さくら日和



公園内の人口池に面したベンチに海馬はひとり腰掛けていた。晴天に恵まれた春の空はうっすらと霞が掛かり、柔らかな青を映している。風はまだ少し冷たさを残しているが、陽射しは暖かく、じっとしていても寒さを感じることはなかった。格好の行楽日和だが、海馬にとっては天気のことなどどうでもよく、早く用事を済ませて仕事に戻りたかった。自分の意志でここに来たとはいえ、週初めの真昼間になぜこんな所で貴重な時間を無駄にしなければならないのか。腕の時計に目をやる度に苛立ちは募っていった。
足を組み替え、真っ白なスーツが汚れるのも構わずに、野ざらしのベンチにどっしりと背中を預けている。眼差しは鋭く、不機嫌をあらわにした表情で、池の縁に設置された水鳥のオブジェを睨んでいた。常に彼を護衛する黒服達の姿は傍には見えないものの、明らかに一般人とは異なる異様なオーラを発している。そのせいで海馬の周りには誰も寄り付かず、不自然な光景を創り出しているが、もちろん当の本人は知る由もない。そこへ、ようやく彼の待ち人である城之内が暢気に手を振りながら走ってきた。

「オ〜〜ッス」
「人を待たせておいて、その態度はなんだ」
「えーー、でも十分くらいだろ?」
「二十分だ!馬鹿者」
「そんな怒んなよ。そもそも海馬が場所を間違えたのが悪いんだぜ?」
「何だと?」
「お前さあ、俺の話ちゃんと訊いてなかったろ?」

そんなことはないと抗議する海馬を宥めながら、相好を崩して城之内が言う。海馬が苦手な笑顔だ。

「言いがかりはよせ。貴様が指定したのはこの場所だ」
「ある意味間違っちゃいねえけど。でも、俺の言った水鳥のいる池ってのは、あっちの本物の鳥が沢山いる池のことだぜ」

ほら、と城之内が遠くを指差す。海馬は目を向けたが城之内がどれを指しているのかよく分からない。黙っていると、向こう岸にもう一つ小さな池があるのだと言う。そこは主に水鳥達の餌やり場となっていて、カルガモやアヒルが沢山いるらしい。なるほど、遠くからでも親子連れで賑わっているのが分かる。

「貴様の説明が悪い」
「うん、そうだったかも。でもかえってここの方が人気が少なくてデートにはもって来いじゃね?」
「フン」

それまでとは違う大人びた表情で話す城之内に、海馬は冷たい態度をとった。別に照れ隠しのつもりではないのだが、能天気な恋人はなんでも自分の都合の良いように解釈をする。そして喜びを隠しもせず満足げに微笑むのだ。海馬としてはそれが癪で仕方がない。そのせいで、話題を変えて話す口調が険のある物言いになる。

「それで?用件は何だ」
「別に用はねえけど、次のバイトまでの時間がちょっと空いたからさ。天気も良いし、たまには外で会うのも良いかなって思ってよ」
「暇潰しに俺を呼び出したと言う訳か」
「ちげーよ!ったく・・・そんなこと言ってねえだろうが」

嫌味を言われて機嫌を損ねた城之内は、乱暴な仕草でベンチに腰を下ろした。投げやりな態度で背もたれに寄り掛かっている。直ぐに感情的になるのは城之内の悪い癖だ。

「不貞腐れるくらいなら、俺に会いたかったのだと素直に言えばいいだろう」

淡々と海馬が呟く。かっとなっていたせいでまともに聞いていなかった城之内は、言葉の意味を遅れて理解し、その内容に軽くパニックを起こした。赤面してゆくのが自分でも分かったが、どうにもできずに狼狽する。

「えっっ、なにお前・・・・恥ずかしげもなく、よくそういうことが言えるよなっっ」
「だが事実だろう?」
「そっ、そうだけどっ・・・・・んああああ〜〜〜〜〜っ!!っとにムカつくことばっか言うよな、お前って!」

それはこちらの科白だと海馬は思った。いちいち反応が大袈裟で騒がしくて堪らない。

「ところで、いつまでこうしているつもりだ」
「いつまでって、帰りたいんなら帰れよ」
「ふざけるな。貴様が呼び出したんだろう?」
「だって、どうせ海馬は早く仕事に戻りてえんだろ?」
「そうだ」
「だったら遠慮しねえで帰ればいいじゃん」

拗ねて自分勝手なことを口走る城之内に海馬は腹が立った。一体何が気に入らないというのだろうか。事実を述べているだけなのに、城之内はことごとく突っかかってくる。こんな嫌な思いをするためにわざわざ仕事を中断してきたわけではないのだ。だが、城之内の言うようにこのまま帰るのも納得できなかった。ただ時間を無駄にしただけなんて、許せるはずがない。
気持ちの治まらない海馬は静かに立ち上がると、城之内の目の前に移動し、何事かと驚く恋人を睨みを利かせて見下ろした。

「城之内。貴様、俺を呼び出したのは何が目的だったのだ」
「え、あ、そ、それは・・・海馬と公園でデートがしたかった、から・・・・あ!」
「何だ?」
「う、うんっっ。ほら、海馬、上見てみ!」

城之内は何かを思い出したように声を上げると視線を頭上へ向けた。海馬も言われた通り、天を仰ぐ。だが、特に変わったものはない。青空と、それを遮るように伸ばされた樹の枝々が広がっているだけだ。

「ほら、これ桜の樹だろ?蕾が膨らんでて、遠くから見ると花が咲いてるみてえにピンク一色なんだよ」
「それがどうした」
「いや、だからぁ、バイト終わってこの公園を通りがかったらあんまりにも綺麗だったんで海馬に電話したんだ。遠くからだとホント花が咲いてるみてえなんだよ」

そう言って向けられた城之内の笑顔に海馬は返す言葉もなかった。たったそれだけのことで何を喜んでいるのか、海馬には理解できなかったのだ。

「んな呆れたような顔すんなよ。実際、桜が満開になったら花見客が押し寄せてこんな風にのんびり眺めてなんかいらんねえんだから。一足先に花見気分を味わっとこうって思ったの!」

むっとして語気を荒げる城之内は、海馬の腕を掴むと強引に自分の直ぐ脇へ座らせた。さっき座っていた時よりもずっと近い距離だ。これでは僅かな動作もままならない。海馬は窮屈さを感じて城之内から離れようと腰を浮かせたが、そこへ城之内の腕が伸びてきて、海馬の動きを封じてしまった。中腰の不安定な体勢のうえに腕ごと城之内に抱きしめられているせいで全く身動きが取れない。

「ばっっ・・放せっ!!」
「駄目。お前逃げるつもりだろ」
「誰が逃げるか!少し場所を移動するだけだっ」
「じゃあやっぱ駄目」
「何故だ??」
「折角のデートなんだから、それらしくしたいじゃん」

何がそれらしくなのか、海馬にはその意味が分からない。含みのある言い方をされてもまるで伝わらなかった。苛立ち始めた海馬は答えを求めて再び城之内を問いただす。厳しい表情の海馬に城之内は悪びれた様子もなく、上目遣いで見つめ返すと、甘えるような口調で答えた。

「だーかーらー、折角のデートなんだからさあ、ちっとは恋人らしく仲良くしようって言ってんの」
「そんなことできるかっっ」
「あ、海馬いまエッチなこと想像しただろ?」
「しとらんっっ!!!」

冗談だよと、城之内が笑いながら言う。からかわれているのが無性に腹立たしかった。今度こそ本気で抵抗してこの腕から逃げ出してやる。そう思った瞬間、城之内が絡めていた腕を自分の方へ強く引き寄せた。不意を突かれた海馬はバランスを崩し、城之内の膝の上に座る格好となった。そして当然のように、城之内はべったりと海馬に抱きついている。

「いい加減にしろっ」
「大人しくする?」
「これ以上ふざけるつもりなら二度と貴様とは会わんっっ」
「あーー、分かったからそんな怒んなよ」

海馬の真剣な声に、城之内は漸く腕の力を解いた。海馬はゆっくりと立ち上がり、少し距離をあけてベンチに腰を下ろす。少しは反省をしているのか、城之内は暫らく黙っていたが、やがて何事も無かったようにいつもの調子で話しだした。その内容はどうでもいいような、海馬にとってはくだらない話ばかりだったが、城之内が楽しそうに話すので、適当に相槌を打ちながら相手をしている。城之内もそれで満足なのだろう。無愛想な海馬の態度に文句も付けず、終始にこやかだ。

「なあ、やっぱ花見に来ようぜ」
「時間が取れたらな」
「マジ!んじゃ俺、毎日ここに寄って桜の開花状況を報告するぜ」
「好きにしろ」

花見をするとは断言していないのに、城之内はすっかりその気になって喜んでいる。呆れた海馬があからさまにため息を吐いたのも気付かない。どこまでも能天気にひとり妄想の花を咲かせては、花見の段取りについてあれやこれやと語っている。まるで遠足前の子供のようだ。だが、少々騒がしくとも、機嫌良く笑っている方が城之内らしく好ましいと海馬は思った。

「おい海馬!俺の話、ちゃんと聞いてんのか?」

不意に問いかけられ、海馬は我に返った。とっさに”聞いている”と答えたが、実際はほんの僅かの間、思い耽っていたらしい。城之内には悟られずに済んだものの、何となく決まりが悪かった。気持ちが落ち着かず、ふと腕の時計に視線を向けると、ここへ来てから二時間近くが経っていることに気付いた。

「俺はそろそろ仕事に戻るぞ」
「えー、もう??俺は次のバイトまで、まだ時間あんだけど」
「我が侭を言うな。俺は貴様と違って・・」
「忙しい、だろ?」
「フン」

先回りをして微笑む城之内に一瞥をくれ、何も言わずにその場を後にする。どこからともなく黒服達が現れ、海馬の周囲を固めてゆく。既に大企業の頭首の顔に切り替わった海馬は、歩きながらこの後の予定について部下に指示を出している。時間に余裕をもって行動していたつもりが、思いのほか時間を費やしていたらしい。明らかに自分の不注意だ。海馬は胸の中で舌打ちをするが、不意に城之内の笑顔が脳裏に蘇り、密かに自嘲の笑みを浮かべた。

「海馬ーーっ!桜が満開になったらまたデートしような〜〜〜〜」

遠くから叫ぶ城之内の声に、海馬と彼を取り巻く黒い集団の足が止まる。一瞬、不穏な空気が流れたが、一行は直ぐに平静を取り戻すと、待機している車に向かい再び歩き出した。