ホームページの更新が1ヶ月以上遅れた 
 
 掲載日2023年2月10日               斉藤 清
 
 ホームページは1月1日に年賀状を掲載して以来、40日位全く更新されていない。

 パソコンで編集して、プロバイダーの格納庫にアップロードするのが、HP編集の仕事になるが、最近
パソコンの置いてある大き目のロフトに、14段の階段を上がるのが面倒になり、あまりロフトに行かな
くなってしまったのである。

 その理由はたくさんあるらしいが、一番は今年の3月末で満87歳になるので、細かい仕事をするの
が、億劫になってきたことが挙げられる。
 満87歳と言えば数え年で88歳、昔の暦で言えば、「米寿」になるのである。男性の平均寿命の
81歳?をとうの昔に超えてしまったので、体力、気力が衰えるのは仕方のないことらしい。

 仲間で小学校、中学校、高校、大学、退職後1998年長野冬季オリンピックで通訳のボランティアを
白馬・八方尾根の滑降コースでやってから、正式に安曇野に転居し、ここを終の棲家にしたが、これら
の仲間の死亡連絡がしょっちゅう来るようになり、今年の年賀状を出す前には、欠礼のハガキが20枚
位届いたことからも、僕も「思えば長く生きたもんだ」の部類に入ってきたのだろう。

 父親は76歳で他界、母親は100歳で他界したが、母親の血を引いていればぼくももっと長生きする
かもしれないが、僕は子供の頃、死ぬかもしれないと言う大病をし、子供の頃は身体も虚弱体質のほう
だった。それが大手電気メーカーに入社し、ここで散々しごかれているうちに、体力も鍛えられたのか、
スキー、北アルプスのほとんどの名峰を登り切ったなどで、58kgだった体重も65kg以上になり、筋肉
も人並みに付き、かなりの重労働に耐えられるようになった。

 しかし最近子供の頃の小児喘息がまた首を出してきたのか、気管支喘息で病院通いすることが多く
なり、一番困るのは食欲不振が続いて、活力がなくなってしまったことである。体重も最盛期より5kg
位痩せてしまった。テレビ鑑賞などもあまり興味が無くなってしまった。

 しかし興味のあることをやり続ければ、健康にも良いし長生きできるらしいので、これからはHPの
アクセス数に捉われることなく、マイペースで記録に残しておきたい記事があれば、編集・掲載すると
いう気楽な気持ちでHPを継続することにした。これを「ボチボチやる」と言うらしい。

 誰かが「貴方のHPのアクセス数」が最近600,000件を超えたと知らせてくださったが、僕はパソ
コンにあまり触らないので、友人からそのことを聞いてびっくりした。HP掲載開始は2004年2月だから
今年は2023年2月、よくも19年も飽きずにHPにこだわって生きてきたことだろう。一年365日、毎日
アクセスしてくれると、600,000/(365x19)=86.5アクセス/日と言う勘定になる。

 もう一件サボった理由に、パソコンのホームページ編集ソフトが動作不良を起こすようになり、1月
上旬から全く動かなくなったことである。教えてくれる友人もいないので、一人で細々検討していた
が、その間、HPの編集ができなくなっていたのだった。それで編集を中断していたが、従来使ってい
たソフトを再度パソコンにインストールし直したら、僕には理由が分からなかったが、チャント動くよう
になったことである。一時はHPをもうやめようと思ったことがあったが、これは解決した。
 本当に良かった。 

 一月上旬に編集したが、パソコンの動作不良でアップできなかった更新頁をとりあえず近日アップし、
その後はマイペースでゆっくり更新をすることにした。
 
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