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美術展へ行かなければ 2006
2006年11月19日
ベルギー王立美術館展
Chefs-d'oeuvre des Musees royaux des Beaux-Arts de Belgique
Meesterwerken van de Koninklijke Musea voor Schone Kunsten van Belgie
国立西洋美術館

◆ 主な出展作品・・・
● ピーテル・ブリューゲル(子) Pieter Brueghel le Jeune
婚礼の踊り Dance de noce en plein air (1607年)
それぞれに個性的な、北方的でユニークなデッサンの農民たちがごちゃごちゃっと並べられているが、決して乱雑な構図ではなく絶妙なバランスを保っている。農民の婚礼の様子が、眼前に繰り広げられている光景であるかのように、リアルに伝わって来る。ダンスをしている4組8人の腰の浮かせ方が、何ともリズミカル。
● アンソニー・ヴァン・ダイク Antoon van Dyck
イエズス会神父ジャン=シャルル・デッラ・ファイユ Portrait du R. P. Jean-Charls della Faille, de la Compagnie de Jesus 1597-1652
極めてヴァン・ダイク的な、非の打ち所のない、肖像画中の肖像画とも言うべき作品。モデルの人物の理知的な佇まいは画面全体にまで横溢、作者自身の理知的側面の投影でもあるのかもしれない。
● ヤーコプ・ヨルダーンス Jacob Jordans
飲む王様 Le roi boit
飲酒中の王冠を被った人物を、猥雑に大騒ぎする酔っ払い達が取り囲んでいる。画面のパワフルさが極めてバロック的、個々の人物の描写もユニーク。行き過ぎた酔っ払い行為に対する警告といった道徳的な意味を持っているのだろうが、ナゼその為にご丁寧に巨大な油彩画を製作しなければいけないのかが不思議。本当は、単に鑑賞者を笑わせてウケを狙おうとしたのかも?
● ルイ・ガレ Louis Gallait
芸術と自由 Art et Liberte (1849年)
ボロボロの服をまとったイケメンが、バイオリンを持ってスクっと立っている。しかも、タイトルが「芸術と自由」。一般的な絵画として見ればいつ誰が見ても極めて魅惑的な作品であろうが、サロンへの出展を強く意識しての芸術臭さが鼻につく、という見方は皮肉に過ぎるであろうか。
● フェルナン・クノップフ Fernand Khnopff
シューマンを聴きながら En ecoutant du Schumann (1883年)
室内で腰掛た女性が、右手を顔に当ててじっと座っている。象徴主義の画家として著名なクノップフの、初期の作品。後年の、象徴主義的特徴が強い幾多の作品よりも、表面的には写実的なこの作品の方が、ずっと神秘的で象徴的に思える。
(記 2006.11.22)

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2006年10月28日
ルソーの見た夢、ルソーに見る夢
アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち
ROUSSEAU ENVISAGED : Henri Rousseau and Japanese Artists
世田谷美術館

◆ 主な出展作品・・・
● アンリ・ルソー Henri Rousseau
夕暮れの眺め、ポワン・デュ・ジュール Sunset View from Point du Jour (1886年)
ルソー特有のデッサンで描かれた、横幅が 116cm もある、遠景の細かい描写とピンク色の雲が印象的な風景画。橋、船、人物のデッサンは、一般的な尺度を用いれば不正確の部類に入るし、遠近法もヘン。しかし、雲のピンク、空の淡い青、川の紺色を見ているうちに、画面から視線を逸らすのが難しくなってくる、不思議な力を持った作品。
● アンリ・ルソー Henri Rousseau
フリュマンス・ビッシュの肖像 Portrait of Frumance Biche (1893年頃)
この作品の作者はルソー以外の誰でもないと断言でき得る、極めて特徴的な作品。この人物の顔をマークにして、ルソーのサインの替わりにさえできるだろう。
● カミーユ・ボンボワ Camille Bombois
池のなかの帽子 The Hat in the Pond (1935年)
リール近代美術館展に続いて見た、極めて強烈で特徴的な作風を持つ画家の作品。極めて丹念に描かれた川面と芝生、戯れる大柄で太めの女性たち。素朴派的なデッサン、ユーモラスな女性、ナゼか漂う微妙な哀愁、これらはボンボワの作品に共通する要素である。隣で鑑賞していたご婦人が、「この凄い太ももはボンレスハムみたい、日本ハム優勝を思い出したわ」と、感想(?)を述べていた。
● カミーユ・ボンボワ Camille Bombois
ディナン、ジェルジールの門 Jerzial Gate, Dinan (1925年)
建物の堅固な壁面を見事に描いているが、よく見ると、明らかに小さ過ぎの3人の人物が壁の前にいる。どうして人物をこんなに小さく描いたのか聞いてみたいものだ。
● 岡鹿之助 OKA, Shikanosuke
古港 Old Port (1928年)
素朴派風のデッサン、ポール・シニャックの点描画的な筆致、ブラウンを主体とした渋い色彩。極めて素晴らしいバランス感覚。

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2006年10月9日
ダリ回顧展
Dali Centennial Retrospective
上野の森美術館

◆ 主な出展作品・・・
● ファラエロ風の首をした自画像 Self-Portrait with Raphaelesque Neck (1921年)
印象派的な風景を背景にした、ナゼかラファエロの作品を参考にした、自画像。ダリは10代の頃は、当時は前衛的で反体制的とされていた印象派に、自らも反体制的であろうとして、強い影響を受けている。
● 妹の肖像 Portrait of My Sister (1925年)
線による輪郭を強調した、写実的な肖像画。当時のピカソに見られるような、古典への回帰的な、一見前衛からは離れようかとするような作風。印象派的な荒いタッチの筆致から、写実的な手法にも熟達し、様々な画風の作品で実験を繰り返し、次第にダリ独自の作風を確立して行く。1925年の時点では、高い絵画技術を備えている事もあり、今日ダリ的だとされる作風とは異なる、いくつもの違った方向に向かった可能性があったようにも思える。必ずしも、シュールレアリスムに向かったとは限らないのではなかろうか。
● 器官と手 Apparatus and Hand (1927年)
この後ダリの手によって果てしなく多くのバリエーションが生み出される事になる、シュールレアリスム的な特徴を持った作品群の、最初期のもの。風景を背景とし、馬、裸体の胴部、強調された赤い手などが配置され、強烈なイメージを鑑賞者に与える。ミロやキリコなどの影響も、当時の作品には残っている。
● 早春の日々 The First Days of Spring (1929年)
1929年は、ダリが驚くべきエネルギーを発散する強烈な作品を連発した、爆発的とも思える年。ダリの作風は、ここで一つの到達点に達した。
● リチャード3世の扮装をしたローレンス・オリビエ Portrait of Laurence Olovier in the Role of Richard III (1955年)
人物の肖像と過去の自分の作品の中のモチーフとを組み合わせただけとも言えなくもないが、鑑賞者にはまだまだ十分なインパクトを与え、ダリの創造性は持続している事を示している。
● 無題 燕の尾とチェロ(カタストロフィー・シリーズ) Untitled Swallow's Tail and Cellos (Catastrophes Seroes) (1983年)
ダリの最後の作品。単純な線で構成された画面、ダリ的でも、ダリ的でないとも言える。一人の偉大なアーティストの最後としては、象徴的なコーダと言えるのは間違いない。
上野の森美術館

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2006年9月23日
ウイーン美術アカデミー名品展
Meisterwerke aus der Gemadegalerie der Akademie der bildenden Kunste Wien
損保ジャパン東郷青児美術館

◆ 主な出展作品・・・
● ルーカス・クラナハ(父) Lucas Cranach d.A.
不釣合いなカップル Das ungleiche Paar (1531年)
イタリア・ルネサンスのバランスの良いデッサンと比較すると、写実性という点では一歩譲ってしまう北方のルネサンス期の絵画。だが、今日的な視点に立つと、意識的に写実性を崩して独自の芸術を追求するモダン・アートと、400年以上前のクラナハの作品に相通じるものを見つける事が出来るのは、何とも不思議。だがもっと不思議なのは、老人と若い女性が描かれたこの絵画をどのように鑑賞したのであろうかが、現代人の我々には簡単には想像し難い、という点。現代の日本の高層ビル街で16世紀の絵画を見るという行為は、時間と空間を超越した極めてシュールな体験なのである。
● レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン Rembrandt Harmensz. van Rijn
若い女の肖像 Bildnis einer jungen Frau (1632年)
レンブラント初期の、後年の作品よりはるかに精緻な筆致で描かれた肖像画。若い女性像ながら、威厳すら感じさせる。
● マルティン・ファン・メイテンス Martin van Meytens
女帝マリア・テレジアの肖像 Bildnis Kaiserin Maria Theresias als Konigin von Ungarn (1759年)
あのマリア・テレジアの肖像というだけで、畏怖の念を想起せざるを得ない。

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2006年9月18日
ピカソとモディリアーニの時代 - リール近代美術館所蔵
Modigliani, Picasso et leur epoque - Musee d'art moderne Lille Metropole. Villeneuve d'Ascq
Bunkamura ザ・ミュージアム

◆ 主な出展作品・・・
● パブロ・ピカソ Pablo Picasso
魚と瓶 Poissons et bouteeilles (1909年)
● ジョルジュ・ブラック Georges Braque
モンマルトルのサクレ=クール寺院 Le Sacre-Caeur de Montmartre (1910年)
ピカソとブラックの、どちらの作品か判別できないキュビズム時代の作品群。セザンヌからの影響を受けて生じたキュビズムというムーブメントの中で、二人の作品は歴史的な評価を常に云々されている。だが、今日我々が目にするのは単なる、四角や円筒形といった様々な形態の、リズミックで心地よい連動に過ぎないのかも。当時は実験的で前衛的なもの思われていたであろうが、もはや完成から100年を迎えようとしており、未だに斬新さを失っていないにしても、古典中の古典と言ってもよい絵画なのである。
● アメデオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani
若い女の胸像 Buste de jeune femme (1908年)
24歳のモディリアーニによる、まだビヨ〜ンと縦に伸びる前の、写実的なバランスの人物像。シンプルでパワフルではあるが。
● アメデオ・モディリアーニ Amedeo Modigliani
母と子 Maternite (1919年)
完成されたモディリアーニのスタイル。縦に伸びた母親の顔と空間。無表情でありながら何かを訴えているような表情。前衛的な手法で描かれているにも係わらず、極めて人間的な絵画。
● ウジェーヌ・ネストール・ド・ケルマデック Eugene Nestor de Kermadec
明らかに裸同然の人物 Personnage apparemment presque nu (1949年)
タイトルが気に入った。実際は、人物であると称しながら線の集合でしかない前衛的絵画、に見えちゃう。
● カミーユ・ボンボワ Camille Bombois
ヒナゲシの花束を持つ田舎の娘 Jeune Paysanne au bouquet de coquelicots
作風的には、素朴派の範疇に入れられるのだろうか。写実的なデッサンに対して全く配慮していないところはルソーなどと同じ。アンバランスな体型でやたらと太い大腿部と小さな足を持つ、純朴そうな少女。失笑スレスレの絵画のハズだが、ナゼか愛着と郷愁を覚えてしまうのが不思議。

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2006年8月14日
ピカソ - 5つのテーマ
Picasso - Five Thmes
箱根 ポーラ美術館

◆ 主な出展作品・・・
● パブロ・ピカソ Pablo Picasso
通りの光景 Street Scene (1900年)
通りに佇む、黒いスーツと黒い帽子の男の図。"青の時代"の直前であり、この短い時期に特有の表現、デッサンは堅実だが線は淡く、人物などを影のようにしている。非常に情緒的で、成熟した感じを与える作品だが、ピカソは何とこの時点で二十歳にも満たない。
● ポール・セザンヌ Paul Cezanne
砂糖壺、梨とテーブルクロス Sugar Bowl, Pears, and Tablec;oth (1893-4年)
ピカソの作品にしては恐ろしくセザンヌに似ている、と思ったら本物のセザンヌ。単なる静物画であるが、よく見るとテーブルは歪んでおり、テーブルクロスの置き方もナンだか変。だが、絵画としての堅実さは失われるどころか増している。いわゆる写実性を度外視して画面上の均衡を突き詰める芸術的な姿勢は、確かにピカソに受け継がれている。
● パブロ・ピカソ Pablo Picasso
葡萄の帽子の女 Head of a Girl in a Hat Decorated with Grapes (1913年)
現実には有り得ない人物を描いた作品は、ピカソの作品の中に幾らでもあるが、これは全く人物に見えない。"総合的キュビズム"の時代は、バイオリンでも人物でも、ピカソは全て四角い板の集合みたいにしてしまっちゃってる。
● パブロ・ピカソ Pablo Picasso
シルベット・ダヴィット Portrait of Sylvette David (1954年)
この時期はジャクリーヌのデフォルメしまくった肖像を多数描いているが、このシルベット・ダヴィットの肖像も相当デフォルメしているのだけるのだけれども、何だかちょっと美人画に見えるのは不思議。

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2006年8月14日 箱根 彫刻の森美術館 THE HAKONE OPEN-AIR MUSEUM
箱根 彫刻の森美術館

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2006年7月9日
パウル・クレー展
Paul Klee : Ezahlung und Schopfung
川村記念美術館

◆ 主な出展作品・・・
● ペルセウス(機知は苦難に打ち勝った) Perseus. (Der Witz hat uber das Leid gesiegt.) (1904)
初期のクレーのエッチングによる、入念に描かれた、極端にユニークなデザイン。後年の非常にシンプルなクレー的な色彩のバリエーションからは遠くかけ離れているとさえ思える、独自の世界観。小さな画面から溢れ出るようなエネルギーを感じ取る事は十分に可能で、エネルギーの量だけは後年の作品からも発散されている。
● 破壊の町 Zerstortes Dorf (1920)
教会を含んだ風景、真っ赤な太陽。素朴とさえ言えるシンプルさだが・・・。クレーの作品には、鑑賞者を明るい気分にさせてくれず、沈黙させられ、考え込まされるものもある。この作品は、クレー自身の従軍体験や、第一次大戦のイメージを画面に定着させているという。
● 赤いチョッキ rote Weste (1938)
黒く太い線で描いた、人物、動物、チョッキのイメージ。晩年の作品には、ミロを思わせるような、ユーモラスなデザインの線が多く描かれている。
川村記念美術館

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2006年5月6日
プラド美術館展
From Titian to Goya. Masterpieces of the Museo del Prado.
東京都美術館

◆ 主な出展作品・・・
● フランシスコ・デ・スルバラン Francisco de Zurbaran
神の愛の寓意 Alegoria del Amor Divino (1655年頃)
近年にスルバランの作と認められたという作品。中央に大きく配された優雅な女性像、スルバランの作品としてはやや明るいイメージ。
● ディエゴ・ベラスケス・デ・シルバ Diego Velazquez De Silva
フェリペ4世 Felipe IV (1653-1657年頃)
国王から道化師まで区別せず、一様に透徹した視点で人間の内面まで鋭く見抜いたような、リアルな肖像画を描き切ったベラスケス。堂々と他を圧するような威厳を発しているはずの国王の表情、どこか疲れやつれている。この時代の絵画作品、特にスペインの宮廷内のを描いた絵画には、暗いイメージがある。新大陸を支配して全盛期だった時代を過ぎ、イギリスに主役の座を奪われつつあり、30年戦争にも敗れたスペイン、これらのネガティブな時代背景がそのまま絵画にも投影されてしまったのだろうか。ベラスケスという巨匠の真実を写し取る技量によって、21世紀に生きる我々にさえその時代の空気を感じ取る事が出来る。
● フランス・スナイデルス Frans Snyders
果物売りの女 La Frutera (1631-1636年頃)
静物や動物が得意なフランス・スナイデルスであるが、画面左に置かれている女性像が実に堂々としている。果物だらけの画面だが、乱雑なように見えて実に調和している。右端に登場している猿もユニーク。
● ヤーコプ・ヨルダーンス Jacob Jordaens
メレアグロスとアタランテ Meleagro y Atalanta (1620-1650年頃)
近くに、ルーベンスの "ヒッポダメイアの略奪" という極めてルーベンス的な極度にダイナミックな作品が展示されている。このヨルダーンスの作品のダイナミックさは非常にルーベンス的で、ヨルダーンスがルーベンスの代役を務めたという事実がよく理解出来る。
● フランシスコ・デ・ゴヤ Francisco de Goya
ビリャフランカ公爵夫人マリア・トマサ・デ・パラフォックス Dana Maria Tomasa de Palafox, Marquesa de Villafranca (1804年)
モデルを女流画家に見立て、肖像画を描き終えたばかりの画家が斜め前方を見て優雅に座っている、といった構図。聴力を失って以降のゴヤの肖像画には、モデルの特徴をゴヤ独特の視点によって強調される事が多く、国王カルロス4世でさえその例外ではなかった。モデルがどうしてそれを受け入れるのか不思議なものさえある。状況にもよって理由があろうが、筆致も細かいものから荒いものまである。この作品の女性は丁寧な筆致でリアルに描かれており、画家とモデルは良好な関係にあった事をうかがわせる。
激動の時代で激動の人生を送ったゴヤの作品に対しては、必要以上な深読みを試みてしまう傾向がある。だがここでは、ゴヤが初期に製作していた明るく楽しいタペスリーの下絵と、後年のゴヤ的の暗い画風を連想させる作品が同時に展示してあって、ゴヤの作品に対する興味を喚起しているのは間違いない。

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