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スイスへ / MONTREUX JAZZ FESTIVAL 1999
◆ フィールド・ハラー・ジャズ・オーケストラのOkamoto殿(ベース奏者)に誘われるままに"モンタレー・ジャズ・フェスティバル 1993(アメリカ西海岸)"に参加。そして、今回もこちらの希望でムリにお願いして同行させて頂いた次第。
◆ 参加メンバーは、フィールド・ハラー・ジャズ・オーケストラ(北陸のバンド、ご一緒したのはこちら)と、ご家族・友人の皆様。リーサラ・スペシャル(東京のビッグ・バンド、後日、#1が参加する事となった)と、ご家族。
◆ モントルー・ジャズ・フェスティバルとは、スイス・レマン湖畔、モントルーで開催される、世界的に有名なジャズ・フェスティバル。本年1999年は、7月2日から17日まで。町(といっても相当小さい)は、ジャズ一色に。
● 1999.6.28-29
◆ 富山県高岡市のOkamoto邸にて、渡航前の最終合宿。
● 1999.7.3
◆ FHJOの、東京組5名、大阪組2名、リーサラ・スペシャルのメンバー、午前9時、成田空港に集合。FHJO現地組は、富山県高岡市の岡本邸よりバスで、関西国際空港へ。東京組、12時、日本航空453便(スイス航空169便)で、スイスへ。
◆ 上空より、ロシアの平原を望む。延々と続くタイガに驚く。西に進むにつれて、人家が増える。島国である日本とユーラシア大陸のスケールの違いを実感する。
◆ 12時間の飛行の後、現地時間PM6:00頃、チューリッヒ空港に到着。関西国際空港よりのFHJOの北陸組と、無事に合流。チューリッヒ空港よりバスで、モントルーに移動。
◆ 湿気は、適度。夜9時でも明るい。日が当たれば、夏らしく暑い。滞在期間中、スカッとした快晴はなかった。しかし少なくとも、日本の梅雨よりはずっと快適。
◆ スイスは、基本的には、イメージ通り、起伏の多い土地に牧歌的な家の立ち並ぶ、観光立国。しかし、永世中立を維持するためのスイス国民の様々な努力を重ねている。
◆ レマン湖畔はくぼ地で、周辺の土地とは傾斜角度が相当があり、モントルー駅までに行くときは階段をかなり登らなければならない。
◆ HOTEL PARC ET LAC に到着。湖畔の通りに面した、小さなホテル。NHK BS11CHでのMONTREUX JAZZ FESTIVAL '99(もちろんメインステージ)の放映の中で、ここの看板のカットが映っていた。湖畔の小さなホテル。朝食はパンとコーヒーだけ(イタリアなどでは、そうらしい)。腹へり君の我々は、ソーセージ・オレンジなどを平然と持ち込む。オヤジは、真っ昼間から寝てる。従業員は、昼間っからフェスティバルを見とる。
● 1999.7.4
◆ 終日、自由行動。モントルー観光。トロリーバス・ケーブルカー・電車に、適当に乗る。
◆ CAUX(地名、山の中腹にある)で下車。適当な散歩の後、駅のレストランで昼食。しかし、フランス語のメニューは分からん。おしゃれな店のマダムは、非常に愛想が良い。隣の母子の食べているものと同じケーキを、"あれが食べたい"と身振りでオーダーしたところ、母親からピースサインを送られた。陽気な人物だ。
◆ CAUX では、見るべきものは特に無かったが、いい景色。心地よい暑さ。終点の、山の頂上まで行くと、更に良い景色だったらしい。残念。
◆ 名所旧跡、シオン城の見物。Chateau de Chillon は、中世初期の築城、11-13世紀の大規模な拡張に、部分的再建されたのが、現在の起点とされる。その後、改築・復元工事がなされている。写真のイメージより、はるかに大きい。気分は、中世!(単純)。ちなみにシオン城は、ジャズ・ピアニストの名盤、"モントルーのビル・エバンス(1969年)"のジャケットで有名。筆者(#1)は、"モントルーII(1970年)"が好きです。
◆ ジャズ・フェスにて、休暇気分を満喫。レマン湖畔に、屋台が建ち並ぶ。世界各国から、ジャズ・ファンが集まっている。
◆ チーズ・フォンデュが食べたくて、オーダーしようとしたところ、店のオジサンにオイル・フォンデュを勧められる。もちろん肉をオイルにつけるのだが、これが美味い。まるで、しゃぶしゃぶだけど。昼食中、突如の雨(夕立?)。
◆ 明日から演奏予定の KIOSQUE A MUSIQUE DE LA ROUVENAZ は、当フェスの大ホールより10分程歩いたところにある、湖畔の野外ステージ。USA 他、各国よりから招かれたバンドが多数出演。ハイ・スクール・バンドが多かったが、中には、かなりハイ・レベルな演奏を聴かせるバンドもあった。中でも、スティール・パン中心のバンドがユニークであった。
◆ レマン湖を周遊する観光船に、サルサ・バンドを同乗させた”サルサ・ボート”。港に到着する頃には、観光客はすっかり出来あがり、船の天井から湖に飛び込みまくっていた。
● 1999.7.5
◆ モントルー湖畔を、散策。市街で、おみやげを物色。スイスといえば、時計、チョコ、オルゴールしか思い浮かばない。イメージが貧困なのである。
◆ 湖畔に、ロックバンド QUEEN のフレディ・マーキュリーの銅像が立っていた。何故なのか、確認し損なった。マイクを持って、こぶしを振り上げている。
◆ PM7:00より、KIOSQUE A MUSIQUE DE LA ROUVENAZ で、リーサラ・スペシャルの演奏を見る。
◆ PM9:00より、FHJO が、KIOSQUE A MUSIQUE DE LA ROUVENAZ で演奏(#1)。
● 1999.7.6
◆ PM1:00より、TERRASSE STRAVINSKI でリーサラ・スペシャルの演奏を見る。
◆ フェスティバル会場で流通する通貨"JAZZ"の両替方法が、やっと分かった!1"JAZZ"=1スイスフラン。これでハンバーガーが買える。
◆ FHJO 、TERRASSE STRAVINSKI で演奏 (#1)。昨日の演奏を踏まえてか、落ち着いていた。多少の雨。このステージ、「やぐら」の上で、高さがかなり高い。後ろは、レマン湖。
◆ 夜、"MILES DAVIS HALL"で、"AFRICA 特集" BAABA MAALとERNEST RANGLIN を見る。アフリカの寺内のようなオヤジ ERNEST RANGLIN の、バックのリズム・セクションが、不思議なグルーブ・・・。なぜこれを見たかと言いますと、大ホールの演奏は、この日くらいしか行けなかった。前の晩(我々の演奏中)は、ROBBEN FORDだ!我々ツアーの帰国後の、HERBIE HANCOCK とか PAT METHENY とか FOURPLAY とか DAVE WECKL BAND とか INCOGNITO とかが、見たかったーー!!
● 1999.7.7
◆ ローザンヌ、旧市街を散策。思いつきで動いた割には良かった。坂道が多く、町を横切のが異常に面倒。町並・露天商・美術館、全てヨーロッパ的。道路に、ゴミがほとんど無いのも、相変わらず。古い建物も、よく保存されている。
◆ 左の写真は大聖堂(CATHEDRALE DE LAUSANNE)。12-13 世紀に建造。ステンドグラスと聖人の彫刻が素晴らしい。天井がめちゃんこ高いし、広いのなんの。
◆ 右の写真はサンメール城(CHATEAU ST.MAIRE)。14世紀に建造。現在は州庁舎。手前のテントは街の祭事で使用されるらしいく、市街には無人の小ステージ・テントが目だった。是非参加してみたいものであった。祭典が夜に行われるもよう。こじんまりした歴史的建造物も沢山あった。
◆ PM7:00 、KIOSQUE A MUSIQUE DE LA ROUVENAZ で、リーサラ・スペシャルの演奏を見る。
◆ PM9:00 、FHJO 、KIOSQUE A MUSIQUE DE LA ROUVENAZ で演奏(#1)。折りからの雨の為か、狂乱の演奏に戻る。
● 1999.7.8
◆ 朝、名残を惜しみながら、モントルーを出発。
◆ 首都ベルンを経由。しかし、市街に侵入する時間は無し、残念。
◆ 登山電車によるユングフラウヨッホ周遊。標高3,454m の電車駅はヨーロッパ最高地点。山の中腹を掘りぬいて作った施設は、脅威的。頂上では、晴れ間はほとんど望めず、真っ白、視界ゼロメートル。さすがに、寒かった。
◆ イタリアの代表的スポーツ紙 "LA GAZZETTA DELLO SPORT" を買う。オランダ代表のゴール・キーパーのファン・デル・サールがユベントスに移籍するんだと。コッパ・アメリカ(サッカー南米選手権)にゲスト参加の日本代表は1分2敗か・・・筆者が見ていないとこれだ(?)。
◆ インターラーケンに到着。"Interlaken"は、"湖の間"の意味。トゥーン湖とブリエンツ湖の間にある。町と呼ぶには、あまりにも小さいが、5ツ星の豪華ホテルもある。我々が宿泊したのは、隣の普通のホテルMETROPOLE INTERLAKEN(比較すればの話、快適なホテル)。近くに、レストラン"富士山"(それも日本語)がある。興醒めだ。
● 1999.7.9
◆ ブリエンツ湖の観光船で、ブリエンツへ。湖上は寒いが、景色が良いので、快適。
◆ ブリエンツは、木彫品で有名。建造物も、木造中心。しかし、どこに行っても、ゴミ一つ無い。
◆ 夜は、FHJOとリーサラ・スペシャルで、合同の打上げ。
● 1999.7.10
◆ インターラーケン、出発。チューリッヒより、成田へ。
● 1999.7.11
◆ 成田到着。日本は、湿気が多く、息苦しい。
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