初めて叔父が手に入れたエレキギター!!
Yamaha SA−50!!
(満足そうに自宅のベランダで友人とエレキを弾く叔父。この頃から彼は成長していないのでは?)
(現在も非常に綺麗な状態で残っている叔父のSA-50。しかし、磨く前は違うフィニッシュかと思わせる程色が変色して見えた・・・・ アルガグリーンというカラーだそうな。)
このギターが正しく叔父が初めて手に入れたエレキギターである。
(メンテナンス後のSA-50。ボディフィニッシュがちゃんとグリーンであることが分かる。写真右、ヘッドストック)
僕はこのギターについて思い返しても、
家(叔父部屋の2F)の壁にずっと飾ってあっただけの印象だが
(ちなみにこのカタログと同じものがガレージにも飾ってあったが何故?)
叔父の話によると、父(僕にとっては祖父)を説得してやっと買ってもらったギターだったそうだ。
(叔父部屋2Fにて。この場所にずっと掛けてあったのを思い出す。現在もこのSA-50は大切に保管されている。)
(それでも、同世代の人の話ではこのギターを買うのも憧れだったとか・・・?)
当時の価格(カタログでの価格)で\53,000(ケース\8500)となっている。
ケースを空けると、今でもケースポケットの中に
谷口楽器のご愛用者カードに自分の名前を記載して入っていたのには、
叔父を感じてしまった。
資料によると
ヤマハが徹底的にプロ仕様にこだわって開発されたギター。
ロー・ノイズ・ピックアップと呼んでいたハムバッカーを2個搭載。
ジョイントは、セットネック。サウンドホールはハウリング防止のため
ボディ内側からふたがされている。
(参考資料 60's Bizzar Guitarsより)
叔父が説得に成功した父(猪俣 庄司 僕の祖父)
(フィンガーボードの最終フレットの上にシリアルナンバーが刻印されているのが分かる)
(fホールがふさがれているのが分かるだろうか?また、ブリッジは固定されている)
(右の方にケースがあるのが分かる。1970年代と思われる。なんのレコードを見ているのだろうか?)
サウンドホールは、裏からフィルムのようなもので覆っているのが印象的だ。
トレモロユニットは、当時憧れの装置だったに違いない。
これで、ヴェンチャーズのあのフレーズが可能になるのだ。
YAMAHA SAのカタログ
(資料:叔父が保存していたヤマハ・カタログより)
60年代中期(67〜68年と思われる)
そう世の中サイケデリックだった時代のカタログを紹介しよう!
(こんなカタログが、21世紀になっても残っていたのだから本当に凄い家だ!)
1967年の価格表
当時、叔父は毎週のように銀座にある日本楽器へ通っていたそうだ。
もちろん、楽器に触ることは許されなかった。(買えないから!)
ショーウィンドーの外から想像したのだろう。
その叔父が、どうやって持ってきたのかはしらないが、当時の価格表が残っていた
その中には、赤線が引っ張ってある型番もあった。
何しろ本物の楽器は、今のように見ることはできなかったのだろう。
何せ当時は、フェンダーの裏側にコンターが入っているなんて知る由もなかったそうだ。
70年代には、Gibson(この当時のGibsonのアコースティックはあまり評判がよくない)を
楽器屋で試奏を「んー、あまりよくないなあ。」といって、楽器屋を出た後に
「やっぱり違ったなあ。」とかいっていた時代もあったそうだ。
(この中にビートルズの切り抜きなどが入っていた)