Rickenbacker Capri 325 1958


Beatleサウンドを決定付けたJohn Lennonの初めて手にしたアメリカ製ギター

Rickenbaker325!

ハンブルグ時代のJohnと58年製325

Johnのコメント

ギターも昔から大好きだ。

今でも黒いリッケンバッカーを持っているよ。もともてゃブロンドだったんだけど。

僕にとって初めてのちゃんとしたギターだ。今じゃ、ちょっと傷んじゃってる。

実のところ、冗談半分で置いてあるだけなんだ。

これを買ったのは、ハンブルグ。

分割払いで買った。値段がいくらだろうと、当時の僕にとってはとんでもない大金だった。(1966年)

古い方(59年)のアームは悪くなかったけど、ニューヨークに行った時に、リッケンバッカーの人が

僕らに会いに来て、新しいやつをくれたんだ。これのネックが最高なんだ。

僕はずっとこういうギターを弾いていたいね。

ジョージがリッケンバッカーを手に入れたのは、

ただ単に、僕をグループの中でただひとりのリッケンバッカー所有者にしたくなかったからさ。(1964年)


さすが、偉大なBeatles!

このギターについての資料だけでもかなりのもんだ。

当然、私は真実については知らない訳だから、

そのどの情報が真実なのかはわからないが

分かる範囲で記しておく。

下積時代から有名になるまでの4年間使い倒したRickenbacker325

 

特徴


Johnが使用した325は、超初期ロット(シリアル・ナンバーV81)の1本。

主なスペックは、

ペグ:6角ブッシュを持つ、グローバー製ステタイト・チューナー

ボディ:47mmのボディ厚(バックは、プライウッド)

スケール:3/4スケールというショート・スケールを採用。

ブリッジ:ローラー・ブリッジ(弦のボールエンドを転用した物)

ネック:太めのUシェイプ

トラスロッド:1本

ネーム・プレート:ゴールド・バック・ルーサイドの1枚式

ピックガード:ゴールド・バック・ルーサイドの1枚式(5スクリュー・ポイント)

トレモロユニット:Rickenbacker独自のコフマン・ヴァイブローラを搭載。

ジャック・プレート:Rick-O-Sound用と同じくらい長さがあるプレート、ジャックはひとつ

ピックアップ:3ピックアップ、

コントローラー:4コントロール・ノブ

フィニッシュ:ナチュラル・フィニッシュ。

 

とてもレアな1本


1958年リッケンバッカーの個性を決定づけた“カプリ”が誕生。

FC ホール家の飼い猫の名前から付けられたといわれています。

カプリは 6 弦のホロウ・ボディ・シリーズを表す。

そのシン・ホロウボディ・カプリとして 325 を発表。

基本的にはコンボ 580 のボディ・シェイプをもとにしたもので、 f ホールがあるものとないものがある。

1958年、本格的に325の生産に、先立って実験的な初期ロットを数本製作します。

その内の1本だけ、カプリ・プロトタイプ・ボディを基本にしたものだった。

このモデルは、58年NAMMショーで発表された。そして、その1本をJohnは手にする。

1ヴォリューム、1トーン、ピックアップ・セレクターだったものを、1959年、ヴォリューム、トーンが追加され

4コントロール(ボディ外側2つがVolume 内側2つがTone)になる。ツマミは、TVチャンネル・ノブ。

3本(リッケンバッカーの記録による)は、当時西ドイツのフラマスへ出荷され、残りは59年モデルとして再びNAMMショーに出展された。また、ショー後、数本が西ドイツのヘフナーへ送られたとのこと。

どちらかのディーラーによってハンブルグのスタインウェイ・ミュージックに納品された。

 

なぜRickenbackerだったの?


資料によると、Johnは50年代イギリスでも人気があった

ジョージ・シアリング・クィンテッドのギタリスト トゥーツ・シールズマンがお気に入りで、

そのトゥーツがRickenbackerを使っていたので、同じギターが欲しかったのだろう。

Tootsの右肘の後のギターは、後のJohnのもの。

いつ購入したか?


1960年、Bealtesはドイツハンブルグへ行く。

ハンブルグの楽器屋”スタインウェイ・ミュージック”で購入したとされている。

しかし、BeatlesGearを参考にすると、

どうやら近くにある”ロットホフ(ロホトブ?Musikhaus Rotthoff)楽器店”で購入しているようだ。

60年に購入と記載されている資料が大半だが、61年の書いてある資料もある。

ある日、ジョンとジョージは、ハンブルグのスタインウェイへ行き、

ジョージは、 Gibson のアンプ、ジョンは“夢のギター” RickenbackerCapri325 ナチュラル・フィニッシュを買いました。

当時の事をジョージは、次のように回想している。

「ハンブルグにいるリバプールっ子にとっては、アメリカ製というだけでとてもセンセーショナルなことだった。」

 

Johnは、325を改造しまくった!


60年の写真では、まだ改造は施されていません。

コントロール・ノブの交換

ハンブルグでジョンの改造は、始まりました。

まず、最初に TV スタイルのコントロール・ノブをヘフナー・タイプへ交換しています。

バーンズヘフナー・タイプを使っていました。どうやら定期的に、ノブをなくしていたのかもしれません。

トレモロ・ユニットの交換

1960年当時、

リバプールのバンド The Undertakers のギターリスト Chris Huston は、

Bigsby Vibrato (ファクトリーセット)の付いた Gibson を持っていた。 クリスは、ジョンと友達だった。

そして、リバプールに帰った後、コフマン・ヴァイブローラを交換します。

ジョンは、リバプールの Hessy's の JimGretty (セールスマン)から Bigsby を買った。

そして、 BowTie ブリッジもマウントされた。

改造は、この店のカウンターで行われた。

コフマンは、使用後のピッチがあまり良くなかったためではないだろうか?

残念ながら Bigsby ブリッジは、小さな 325 にとってはちょっと大きかったため、

14 フレット以降で 6 弦がフレットボードからはみ出ている。

ミドルPUは、ダミー?

また、ミドル・ピックアップは、接続されてない。

ジョンのインタビューで明らかにされている。

シンプルな理由としては、ジョンのワイルドなストロークのときに数え切れないほどのハードはヒットでダメージを受けたためだろう。

(彼は、ほかの 325 (マイアミ)や 1996Rose,Morris は改造されていない。 )

これは、 PU ・スイッチポジション間で全然異なったトーンにしたかったのかもしれない。

多くのこのギターを弾いているジョンは、ミドル・ポジションにしている。

Burn's Guitar で有名な Jim Burns は、 1962 年の 10 月から 12 月中旬の間とされています。

フィニッシュをブラックへ

62年ブラックにリフィニッシュし、

その後、現在は白いスクラッチプレート(オリジナルは、ゴールドプレート)とナチュラル・フィニッシュ、新しいノブ

に戻している。

ジョンは、 Bigsby ヴィブラート・テールピースとブリッジを加えている。

 

現在の325


埼玉、John Lennonミュージアムで実物が観る事ができます。

まるで、なめるように見詰めてみてほしい。

このギターには、Johnの歴史が詰まっていると同時に、

大事にした単なる楽器に観えてくると思う。

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