店主の言いたい放題パート1

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2009年3月26日(木)
開高 健

久しぶりに開高健の本を読んだ。少し気になることがあってベトナム戦争の事を調べていたのだが、不覚にも彼がベトナムに出向いてレポートを書いていたとは知らなかった。この二冊の本を読んで、ぼんやりながら 当時のマスコミや先進的文化人の意見がどうも胡散臭く感じていた事が、判った。新聞(朝日、毎日)文化人が言っていた事はベトナム戦争のkの報道ではなく 自分たちの思想の正当性を導きたくて少し脚色して報道していたのではないかな。 自由主義が悪で共産主義がtであると言う単純な理論展開で。この本を読んでみてどの国もどの思想も人民も軍もどちらも正解などなっかったと思う それより問題なのは当時の文化人や新聞が総括していない事だそんな事があったのかと言う感じで終わらしている それが我慢ならない。この2冊の本はお奨めです。当時を振りかって見るのも如何ですか?

2009年3月20日(金)
コンサート

先日岩崎宏美のコンサートを見に大阪NHKホールに家内と一緒に出かけてきた。大阪の一等地にでかいビルを建てている、国民からむしりとった金で好き放題に使って建設したのだろう。NHKは、これくらいにしてコンサートは。大変良かった 岩崎宏美さんも50歳になって大人の歌手になっていた。歌唱力の有る歌い手は幾つになっても聞くものを感動させる。3曲くらい知らない曲が在ってその歌が大変感銘を受けて早速CDを買った、特に気に入ったのが さだまさし氏が作曲した 人生の贈り物と言う曲だ。今の自分に良くあっている。気になる方は聞いてみたらお勧めしますK方には、理解しにくいかな。マア久しぶりにいい気分で会場を後に出来た。少し前に行ったコンサート 大阪弁でしゃべりまくる おばはんの ピアノの弾き語りのジャズシンガーよりよほど満足できた。

2008年10月14日(火)
オーダー

昭和30年代から40年代ごろまではどの町にも靴屋さんがあって店先で主が職人技で革靴を作っていた。ほとんどが足型を採って寸法を測って手縫いで仕上げていた。私達の時代は革靴イコール誂え靴だ。いつの間にか町の靴屋さんが、いなくなってしまった。有名な仕立て魔ヘ数十万円もするらしい。ほんまかmか知らんが、そこで探して町の靴屋さんレベルでオーダー魔製造している所を調べて近江八幡までのこのこJRで出かけてきた、そして足型を取ってもらって注文してきました。それも私が何とか無理すれば買えなくない価格であった。3万円から4万円まででできるおまけに仮縫いまでしてこの価格は近江八幡まで出かけた甲斐はある。またこういう魔ヘ修理も対応可能だから結果お買い得ではないだろうか。この靴屋さんが長く商いが出来るようがんばって欲しい。 画像は出来上がった
 型は、今は懐かしいスエードのウイングチップ

2008年8月1日(金)
なぜ君は絶望と闘えたのか

久しぶりに一気に読んでしまった。門田隆将著書「なぜ君は絶望と闘えたのか」この著書は、山口県光市で起きた母子殺人事件の被害者の夫である、本村 洋氏の裁判の戦いの軌跡である。内容についてはあえて書かない、できれば買って読んでいただきたい、久しぶりに読みながら目頭が熱くなった、読み終わると日本人もまだまだ気骨のある人達がいることが心O。本村洋氏は、素晴らしい人間だが彼を生んで育てたご両親も立派だ。そして彼が勤めていた会社、会社の上司も素晴らしい、その上司も自分ひとりで立派になったのではなくW両親、の育て方だと思う、それに引き換え加害者の弁護団のうすぺらな人格だこと、日本の最高学府を出て弁護士になり自分主張する死刑廃止論の宣伝の為の弁護浅はか。安田と言う弁護士の人生観は普通の日本人には理解できない発想だ。薄っぺらな人間だろう。また法廷を侮辱したこの弁護士を懲戒解雇できない日本弁護士会もだらしない。弁護士先生としてこれからは、私は尊敬できなくなった。すべての弁護士がそうではないが。この本は1300円のお金を使っても損をしたとは思わないだろう。

2008年4月12日(土)
脊椎管狭窄症

もう十五年前から間歇歩行に、悩まされていた20分くらい歩くと足が痛くなって歩けなくなる、ストレッチをすれば直ぐ歩けるようになるから問題に、していなかったかが、歩くのが大嫌いだったから良かったのだが10年前から高山植物が好きになり自生している現場を見たくなり、そうなれば自分の足で歩かなければ成らない。20分後とにストレッチしながら歩いていたが此処最近その間隔がだんだん短くなってきた。それまでは、接骨院で対処療法で凌いできたがその効果も薄れてきてこれは専門医に見てもらって何とかしなければと思いMRIとレントゲンを撮って見たら背骨は大きく湾曲しているは、脊柱管狭窄症に間違いなかった。仕方が無いので今一番進んでいて入院しなくていい方法を選んだ、それはPLDD(経皮的レーザー椎間板減圧術)と言う方法だ。背中に局所麻酔をして、太さ1ミリ未満の光ファイバーを入れ幹部にレーザーを照射して神経を圧迫している骨髄を蒸散させると言う事だ。それを昨日手術してきた。時間は、2箇所したので30分くらいで済んだ。呆気ないほど簡単で痛みも大した事無くレーザー照射のとき腰の辺で可愛らしいキツツキがコンコンと軽い振動音が伝わるだけ、腰に少し太い鍼灸で使う針らが、刺さっているかなという程度。その感触もクリニックで1時間ほど休息して、駅までタクシーに乗り京阪電車に乗って店に帰り着くころには、ほとんど苦に成らなくなっていた、後車を運転して自宅に帰ってごろごろして普通に食事をして就寝(は禁酒)今朝こうしてパソコンに向かっている。違和感はほとんど無し今日はシャワーも浴びれる術後24時間でこれほどの回復はPLDDだからと思う。そして肝心の結果はまだもう少し時間をかけないと解らないが足の感じは術」より良くなっている、ただ悪い所は、4箇所あって今回は1番悪い所から2箇所だったのでもう少し時間を見ないと結論はいえないが術中のスタッフ話し声ではレーザーの針がパーフェクトな位置にはいたと言う話が聞こえてきたのでかなり期待が持てそう。腰痛で困っていて時間がない人には、私はこの方法が適合すると判断されたらお奨めする。ただ保険が利かないのが残念。厚生労働省ちょんぼ、ばっかり遣っているんだから早く保険適用にしろ。

2008年4月4日(金)
知らなかった 今どき

知らなかった、今どきこんな通達を護っている教師達がいることを、占領下の昭和24年に出された国公立小中学校の靖国神社訪問などを禁じた文部事務次官通達めぐり一部の教育委員会が(今効力を持っている)と誤解している問題で、渡海紀三郎文部科学相は、参議院文教科学委員会で、通達は、既に失効していると、明言。通達には、児童生徒が学校行事で、神社仏閣など宗教的施設への(礼拝目的)の訪問を禁ずる内容のほか(靖国神社、護国神社及び主として戦没者を祭った神社を訪問してはならない)とする項目があった。私は、国公立学校は宗教に対する援助や批判は禁止されていると信じていたが、やはり信じている教師達がいた、これは私が今居住している、門真市の中学校の卒業式で3年生達に教師達が国歌斉唱のときに起立しない様と吹き込んだ教師達と同じだ。教師達は、自分の思想を押し付けるな、各自の児童の家庭の思想まで踏み込む権利は、君達にはない。少なくとも私の子供達は国旗に敬意を表すことと、君が代国歌斉唱のときは起立を守っている。

2008年4月1日(火)
日ごろ人権に煩い方々へ

今チベットで起きていることは、人権問題では、無いのか.A新聞とか、M新聞とかは中国が発表する記事をそのまま垂れ流している。一つも中国に抗議する様な感じではない。また日本政府もまともに抗議していない、中国の顔色を見ている。ヨーロッパ首脳の北京オリンッピック開会式の参加をやめている。ボイコットは選手達が可哀想だからそこまで遣らなくてもよいかな。此処に日本の首脳や仏教会の連中に見らなって欲しい人物がいる。谷政久さんだ、1996年アトランタから2004年アテネまで金、銀、銅を3大会独占してきた、砲丸投げに使う砲丸を製作してきた人だ。この人が北京オリンピック用の砲丸を作るのをやめた。たった一人のボイコット私はこの行動に賛辞を惜しまない。自民党、民主党の首脳、仏教会の連中に、この辻本氏が作る砲丸を削るときに出る鉄くずを煎じて飲ましてやりたい。

2008年3月24日(月)
15年ぶりのスキー

先日15年ぶりにスキーに行ってきた。それも団塊の時代のスキー好きにとっては憧れの八方尾根、ウエアーと,スキーブーツは新調して板は、友人でもある八方尾根のホテルのオーナーでもあり八方尾根スキースクールの指導員でもある、丸山氏の好意に甘えて最新のスキー板を貸して頂いた。それは、びっくりの連続だった。それは、当日の天気に恵まれ長野オリンピックの滑降のスタート地点のまだ上にある第一ケルンからの景色に感動、白馬三山は綺麗に見えるは、遠くには北アルプスの稜線が雲海を突き抜けて見えている。これほどの絶景のスキー場はは、なかなか無いだろう。それなのに非常に空いている。(3月17日月曜)平日とは言え汲ヘたっぷりとあるのに、こんなに楽しい冬のスポーツは、他には、思い浮かばない。|シーズンは本格的にリバイバルだ。でも冷静に辺りを見回してみるとすべての滑降可能なコースは見事に土のグラウンドみたいに整備されている。私の知る圧去ヤのする仕事はもっとでこぼこしていた。こんなに平板しないと今のスキーヤーは、滑れないのか。最新の道具は物凄く簡単に自分の行きたい方向に曲がってくれるのに。これでは過保護だ。エコじゃない。写真では上手く滑って見えるがこれは友人の丸山氏が必死でよい所を写してくれたお蔭。感謝

2008年3月3日(月)
十年ぶりの映画(明日への遺言)

久しぶりに映画館に行ってきた。今流行のショッピングセンターの一角に在るマルチスクリーン型の映画館だ。小型の100人ぐらい入れる劇場が8個も在る。私も60の爺になって、シニア割引で1800円の所が1000円で見れるそうだ。まだ現役の社会人として、働いているので意地を張って1800円払おうか、迷ったが結局1000円で入場なんのこっちゃ。肝心の映画は岡田中将の武士道と日本の伝統にもとずいた信念を貫きとうし、責任を転嫁せず部下の命を救った、そして連合軍の国際法違反(無差別爆撃)をあげた。これ以上映画の中身をしゃべる言はしないが、船場吉兆や、ミーとホープ等の経営者達にぜひ見てもらいたい。またこの映画の元になった大岡昇平著の、ながい旅を教科書に取り入れるべきだ。今の日本人が失ったものを教えてくれる。

2007年12月12日(水)
知らなかった

小学校で習った唱歌 真白き富士の根が非常に重い歌だとは、明治43年1月23日開成中学生11人小学生1人を乗せた小船が転覆し遭難した。全員死亡このとき遺体を引き上げたときある兄弟の状態が人々の心を打った。当時の人が書いた文章をそのまま抜粋してみた。(兄は死後も骨肉の情の護りも堅く、両手でO直、全指を交互に強く交えて握り締め、自己の双腕に全霊力を集めて弟を抱き居り、人々が之を離さんとするも既にO直せる指はなかなかに離れず。転た見るひとをして感涙に咽ばしめ、後に基の状態を伝え聞きし者も覚えず目頭に熱きもの溢れて止め得ざる次第でありました)今の日本人には望めない行動だろうなあ。これを知った当時の音楽の先生がアメリカのジェレミー インガスが作曲した曲に三角錫子先生が作詞した。これを明治43年2月6日に、追悼大法会で鎌倉女学校の生徒が歌ったの最初だ。小学校で習ったときは先生から明治にこういう悲しい事があったと言う話はなかった、こんな重い歌だとは知らなかった。このことを教えてくれたのは、ブルースシンガーのむらなが吟さんだ、彼は自分のライブでは必ずこの歌を歌ってこの歌詞が出来たいきさつを話しているそうだ。何か考えさせる唱歌だ。

むらなが 吟

2007年11月10日(土)
セミナー

一泊二日で松井健一氏(松井経営人事研究所所長)の顧客満足度と従業員満足度(CS&ES)と言うセミナーに参加してきた。場所は舞浜 ディズニーランドが在るホテルで行われた。初めて見るディズニーランド、ディズニーシー、爺には理解不能。此処は日本ではない雰囲気だが本物ではない、米国の贋物 玩具っぽい 安っぽい匂いがぷんぷんする。そんなに、ネズミの化け物みたいのいいのか。私には解らない。だが肝心のセミナーは久しぶりに長丁場延べ9時間になる間一度も睡魔に襲われることなくしっかりと 呆けかけた脳みそに叩き込んできたつもりまだ記憶しているかな。折角千葉くんだりまでのこのこ出かけて言ったのだからしっかりと活用しなければ?出来るかなこの少し呆けてきた脳みそには!! 写真は講師の松井健一氏

2007年10月26日(金)
キノコ鍋

毎年恒例の秋のツーリングにこれまた何時ものメンバーと奥飛騨温泉]中尾に在る旅館まほろばに、行ってきた。目的は、この旅館の主人が、秘密の場所で獲ってくるいろいろなキノコを食べる事紅葉を愛でる事。今年も紅葉は、綺麗に紅葉していなかった。だが目的のキノコはたっぷりと食べてきた。二日間とも快晴で最高の休日を過ごす事が出来た。自然に感謝。写真は、色々なキノコが入った鍋。最高に美味い、いいだしが出ている。

2007年10月18日(木)
人形作家 与 勇輝作品展

与 勇輝作品展を近くのデパートで開催していていたので見に行ってきた。人形の表情に久しぶりに感動した。テーマは昭和初期から多分大正時代の子供達を見事に表現していた。懐かしい思いで見入ってしまった。人形達の衣装の柄や小物に至るまで正確に表現していた。この時代の子供達の表情を見ていると、今の日本の子供達には見られない目のCが見れる。大東亜戦争で敗戦して本当に、日本人が失ったものは多い。もう一度本当に日本人の伝統、心を次の世代に伝えていかなくてはと思う。だが日本を代表する人たち福田内閣の閣僚達の無作法と言うか無知と言うか国民の模範にはならない、内閣認証式では天皇陛下より先にTのとき頭を上げるとは礼儀知らずにもほどがある、公式記者会見場に掲げてある国旗に敬意も払わず、特に文部科学大臣教育の垂ナ国歌斉唱、国旗掲揚せよと指導している立場の大臣が礼儀知らずで呆れるほかない。日本を代表する人たちがこの程度だから、まともだったのは3閣僚くらいだった。本当にこの国は大丈夫なのか。

2007年8月17日(金)
産経新聞のコラム

今産経新聞が面白い。こう言えば不謹慎かもしれないが、断と言う小さなコラムが白熱している、それと言うのも山口光市の母子殺人事件の裁判で精神鑑定をした専門家に宮崎哲哉氏が噛み付いた。それに反論して精神鑑定の専門家が色々書いているのだがこの専門家関西学院大エ教授野田正彰氏の文章が精神鑑定の専門からしからぬ非常にヒステリックに書きなぐっている私は精神鑑定は門外漢だが野田正彰氏の言い分には首を傾げたくなる。宮崎哲哉氏に利があると思うが

2007年7月25日(水)
ムコ多糖症支援ネットワーク

ムコ多糖症支援ネットワークに唐セが寄付をしたら丁重な礼状が来た それも手書きで、便箋2枚に丁重に御礼が書いてあった。此れを読んで頭が下がる思いだ。60歳を超し無事還暦を迎えられたのも自分を見失わないで頑張って来たから、それと社会のお蔭、だから世の中で気が付いて自分ができる事を少しでも世の中にお返しをしようと思う。謙虚さと感謝の気持ちを持って。村上君お金凾ホかりじゃ駄目だよ。   

ムコ多糖症支援ネットワークホームページ    http://www.muconet.jp

2007年6月8日(金)
こだわると言う言葉

このところちょくちょく、こだわる、こだわり、と言う言葉を良く聞くが、そんなにこだわる、と言う言葉を使わなくては、いけないのか?そんなに安易に使っていい言葉なのか常ずね疑問に思っている。私は、これこれしかじかにこだわっていますと言う言葉をよく耳にする、でも良く聞くとそれは、専門家、職人等、にとっては、当たり前の事、当然の事なのに、(こだわり)と言う言葉を使う、それは今まで自分たちに都合のいいように おざなりにしてきたから、じゃないかな。私は、なるべくいや、たぶん(こだわる)と言う言葉は使わないだろう。補聴器の専門家として、自分の生き様として当然のごとく振舞って生きたい。人に(こだわって)いますねと言われたら、当たり前です、と言えば嫌味かな、でも俺は、使わない。こだわると言う言葉は、そんな軽い言葉だろうか、人の心の中に有るものを表現するに軽々しく使っていいのか、行っている人が軽々しく見えてくる。

2007年5月25日(金)
安田弁護士

又この名前を聞いてしもうた。山口の光市母子殺人事件の弁護人だ。この安田と言う弁護士は、自分の主義主張のためなら(死刑廃止論者)被害者に人権とか被害者の身内の心情とかは一切無視し、注目の集まる裁判を利用して自分の死刑廃止運動の宣伝に利用する奴だ。この弁護団の中に2,3人は弁護士の資格を剥奪してもいい奴がいてると思うが。弁護士会は身内に甘いからようせんやろなあ。

2007年5月24日(木)
知らなかったなあ

先日産経新聞のサンケイ抄を読んで愕然とした神様に供えるFのほとんどが中国からの輸入だと書いてあって驚いた。純日本製は、里山の荒廃、後継者不足による山林従事者の高齢化で日本のFは超貴重品になってしまった。だから、此の頃中国は、靖国問題には、あまり触れたくないようだ?(ほんまかいな)そこで日本製のFを求めて産経新聞に書いてあった日本F本舗に連絡をして毎月送ってもらうようにした。此れで八百万の神も安心して神殿におられ事だろう。今までは、中国製のFにはさまれて、さぞ、居心地が悪かっただろう。此れで一安心。

2007年4月2日(月)
開花

今年もお店の」のが満開になりました。商売しながらお花見が出来るのは最高。でも花が散りだすとお掃除が大変だ、

2007年3月31日(土)
今の日本人の貧しさ

私の店の前には、小さな公園がある、手入れが良く行き届いて行政もそこそこお金を掛けて整備している。先日市の公園課がきて大型のプランターに春の花を植えていった。2日も経たず綺麗に植えた花の株を持ち帰った奴がいる。盗んできたAを見て綺麗と思う心が恐ろしい。日本人の美しい心はどこへ行った。

2007年3月6日(火)
こんな奴が

先日の新聞に法学部教授逮捕という記事が載っていた。福岡県志摩町に住む広島修道大学法学部教授、松尾卓憲(48)が逮捕された容疑は松尾容疑者がよりによって、六法全書や年賀状など67キロのごみを自宅の近くの川に不法投棄したらしい。大学で法律の事を教えている教授が、直ぐにばれるごみを不法に投棄するとは情けない事だ。こんな奴を教授にした大学も責任がある。ましてや、この3月で退職して引越しするからごみを棄てていった。後は知らん顔で済むとおもったのか。こん奴法律に詳しいから知りませんでしと言わせない、厳罰にすべきだ。でも得意の法律の知識で直ぐに出てきて、又どこかの大学にもぐりこむのだろうな。情けない日本になったなあ。メディアはこの後どうなったかしっかり報道してほしい。こんな奴らがはびこらない為にも

2007年3月5日(月)
ライブ

ヘ戸智絵のコンサートに行ってきた。会場は店の近くの門真市文化会館ルミエールホールであり、700人くらい収容のホールが満員でした。さすがに平均年齢は高く、爺婆が多数を占めていた。私もそうだが。コンサートの内容は、どうかといえば、ジャズをじっくり、聴きたかった人は私も含めて欲求不満な内容だ。エンターテイメントとして見るなら大阪弁を駆使してしゃべくりの達者なおばはんが、ジャズを歌うという乗りで見るならまあまあ満足かな、でもそれなら私には7000円は、高いと思う。ヘ戸智絵と言う、ジャズシンガーとして此れから先過ごしていくなら、コンサートの構成を見直して、ジャズファンを楽しめるようにしないと、あの程度のしゃべくりでは、どの道飽きられるだろう。

2007年3月3日(土)
献血

昨秋に行って以来4ヶ月ぶりに献血に行ってきた。献血車の」にはA型の血液が非常に足りないと書いてあり協力を呼びかけていた。幸いにも私はA型+なので丁度いいか。ま日本人はA型が一番多いのだから仕方がない。でも若い人達がたくさん(特に女性)協力していた。献血の量は200CCが無くなって400CCだけに成った。病院からの要請が90パーセントが400CCなのだそうだ、200ccの方は需要が少なく期限切れで破棄されるのが多くなると駄目なので200CC献血は受け付けていないと言う。行ったのが4時ごろで男性の姿が少なかったのが気になったがこの時間帯は仕事中だから仕方が無いのかな。近所の会社などが気を利かして協力すればいいのだが、社長さん社会にも奉仕しないと駄目じゃないかな

2007年2月24日(土)
空気清浄ォ

自宅と店舗に花粉症対策で空気清浄ォを設置したら効果はてきめんに現れた。それに気を良くして車にも花粉除去フィルターを取り付けた。車と自宅と店舗にいる間は花粉症を忘れている。こんなに具合が良いのならもっと早く設置すれば良かった。また店舗に設置した空気清浄ォは強力型で来店されたお客様にも好評でした。

2007年2月5日(月)
湘南乃風を知って

先日テレビを見ていたら、湘南乃風という若者の音楽グループの人で若旦那というメンバーが、ムコ多糖症という難病に罹った人達を助けようとして僕達に何が出来るかを考えたら日本中の人達にこんな難病があるということを知らせる事をしようとして、応援ソングを作ったりしている是がいい曲で久しぶりに感動した。ムコ多糖症のホームページに湘南乃風の若旦那が言っていた言をコピーして貼り付けました。読んでみてください。

格好をして、こんな歌を歌って、だから、ちょっと社会からはみ出た感じみたいだけど、俺は俺で一生懸命、社会にふみこもうとして、これでもいるわけなんだけど。なんでそういうことを思っているかと言うと、おれは、ムコ多糖症という難病の子供たちが一生懸命頑張っている姿を映した番組(*)を、おれは日曜日、深夜に見て、すっげえ感動した。思わず、家でテレビを見ながら、涙を流してしまった。まあ、もともと、涙もろい性格なんだけど、なんか、その涙は、いつもの涙とはちょっと違う。なんか、切ない涙。
(*日本テレビ「NNNドキュメント」2005年5月放映)

その番組をみて、俺は、その子たちと一緒に闘いたいと思った。なぜ、そんなふうに思ったかというと、その子たちは、生まれつきムコ多糖症っていう、皆が知らない病気で、簡単に説明すると、ムコ多糖症の子たちには、生まれつき、体の中に無くてはならない酵素っていうのが無いんだ。寿命も、15歳とか16歳とか、平均でいうと、そのくらいで亡くなってしまう(詳しくはこちら)。その子たちがもう動かない体なんだけど、動かない体で頑張って厚生労働省へ行って、「僕たちの命を助けてください」って本気で言ってんだ。この子達はすごい難病と闘っているのにさ、俺はそれ見て、バイクにのって、お金もらって、彼女と付き合って、友達と飲みにいって・・・、何をやってんだ俺はって、思ったんだよ。

それで、おれは、何かできないかと思って、雑誌の、ストリート雑誌で「Ollie」っていうのがあるんだけど、そこの編集長と出会って、ストリート雑誌なんだけど、「ムコ多糖症の子を助けたいんだけど、一緒に手伝ってくんねえ」って言ったの。(そうしたら「Ollie」の編集長が)「じゃあ、若旦那、連載出そうよ」って、で、連載を書いてるんだ。それで、「ごーまんかましてよかですか?」っていう連載なんだけど、そこで、俺はムコ多糖症の子たちと一緒に闘おうっていう連載を始めました。

おれの活動はっていうと、金もねえ、医療技術も知識もねえ。だけど俺にはこうして皆の前に立って、マイクを握らせてもらうっていうチャンスがある。その子たちの、ムコ多糖症っていう名前が皆に知れ渡れば、その子たちは助かるかもしれない。なぜなら、その子たちの病気は、患者の数が少なすぎちゃって、キミたちの病気はマイナーだからお金になりません。製薬会社も動きません。アメリカに薬はあるんだけど、日本ではまだ治療薬が認められてなくて、日本の患者たちには薬が届かないんだよ。おかしくねえか!!何か?

患者が少ないからって、お金だなんだかんだ言いやがって。そこで俺は思った。俺の力で、っていうか若い力で、ここに集まったお前らの力で、国を変えてやろうってよ。何をやればいいかは簡単なことで、ムコ多糖症っていう言葉を覚えればいいだけで、ここに集まった3000人がムコ多糖症を覚えて帰ってくれれば、それだけで一つの山を動かすって事を、動くってことを、俺は大人たちに、くそったれの大人たちに見してやりてえ。

分かる?お前ら、家に帰ったら、「ムコネット」っていうホームページを見てくれ。苦しい中、すっげえ明るくホームページ・ブログをやってんだ。それ見て、何かを感じ取ってくれ。そして、今まで知らなかった、ムコ多糖症の子たちと一緒に肩組んで、湘南乃風と一緒に歩んでいこうぜ。

俺と約束できる奴は、次の曲がかかったら、思いっきしいくぞ!!

小児難病「ムコ多糖症」の子供たちを支援する当会は、メンバーを募集しています。詳しくはこちらまで
また、稀な難病である「ムコ多糖症」の治療・予防技術の開発は、世界中から寄せられる募金でまかなわれています。

最新トピックス

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2007年1月20日(土)
芸能人の娘の死について

先日なくなった10歳の女の子についてテレビの報道は、少しやり過ぎではないかと思うのだが、朝から昼と,のべつくまなく報道している。世の中には同じような交通事故で子供を亡くした親がいると思うがその時は、新聞に小さく報道するだけなのに少し知られた芸能人だとこの騒ぎようは、他の子供を亡くされた親御さんの気持ちは複雑だと思う。それよりもこういう痛ましい事故を防ぐにはどうしたら防げるかという論議が出てこない。私は子供達に自分お体は自分で守る、法律では守ってくれない法律があるのは、何か事が起きてからだ。それでは遅すぎる、痛い思いあるいは死んでしまってからでは遅い。自分が法律を守っていても痛い思いをするのは自分だから、人間は必ずミスをするものだから100%信用はするなと言ってきた。例えば深夜交通の少ない交差点で自分は青だから信用して交差点に入るなと教えてきた。法律は守ってくれない、抑止力にはなるが。自分の事は自分で守る。  家庭で教える危機管理だと思う。人間は必ずミスをする。そのときに備えよう。  肝に銘じて。

2006年12月30日(土)
戌年が五回目

戌年が五回目と言う事は、還暦を無事迎えたと言う事、60歳の爺になった。でも気持ちは25歳くらいかな、体力は50歳くらい、脳みその方は18歳から進歩はない。しかし実感として地球によって生かされていると、決して自分ひとりが生きているのではないと。謙虚さと、感謝の気持ちを忘れずに地球と社会に少しずつでも、お返しをしなければと思う12月30日です。

2006年11月11日(土)
いじめに一言

ニュースとか新聞報道を見聞きしていると、いじめはいけない絶対無くさなければいけない、と言っているがいじめはなくならないと思う、それは世の全体の人々が理解していると思う、人間が生活していく中で、差別や、不公平や理不尽な事は人が生きてゆく中で絶対遭遇するはず、避けて通るわけには行かない。いじめが、無くならないなら、いじめ、に打ち勝つ強さを養う事の方が大事だ。人は強くならないと優しくなれないと思う。どこかの先進的文化人がよく言う。暴力反対、戦争反対、平和を保とうと叫んでいたらそのようになると信じている文化人には理解できないだろうなあ

2006年11月7日(火)
二階俊博国会対策委員長

二階俊博は、国賊者じゃないかな、この和歌山3区選出の国会議員は日本の国民のために働く気はないらしい、たえず、中国の顔色を伺っている。北朝鮮が核を保有したのに、非核三原則を持ってして日本も核を保有するかしないかの議論もしたらだめと言う。国会議員は、国民の安全をどんな事態になっても国民を守るという大前提を考えると最悪の事態を考え色々議論をしないといけないのに中国の顔色を伺うような国会議員は要らない。PSE問題のときもこのおっさんはおかしなことを言っていた。和歌山3区の選挙民の皆さんボチボチ落選さしませんか。

2006年10月28日(土)
知らなかった

今年二回目の献血にいって来た。近くの駅前に献血車2台を置いて、青年会議所のメンバーがボランティアで献血を呼びかけていた。その横で骨髄バンクの登録を呼びかけていたので。おばちゃんの後付いていってドナー登録をしようとして年齢を聞かれて60歳と言うと残念でした54歳以下ダメとは、知らなかった。ちなみに献血は幾つまで出来ますかと聞いたら69歳まで出来ます言われた。あと10年くらいは、世の中のお役に立ちたいから400CCくらい血液を抜かれても、よいように健康に気お付けよう。

2006年9月15日(土)
日本語の美しさ

そうならねば為らぬなら、と言う言葉は、さようならの語源と聴いて久しぶりに感動した。なんと綺麗で優しい響きか。もっと言葉を勉強しなくては、生活も仕事もきちっとすると言うことは、難しいが日本にはすばらしいお手本がある、皇室の方々だ。最近は親王殿下がお生まれになり皇室の方達の露出が増え服装、姿勢、話し方、言葉の選び方など本当に綺麗だ。

2006年8月22日(火)
またもやフェリーの出来事

先日還暦ツーリングと称して北海道に、また行って来た。行き帰り新日本海フェリーに乗船したのだが、お盆でもあり夏休み満船状態で、子供は喜んで走り回っている。その中で食事時分になると,給湯室から,ぞろぞろと,カップマを、捧げ持って行進する連中がいる、それも、10メートルくらい歩くのならわかるが。階段を上り、後部のデッキまでゆうに50メートル以上行進する。船が揺れたり、子供がぶつかってきたりする可能性があると思うが、大火傷を負わすことが想像できると思うが、本人達はいたってのんびり、フェリー側も危険を察知できないのか何も対策を講じない。ことが起こってからでは遅すぎると思うが、陸からかなり離れた洋上ではすぐに医者手当ては。望めない。是は日本国の危機管理のなさの縮図を見るようだった。私だったら。直ちに給湯設備は使用禁止して、赤ちゃんなどのミルク用はパーサー等が配慮すべきと思うが。せっかくの夏休み社会教育の一環として、食堂できっちりと食事をさせろ少しは行儀が良くなるだろう。無理かなー

2006年8月9日(水)
還暦

ついに本日をもって60歳に突入いたしました。40位の時は,60歳と言えば爺と思っていたが実際になってみれば、まだまだ若いぞ、爺と呼ばせないぞと抵抗したくなる。物分りの良い優しい爺にはならない。でも此の頃聞かない、お蔭様で、と言うような、感謝、謙虚さは忘れないようにしなくては、終戦後の翌年に生まれ、ましてや長崎の原爆を落とされた日の翌年に生まれた私としては、まもなく61回目の敗戦記念日が来る。1945年から日本人としての誇り伝統、文化を
この日を界としてどんどん失い。自分勝手な。自分さえ良ければ良い、そして金の亡者が増殖して行く
。そんな奴らに、
思いきっり、罵詈雑言浴びせてやる。
絶対に、好々爺にはならないぞ。
午前11時にお巡りさんから,誕生日プレゼントを頂いた。青切符と金18000円の、納付書と共に阪奈道路でシルバーの日産ステージアの覆面パトカーに
わざわざ丁寧に呼び止めなくいいのに
26Kmもオーバーですと教えてくれなくても、いいのに、おっせかいやきめ
SIXTYに乾杯。地球に、日本の自然に
生かせて頂いて有難う。感謝

2006年7月21日(金)
芥川・直木賞

第135回芥川・直木賞が,決まった。此の頃,文学賞でマスコミを、賑わすのは、この二つの賞ばかりだ、今の若い人達には、日本に、この二つの文学賞しかないと、思われてしまう。他にこの賞より良い文学賞が在るのに。例えば、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞、と言う新人作家に与えられる賞や、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞と言う、ベテラン作家に与えられる賞の方がよほど優れていると思うが,マスコミの皆さん公平に報道してほしいと思います。確かにどの賞も、出版社のひも付きだが、出版社の影響が多き方の会社とテレビ的に二ユースになるほうがより多く報道されると思うがここは日本の文学の発展の為頑張って頂きたい。

2006年7月11日(火)
北朝鮮の花火に隠れて

私は、忘れてないぞ、日銀の福井総裁何時に成ったら辞任するのか、北朝鮮の花火のどさくさにまぎれて、じっと身を潜めてこのまま世間から忘れてもらおうとは、そうは上手くいかないぞ。私は貴殿の金に対する卑しいまでの執着心には関心するが。ちょっと」大蔵省の時、ノーパンしゃぶしゃぶの接待で処分を受けた幹部の一人だったことを忘れてまえへんで、やっぱりあんたは。せこい。あれだけの現金を持ちながら、まだ7百万円以上の、年金を受け取っている。そのnでそれだけの資産があるなら、社会のお蔭様でここまで,これましたしたと、いいつつ年金ぐらいは返上しろ。

2006年6月26日(月)
入浴マナー

先日 長距離フェリーに乗船したときの体験なのだが、フェリーの浴場で、私が入浴していたら、年のころは70歳くらいの爺が3人ずれで入ってきた。だがその3人ずれは、掛かりもせず3人とも、いきなり湯船に入ってきた、思わず怒鳴ってしっまた、お前ら日本人か、」と後ろぐらい洗えと注意したが、(外人でもこのマナーは守っている)私だったら,いくら友人でも掛かりもしないやつとは、いっしょに入らないし注意するだろう。年寄りがこれだから、若いやつにも示しが付かない。今生きている日本人どこかおかしくなってしまっている。

2006年5月27日(土)
携帯工具

LEATHERMANのCRUNCHをネットで買ってしまった。今まで携帯用のコンパクトな工具は中途半端な気がして買わなかったが、今度購入した単車の車載工具は、異常に少なく勝手に素人が触るなと言うような主張が入っているそれでも、プライヤー位は、いるやろう、と言うことでコンパクトなバイスプライヤーがメインのこの工具を買った。安かったし。金7000円也。作りは、この金額にしてはいいほうだと思う。機能としては、単機能のバイスプライヤーには劣るもののこのコンパクトさが、車載工具ケースに上手く収まる。あくまでも非常用だからこの程度の機能でよいと思う。

2006年5月18日(木)
村上ファンド

村上のおっさんの品格が見えてきた。日本で金儲けさしてもらって、(それも他人の金で)日本では税金や指導が煩いので。日本の会社を閉めて。シンガポールに拠点を移すとは、何ぼ奇麗事言っても、金のがりがり亡者だ。国内で他人の金で儲けてここまできたのなら、シンガポールなど行かず、お蔭様での感謝の気持ちを持ってしっかりと税金を払うべきだろうそれが義務だろう。それと村上ファンドに金お出している連中、こんな金拝主義賛同せず金を引き上げたらいかがかな。少しは、まともな神経の持ち主と思ってやるけど。

2006年5月17日(水)
魔フ中敷 2

3回目の足の加重測定をした。かなり改善されていて、前回装着した左の中敷パッとを外した。左は完璧になっていた。右はかなり改善されていたがまだ親指に加重がかかっている。そこで中敷のパットを少し」に移動さした。これで又2週間様子を見るとの事、しかしこれだけの測定器と人手と時間をつっかて、体感するほど効果があって全部で4000円は安い。

2006年5月13日(土)
最新型魔フ中敷

新しい物、好きの友人が経営する接骨院で、感圧シートの上を歩かされた。それをコンピューターの画面上に転送して、足の裏の荷重分布を見ると、左右の足に、静止状態では、ほぼ左右に加重されているらしい。だが歩き出すと、右足が少し引きずりぎみで、右足の親指だけでひねり上げて蹴りだして歩行している、と言われた。背骨は前後にゆるやかにSカーブを描いているのだが、私の場合は左右にもカーブしている、早い話が歪んでいるのだ。だからオートバイに乗るときも、意識しないと、重心が左寄りにかかって左コーナーは旋回しやすいが、右コーナーは非常に曲がりにくい状態になる。そこでその中敷の専門家(世の中には色々な専門家いるもんだ)特性の中敷を製作してくれて2週間後に再度測定してもらった。前回では、歩行パターンで右足の親指以外写らなかった指中指と人差し指がうっすらと写った。そこでもう少し中敷を細工した。これでもう2週間使用せよとの仰せであった。効果としては目をつぶって7〜10歩くらい歩いても大きくずれなくなったし、歩行しても腰えの負担が軽くなった。も少し立たないと断定的なことはいえないけれどこれはお奨めできるかなと言う所です。又レポートします。

2006年4月20日(木)
ゲーム機

今、流行のゲーム機を買った。店頭ではなかなかお目にかかれない、任天堂のゲーム機だ。大手量販家電店の抽選に、申し込でおいたら、当選したと連絡が入り買いに行った。ソフトは、脳を鍛える大人のトレーニングと言うやつだ。早速使用して自分の脳年齢を測定すると59歳とでた、そのままやないかと、突っ込みを入れて、再度チャレンジしたら30歳と出た少し納得していろいろな問題に挑戦したらやはり最初は60歳くらいの表示が出る。むきになってきた。今日から毎日トレーニングに精を出します。

2006年4月13日(木)
文化庁もか

高松嚮テ墳の保存修復過程で傷をつけ剥離さした事を公表しなかった。又事実を隠蔽して自分の保身に走る何時もの癖が出た。いつになったらきずくのか、いつかは、バレル事を。しかし文化庁とあろうものが、」時代的で少しもアカデミックでないやり方で仕事をしているとは、もう少し最新のテクノロジーでやって下さいよ。天下先を待っている官僚に金を出すくらいなら現場にもう少し金を使えよ。

2006年4月10日(月)
外務省の感覚

ある雑誌に外務省の幹部が泥酔状態で車を運転して死亡事故を起こしていて、処分が1ヶ月の停職と言う軽い処分で済ましている。外務省は妥当な処分であると言う。身内に甘い体質は直らないのか。こういった感覚の外務省を真っ先に改革しないとだめですぞ、小泉さん

2006年4月8日(土)
教科書検定

新しい教科書が出揃ったみたいだがその内容が相変わらず生徒の人気取り的な発想で、漫画やイラストを多用しヨン様まで動員して(いまさらヨン様かよと生徒に突っ込みを入れられる)人気取りをしている。教師の指導力が低下しているのと生徒の向上心も低下しているかか、たとえば竹島についての記述でもあまり深く説明してない竹島を日本の領土とするなら、既知とした日本の主張を記述すべきだ。尖閣諸島然り北方領土然りだ。小学生に英語の授業が始まるらしいがもっと国語を教えないといくら英語が出来ても母国語が教育できていなければ会話は、中身のない薄っぺらな内容になる。教科書は生徒に阿るな。

2006年4月7日(金)
が満開になりました

お店の」の公園の桜が満開になりました。店番をしながら花見が出来るなんてこの季節は最高のロケイションに恵まれています。お昼ごはんは、外でをみなが食べよう。お天気はぽかぽかと暖かくて日本晴れ普通のお昼ご飯でも美味しくいただけるかな。お酒が飲めないのは残念だが仕事中だから仕方がないか。

2006年4月1日(土)
ポマード頭

日中友好と言う名目で橋本竜太郎を団長とする、中国ゴマすり団体が、靖国問題を蒸し返してもらいに行ったたようだ。胡錦濤氏と面会したら言うことはきっまっていると思うが図々しくも中国は、発展途上国だからもっと色々協力しろだと軍事費にとんでもない国家予算をかけているくせに何を言うかまして今朝の産経新聞に写真が載っていたが元日本の首相が写真に取られても威厳が保てるような姿勢で挨拶しろよ。アーかっこ悪ー。

2006年3月30日(木)
英語より日本語

小学校で英語の授業を取り入れるみたいだ。5,6年生に週2時間くらい英語を教える。ゆとり教育の次は英語と来たもんだ。
それよりも国語のほうが大事だと思うが、日本に生まれた以上日本語が一番大事じゃないのか。国語がきちっと出来ていなければ何ぼ英語が出来ても、中身のないうっすぺらな会話になる。「国家の品格」の中でも藤原正彦氏が書かれていたと思うが、中学、高校、大学と進んでも国語が出来なければ、数学も、化学も、物理も、ましてや文学になれば国語が出来なければ先に進めないし理解できないだろう。文部科学省のエリートさん将来、日本を背負って起つ子供達に恥ずかしくない(世界から見て)日本語、国語知ってもらわないと
困る。

2006年3月28日(火)
陸空自衛隊の統合

先日の新聞に自衛隊の陸空のコンピュウターソフトの互換性はなく情報の共有も出来なかった。ようやくそんなばかげたことに気が付いたみたいで、ようやく一体となって戦う対制を急ぐことになった。今から60年前栗林中将が「陸海軍の縄張的主義を一掃し両者を一元的ならしむを根本とす」。陸海軍のちぐはぐな戦いぶりへの批判を込めて大本営に言った。どこの国でも陸海軍の中の悪さは有名だがここに来て60年以上たって1歩前進したかな。