河童橋から奥上高地往復29kmトレッキング 
 
<2016年7月19~20日> 
 
掲載日2016年7月27日             斉藤 清 
 
 7月19日、この日も暑かったので、上高地の河童橋の対岸(右岸)にある「ホテル白樺荘」に妻と一泊し、
妻は長く歩くことができないので、河童橋周辺を散策、僕は河童橋→明神→徳沢→横尾往復のトレッキング
(歩行距離約22km)をすることにした。ホテル出発は10:45だった。

 ところが、意外に快調なトレッキングだったので、調子に乗って横尾から4km槍ヶ岳登山道を進み、槍見
平(林の間から槍ヶ岳の穂先が見える所)までさらに進んだ。その日はガスが掛かっていたのか、僕が見逃
したのか、穂先を見ることが出来ず、さらに進んで一の俣の橋を越えてしばらく行った。もう少し進むと二の
俣を通り、槍ヶ岳登山者の一泊目の宿になる「槍沢ロッジ」がある。

 これ以上進むとホテルに帰り着けなくなるので、出発から約14.5km地点で引き返すことにした。
 帰路は大急ぎでトレッキングしたら、右足のふくらはぎが痙攣を起こしたので、徳沢で痛み止めのスプレイ
薬で処置し、20分くらい休憩した。ホテルに1時間延着の携帯を入れ、18時15分にやっと河童橋に到着し
た。往復約29kmを休憩時間も入れて、7時間半も掛かってしまった。休憩を含む平均トレッキング速
度は、29km/7.5h=3.87km/hだった。

 帰り道ではアクシデントもあったが、年齢80歳にしては、まあまあの速さのトレッキングができたと思う。
 29kmは、山手線一周の距離(30km)に近いのである。よく歩いたものだと自分でもびっくりしている。 

 槍ヶ岳から上高地まで一気に下山すると、その距離は22kmある。 今回のトレッキングは、標高差は
250mで、槍ヶ岳から上高地までの標高差1680mの15%しかないが、歩いた距離は1.3倍だった。
 
 
河童橋の上から穂高連峰を望む。(7/19)  写真の日付はスキャナーで処理した日時。 
この写真は、河童橋の前で記念写真を写すカメラ屋に、夫婦で記念写真を写してもらった時、
一緒に付いてきた写真。
 
 
 河童橋から活火山の焼岳を望む。(7/19)   写真の日付はスキャナーで処理した日時。
この写真は、河童橋の前で記念写真を写すカメラ屋に、夫婦で記念写真を写してもらった時、
一緒に付いてきた写真。
 
 
7/19宿泊した「ホテル白樺荘」は、梓川の右岸の河童橋を渡った目の前に赤い屋根で建っている。
上高地で一番古く建てられた旅館である。流れる川は梓川、源流は槍ヶ岳、非常に冷たかった。 
 
 
「ホテル白樺荘」前で。(10:44撮影) 
 
  河童橋とバックは穂高連峰の雄姿。 
(10:23撮影)
  河童橋で、バックは穂高連峰。
(10:36撮影)

河童橋からトレッキング出発は10:45。
この時は2本のストックを使っていたが、
速足トレッキングではかえって歩きにくい
ので、ザックに折りたたんで収納して歩く。 
  約3.5km(43分)歩いて明神到着。 
(11:19着) かなり速足トレッキングだ。
6分休憩して、11:25出発。
  約3.5km(45分)歩いて徳沢到着。
(12:10着)
写真は「氷壁の宿・徳沢園」。
ここで井上靖が「氷壁」を執筆した
と言われ、玄関内に書き出しの
原稿が展示されている。

5分休憩して12:15出発。
 
  約4km(55分)歩いて横尾到着。
(13:10到着)

20分休憩して写真を撮り、昼食にした。 
  横尾大橋、これを渡って涸沢や
奥穂高岳に行くことができる。 
  横尾から涸沢まで6kmある。 
  横尾から見た前穂高岳。この第2峰で
昭和30年ころ、ナイロンザイル切断滑
落死事件が起こった。当時のナイロンザ
イルは軽く雨に当たっても重くならないし、
引っ張り強度が高いので細いナイロン
ザイルが流行りだした。しかし3名で岩稜
登山をしていたうちの1名が、ザイルが
簡単に切れて滑落死する事件があった。

 これをモデルにして、「井上靖」が、小説
「氷壁」を書き有名になり、テレビなどでも
何度も放映された。ナイロンザイルは、
シャープエッジの岩角で擦れると、発熱し
て簡単に切れることが分かり、今は改良
されたザイルが使われるようになった。

小説「氷壁」では2名の山仲間で登った
設定で、2人とナイロンザイルのメーカ
の責任者の奥さんとの三角関係もあり、
ザイルは滑落した友人が自殺目的で自
分でナイフで切ったとか、魚津という主
人公が、自分だけ助かりたいため、ナイ
フでザイルを切り、友人を見殺しにした
とかで、大事件に発展したのである。

実際には、3名で登攀していたのだから、
このような事件は起こり得ないはずである。 
   
   
  横尾大橋の前に「横尾山荘」が建ってい
る。過去に10回以上宿泊した山宿であ
る。今は寝台列車の2段ベットルーム風
になっていて、快適に眠ることができる。
ここの大きな風呂に入り汗を流すと
気持ちがいい。今回は宿泊しないので
利用できない。

初めの予定ではここで河童橋の宿に
引き返す、往復22kmのトレッキングの
予定だったが、まだ足に余裕があった
ので、槍ヶ岳行きの登山道を少し進み、
槍見平で、樹林の間から槍の穂先が
少し見える場所まで行くことにした。
 
   
  横尾から上高地まで11km、
槍ヶ岳まで11kmの標識。 

13:30、槍ヶ岳方面の登山道を
進み始めた。

しかし槍見平で槍の穂先が見えなかった
(ガスが掛かっていたのか、僕が見落とし
てそこを通り過ぎたのかは??)ので、
さらに先に進んだ。常念岳の西側から
流れる川に架かる一の俣の橋を越えて
しばらく行った。14:05になってしまった。
出発してから約14.5km歩いたようだ。
河童橋を出てから3時間20分経つ。
17:00に宿に戻るからと、妻に話してあり、
このままのペースで戻っても、17時には
着かない(順調にいって17:25になるはず)
   
引き返し地点の記録写真を撮ろうとしたが、バッテリー切れの表示が出た。スペアバッテリーは持参したが、
荷物を減らすため宿のロッカーに置いてきてしまったのである。残念だが、ここから先の記録写真は無い。  
 
 帰りは少しの降り道もあるので、やや急ぎ足でトレッキングしたが、徳沢辺りで右足の膝が痛くなり始めた。
それでゆっくり歩きになり、ようやく明神に着いたのが17:00。携帯で宿に電話をし、妻への伝言を頼んだ。
「約束の17時には宿に戻れない。18時頃になる。」と・・・

18:05痛い右足をかばいながら、なんとか「河童橋」、「ホテル白樺荘」に到着した。
当初計画より約1時間遅れで到着した。反省することの多かったトレッキングだった。
  
  万歩計の記録(1)
活動で消費したエネルギー=1850kcal

7月19日の、基礎代謝分=1650kcal
なので、この日の全消費エネルギーは、
1850+1650=3500kcalである。
僕は平常時は、1日2000kcalだから
平常時の1.75倍のエネルギーを消費
したことになる。

これは帰宅後に撮影した。
 
  万歩計の記録(2)
7月19日の総歩数=42641歩。

29kmを42641歩でトレッキングしたから、
1歩の平均歩幅は、
29000/42641=0.68m/歩。

これは帰宅後に撮影した。
 
  万歩計の記録(3)
7月19日歩いた距離=32.34km。

当日のトレッキング距離は、地図では
約29kmになるが、万歩計の指示は
3.34km多い。このうち上高地バス
停留所から宿までの距離0.5km
としても2.8km位多めの指示に
なっている。万歩計の指示は、加速度
をセンサーで測定し、2回積分計算
して、歩行距離にしているが、
10%程度の誤差は出るのだろう。

これは帰宅後に撮影した。
 
   
 夕食は、18時からの洋風懐石料理なのだが、それに間に合わず、19:30からの第2席で頂くことにした。
 部屋は最上階(3階)の穂高連峰が真正面に望める一番良い所だった。部屋にも風呂は付いているが、
まず一階にある風呂で汗を流した。湯からあがり、脱衣所で裸のまま椅子に座って休んでいたら、背の高い
オーストラリア人から声を掛けられ、「ゆかた」の着方が分からいので教えてほしいとのこと。持ってきた「ゆ
かた」は、長さが背の高い外国人には合わず、足のすねが出てしまうが、一応着せてやった。夕食時、レスト
ランでまた会ったが、友人の日本人男性と二人で宿泊して、明神まで散策してきたと言っていた。  
 
  シニア・洋風懐石料理で頼んだが、
その甲斐があった。洋風懐石と言っ
ても、日本料理用の器に盛りつけ
られ、和洋折衷懐石料理のよう
だった。でも美味しかった。

パンとバターのバターは、ここの
シェフが自ら作ったもので、全く
バター特有の匂がなく、あっさりした
味なので、普段よりかなり多めに
付けて食べた。土産に売ってもらえる
か聞いたが、これは非売品とのこと。 
 
疲れたので部屋に戻ってテレビも見ずに寝てしまった。明日は乗鞍高原に立ち寄ることにした。(別記予定)
 
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