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芸術品!東京模型のカーチスP−40。 |
昭和30年代に製造されたと思われます。「東京模型」とは、北村さんと言う方が経営していた模型メーカーでしたが、「Uコン技術」のころには姿を消しています。発売していた機体はフリーフライトからCL機まで、カテゴリーも様々でバラエティに富んでいました。
CLスケールに限らず、東京模型社製キットの特徴は、カットされた部品をていねいに糸で結び、厚めの台紙に固定するといった、まるで展示品として作られたかのような印象さえうけます。
材質は経木(きょうぎ:昔の「駅弁」の箱に使われていたあれです。)が主で、タイヤには桐材が用いられているキットもありました。
ちになみに、「経木」について「尼崎の巨匠」からメールがきました。概要は、こうです。
経木(きょうぎ)「剥板(へぎ)」と違うんかいな、と思って広辞苑を開いたところ、どちらも正解でした、関西と関東の違いでしょうか。
Uコン初期の頃にバルサが手に入らなくて、プランク材用に、弁当箱を作っているところへ、ヘぎ板頂戴と買いに行ったのを思い出しました。
でも、水で湿らせた紙を張ると、へぎ板がでこぼこになって大変でした。半乾きのときに張るのがこつでした。(05年2月追加)
人件費よりも材料費を押さえる工夫が感じられ、当時の経済状況が思い浮かびますね。
しかし機体の外観は結構まとまっていて、設計図から見ても忠実に実機の再現に努められています。エンジンは19〜29とありますが、多分マミヤあたりが想定されているでしょうから、機体のサイズはやや小振りです。
おおまかな骨組みに、薄い経木を張り付ける構造は、結構技術が必要ですね。経木って、硬いし。ちなみに「経木」とは、その昔、紙の代わりに経典を書き留めるために使われていたものが、おにぎりなどの食材を包むために流用され、やや厚めのものが弁当箱に使用されたということです。
「剥板(へぎ)」とは単に薄い板のことを現し、たとえば「剥板そば」と言うと剥板で作った箱にそばを山盛りにし、大勢でガンガン食べるというものみたい。ですから模型飛行機に使うのなら、「剥板」の方が自然ですね。
余談ですが、「剥板そば」は東北地方から関東地方にかけて存在しましたので、「関西だから」ってことでは無いようです。(05年2月追加)
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東京模型のパイパーコマンチ号。 |
まあ、「箱の厚さより幅のある胴体」と、言うか材料と言うか。
まるでソリッドモデルのようなその構造は、「とりあえず」作るだけならなんとかなりそうですが、美しい仕上がりを期待するなら、その加工技術にある程度のレベルが必要そうですね。なんたって、完全なブロックからの成形ですから。
エンジンは1/2Aクラスでしょう。かなり小さな機体です。胴体以外も単板で構成されたパーツは、初心者向けなのか、上級者向けなのかわかりません。
設計図には「航空ファン」の記事と識別できる記述がありますが、当時のキットはほとんどこのような、冊子からの組み立て説明の引用が多くなされていました。
バルサ製主翼にランディングギヤをどう固定するのか、水平尾翼の位置決めはどうするのかなど、一見不親切に見えるキットではありますが、その割りには小さいけれどもしっかり作ってあるタンクが同封されていたり、なんか良くわかりませーん。
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大島模型のグリーンボーイ。 |
同封してある設計図からすると、昭和50年代に製造されたと思われます。いわゆるARFのはしりで、主翼は発泡スチロールの成形品です。やや低発泡なので剛性があり、そのままでも飛行が可能なうえ主翼だけでも販売していましたから、ディメンションを合わせれば他機にも使用が可能という、画期的なものでした。
グリーンボーイ号は、その「スチロウイング」を使用したキットで、胴体部分のみのものです。
ひのきのスクラッパー胴体とベニヤの側板で形成され、その胴体部分にスチロウイングをゴム止めするという、かんたんなものですが、当時ホームグラウンドだった丸子多摩川で、結構見た覚えがあります。お金持ちの友人などは、主翼の予備まで持ってましたね。
でも、そう言う時って往々にして胴体が壊れてました。今度は胴体の予備も持ってこんかい!あ、持ってくるの2機になるなあ。
「スチロンムスタング」という同系統のキットもありました。左下の2枚の写真がそうです。
こちらはプロフィール機でして、スチロウイングは接着でしたね。胴体は10mmのコンクリートパネル材で、丈夫ではありましたが、むちゃくちゃ重かったですね。
主翼と他のパーツは別にしまわないとヤバそうですね。一応設計図で緩衝させてますが。
設計は島谷治郎さんで、コスト重視がうかがわれます。
一歩間違えば「スカもの」のコーナー行きです。 (04年11月更新)
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