・ペイジである事は、小学生でも知っている常識中の常識だ(???)。早速筆者はディープ・パープルのDVDを再生し、リッチー・ブラックモアのプレーの偉大さを指摘し、先生がめったに犯さない認識の誤りを修正したのであった。その後も、先生達と1970年代のロックについて語り合い、非常に充実した時間を過ごす事が出来たのであった。
● そして、先生達はやっとこさ帰宅されるのであった。18万キロを走破した愛車のMINIに替わって、現在乗っている車を拝見した。
「この車はローレルです。新車ではなく、傷だらけです。傷だらけのローレル!(?)」
と思いっきりオヤジ・ギャグまで披瀝し、筆者をケムにまいて、逃げるように帰って行った。その後やっと筆者は入浴し、就寝時刻は4時半になってしまった。これも、先生が及ぼした効能(?)であった。

■ 2004年4月11日 / 珍しく調子が狂ってしまったRokutan先生、午前3時まで滞在するハズが・・・

● ある日、帰宅中に突如Sakanoさんからの携帯電話が鳴った。
「どうも。これからこちらに来ませんか?」
都心から離れた閑静な住宅街にある、アーティスティックな雰囲気すら漂わせるマンションで優雅な生活を送るSakanoさん。有難い事に、機会があるごとに呼んで頂き、超アット・ホームなパーティーに参加する栄誉に預かっている。そこでは、Sakano家のトカゲや熱帯魚を囲んで、芸術論や人生論が典雅なユーモアを交えて、止め処もなく語り続けられる。平日の夜とはいえ、今日も楽しい集いに参加させて頂けるとは。
「では、ちょっと電話をかわりますね。」
「もしもーーし。」
し、しまった!!この声の持ち主はRokutan大先生でわないかっ!!"天才は忘れた頃にやってくる"とは、マサにこの事態を指す格言か?だが、こちらに来ませんかとは・・・??Sakanoさんが言った。
「実は事情があって先生のお宅にお邪魔しているんです、こちらに来ませんか?お茶を入れて待っています。」
先生のお宅と言えばOmiyaでチョット遠いが、よし、今までのお返しに、この機会を利用してに先生宅に居座って夜中3時まで喋り続けようか?だが、火曜の夜に明日の事を考えずに遊んでしまうような強靭な意志と体力は残念ながら持ち合わせていない。夜中に我が家に来て居座り続ける事の出来る先生達の体力の凄まじさは、ゴジラmatsui並み、いやエージェント・スミス並みと言ってもよい。今日は、仕返しは残念ながら諦めざるを得ない。しかし、Rokutan先生とSakanoさんが何かを企んでおり、近々襲撃がありそうな予感が漂い始めていた。
● 4月11日の昼間、またもSakanoさんからの携帯電話が鳴った。
「今日、Eifukuchoで花見があるんです。皆さんもお待ちなので是非来てください。」
天候にも恵まれず、ゆっくりと桜の花を愛でる機会を逸してしまった今年の春、拙宅の近所で花見があるとは実に有難いお誘いである。だが今日はビッグ・バンドの練習日、折角の花見であるのに参加する事が出来ない。残念至極である。
● その日の夜、帰宅途中、またまたSakanoさんからの携帯電話が鳴った。
「どうも。今何をやっているんですか?」
周辺がザワついているという事は、まだ花見中であろう。
「では、ちょっと電話をかわりますね。」
「もしもーーし。」
ガーン!ショック!妙な胸騒ぎを感じたと思ったらRokutan大先生ではないか!しまった!スキを見せてはいけないと思っていた矢先、非常に危険な時間帯に先生と会話をしてしまった!今日も急襲を受け、深夜の長時間の滞在を許してしまうのか!?
「では、これから行きますね。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
人の心を読み切って、ちょっとした油断も見逃さない先生の鋭い洞察力には舌を巻いた。筆者は、断りの言葉を入れるタイミングを完全に失ってしまった。
● 突然の来襲に怯え、泣きながら夕食にありついていると、呼び鈴が鳴った。
「今晩はー!」
Sakanoさんは、実に親しげに何の躊躇もなく狭い我が家のいつもの部屋に向かった。すると、ドアの外から女性の声が・・・。
「ちょっとあなた、こんな夜遅くに人のウチに上がるのは止めなさい!」
その天使のように軽やかな美声は、Sakanoさんの奥様であった。何と久しぶりに聞いた、常識的な日常的な語句であろう!Rokutan先生と Sakanoさんは、一瞬たじろいで、額に汗を浮かべていた。結局、先生達の突破は許してしまった。だが、少なくとも人格については非の打ち所のないほど優れているRokutan先生達は、お土産の焼きプディングを指し示す事によって、我が家の構成員に感動の涙を流させたのであった。
● それにしても、Rokutan先生やSakanoさんの会話は高尚過ぎて、ややもするとシュールでアバンギャルドとも感じさせ、非常に難解な語句に満ち満ちている。それとも、こちらのボキャブラリーが余りにも貧困であるため、先生達の会話が理解出来ないのだろうか?こんな優れた知性の持ち主である先生達の深夜の長時間滞在は、深遠な意味を持つ、高尚な方々の高尚な習慣だと思っていた。それとも、学術調査の一種なのだろうか?筆者は研究のモルモットとされているのか?
「これが例の最新型テレビですね。」
先生は、最近当家に導入されたプラズマ・テレビを見て、しきりに関心していた。筆者は、所持するDVDの中から、1969年に開催された歴史的なロックのイベントである、ウッド・ストック・フェスティバルの記録映画を再生した。
「32型ですか、やはり大きいですねー。これがジミ・ヘンドリックスですね。ジミ・ヘン、"地味で変"ですね!」
筆者は笑った。だが、心は凍り付いていた。人格者の先生も、必ずしもジョークが超一流というワケでもない。猿も木から落ちるという諺が、ふと頭の中を通り過ぎた。
● Sakanoさんのリクエストでジョニ・ミッチェルのDVDなどを再生し、例によってコーヒーを10杯飲もうかという勢いのRokutan先生達に、意外な言葉が投げ掛けられた。
「ねえちょっと、もう遅いし帰りますよ!」
救世主と呼ばないで何と呼ぼう!何と常識的な、人の道に沿った言動であろう!Sakanoさんの奥様の助けにより、夜明けの太陽が顔を出す前に就寝する事が出来た。Rokutan先生にとっては、やはり不完全燃焼という事になるのであろうか?近々、また襲撃があるのだろうか?十分注意する必要がありそうだ。

■ 2004年5月18日 / 急襲を常態化しようという狙いを抱く、鬼才Rokutan先生

● Rokutan先生から、強烈なモノを見せ付けられた。女性ボーカリストのUAが、"どれみのてれび"というテレビ番組で、赤や緑などの原色の衣装を身に着けて、ケッタイな振り付けで、しかも極めて真面目に、童謡を歌いまくるのだ。いつもの事ではあるが、Rokutan大先生の着眼点の奇想天外さと奇抜さには恐縮至極(教職凄く)の七転八倒の驚天動地である。超ご多忙な学術調査の合間にも、ユニークなものをどこからか見つけてきて、当家にわざわざ情報を伝達して頂けるのである。有難過ぎて、Rokutan先生には足を向けては寝られない。
● だが一方で、極めて平和な我々の規則正しい生活を乱す為の悪巧みも、着々と計画されていた。Sakanoさんから突如、恐るべき内容のメールが届いた。何と、"急襲"に一定のルールを与え、既成事実化しようとしているのである。折角今まで築き上げてきた防波堤も、脆くも決壊してしまうのか?
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kita氏宅訪問に関する行動の指針
第一条・・・kita氏宅訪問の際の「お土産」に関する規約
第一項・・・お菓子その他の数について
お菓子等で一人分の量が明確なものについては、訪問者の数にkita家分2つを加えるものとする。ただしその数が4つなどの様にならない数の場合はさらにいくつか加えるものとする。その場合のこった物を後日kita家で仲良く食べられるように2の倍数を加えるものとする。ただし、8個を越えるセット物については上記の法則は適用しない。
第二項・・・コーヒー豆のグラム数について
3回の訪問につき、ドリップ用にやや粗めに挽いた豆100グラムとする。ペーパーフィルターについてはkita家の負担とします。(コーヒー豆の購入は100グラムが最低単位と考え、また挽いた豆の賞味期限を1週間程度と考えると、美味しく頂くためには訪問の頻度を高めるか、滞在時間を長くしてお代わりをたくさん頂かなければならないのでは、という意見が一部委員より出されました。検討の結果、あまった豆に関しては kita 家の日常の使用にまわしてもらっていいと言う意見が多数をしめました。)
昨日の決まったのはここまでです。
kita氏宅訪問倫理委員会・・・Sakano/Rokutan
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● えええ???!!!"昨日の決まったのはここまでです"、ですと!?この恐ろしい規約に、益々もって恐ろしい規約が続々と連なるのか?ゾクゾクする!筆者も、当家の滞在時間は5分間に限定する、という規約でも作りましょうか?だが、研究や文章作成に長けているRokutan先生達の明晰な頭脳には、我々町人風情ではとても太刀打ち出来ない。我が家の構成員の運命やイカに?

■ 2006年1月7日 / 忘れ去られてはいなかった襲撃計画、得意のポーズを我が家で炸裂させるのだろうか?

● 我が家に、恐怖の Sakano/Rokutan同盟の前回の襲来から、早くも約2年が経過しようとしている。実に実に平和な日々であったが、水面下では恐ろしい襲撃計画が練られているという事実をSakanoさんより漏れ聞いていた。我が家との関係を継続しようというのか、地球上でトップ・クラスの人格者でもあるRokutan先生よりの贈り物が、季節の変わり目には必ず届いている。お礼のメールをやりとりする文面の中で、以下のような記述が見られた。
「いずれスキヤキ・パーティーが開催されるかのように伺っております。最低4名として、一人200gで800g程度必要ですが、まだS氏との間でグラム単価が決まっていません。決まり次第ご連絡いたします。」
牛肉は持ち込むので、野菜は当方で準備しなければならない、というメールも来ていた。我が家にはなんの断りもなく、一方的に計画が練られ、過去の例からすれば、近日中には確実に実行されるであろう。先生達が、我が家のような狭い居住空間のどこに居心地の良さを見いだしているのか、未だに不明である。
● Rokutan先生より、年賀状が届いた。先生が携わっている仕事に関連した写真が美しくレイアウトされ印刷された年賀状である。しかし、通常であれば住所や名前が記載されるべき差出人欄に、我々凡人には及びもつかないタイミングで、恐ろしい4文字が記入されていた。
・ ・ ・ 「 ス キ ヤ キ 」

■ 2007年2月18日 / 密かに練られていた襲撃計画、防御する術は全くなかった、襲撃は絶対に失敗させない、大成功にご満悦!

● 何と3年近くもRokutan先生の襲撃を受けずに、平和に生活していた筆者。しかし、稀に見る人格者であるRokutan先生は、年に一度のお菓子の当家への贈呈は欠かすこともないが、当家への来襲への下心も見え隠れする。隙があれば急襲をするぞという意思表示は、Sakanoさんよりの情報によっても間接的に確認していた。常日頃から、急襲に対する防御体勢の構築は必須であったのだが・・・。
● 2月18日、Ikebukuroのライブ・ハウスで、Sakanoさんと筆者がバンドを結成してから20年経過した事を祝しての記念演奏会を催し、関係各位にご来場頂いた。日頃からお世話になりっぱなしのRokutan先生を招待するのは当然の理である。しかし、学業の指導と研究活動という大役を担われている先生、国内外を問わず八面六臂の大活躍でご多忙であり、演奏会には参加出来そうもないという情報も得ていた。思えば、このような情報に接しての筆者の油断に、ROKUTAN先生の久々の急襲を招いてしまった要因が潜んでいたのであった。
● 「お久しぶりです〜!」
「あ、ど、どうもご無沙汰しております・・・。」
演奏会場に唐突に出現したRokutan先生、休憩中の筆者と対面してしまった。筆者の顔面はひきつり、全身が大理石のように固まってしまった。だが、ここで怯んで演奏を止める事は出来ない。何とか無事に演奏会を終了させた筆者とバンドのご一同様は、演奏の余韻に浸りつつ、各々帰宅の運びと相成った。恐る恐るSakanoさんにRokutan先生の所在を確認したところ、
「忙しく疲れていたご様子で、今日は帰宅されたようです。」
との事で、筆者は心から安堵した。
● Sakanoさん、テナー・サックスのKato師匠、筆者と家族の者は、Kato師匠ご推薦のSasazukaのイタリアン・レストランで、ささやかな宴を開いた。
「KatoH師匠、この店はよく来るんですか?」
「そうです、サラダが旨いんです。」
サラダも良いが、パスタも食べたいんだよな、と思いながら入店。確かに、サラダを始め、パスタ、グラタンなど全ての料理が悉く美味で、筆者達は極めて満足した。そうこうしていると、Sakanoさんが誰ぞやと電話を・・・。
「Rokutan先生が、Ikebukuroから車で来るそうです。」
ガーン!もう少し早めに切り上げて帰宅して、家に閉じこもるべきであった!そうこうしていると、アッという間に先生が車で到着。
「このお店のお料理は美味しかったですね。ところで、美味しいコーヒーを召し上がる頃ですね。私達はお菓子も買っていきますから、お宅で準備していてくださいね。」
完全に、いつものRokutan先生のペースに巻き込まれてしまった。
● 筆者は、打ちひしがれながら車を運転して帰宅。極めて狭い我が家を手早く片付けて、先生達が鎮座する場所を確保した。そうこうしているうちに、SakanoさんとRokutan先生、ピアノのFujimotoさんが到着。差し入れのチョコレートとケーキが沢山テーブルに並べられた。
「まだ8時じゃないですか、コーヒーが3杯は飲めますね。」
と、完全に長時間滞在の体勢に入ってしまった。滞在中の先生達に喜んで頂こうと筆者は、うっかり、アメリカの傑作アニメ映画 "Mr.インクレディブル" のDVDを再生し始めてしまった。目が点になり、食い入るように画面を見つめる先生達。これで、最低2時間の滞在が確実になってしまった、時たま、「おー!」、「ヒャー!」と歓声を上げながら映画をお楽しみになった先生は満足された様子。
● 「さあ、明日は午前中に会議なので帰ります。会議は何時からだっけな・・・?」
Rokutan先生ともあろう方が、重要な会議の時間を忘れたとは!マサに、弘法も筆の誤り、猿も木から落ちる、河童の川流れ、とはこの事か?本日のご帰宅時刻は夜の10時半、これは帰宅時刻の最も早い記録だ!今日は、久々にRokutan先生にお目に掛かれて、しかもご帰宅の時刻が12時を廻らなかったという、近来稀に見る充実した1日であった。先生、有難う御座りまするー!

■ 2009年12月23日 / 襲撃場所は筆者宅とは限らなかった!おかわりを注文しましょう!

◆恐怖のSakano/Rokutan同盟の前回の襲撃から早くも3年弱が経過し、筆者は極めて平和な小春日和のような日々(この冬一番の寒波が到来してはいたが)を満喫していた。そんな12月23日、筆者達はShinagawaの地で、プロ・アマ混成によるビッグ・バンドのコンサートに参加した。コンサートは盛況のうちに恙無く終了し、お約束の打ち上げに突入しようかというその時、マサに青天の霹靂、Sakanoサンより電話が・・・。
「今、Rokutan先生とコーヒーを飲んでいるのです。」
ガーン!筆者の頬を冷や汗がゆっくりと流れた。だが不幸中の幸いとはこのこと、今日は筆者は自宅には居なかったのだ!
◆ よって、今回の彼らの襲撃場所は、Shinagawaの居酒屋となったのだ。一足先に打ち上げに突入した我々に遅れる事一時間余り、遂にRokutan先生とSakanoサンが出現!筆者と座席が離れてしまったが、稀に見る人格者のRokutan先生は、到着早々、初対面のバンドのメンバーと親しく会話をなさっていた。何という崇高で清らかな、人を思いやること忘れない美しい心の持ち主なのであろう。
◆ ややあって、先生と筆者は会話をするハメに陥ってしまった。
「どうもお久しぶりです。拝見した "Mr.インクレディブル" を思い出します。」
と、前回の襲撃の話を持ち出した。
「こんなに長くお待たせしてしまったので、そろそろお伺いしなくては。新年会をやりましょう。へえ、新しい大画面テレビを買ったのですか、それならすぐにお邪魔しないと。」
と、早速具体的な話に持ち込もうとしたが、筆者は
「・・・いや、しばらく忙しいんです・・・。」
とかわすのがやっと。
◆ 今回は、襲撃の具体的な日程を決めることろまでは至らなかったが、人たるものは常々用心を怠るものでないとの教訓が身に染みた、貴重な一日であった。なお、先生は何と、現在は「先生」の肩書きを一時棚上げし、再び学徒しての道を歩んでいるという。自己鍛錬と向上心を忘れないRokutan先生、何という見上げた心がけであろう。

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