「駆け抜けたハイネスエンジン」の、あとがき。


 今回の一件は、閑談房の書き込みが発端でした。とある方が調べ物をしていて閑談房に行き着き、そこでウエダエンジンやハイネスエンジンについての我々の書き込みを見て、コンタクトを取るべく模航研に電話してきました。模航研は「そのたぐいの話はあいつらの仕業だ!」と、言うことでウエダクラブに転送され、家が近所だと言う理由だけで私が担当になりました。
 しかし、フタを開けると連絡をしてきた方は、なんとハイネスエンジンの製造者の息子さん。閑談房にハイネスカスタムエンジンの件を書き込んだのは義理の弟さんであるということも伺いました。
 我々が散々叩いたにもかかわらず、真田さん(息子さんの方です、あたりまえか)はわざわざ私に逢いに来てくださり、我々がハイネスエンジンを実用していると知って、工場に残っていたエンジンのいくつかまで持ってきてくれました。
 私が「こんなうまい話が有るわけない。」と思うのは当然のことと思います。しかし、たくらんでいるとしたら、何をたくらんでいるのか・・・・
 実際に逢って話をすると、その人物がわかります。話し方、その内容、しぐさでね。今回は真田(息子・・・しつこいか)さんはなぜかうれしそう。理由はこうです。

 「父親が亡くなって、もう17年ですよ、それでも今もなおハイネスエンジンと格闘しながら飛ばそうと思ってくださる方々が居るなんて、うれしいじゃありませんか!」

 このフレーズは本編の末尾のものですが、実は真田さんが始めて私と会ったときの会話でもあります。この時私は、それは社交辞令だと思っていましたが、どうやらそうではなかった様子。
 真田さんの「稲村製作所」にまつわる話は説得力があり、私は単なる模型エンジンマニアの枠を越えて、一人の機械加工職人の意地を見る思いでした。
 正確な日付などは明らかにはなりませんが、ハイネスエンジンを作り出した稲村製作所と真田彰さん、その輪郭を伺うだけで、「重いエンジン」「調整しにくいエンジン」なんて吹っ飛んじゃいます。模型の素人でさえ、あそこまでできるのですから。
 昨年、私は模型飛行機用エンジンを自作しました。回るだけでなく機体も飛行しました。始動性も良く出力も満足です。しかし当然、そんなエンジンを量産して、しかも販売するなんて考えたこともありません。自分がつかうならトラブルを起こしてもクレームが付きませんが、市販となるとそうはいきませんからね。ましてや金型を作ってダイキャストに小物部品の発注なんて、エンジンが売れなかったら破産ですよ。



 本編を執筆しだしたころ、ラストは真田さんの「もう一度回してやりますよ!」と決めていました。「まだ走り続けているぜ!」という表現のつもりです。したがって、後半の一文は真田さんにお願いした校正時に、真田さんご本人が加筆されたものですので、当初本編中には入れていませんでした。
 こちらとしてはくすぐったいというかこっぱずかしいというか。まあ、自分で書くことではないと判断していた一文です。
 数日前に校正文が送られてきて、くだんの一文を見たとき、「やられた!」と思いましたね。そして、真田さんの「それが発端じゃないの、忘れて貰っちゃ困りますよ!」っていう表情が見えたような気がしました。


   (2007年3月17日)