「シロウ――――貴方を、愛している」










夢と真実それに君









 衛宮士郎は夢を見ていた。

 他人の幸せを夢見ていた彼が、初めて自分の幸せを夢見ながら。

 自身が望む最愛の女性の幸せを夢見るがために。

 最愛の女性の誇りを大切に思うがために。

 自身自らその意思で。声で。力で。

 最愛の女性を手放してしまったそんな夢。








 衛宮士郎は夢を見ていた。

 幻のような朝焼けの中。

 幻のような最愛の女性の姿。

 それまでの闇など元から無かったが如く。

 ただ光に満ちようとしたその世界。

 一条の光と一陣の風。

 瞬きと同時に最愛の女性が消えた夢。








 衛宮士郎は夢を見た。

 夢や希望、未来を夢想する想像の夢で無く。

 ただ過去にあった出来事を見る整理の夢。

 それはただ脳が見せる現実。

 だけど人の心はうつろうモノ。

 故にどれだけ同じ現実を。

 幾たび夢で見たとして。

 胸に帰する想いは同じでない。








 衛宮士郎は起床する。

 始まりを告げる暖かい日の光。

 彼にとって忘れられぬ夢は終わりを告げ。

 平凡なる日常が始まる。

 しかし今日の彼の思いは平凡でない。

 非日常の争いの中に居た。

 非日常の女性の姿を思い浮かべ。

 浮かぶ想いがなぜ日常なのか。

 彼の今日は今始まる。

 日常でない一日が。














 だるい。

 起きた瞬間そう思った。腕を動かそうとしても骨が鉛にでも変わったのか一向に持ち上がらない。足も同様だ。

――いや、それぐらいなら今までだってそれなりにはあった事だ。特に土蔵での鍛錬に失敗しかけたりするとこんな感じになる。それよりも自分にとって辛いのは未だ寝ているにもかかわらず自身の頭が重いことだ。こんな事は初めてだ。その所為で起床してから三十分経った今でも布団に入ったままである。

 早く朝メシを作らないと。

 そんな事を思っても体は動かない。逆に体と頭が別の生き物のようだなんていうけれどそれはこんな物かなんて取り留めの無いことを思い浮かべてしまう。

 そんな事を思っていたら廊下のほうからパタパタと言う音が聞こえる。きっと桜だろう。こんな風に足音を聞いたことなんて初めてだけどそう思った。

 また朝メシを作らせてしまった。起きているのにまだ寝転んでいるなんて知ったら桜はどう思うのだろう。幻滅するだろうか。それよりも自分の体はどうなっているのだろう。――ああ、考えが纏まらない。本当にどうなっているのだ。

「先輩起きてますか?」

 桜の声がかすかに聞こえ、続いて襖を開ける音も聞こえた。

 入ってきたであろう桜を見るために目線を動かそうとする。だけどそれだけの行為も正直辛いが、何とか渾身の力を振り絞って桜を見るとちょうど桜と視線がぶつかった。驚きに彩られる桜の顔。

「せ、先輩、起きてたんですか」

 声も多分の驚きと僅かばかりの動揺で飾られていた。そんな桜に「ああ」と答えようとするも声がでない。ただパクパクと口を広げることしか出来なかった。

 そんな俺の様子に何を思ったのか桜は手をぺた、と音をならせて俺の額に置いた。その瞬間、

「せ、先輩! ね、熱です! 熱があります!」

 見事、と言いたくなるほど動揺しきってそんな事を叫んでいた。そして立ち上がったかと思うと慌てた様子で部屋を出て行った。

 そんな桜を見送りながら、ああ、熱を出すなんて初めてなんじゃないだろうか、なんて事を俺は考えていた。














 桜はすぐに戻ってきて俺に薬を飲ませた後、看病しようと思ったのか俺のすぐ横に座っていた。だが、後から現れた藤ねぇと遠坂に引きずられて行ったきり戻ってこない。おそらくそのまま学校へ連れて行かれたのだろう。そんなこんなで俺は一人で寝ていた。

 一人でこうやって寝ていると色々なことが頭に浮かんでくる。桜はどうしてるんだろうか、とか遠坂も少しは心配してくれたのかな、とか。そして最後に浮かんできたのは、

「……セイバー」

 俺の愛する女性のことだった。もうどうやったって手の届かない女性。そんな女性のことを考えていたらふと夢のことを思い出した。今日の朝の夢。セイバーと別れたときの夢。アレを見たのは熱に浮かされた所為だろうか。――精神的にまいっているのか目の前が滲んでいく。だけど出来ない。零してしまったら我慢できない。なのに頬を一滴の涙が零れる。そして零してしまったら何も我慢できなかった。

 さびしい。寂しい。淋しい。サビシイ。

 かなしい。悲しい。哀しい。カナシイ。

 そんなまるっきり後ろ向きな考えで頭がいっぱいになる。一滴だった涙が流れになる。

 彼女と会いたかった。会って抱きしめたい。抱きしめて捕らえたい。そして捕らえたら離さない。

 そんな事をしたら。

 きっと彼女は悲しむのだろうと。

 そう理性は告げているのに。

 本能は暴走する。

 そんなモノすでに焼き尽くしたと思っていたのに。

 ひとかけらでも。

 焼け残ったモノは根を張った。

 根を張って芽を出した。

 一度芽を出せば後は成長するだけだ。

 ――それから熱に浮かされ寝付くまで俺はずっと泣いていた。














 再び俺の目は覚める。部屋は真っ黒。外は闇。――すでに時刻は夜だった。

 体は幾分か楽になっている。鉛が入っているかのようだった腕は、まぁせいぜい棒になってしまった程度だし。頭も少しは軽く感じる。……そんな事を言ったらまるで自分が馬鹿のようだが。

 そんな少しばかりマシになった体を動かして縁側に行こうとした。余計風邪をこじらせそうだが関係ない。それよりも風に当たりたかった。

 俺は居間から聞こえてくる声に注意をはらって誰にも会わないように部屋を出た。














 ああ、涼しい。月の冷ややかな光に冷まされた夜風はいまだ火照った体にとって一番の良薬なのかもしれない。

 本当はいけない事なのだろうが、そう思わせるだけの清々しさを夜だというのに風は運んできてくれた。一日中俺の頭を駆け回った彼女のこともこの風は流してくれるだろうか。流して欲しい。流して欲しくない。二律背反、望みの矛盾。何を望むか自分でもわからない。

 また火照りだした頭を振って夜空に浮かぶ月を臨む。真ん丸。満月だ。とても綺麗なお月様。思えば前に月を見たのは何時だっただろうか――。いや、ただ視界に入るだけなら毎日のように見ている。

 三日月。

 半月。

 白い月。

 お望みならば満月だって。

 幾度も見てきたはずの月。なのに――。

 ――どうしてだろうか、こんなにも綺麗に見えるのは。

 ――どうしてだろうか、彼女の姿に重なるのは。

 また涙が零れてしまう。抑えようと手で覆う。その瞬間、分かってしまった。

 暗い、暗い、闇の中。

 彼女と月がほのかに浮かぶ。

 二つの姿は重なって。

 一人の王の姿となった。

 ――似ている。彼女と月は似ている。いや、彼女と満月が似ているのだ。

 両者ともに美しく。

 両者ともに気高く。

 そして両者ともに孤高である。

 彼女は王として多くの民を従えても。

 月はその傍らに地球があろうとも。

 民が彼女と寄り添うことは無い。

 地球が月と一つになることは無い。

 そんな彼女がとても愛しく。

 そんな月がとても憎らしい。

 手と顔の狭間からぽろぽろ涙が零れ落ちる。

 本当になんて自分は馬鹿なのだろうか。

 彼女に正義の味方になりたいと言っておきながら。

 互いの誇りを守るために別れておきながら。

 いざ思うは彼女の事ばかり。

 正義なんて霞んでしまう。

 そんな俺の今の願いは一つだけ。

 彼女にもう一度会いたい。

 ただその気持ちだけで俺は彼女と初めて会った場所。

 土蔵へと足を向けていた。














 ぎぃ、と音を立てながら土蔵の扉を押し開く。中に広がっていたのは闇。ただ扉から入る満月の光がその闇を照らしていた。

 まるであの時のよう。

 満月の青白い光に照らされた土蔵の中、俺はランサーに再び殺されようとしていた。

 そんな俺の前に突然現れた一人の少女。

 その姿は幻想のような美しさと月の光のような気高さで俺の心を絡めとってくれた。

 あの瞬間から俺にとって正義の味方なんてモノより彼女のほうが崩れた心の欠片となった。

 思えばそうだったのだ。あの時から彼女は俺にとって一番であり、今まで俺は自分の心を隠していたのだ。

 自覚した俺にはもう何も出来ない。

 ただ涙を流すだけ。














 彼はボロボロと涙を流し、涙は床へ落ちていく。そのうちの一滴が床に在った線へと落ちた。それに続いて二つ、三つと涙が落ちる。線に涙が落ちる度、仄かな光が線を走る。だけど、彼は気付かない。そんなモノは気にしていられない。そんな彼を尻目に尚も光は線を走る。そして形どられるモノは――。

 ――魔方陣。

 以前よりこの土蔵にあった紋様。“魔術使い”である彼は幾度見ようともまったく気にしていなかったモノ。それが彼の涙に反応するかのように輝いていた。














 ふと瞼を通して感じる光が強くなった。

 土蔵の中にある光は背後からの月光だけのはずだ。なのに先程からそれ以外の光を感じる。

 俺は閉じていた目を開き何事かと前を向いた瞬間、ソレに気付いた。

 「――ッ」

 そこには魔方陣のようなものが浮かび上がっていた。それがどんなモノかなんて分からない。だけど危険は無いような気がした。

 次第にソレを形作る光はどんどん輝き、眩いばかりになっていく。その目を開けてはいられないほどの輝きに俺は思わず目を閉じていた。

 閉じた目に瞼を通してもなおまぶしく感じられる光が突き刺さる。その光によって目を閉じているにも関わらず俺の視界は真っ白になった。

 そして、それを峠としたかのように光は収まっていく。次第に弱まる光の中、俺は目を開け何かを見た。














 その見たモノは人。







 こちらに背を向け立っているちっぽけな女性。







 ゆっくりと元に戻ろうとする光の中。







 彼女はこちらを振り向いた。



























“正義の味方”の終わり “衛宮士郎”の始まり
後書きって言うか言い訳

突っ込みどころ満載のSSを書いた風鳴飛鳥です。

……いやぁ、流れと勢いで書いていたら士郎くんは正義の味方やめちゃったし。

まぁ、とりあえず言い訳を。

土蔵の紋様がどうのこうのっていうのが有りますが、実際に土蔵には紋様が有ります。

詳しくは本編で一日目を見てくだされば分かるかと。

……それだけ。

それ以外は突っ込まれても何の反論もしようがありません。

ああっ、できるだけやさしくしてっ。

ぐ、ぐっばぁい!(←逃走



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