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美術展へ行かなければ 2007
2007年12月16日
フィラデルフィア美術館展
印象派と20世紀の美術
Materpieces from the Philadelphia Museum or Art
Impressionism and Modern Art
東京都美術館

◆ 主な出展作品・・・
● エドガー・ドガ Edger Degas
室内 Interior (1868年または1869年)
男女が暗い一室で画面の両側に配置され、両者の間にただならぬ緊迫感が漂ってる。まるで映画のワン・シーンのような、心理劇を思わせる一場面。背中を見せて跪く女性と立ち尽くす男性が何をしているのかは不明、ミステリアスさがなんともドガ的。鑑賞者が勝手に想像力を働かせる事ができ、ドガの策した術中にまんまとはまり込んでしまう。
● ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierr-Auguste Renoir
アリーヌ・シャリゴの肖像(ルノワール夫人) Portrait of Aline Charigot (Madame Renoir) (1885年頃)
驚くほど丸顔の女性。青を中心とした背景の明るい色彩は、ルノワール的のようでルノワール的でなく、親しい人物を描いたにしてはタッチが荒い。しかし、リアリティは損なわれてはいない。ルノワールが女性とい画題をどのように捉えているかが分かる。極論すれば、ルノワールの芸術観が最もよく表現されているとも言える。
● ポール・ゴーガン Paul Gauguin
聖なる山(パラヒ・テ・マラエ) The Sacred Mountain (Parahi Te Marae) (1892年)
真っ黄色の草原(花畑かもしれない)、紫と赤の花、遠景に見い出されるエキゾチックな彫像。異端的な配色にもかかわらず、絶妙かつ完璧なバランス感覚が見事。ゴーガンの自然の捉え方には、常人には計り知れない極めて深い思慮を垣間見る事が出来る。
● アンリ・ルソー Henri Rousseau
陽気な道化たち The Merry Jesters (1906年)
植物や動物を、まるで子供のようなデッサン力を持って滑稽に、縦 145cm にも及ぶ大画面に圧倒的に堂々と描くという、矛盾という言葉を使いたくなるほどのアンバランスさ。当時としては掟破りな表現だが、今日的な視点からすれば、一つの表現方法としては極めて自然な形と思える。ピカソなどの20世紀の大前衛画家に評価されるのも大いに頷ける。
● ワシリー・カンディンスキー Wassily Kandinsky
円の中の円 Circles in a Circle (1923年)
抽象画と言えども、カンディンスキーの描く円、線、色彩はシンプルで明確であり、難解という言葉は使わなくても良さそう。
● マルク・シャガール Marc Chagall
自画像 Self-Portrait (1914年)
写実的で力強い自画像は、一見するとシャガールとは思えない。ナルシスト的だが、素晴らしい自画像であるのは間違いない。

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2007年11月17日
フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
MILKMAID BY VERMEER AND DUTCH GENRE PAINTING
国立新美術館

◆ 主な出展作品・・・
● ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer
牛乳を注ぐ女 The kitchen maid (The Milkmaid) (1658-1659年頃)
ありふれた日常的な家事を描いた作品、他の同時代のオランダの画家が選んだ画題と大きな違いはない。しかしフェルメールの作品には、時代の枠を乗り越える強い普遍性が感じられる。注がれるミルクや置いてあるパンなどにもリアリティがある。空気間にもリアリティがあり、この空気間がフェルメールの作品の特徴なのである。縦 45cm という大きくない作品であるが、作品の大小がその価値を決める尺度とはならない事も示している。筆者は、絵画製作の技法については疎いが、思わず「完成度が高い」と言わずにはいられない。先ず、立って牛乳を注いでいる人物のデッサンが素晴らしい。人物は画面中心、窓や机は左側に集まり、右側には空間があって妙なバランスなのだが、この空間に強い光を当てる事によってアンバランスさを解消しているように思える。熟慮を重ねた上に時間をかけて丁寧に描かれた事が如実に感じられる作品であり、フェルメールの作品がなぜ極端に点数が少ないかが分かる気がする。その数少ない作品の中でも上位に入れられる事の出来る素晴らしさで、一見する価値は十二分にある作品である。

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2007年10月13日
モイーズ・キスリング展
Moise Kisling
府中市美術館

◆ 主な出展作品・・・
● 果物と水差しのある静物 Nature morte aux fruits et a la cruche (1911年)
キスリングも、初期にはセザンヌに大きく影響を受けていた。今回何点か展示されている作品、特に静物画は、机とその上に乗った果物という画題からして明らかにセザンヌを意識している。後年、筆触に関してはセザンヌを離れて行くが、遠近法的視点からすれば歪んでいる空間処理の点では、晩年まで影響が残っている。いわゆるエコール・ド・パリの画家としては年齢の若いキスリングであるが、この時期にセザンヌの技法の習得に集中しているのは、他の偉大な先輩達に追い付こうとする意欲のあらわれなのかもしれない。
● 妻ルネと愛犬クスキのいる自画像 Autoportrait avec sa femme Renee et son chien Kouski (1917年)
見開いた大きな眼が特徴的なキスリングの肖像画が多数展示されていた。この作品が描かれた時期が、キスリングの人物画の特徴が確立された頃であろう。
● マリー・ローランサンの肖像 Portrait de Marie Laurencin (1920年)
キスリングの人物画は、常に鑑賞者を暖かく迎え入れており拒絶するような事は決してないが、この点ではマリー・ローランサンの作品と共通しているように思える。
● 赤いセーターと青いスカーフを纏ったモンパルナスのキキ Jeune femme au chandail rouge et foulard bleu (Kiki de Montparnasse) (1925年)
展示品の中では最もキスリング的と言えるかもしれない肖像画。親しい人物を好意的な視点で魅惑的に愛らしく描いているが、その人物の内面・個性というものが拭い去られている。キスリングの作品は具象的であるが、対象を単なる一つの素材として客観的に描いているという意味で、本質的には抽象絵画と言える。やはりこの点では、キスリングはセザンヌの継承者である。
● 魚 (ブイヤベース) La Bouillabaisse (1931年)
調理されるのを待つ、籠に盛られた魚。原色が多用されて非常にカラフル。魚が何か喋りそうで、ユーモアも感じさせる。喋りそうな魚の絵、喋りそうにない人物の肖像画、キスリングの描く魚と人物の間には、捉え方に差がないように思える。

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2007年9月22日
ベルト・モリゾ展
Berthe Morisot : A Retrospective
損保ジャパン東郷青児美術館

◆ ベルト・モリゾと言えば印象派の優れた女流画家として著名ではあるが、作品そのもよりもエドゥアール・マネのモデルとなっていたという事実の方も有名かもしれない。今回の展示で、優れたデッサン力と極めて印象派的な筆致を持った作品によって、ベルト・モリゾの作風が明らかとなっている。ベルト・モリゾの作品は、筆致こそ他の印象派の画家と同じだが、淡いブルーやグリーンが基調となっているものが多く、鑑賞者に芸術観を強要するような強烈さとは無縁で、清々しく、また暖かいものである。ベルト・モリゾとクロード・モネの作品を比較してみれば、身近な人物や風景を描いたベルト・モリゾの作品には高い芸術的意欲は感じられるが、前衛意識は希薄に思える。即興的に描かれたと思われるクロード・モネの「印象、日の出」などの作品からは、実験的な前衛意識が強烈に発散されているのが分かる。あるがままの人物や風景をあるがままに捉えるてダイレクトに作品化するのが印象派の画家のあり方と定義付けするならば、ベルト・モリゾこそ最も典型的な印象派の画家であるのかもしれない。
◆ 主な出展作品・・・
● 「イギリスの眺め」または「イギリスの草原の子どもたち」 Vue d'Angletterre ou Enfants dans l'herbe en Angletterre (1875年)
エドゥアール・マネの「庭のモネの家族」を連想させる、草原で座っている二人の子どもの図。子どもが絵の中心あたりに描かれている。子どもから視線を逸らす事が出来ず直視したまま、子どもを中心に置いてしまった、という感じ。ベルト・モリゾは、ドガのような構図的な大胆さには無頓着なのか。しかし、無意識にしろ意識的しろ。それが逆に新鮮で大胆にも思える。
● マンドリン La mandoline (1889年)
マンドリンを弾く少女を、彼女の左後ろ側から描いている。無心に楽器を演奏する娘のジュリーの姿を、実に巧みに捉えている。
● 夢見るジュリー Julie reveuse (1894年)
「マンドリン」から数年を経た娘のジュリーの姿。夢見るというよりは、悩める女性という趣き。白いドレスと塗りつぶされた背景が非常にシンプルで、娘の姿を借りたベルト・モリゾの芸術観が見事に表現されている。

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2007年6月16日
大モネ回顧展
MONET - L'ART DE MONET ET SA POSTERITE
国立新美術館

◆ 国内外から多数集められた作品で構成された、印象派の巨匠クロード・モネの展覧会、さすがに大混雑。日本国内としては大規模なモネ展で、一見の価値はある。展示方式がテーマ別となっていて制作順になっておらず、個人的には馴染めなかった。理由はあるだろうが、そのアーティストの発想方法を探究するには制作順である方がベターであると思った。
◆ 主な出展作品・・・
● ルエルの眺め Vue prise a Rouelles (1858年)
十代のモネが制作した風景画。モネの現代まで至る名声を割り引いても、素晴らしい作品。空の青と木々を芝の緑の鮮やかさは、後年のモネの作品に通じていると思われなくもない。
● ゴーディベール夫人 Madame Gaudibert (1868年)
高さが 217cm にも及ぶ、アカデミックなスタイルの堂々した肖像画。モネという画家の高いデッサン力を見せ付けている。
● アルジャントゥイユのレガッタ Regates a Argenteuil (1872年)
1870年代前半は、モネの画歴の中でも、最も大きな筆致を用いていた時期。あの「印象、日の出」も、この時期の作品。「ゴーディベール夫人」を描いた画家が、前衛への道へ大きく踏み出している。
● 菫の花束を持つカミーユ・モネ Portrait de Camille au bouquet de violettes (1876-77年)
数多くの名作のモデルとなったカミーユの肖像画。壁や椅子は印象派的筆致だが、顔だけは写実的に描かれおり、ハッとさせられる。
● モントルグイユ街、1878年パリ万博の祝祭 La Rue Montorgueil, a Paris, Fete du 30 juin 1878 (1878年)
祝祭日に通りいっぱいに掲げられた三色旗、路上を埋め尽くす群衆。それは極めて印象派的な筆致で描かれ、一部だけ切り取って見るとすれば、それは具象絵画と判断するのは難しいだろう。抽象画を見慣れた我々でさえ前衛的と思える作品。当時の一般的な芸術愛好家が、この作品を芸術への冒涜と考えたとしても、それは理解出来る。だが、モネのような伝統的な絵画技術を持ったアーティストが、自分の芸術的な感覚と欲求に逆らわず制作した作品に対し、制作から100年以上の時を経た今日の我々が美への感覚を共有出来るというのは、何と素晴らしい事であろう。
● ポール=ドモワの洞窟 Grotte de Part-Domois (1886年)
紺碧の海と茶色い岩場を、筆触分割的な手法で描いている。1880年代後半はこの手法で多数の作品を制作しており、どれも素晴らしいが、モネ的な特徴がやや薄れている時期かもしれない。
● しだれ柳 Le saule pleureur (1920-22年)
タイトルが無ければ、しだれ柳とは思われない。前世紀より睡蓮を描き続けて青い光に没入した画家は、遂に誰も到達していない境地に至ったのか。同時に展示されていたポロックの作品などよりも、より一層前衛的に思える。

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2007年5月13日
"モディリアーニと妻ジャンヌの物語"展
Modigliani et Hebuterne, le couple tragique
Bunkamura ザ・ミュージアム

◆ 主な出展作品・・・
● アメデオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani
シャイム・スーチン Chaim Soutine (1916年)
モディリアーニと親しい芸術家の肖像、モディリアーニ的な特徴を備えた作品だが、今にも声が聞こえてきそうなほどのリアリティを感じさせる。赤と茶の厚塗りの油彩で仕上げられた肖像は、知性と悲哀との奇妙な混在を思わせるが、これは制作者自身の内面の投影でもあるのは疑い得ない。
● ジャンヌ・エビュテルヌ Jeanne Hebuterne
シャイム・スーチン Chaim Soutine
ジャンヌ・エビュテルヌがこれほど優れた画家であるとは知らなかった。この展覧会ではジャンヌの油彩画やデッサンが多数展示されているが、特にデッサンでのシンプルかつ魅惑的な線には眼を奪われた。このシャイム・スーチンの肖像画は点描画的筆致で描かれており、モディリアーニの作品と比較して、輪郭は写実的だが、タッチと色彩は前衛的。
● ジャンヌ・エビュテルヌ Jeanne Hebuterne
ピッチャー、瓶、フルーツ Pichet, bouteille et fruit
白い布の上に置かれた静物。セザンヌ的ではあるが、極めて丁寧に描かれており、鑑賞者に癒しの効果を及ぼす。
● ジャンヌ・エビュテルヌ Jeanne Hebuterne
クローシュ帽の女 Femme au chapeau cloche
驚くほど素晴らしい作品。作者はジャンヌ・エビュテルヌという知名度の高い人物、彼女は二十歳。
● アメデオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani
トーラ・クリンコウストロム(ダルデル) Thora Klinckowstrom (Dardel) (1919年)
スウェーデン女性の肖像。他の作品よりも、幾分かは写実的に描かれている。ここでも、人物の個性は確実に捉えられているに違いない。

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2007年5月5日
レオナルド・ダ・ヴィンチ - 天才の肖像
The Mind of Leoanrdo - The Universal Genius at Work
東京国立博物館

● レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci
受胎告知 Annunciation (1472-73年)
対峙した二人の人物像には、中世的な堅苦しさが残る。線遠近法を用いた風景と、人物や静物との間に、歪みも見受けられる。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチが、レオナルド自身の二十歳そこそこという若さと時代的な制約の中で、その才能を極限まで出し切った作品であると言える。実物を見て分かったのは、筆致が極めて丁寧で細かく、非常に時間をかけて製作されたと思わせた事。特に、衣装のヒダの部分、天使の翼、遠景の山脈といった細部に、並々ならぬ拘りと技量の冴えを見せる。空気遠近方を巧みに利用した空間表現が放つリアリティは、幾世紀を乗り越えても残り続けている。この極めて構築的かつ意欲的な作品が、製作当時から異彩を放っていたであろう事は、容易に想像出来る。作品の完成度と細部への非常な拘りが、完成した絵画作品の余りの少なさに繋がったのだろうか。この「受胎告知」を見れば、それは納得出来なくもない仮定である。
東京国立博物館

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2007年4月30日
ペルジーノ展
Perugino : il divin pittore
損保ジャパン東郷青児美術館

◆ ペルジーノ(本名ピエトロ・ヴァンヌッチ)は、15から16世紀にかけて活躍した、ペルージャ出身の画家。ラファエロに影響を与えた事で著名。ペルジーノが名を成した15世紀はルネッサンス期ではあるが、後に全盛期を迎えるラファエロやミケランジェロの作風と比較すれば、やや中世的な傾向を残す。この展覧会のように宗教画が中心であれば、その傾向は一層目立つ。中世的な宗教画を、都心の高層ビルの上階で見るという行為はやはり極めてシュールで、ペルジーノの作品がモダン・アートよりもモダンにさえ見える。
◆ 主な出展作品・・・
● ペルジーノ(ピエトロ・ヴァンヌッチ)Pietro Vannucci detto il Perugino
聖母子と二天使、鞭打ち苦行者信心会の会員たち(慰めの聖母)Madonna col Bambino, angeli e membri della confraternita dei desciplinati (Madonna della Consolazione) (1450-1498年頃)
今回の展覧会のペルジーノの作品の中で最も状態が良く、色彩、特に赤が鮮やか。画一的な人物の表情、初期ルネッサンス的な微妙なデッサン、遠近法に忠実でない各人物の大きさ。これらが、現代的視点から見れば、不意打ちとさえ言える予想外の表現方法にも思え、眼が釘付けになる(当時としては画期的に写実的であったのであろうが)。
● ペルジーノ(ピエトロ・ヴァンヌッチ)Pietro Vannucci detto il Perugino
少年の肖像 Ritratto di giovinetto
ルネッサンス期の宗教が並ぶ中で、この作品は格段に写実的。黒を背景にした非常にシンプルな肖像画だが、モデルのパーソナリティがリアルに伝わるかのような力強さを鑑賞者に感じさせる。

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2007年4月28日
世田谷時代1946-1954の岡本太郎
戦後復興期の再出発と同時代人たちとの交流
世田谷美術館

◆ 終戦直後は、世田谷区の上野毛にアトリエを構えていた岡本太郎。この時期の岡本太郎と周辺のアーティストの作品を中心に展示。
◆ 主な出展作品・・・
● 岡本太郎
傷ましき腕 (1936年/1949年再制作)
岡本太郎が欧州滞在時に制作し持ち帰った作品が、1945年の空襲時に焼失。これは、後に再制作したもののうちの一点。巨大な赤いリボンと、そこから伸びる一本の腕。この腕の描き方が何ともリアルで、岡本太郎のデッサン力の高さを垣間見せる。1936年は、サルバドール・ダリが「茹でた隠元豆のある柔らかい構造」を制作した年で、パブロ・ピカソの「ゲルニカ」の制作年の前年。常に「芸術を爆発」させたいと願った日本人岡本太郎が、アバンギャルドなアイディアの噴火の初動をパリで見せたと言える。
● 岡本太郎
夜 (1947年)
暗闇の中の枯れ木の林のような造形の中でナイフを持って立つ女性。具象的かつ暗示的な前衛絵画としては、極めて好ましい結果を出した作品と言える。
● 岡本太郎
作家 (1948年)
色彩と線のカタマリとなった「作家」?が机の端で何かを書いている?上野毛のアトリエで次々と制作された前衛絵画は、どれも極めてエネルギッシュ。ジョアン・ミロやパブロ・ピカソが、単純な造形に無限のバリエーションを与えたように、この時期の岡本太郎は特に創造性に満ちていたのであろう。岡本太郎の作品は今よりもっと頻繁に鑑賞する機会を与えられ、更に評価されるべきであると思えた。青が目立つ作風の作品が並ぶと、フランツ・マルクを連想させた。
● 岡本太郎
森の掟 (1950年)
色彩は他のどの作品にも増してエネルギッシュだが、描かれている動物(?)が何ともマンガチック。これは、父である漫画家の岡本一平からの影響が強く現れているのかもしれない。

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2007年1月28日
オルセー美術館展
19世紀 芸術家たちの楽園
Musee d'Orsay
Paradis d'artistes au XIXeme siecle
東京都美術館

◆ 主な出展作品・・・
● ジェームス・アボット・マクニール・ホイッスラー James Abbott McNeill Whistler
灰色と黒のアレンジメント第1番、画家の母の肖像 Arrengement in Gray and Black : Prtrait of the Painter's Mother (1871年)
ホイッスラーの傑作。題名にある通り、灰色と黒のみで描かれた女性像。一見すると非常にシンプルな作品であるが、周囲を圧するような威厳を備えている。
● クロード・モネ Claude Monet
ルーアン大聖堂 Cathedrale de Rouen (1893年)
言わずと知れたルーアン大聖堂の23点にもなる連作のうちの1点。空の青色を大聖堂の壁面にも用いるというユニークな手法で、モネには見えたと思われる空気感を瞬間的に捉え絵画化しているが、その空気感を鑑賞者にも十二分に感じさせている。
● フィンセント・ファン・ゴッホ Vincent Van Gogh
アルルのダンスホール La Salle de danse a Arles (1888年)
ゴッホには珍しい、ダンスホール内の群衆を描いた作品、遠目にはロートレックの作品かと思わせた。見慣れたゴッホの独自の風景画とはまた異なるイメージ、目を奪われる。
● ポール・ゴーガン Paul Gauguin
黄色い積みわら(黄金色の穫り入れ) Les Meules jaunes ou La Moisson blonde (1889年)
赤に塗られた地面、黄色の積みわら。色彩を強調した、綜合主義と呼ばれる独特な作風の、典型的な例。モダン・アートが、印象派から更に次の段階に進展した事を示し、強烈な創造性を感じさせる。
● エミール・ベルナール Emile Bernard
ボワ・ダムール(愛の森)のマドレーヌ Madeleine au Bios d'Amour (1888年)
林の中で寝そべる女性。1988年にしてセザンヌ的なタッチの植物、しかも部分的に大胆に赤が用いられている。ゴーガン一派が始めた綜合主義の絵画の前衛性が垣間見られる。

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