いつのころだか、模型飛行機大会!
 つまり、たまりにたまった図面類を整理していたわけですが、その中に混じっていたこんなポスターを発見いたしました。出所は西麻布の巨匠ですが、裏に速度模型の概略図が書かれていて、その資料としていただきましたが、よく考えるとポスターの価値も見逃せません。
 1954年のサインがありますので、それ以前のころの競技と考えられますが、予備日が9日で、おそらく日曜日ですので、暦を調べれば特定出来るでしょうね。もちろんやる気は有りません。
 会場は「多摩川オリンピア競技場」だって。最寄りの駅は東急線の「玉川園」ですから、後の「多摩川園前」、現在は多摩川園が無くなって公園になり、ただの「多摩川」駅となっています。この場所は私も中学生のころまで通った場所でして、当時でも珍しかった「渡し船」が有ったんですよ!長い丸子橋を渡るよりも10円で船に乗った記憶があります。今思い出すと、すごいなあ。
 この後しばらくの間、同緑地で飛行機大会が開催されています。開催日は11月3日に変更され、種目はゴム動力機、CL風船割り、CLコンバットとなりましたが、「Uコン技術」の衰退とともにいつの間にか消えてしまいました。
 記憶では400人を越す参加者も思い起こされますが、そのころは会場を中心に下流から上流まで参加者やそのための練習飛行、不参加者の自由飛行など「じゃまだから野球なんかどけよ!」状態。土手に昇ると、見える範囲にはCL機が飛んでいました。
「上井草球場」だって!
上井草球場とは、1936年に杉並区にできた、日本初のプロ野球チーム(当時は「職業野球団」でしょうね)所有の野球場らしいです。
 競技会の開催年は不明ですが、36年から59年までが球場の設置期間ですので、その範囲でしょうね。ゴム動力機やUコン機にまじってガスフリー部門が併設されているところがミソです。当時の杉並区がどれほど「ど田舎」であったか、はかり知れます。
 「横断速度競技」って、決められた距離の飛行時間を競う競技なのですが、真っ直ぐに飛行しない機体も多く、苦労したろうなあ。
 開催日が11月3日なので、この「秋季競技」が多摩川に移行したのかもしれません。主催は同じ「東京都模型教材小売商組合」ですからね。
現在の上井草球場。

 現在の上井草球場は、水道用貯水池となり、その上にグラウンドがのっかっています。野球なら4面、フットボールなら1面とれます。温水プールやオールウェザーテニスコートもあり、名前も「上井草スポーツセンター」に代わりました。
 当初の所有者であった西武鉄道が東京都に寄付し、その後杉並区が管理しています。もはや飛行機は飛ばせませんね。
 写真左下が当時の航空写真です。球場の回りはほとんど緑地!ガスフリーが可能って納得です。右下が現在の地図です。早稲田のグラウンドの左はゴルフの打ちっ放しですが、その他は住宅街!駅近辺は商店街!!ちらほら区民農園や農業高校の実習地がありますから、23区内にしてはこれでも緑地が多い方なのですが、エンジン機は排気音でアウトでしょうね。

 結構詳しいでしょう、インターネットでもこのくらいは探せますが、実はこの球場、私の家から徒歩で10分足らずのところにあります。ですから始めてこのポスターを見たとき、ものすごく嬉しかったですね。なんか「やっとおれのところに来たか!」って感じで。


(2006年6月26日)