余分なお仕事です。

 K社のお仕事は、機体の開発やイベントにおける説明やデモ飛行だけで無く、いきなりこんなのが来ることがあります。ある日、係長から電話がありました。内容はこうです。
 「今度、D出版社でフィルム張りのビデオ製作が予定されており、K社で修理部門を担当してほしいと打診が来た。ついては撮影の構成等に手を貸してくれないか。」
 Y岡モデルが基本的な張り分けを解説し、Pモデルクラフトが小型機の張り方の解説。で、K社がフィルム張り機の修理とデカール張りを解説することのようです。季節は4月下旬。5月にはホビーショーが控えていますので、悠長にやってはいられないところですが、結構な宣伝になるため、部長がGOサインを出したみたい。現場の意見は聞いてくれないのですかねえ。(どこもいっしょか。)
 当然ながら係長は具体策を持っておらず、出版社の方もなんか漠然みたい。仕方ないので数時間で脚本(というよりは台本)を仕上げ、K社に送ります。これは率先しての配慮ではなく、この仕事がもたつくとホビーショーに大きく影響するからです。つまり、火の粉が自分に降りかかってくる前に対策を建てただけのことなんです。
 しばらくしてK社から「出版社とビデオ製作会社双方からOKがでました。」と連絡が入ります。脚本って、ただの草案のつもりだったんですが、すんなり通ったみたい。少しは変えろよ!
 撮影は5月上旬の水曜日。他の会社は結構手間取っててんてこ舞いだったと聞きます。しかし、早朝(何時頃でしたか、D出版社はだれも出社してない時刻です。)に集合し、地下のスタジオをセッティングしたあとに簡単な打ち合わせをします。
 当初出演は社員のみで行う予定だったはずですが、飛行機担当の係長はオープニングだけでパニック。仕方ないので一般解説は私が担当しました。そんなドタバタの結果ですね、ビデオに私が登場したときは私服でしたが、次のシーンでは赤いジャケットを着ています。
 自分で書いた台本に沿った撮影ですから、ほとんどNGは無しです。カメラマンもRC飛行機マニアですから、撮影のアングルをはじめ、結構楽をさせていただきました。他社の予定とは異なって、夕方には終了となり、一件落着。
 余談ですが、ヘリ担当のK谷開発員は、ヘリボディへのデカール張り解説のオープニング練習をさんざんしたにも関わらず。そこはぜーんぶカット。1時間くらい練習してたぞ。

                        (04年11月)






本当に余分なお仕事・・・・って、取材費でないから「ボランティア」かあ。

 週刊誌という冊子は、文字通り週ごとに発行される冊子ですね。編集作業に手こずったり、その内容によっては物理的に不可能なので月刊誌というものもあります。
 去る04年8月19日(木)夕方に、フリーのエディタをやっている友人Yからメールが入ります。内容は、あと2週間もしない月初めが発売日である某RCAW誌に、見開き2ページで特集を組みたいということみたい。
 職場での撮影も入るので、のんびりとしていたら来週になってしまいます。ほかならない友人の頼みでもあるので、今回は素早く動くことにいたしました。
 状況を考えると、おそらくレギュラーで執筆している「彼女」が原稿を落とした(間に合わなかったという意味です)のではないでしょうか。RCTでも同様なことは、日常茶飯事(「ちゃめしごと」って読み・・・・またか)でしたから。
 「こちらに無理がこない」と言えばウソになりますが、まあ、担当が友人Yでもあることだし、例によって「ここで恩を売っておけば作戦」となりました。
 メールの記録を見ると、20日(金)の深夜1時16分に撮影時程が決定し、4時47分には他の友人(こっちも「Y」だな)から機体の組み立てについて「救助依頼」があり、午後からの機体撮影のサポートとして「恐怖のカマキリ男」(こちらまで「Y」だった!)にメールを出したのが8時20分。重なるときには重なるなあ。
 職場は東京都北区にあるので、午前中に大急ぎで撮影を行い、午後は埼玉県和光市の荒川河川敷に移動です。しかし状況は運悪く強風。
 なんとか機体の撮影はできましたが、もちろん飛行はためらう範疇。仕方ないので飛行の写真は無しで決着しましたが、エディターYはスチレンボードで自作した「簡易スタジオ」で小物の撮影です。なんでも「太陽光」をスチレンボードに通すと、美しい光が得られるのだそうな。でも、外は強風だぞ!

 
訂正!スチレンボードで周囲を覆うのは、そのエリア内で光をまんべんなく回し、安定した光源を得るためだそうです。ちなみに光を和らげるのは、白い布地のようなもので作られた「ディフューザー」だって。わしにはどっちでも良いことだな。(2006年11月18日、本人Yより確認。)

1m四方ほどのボードを組み、風対策の重りをのせ、なんとか簡易スタジオの完成です。我々もボードを押さえたり、脇で撮影の無事終了を祈ったりとたいへん難易度の高いサポートをした結果、どうにか無事終了。冊子は約10日後に無事発売されました。
 その後「彼女」ことS.晴美ちゃんに聞いたら、今回の事件はどうもRCAW側の担当SZK編集員の都合によるものと判明。あの出版社の内情がかいま見える瞬間ですね。
 余談ですが、和光市での取材のあと、あわてて東京都世田谷区に移動でした。新型の機体を手に入れたのは良いものの、右の主翼が胴体に入らないんだって。売ったやつにやらせれば良いものを。でも、帰りがけにうめぼしもらったから、由としましょう。バナナの方がもっと良かったけどな。


                (04年12月)