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新星とはいったいどのような天体でしょうか

加藤 太一

☆ 新星とは ☆
 ウィキペディアによれば
「新星爆発を起こす星は、白色矮星と通常の恒星(主系列星)の連星で(中略)主系列星から降り注いだ水素が表面で核融合を始めても白色矮星はそのエネルギーを吸収して膨張したり密度を下げたりできないため、核融合反応は急激に進行、つまり暴走し、白色矮星の表面全体が爆発して新星として観測される」とあります。新星がこのような天体であることはどのようにしてわかったのでしょうか。

 この謎の解明には天文学者の長い研究の歴史がありました。図書館に置いてあるようなやや古い変光星の本をみると、星における爆発現象らしいことが書かれている程度です。新星がどのような天体であるか明らかになったのは比較的最近のことなのです。

☆ 新星という名前の起源 ☆
 夜空の星の合間に時折見慣れない星が見られることがあることを、人類は古くから記録していました。たとえば古代中国では、一時的に見えてまた見えなくなる星を「客星」と呼んでいました。これらは現在の分類では新星、彗星、超新星が含まれていたと考えられます。ヨーロッパでは不思議なことにこのような突然見える星の記録はあまりありませんでしたが、1572年、ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe)がカシオペヤ座に突如出現した明るい星(現在は超新星であることがわかっていますが、超新星と新星が区別されるようになったのはずっと後のことです)を記録し、stella nova(新しい星)と呼んだのが「新星」という名前の起源です。ティコはこの天体を観測し、動きがないことから地球上の現象でないことを見いだしました。そして1604年、ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler)がへびつかい座に明るく輝いた星(現在は超新星であることがわかっています)を記録し、天空は不変であるとの古代からの概念を打ち破るきっかけの一つになりました。

☆ 本物の新星の発見 ☆
 それでは(超新星でない)本物の新星が初めてみつかったのはいつでしょうか。
 1670年にヘベリウスと(Hevelius)アンセルメ(Anthelme)が当時はくちょう座(現在はこぎつね座)に明るい天体を発見して(こぎつね座CK)、最初の新星とされることがよくありますが、現在ではこの天体は特殊な天体で、おそらく普通の意味の新星ではないと考えられています。

 不確実な記録しか残されていない天体を除けば、最初に発見された新星は1783年のや座新星(や座WY)が最も古いものです。新星が研究されるようになってまだ200年少ししか経っていません。星の進化の時間に比べて科学文明はあまりに短く、現在新星爆発を起こした星が200-300年後にどうなるのかさえ、実はまだわかっていないのです。

☆ 銀河系の発見と新星の概念の確立 ☆
 さて、古くは新星と超新星は区別されていませんでした。さて18世紀後半、天王星を発見したことで有名なハーシェル(Herschel)は自作の望遠鏡で星の分布を調べ、星が私たちのまわりに円盤状に分布する、いわゆる「銀河系」を作っていることを明らかにしました(なお、星の空間に光をさえぎる星間物質があることは当時知られていなかったので、この銀河系は現在私たちの知る銀河系よりはるかに小さいものです)。

 夜空にはこれらの星のほかに、星雲と呼ばれる雲のように輝く天体もあります。これらが銀河系内の天体なのか、星の集団なのか論争が続いていました。1885年、最も有名なアンドロメダ星雲(現在は銀河)に6等級の「新星」が出現し(アンドロメダ座S)、その本来の明るさが他の新星と同じぐらいであれば、アンドロメダ星雲は銀河系内の天体と考えられることになります。

 この当時には他の「星雲」にもいくつも「新星」が見つかるようになり、1917年にはカーティス(Curtis)とシャープレー(Shapley)がこれらの「新星」を用いて、これらの「星雲」が銀河系の中にあるのか外にあるのか、熱い論争をくり広げていました。当時は同じ「星雲」の中に明るい新星と暗い新星があることがわかっていたのですが、その違いは意識されていなかったようです。この論争に決着を付けたのがハッブル(Hubble)で、1923年アンドロメダ星雲にケフェウス型変光星を発見し、距離を推定すると90万光年(現在の値は240万光年程度とされています)と、銀河系の外の天体であることを1925年に発表したのです。ハッブルの研究はその後膨張宇宙、ビッグバン理論へと発展してゆきます。1934年、バーデ(Baade)とツビッキー(Zwicky)は重い星の爆発で中性子星が作られることを予言し、この現象を超新星と呼びました。彼らはティコの新星やアンドロメダ座Sがまさしく超新星であり、アンドロメダ銀河の他の暗い新星が銀河系の通常の新星と同等の天体であることを明らかにしました。(ただし、現在ではティコの新星やアンドロメダ座Sは重い星の爆発で中性子星が作られるものとは異なるタイプの超新星であることがわかっています)

 このように「新星」の概念が確定したのは天文学的には比較的新しいものです。超新星(のうち重力崩壊型超新星)についてはこのように重い星の爆発であることが明らかにされましたが、新星の正体がわかるにはさらに時間がかかりました。

☆ 矮新星、新星は近接連星 ☆
 新星のスペクトルを観測すると水素などの幅広い輝線がありますが、当時同じような輝線を示す謎の天体が知られていました。その中で1855年に発見されたふたご座Uに代表される一群の天体は、新星に似た小さな爆発を100日に1回程度繰り返し、矮新星と呼ばれます。1940-1950年代の観測で、これらの天体が超短周期(数時間)の近接連星であることが次々と明らかにされて行きました。そしてついに1954年、ウォーカー(Walker)が1934年に爆発を起こしたヘルクレス座新星(ヘルクレス座DQ)の爆発後の天体が、周期4時間39分ごとに食を起こす近接連星であることをに明らかにしたのです。そして同様の輝線を示す天体を詳しく調べてゆくと、1960年代にはどの天体もことごとく短周期の近接連星であることが明らかになったのです。現在はこれらの天体はまとめて激変星と呼ばれています。

 この近接連星が新星爆発の鍵を握っていることはもはや疑いありません。しかし近接連星の相手の星が赤色星(よく赤色巨星と書かれますが、新星爆発を起こす天体のうちで相手が赤色巨星であるものは少数派で、むしろ太陽のような通常の星の方が一般的です)であることは早くから明らかだったのですが、輝線を出す高温星の正体はなかなか明らかになりませんでした。シリウスの伴星のような白色矮星はすでに知られていた(白色矮星の用語は1922年にすでに提唱されていました)のですが、輝線を出す高温星のスペクトルとはあまりにも異なっていたためです。

☆ 降着円盤の発見 ☆
 解明の糸口は意外なところからやってきました。1960年電波源の3C48が恒星状天体と同定されましたが、同定できないスペクトル線を示す正体不明の天体でした。しかし1963年マーテン・シュミット(Maarten Schmidt)が同様の電波源3C273のスペクトル線が、秒速44000kmで我々から遠ざかる速度に相当する大きな赤方偏移で説明できることを示しました。これらの天体はクエーサーと呼ばれるようになりました。この赤方偏移がハッブルの宇宙膨張によるものと考えると、これらの天体は莫大な距離になくてはなりません。つまりそのような遠距離の天体が明るく見えることは、莫大なエネルギーを放出していなければなりません。当時知られているいかなる天体もこれだけのエネルギーを放出することはできませんでした。ここで1969年、リンデンベル(Lynden-Bell)がクエーサーの莫大なエネルギーは超巨大ブラックホールのまわりの降着円盤から放射されるとのアイデアを提唱しました。このアイデアには伏線がありました。1962年のロケット実験によって太陽系外に初めてのX線天体であるさそり座X-1が偶然発見され、1967年にシュクロフスキー(Shklovsky)がこのX線放射が中性子星に降着する際の重力エネルギーの開放によるものとの解釈を出していたのです。

 このようにして1970年代にはコンパクト天体のまわりの降着円盤の概念が次第に一般的なものになり、激変星は白色矮星における降着現象であることが次第に明らかにされていったのです。輝線を出す高温星と考えられていたものは、実は降着円盤だったのです。

☆ 紫外線による観測 ☆
 白色矮星からは主に紫外線が放射され、これは地球大気を通過しないためにその観測のためには宇宙空間からの観測が必要になります。この観測は1970年代から始められ、特に1978年に打ち上げられたIUE衛星(国際紫外線天文衛星)は多数の新星や激変星を観測しました。

 惑星探査機にも紫外線観測装置が搭載されることもあり、例えばボイジャー宇宙船は太陽系の大航海の間に紫外線による激変星の観測を行いました。高温星の正体はこのような観測によって確かめられていったのです。
 白色矮星の表面にたまった降着物質が核融合を起こす際に暴走的な燃焼(熱核反応の暴走)を起こすことは1950年代から指摘されており、激変星が近接連星であることが判明した1960年代にはすでに新星爆発の原因として挙げられていましたが、核反応や爆発に伴う流体力学の効果を取り入れた計算が進展したのは1970年代のことで、特に1972年のスターフィールド(Starrfield)モデルを代表的なものとして挙げることができるでしょう。モデル計算による元素合成や爆発過程と観測結果がよく合うことから、熱核反応の暴走は新星の標準モデルとなったのです。IUE衛星の活躍により、熱核反応の暴走の数値計算の結果と爆発初期の新星の紫外線スペクトルとを比較できるようになり、1970-1990年代に新星の研究は飛躍的に進みました。IUE衛星は1996年まで運用されましたが、その後は新星を連続的に観測できるような観測衛星がなく、いるか座新星のような明るい新星が発見されても、早期の紫外線スペクトルをなかなか撮ることができないのが現状です。

 CCDによる新星捜索が一般化し、また以前に比べて迅速に情報が公開されるようになった現在、IUE衛星に相当する衛星がもしあれば、新星爆発早期の観測的知見は飛躍的に増したことでしょう。一方で、電波干渉計による爆発の画像化、X線天文衛星による新星の超軟X線状態の観測、γ線による検出など、新しい分野も進展しています。

☆ いるか座新星の今後 ☆
 まれに見る明るさの、しかも比較的珍しいゆっくりした減光を示すいるか座新星は何を明らかにしてくれるでしょう。今後一方的に暗くなるのでしょうか、それとも増光があるのでしょうか。またダスト形成による減光はあるのでしょうか。明るくよい位置にあるこの新星は、これまでにない精度の観測を可能にしてくれるでしょう。

参考文献
尾崎洋二 「宇宙科学入門 第2版」 東京大学出版会
岡崎彰 「奇妙な42の星たち」  誠文堂新光社
野本 憲一編 恒星 (シリーズ現代の天文学7) 日本評論社