今シーズン最後のスキーは志賀高原で3泊4日
 
<2018年2月28日~3月3日> 
 
掲載日2018年3月7日            斉藤 清 
 
 2月22~23日、気の合う呑み仲間4名で志賀高原焼額山プリンスホテル一泊し、「雪見酒を楽しむ
会」を行ったが、その時は都合で二泊しなかったこともあり、3月3日まで有効のホテルの格安宿泊
チケットが、まだ4泊分残っていた。それを全部使い切ろうと、4泊5日のスキー行きを計画したが、都合
で1泊分残して今シーズンのスキーは終了することにした。その報告を下記する。
 
   
志賀高原焼額山プリンスホテル南館の早期購入の格安チケット「プラチナ10」。

12/21~3/3までの任意の日に、ツインルーム合計10泊できるこのチケットを70,000円で購入
した。3/3に急用の連絡が入ったので、上の写真のように1回分使わずに、3日間、焼額山と隣の
一ノ瀬ファミリースキー場を滑って、今シーズンのスキーを終了することにした。 
 
 
上記はインターネットから入手した志賀高原スキー場全図であるが、
今回は、②の焼額山と③の一ノ瀬ファミリースキー場だけを滑ってきた。 
 
 1日目 ホテルに到着した時刻が16;00を回っていたので、焼額山スキー場「愛称:ヤケビ」のリフトは、
16:30に運転終了するので、一ノ瀬ファミリースキー場で、久しぶりにナイタースキーをやった。
 
   
ホテルから一ノ瀬ファミリースキー場までは、無料のシャトルバスで行った。
殆ど滑っている人が居らず、閑散としていた。ナイター用のリフト券を買ってしまったので、
数回滑ったが、ゲレンデ下部の緩斜面だけ、しかも滑っている人がまばらなので、全く面白くなかった。

問題が起きたのは、ホテルへの帰りのシャトルバスの運転時刻を過ぎていたため、バス2区間をスキー
を担いで歩いて帰るしかないことだった。昼間なら、一ノ瀬スキー場の前のスロープまでリフトで登り、
そこからプリンスホテル西館まで滑り下り、次にヤケビの第2高速リフトでまた登り、パノラマコースの
中間部からプリンスホテル南館前まで滑って行けるのだが、それらのリフトはすべて16:30に運転
終了しているから利用出来ないのだった。それを調べずに隣のスキー場にナイタースキーをしに行った
僕が悪かったので、自業自得と言うことか・・・。誰も歩いていない雪道を約1km位歩いて、
ようやくプリンスホテル南館に到着した。スキー板が肩に食い込み痛かった。
今回のスキー行は、これをきっかけに面白くないことが次々に起きてしまった。 
 
 2日目(3/1) ヤケビを滑る。
 
   
朝、雨が降っている気配だったので、
7時ごろ起きてホテルの窓のカーテンを開けたら、
かなり強い雨が降っていた。 
部屋の窓に大粒の雨が付いていた。
志賀高原スキー場には何度も来ているが、
これほどの雨を経験したのは初めてだった。 
  
取敢えず、7:30、4階のレストランで朝食を摂った。昨夜の夕食時より多くの人が朝食を食べていた。
但し約80%が外国人だった。これはいつものことである。8時頃になったら雨は止んだ。 
 
   
雨は止んだが、山の方は濃霧でまったく見えなく
なっていた。それと山頂部は強風が吹いているら
しく、山頂に登る第2ゴンドラリフトは、強風のため
運休。 
ゴンドラリフト乗り場に行ったら、
「ただ今強風のため運休」の看板が出ていた。 
結局、1日は終日ゴンドラリフトが運休した。
   
   
11時半過ぎまで待ったが、終日ゴンドラリフトが
運休することが分かったので、直ぐ隣から出ている
第4ロマンスリフトで、パノラマコースの中間点まで
登って、そこから滑ることにした。 
雨のため、雪質は最悪の湿雪状態、
スキー板は滑りが悪く、全く面白くない。
写真はコース下部から見た宿泊している
プリンスホテル南館である。 
   
第4ロマンスリフトでこのコースを数回滑ったが、雪が重すぎ全く楽しい滑りが出来なかった。
僕が志賀高原スキー場を滑り始めてから十数年になるが、こんな悪い雪面は、はじめて経験した。
4時間のリフト券を購入したが、1時間で今日のスキーを止めることにした。
聞けば、プリンスホテル東館横から出ている第1ゴンドラリフトは動き始めたらしいが、
時々、近くの木々も大揺れするような強風が、こちらでも吹き始めたので、今日のスキーは
燃焼不足のまま終わりにした。  
 
 3日目(3/2)ヤケビを滑る。
 
 
 ヤケビのコースマップ。
 
 昨日の雨は完全に止み、全リフトが運転を始めた。それでリフト4時間券を購入し、8時半のリフト
運転開始を待って、第2ゴンドラリフトに乗った。そしていつものパノラマコースをまず滑り降りた。
雪面は昨日の大雨で湿雪になり、それが深夜の氷点下の低温でガリガリ状態、コースの整備も
手抜きだらけ、何時ものヤケビと様変わりのスキー場だった。パノラマコース(中級)を2回、第1ゴン
ドラリフトでジャイアントスラロームコース(中級)を1回滑って、今日のスキーは終わりにした。
昼食は第1ゴンドラリフト下の「ゴーゴーカレー」で、ビールとカレーライスを摂った。
普通ならまた第1ゴンドラリフトに乗って山頂に行き、そこからパノラマコースでホテルに戻るのだが、
これしか滑らないのに、足が疲れてしまったので、今日のスキーは終わりにした。
雪面の状態も悪かったが、歳(今月27日に満82歳になる)のせいもあるようだ。
南館には、無料のシャトルバスで戻った。午後はホテルのロビーで、休息。外国人がトランプゲーム
をやっていたので、一緒に見ていたり、オーストラリア人のご夫妻と国際交流をして時間をつぶした。
 
 4日目(3/3)
 
 疲れが溜まったので、8時過ぎに起きた。今日は、10時頃スタートすることにし、朝食は9時に摂った。
 3/3まで宿泊する予定で出かけたが、3/3,9:30頃、安曇野の僕の大事な友人のWさんが急逝し
たという連絡が携帯電話に入り、3/3のスキーを中止し、12/25から長期にわたって預かってもらっ
ていたスキー板や、スキー靴、ヘルメットなどを宅配便で自宅に送り返す手配をして、大急ぎで帰宅した。

 3月3日の夕方、友人宅への訪問は、何とか間に合った。死因は急性肺炎だったらしい。
  Wさんは僕より1歳半若かったが、僕が安曇野に移住してからまもなく奥様と一緒に知り合うようにな
った。彼は議論が大好きで、彼流の信念があり、絶対にそれを曲げようとしなかった。彼は文系、僕は
理系だったが、同じ日立製作所に入社したことは後で知った。僕も彼と似た性格のため、よい口喧嘩の
相手でもあった。
 若いころからお母様の影響で社交ダンスはプロ級、最近の趣味はスキーで、他界する直前まで、近く
の爺ヶ岳スキー場を楽しんでいた。今から10年以上前、カーヴィングスキーがはやり出した頃、彼が僕
に言った言葉「カーヴィングとはcurving(曲げること)では無く、carving(削ること)だと、熱心に説明して
くれ、カーヴィングスキー板の時代になったので、貴方もカーヴィングスキー板にした方が良い」だった。
 僕はそのことは以前から知っていたが、初めて聞いたような態度を取りながらも、自分もこの一言がき
っかけでスキー板をカーヴィング板に買い換えたのだった。carving turnは、減速せずに曲げるのだ
が、彼の滑りは最後までcarving turnではなく、カーブは減速しながら曲がる滑りターンだった。理屈屋
さんだが、身体が覚えてしまったスキーの滑るくせを直すことはできなかったようだ。 

 3月5日の葬儀に妻と出席したが、大勢の方がWさんを見送ってくれた。いつの日か、天国でまた口喧
嘩をしたいものである。 合掌
 
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