※注意※ ちょっとだけ未来のお話。色っぽくないけどチューはしてます。



花信風



昨夜の嵐のような豪雨も明け方には雨脚を早め、今は名残の疾風が春めく街並みを縦横無尽に吹きすさんでいる。空を覆う分厚い雲は遥か彼方まで延々と連なりただならぬ速さで移動していく。
何処からともなく運ばれてくる新芽の香りが殊更つよく春の訪れを感じさせ、日毎ぬるんでゆく日差しに、硬く閉じていた人々の心の花びらを一枚、また一枚と少しずつほころばせていった。
移り行く季節を荒々しく伝える春嵐に金色の髪を乱されながら、着慣れないスーツに身を包んだ城之内は、通学のラッシュを終え人影のまばらになった通いなれた道のりをひとり歩いていた。

校門をくぐり昇降口ではなく直接体育館へ続く連絡道に向かって歩いていく。
見慣れた校舎の外壁には新たな滲みが増えてはいるけれど、建物そのものは数年前とかわらず時間を止めたように佇んでいる。城之内は姿を現した校庭を眺め、当時の自分達の姿を思い浮かべて懐かしさにふと笑みを零した。
決して楽しかったといえる思い出ばかりではないけれど、過ぎてみればあっという間の、青春と呼べる輝かしい日々。親友や仲間と呼べる特に親しい者達だけではなく、話したこともないようなクラスメートや怒られた記憶しかない教師の姿が鮮明に、又は朧げな面影でつぎつぎと思い出されていく。
体育祭では名前も知らない同色の選手を、喉を嗄らしながら夢中で応援をしていた。文化祭では羽目を外しすぎて教師に怒られもした。
授業をさぼり屋上で居眠りをしたり、くだらないことに腹を立てて取っ組み合いの喧嘩をしたり。何と気楽な学生生活を送っていたのだろう。さまざまな出来事が脳裏をかすめては、憧憬に似た懐かしさが大人びた青年の胸に柔らかな光を灯す。
三年間という短い時間の中で培われた経験と築き上げた信頼関係は、確かに未熟な面もあるけれど、彼にとってかけがえのない大切な宝であり現在の彼を形成する基盤となっていた。
社会に出てからまだ数年しか経ってはいなかったが、彼自身、それが分かるくらいには成長をしている。まだ、一人前というには足りないけれど、自分なりの速度で、しっかりと歩んでいた。

通路を吹き抜ける風は、湿った生暖かい空気と上空に居座る寒気が絡み合い、春物のスーツを難なく通り抜けていく。三月とはいってもまだまだ上着の必要な時季である。肌を刺すひんやりとした刺激に、思いがけず身が引き締まる。
城之内の妹である静香は兄と同じ高校に進学をし、晴れて卒業の日を迎えていた。
妹から母校である童実野高校へ進学したと聞かされたときは多少の驚きがあったが、数日前に掛けてきた電話で卒業式の参列を求められても、不思議と何の戸惑いも感じることはなかった。
例え離れて暮らしてはいても、妹が自分のことを兄として慕ってくれる以上、その想いに出来る限り答えてやりたいと城之内は常に考えていた。そこには言葉では現しきれない感謝と慈しみが満ち溢れている。
静香の眼の手術をきっかけに度々会うようになってからは親に対するわだかまりも少しずつ和らぎ、胸にはびこる因果な闇から徐々に解き放たれていった。妹との再会。それが全てではないけれど、城之内に与えた影響ははかりしれない。
やがて聴こえはじめたピアノの演奏に乗って生徒達の校歌斉唱が始まる。その中に妹の歌声を思いえがきながら、体育館の入り口へと辿り着いた彼もまた、懐かしいフレーズをいつしか口ずさんでいた。

式は厳粛な雰囲気のなか滞りなく執り行われた。
卒業生が拍手に見送られて会場を後にする。胸を張り堂々と歩いている者もいれば涙に濡れた顔を隠すように俯き歩く者もいる。城之内は僅か数年前に体験したはずの光景を眺めて、もはや共感ではなく微笑ましく思う自分に確かな時の流れを感じていた。
やがて現われた静香の眼差しはこらえる涙に潤んではいたけれど、しっかりと前方を見据えて凛々しく輝いていた。
列席者の後方で温かい拍手を送っている兄に気付いた静香は、込み上げる熱いものに一瞬顔をゆがめたが、すぐに表情を引き締めると視線を戻し、後に続く生徒達の影に埋もれていった。
生徒全員の退場を見届け拍手が止むと同時に席を立った城之内は、再び話し始めた司会の挨拶を待たずに、足早に出口へと歩いていった。

外に出ると飛び込んでくる眩い光に思わず眼が眩む。透きとおる水色の空には置き去りにされた千切れ雲がゆうゆうと流れている。ようやく全貌を現した太陽の日差しはしめやかな想いとは裏腹に、力強く大地へと降り注いでいた。
幾度も眼にしていたはずの風景は自分の知るそれとはどこか違うような気がして、城之内はふと動きを止める。けれど胸に抱いた微かな疑問は、柔らかな呼び声にかき消された。
我に返ると静香が手を振りながらこちらへ向かって走ってくる。
走り寄る妹に城之内が笑顔でお祝いを告げると、弾む息を抑えながら静香も嬉しそうにありがとうと笑顔で答えた。
誰にもらったのか、彼女の腕には春を彩る可愛らしい花束が抱えられている。
その中から一輪を指で摘み取り城之内の胸のポケットに挿すと、また友人達のもとへ戻っていく。
遠ざかる妹を見送ることもなく、城之内も再び歩き出す。
相変わらず強い風が地上を舞い城之内の髪を掻き乱している。長い前髪に絶えず視界を遮られていたが、その下には澄みわたる蒼天のように晴れやかな表情が浮かんでいる。
あちらこちらで湧き上がる歓声を遠くに聞きながら、校門に向かい真直ぐに校庭を突っ切っていった。


* * * * * *


海馬コーポレーションの社長室のソファで寛ぐ城之内は、自分を無視したように黙々と仕事をこなす海馬を悠然と眺めていた。
妹の卒業式に参列したあと、その足でここへやってきたのだ。
高校を卒業するとそれまでパートで働いていた職場へ正式に就職した城之内は、人件費削減のあおりで長時間勤務に携わることが多く、学生の頃のようにここへ顔を出すことは殆どなくなっていた。
休日が重なることは稀で、陽のあるうちに海馬と会うことは滅多にない。互いに忙しい合間を縫いながら、それでもどうにか付き合いを続けている。
今日は有給休暇で一日休みをもらっていた城之内は午後の予定なく、何時まで待たされようが焦ることはなかった。少々、腹の虫がうずき出してはいるけれど、我慢できないほど空腹というわけでもなく。こうして海馬の仕事姿を眺めるのも久し振りのことで、むしろ待たされることを城之内は楽しんでいた。
あの頃は、ふらりと海馬のもとを訪れては彼の仕事が終わるのをやはりこうして待っていた。正確には城之内の一方的な訪問をそれなりに気遣った海馬が適当に仕事のきりをつけては相手をしてやっていたのだが、海馬にとっても良い気晴らしになっていたことは事実で、互いに好意を寄せている間柄だということを考慮すれば忙しい海馬にとってそれはそれで好都合だったし、境遇の異なる相手と交際を続けるには思いのほか有効な手段であった。

素直に胸の内を晒すことのない海馬と細かいことは気に掛けない城之内の関係は、周りが思うより上手くいっていた。とはいえ順風満帆というわけでもない。争いごとは絶えることはなく常に周りを冷や冷やさせてはいたけれど、それなりに歩み寄る術も学んでいた。
もちろん、そうなるまでには幾多の試練を乗り越えてきたからで、決してその道のりは容易だったわけではない。
喧嘩をしては仲直りをし、別れてはまたよりを戻す。その度に相手に対する信頼は深まり、頼りない絆は強くなる。ただ、その背景には木馬という心強い存在が常にあったことを忘れてはならない。
全く不甲斐ない話ではあるが、五つも年下の木馬に掛けた苦労は相当なものだった。
いつもふたりの仲を案じ兄の幸せを誰よりも願う木馬に対して、城之内は一生を掛けて恩を返さなければならないと思っている。

「木馬は元気か?」

仕事の邪魔をするつもりはなかったが、彼のことが頭に浮かんだ途端、つい口を出てしまった。
その言葉に反応した海馬が一瞬、視線を城之内に向けた。城之内もそれ以上は告げずに黙って待っていると、海馬がゆっくりと顔を上げ元気だと吐き出すように呟いた。
木馬は今、ひとりアメリカに留学をしていた。
海馬コーポレーションの副社長としてその責務を果たす傍ら、会社の将来を考え、彼自身が決断したことだと城之内は聞いている。
あれほど兄を慕い傍らで支え続けてきた木馬だけに海馬と離れて暮らすことは相当の決意であり、それ相応の考えがあってのことだった。
城之内は初め、木馬が大好きな兄と離れて寂しい想いをしているのではないかと心配していたが、むしろ海馬のほうが情緒不安定に陥り、反対に木馬に心配を掛けてしまった。誰もが木馬が留学を断念して海馬のもとに帰ってくるだろうと思っていたが、元来しっかり者の弟は正に我が子を崖から落とす親獅子の勢いで、海馬に対して叱咤と激励を言ってのけたのである。
案外、木馬のほうが兄よりも社長に向いているかもしれないと城之内はその時思ったが、それは口が裂けても言えない確信だった。

城之内に視線を向けようやく彼の姿を眼にした海馬は、見慣れない服装に不振な表情を浮かべる。

「何しに来た」

「何しにって… 今日は静香の卒業式で、さっきちょっと顔を出してきたんだけど… あいつ俺らと同じ高校に通ってたんだぜ。話したことあったっけ? んで、今日は一日休みでこのあと何も予定ないし、折角だから昼飯でも一緒にどうかと思って寄ってみたんだけど。」

冷淡な言い草はいつものことで今更動じることもないが、城之内の方も機嫌を取るつもりもないので少々やさぐれてみせる。

「ふん。お前は休みかもしれないが俺はあいにく仕事中だ。数年ぶりに母校を訪ねた懐かしさに感傷的な気分に浸っていたのだろうが、全くいい迷惑だな。」

《っかーーーーっ!!ほんっと可愛くねえの!》

胸の中でひとり愚痴り大袈裟なため息を吐いてみせる。
以前ならすぐに逆上して言い返していたのに、最近では自分も随分大人になったものだとしみじみ思うことが増えた。とはいえ、納得のいかないことはあくまでも食い下がるし、簡単には折れたりなどしない。ただ、海馬にしてみれば城之内との険悪なやり取りも単なるコミュニケーションの一環にすぎず、何だかんだと悪態をついても結局のところ自分の為に時間を割いてくれているのだと理解できるようになり、自然と寛大な態度がとれるようになっていった。

「ところでさあ、おまえ何でそんな格好してんの?」

そういえば…… 今まで何の疑問も持たずに海馬を眺めていた城之内が、ふと我に帰ったように浮かんだ疑問を口にする。
呆れ顔で見つめる城之内に無言で一瞥をくれると、おもむろに立ち上がった。
依然なにも告げずに背を向けた海馬はただならぬオーラを発している。
さっきは確かに仕事中だと城之内に告げていた海馬の装いは、どういう訳かデュエルの時に身に付けるいわば彼の戦闘服だ。伝説のデュエリストと称される彼の拘りと衰えることのない闘志の現われなのかもしれないが、これ以上問い詰めたところで、また凡骨呼ばわりをされて終わりだろうと察しがつく。
そもそも、これくらいで驚いていては海馬と付き合うことなど出来るはずもなく、城之内は苦笑すると無理やりにでも自分を納得させるしかなかった。

腕を組み窓辺に立つ海馬はブラインド越しの日差しを浴びて、崇高な輝きを纏っている。
久々に見る海馬の勇姿に城之内は思わず見惚れてしまう。

《!!》

軽い緊張感を壊すように突然、城之内の腹の虫が静かな室内に轟きをあげる。
自分の失態にか、それとも見惚れていたことに対する羞恥心からか。わざとらしく咳払いをすると素早く立ち上がり海馬の傍へ歩いていく。

「と、取り合えず飯喰おうぜ!!」

「相変わらず品のない奴だ」

「うるせー!」

「ならば自力で黙らせるか?」

それが何を意味するのか、もちろん城之内には分かっている。
一瞬眼を見開きすぐに破顔すると、乱暴な手つきで海馬の頭を引き寄せ噛み付くように口づける。
一枚も二枚も上手な恋人には、この先――一生敵わないと分かるから。
せめて愛想を尽かされぬよう精一杯、大切にしようと誓う。

城之内は胸のポケットに挿した花を抜き取ると海馬の髪に飾った。
嫌そうな顔をする海馬に、悪戯を楽しむ子供のように無邪気な笑みを向ける城之内。
そうして年を重ねながら少しずつではあるけれど、ふたりの関係もそれなりに成長し続けている。
色褪せてゆく記憶の中に、彼らの歩んできた道のりをはっきりと記して。


自分の卒業式に姿を見せなかった海馬へのはなむけに、もう一度、城之内は優しい口づけを贈った。