あのやり取りを交わしたのは一体いつのことだったろうか。
多分、夏休みの前かその辺だったと思う。
どっちにしろ、それは私の中にたった一つだけの大事な予定を
刻み込んでおくきっかけだった。



私はその時、彼の席の側に佇んでいた。

「あのさぁ、」
「何だ。」
「いっつも思うんだけどテニス部の誰かが誕生日になったら凄くにぎやかだね。」
「そうだな。」
「君の時もそうなんでしょ。」
「そうかもしれないな。」

手塚君はそう言って、持っていた洋書に目を落とす。
そうかも、じゃなくてそうじゃないのか、と突っ込みたいけど
多分無駄なので黙っておく。この辺で2人ともちょっとばかり沈黙。
手塚君はあまり多くを語る方ではない。
本を読んでる最中だからというのは関係がなく、とりあえずそういう性質(たち)のようだ。

「正直なところ、」

しばらくして安物の紙のページをめくりながら手塚君はふと漏らした。

「少し困っている。祝ってくれるのは有難い、が、あまり騒がれると周囲にも影響が出る。
無関係の者に迷惑はかけたくない。」
「とりあえずプレゼント貰って悪い気はしない訳だ。」
「そう解釈して構わない。」
「そういや、手塚君って誕生日いつなの。」

唐突な私の問いに手塚君は訝しげな顔をして洋書から目を離した。

「そんなことを聞いてどうする。」
「きまぐれ。」

私はあっさりと答える。手塚君の眼鏡がずり落ちたように見えたのは気のせいだろう。

「私さ、今まで誰かに誕生日プレゼントの類あげたことないんだ。
だからたまにはそういうのやってみてもいいかと思って。」

それは本当のことだった。
何だかよくわからないが、急にそうしたいという欲求に駆られたのだ。

「どういう思考なのか良くわからないな。」

手塚君がわかろうがわかるまいが、どうでもよかった。
とりあえず私はそうしたいのだ。
そう言ったら手塚君はただ、そうかと呟いて自分の誕生日を教えてくれた。
私は即それを生徒手帳の後ろのページに書き留める。

「これでよし、と。じゃあこの日になったら何かプレゼントするよ。」

手塚君は別に表情を変えることはなかったけど、

「楽しみにしている。」

と一言言った。我ながら妄想激しいけど、私はそれを社交辞令で言ったものじゃない、と
踏んでいた。
何がともあれその日家に帰ってから、私は生徒手帳に走り書きした日付を
手持ちのスケジュール帳に書き直しておいた。

そしてそれは私にとって、唯一大切な予定となった。


思えば普段何も考えてない私がそんなことを思い立ったのは手塚君とは
よく話すことが多かったからだろうと思う。どうして彼なのかはわからない。
文武両道、容姿端麗の彼はそのオールマイティさ故に周囲から憧れを抱かれると
同時に敬遠もされがちだった。
実際、愛想があるとは言いがたい方だったから多分自ら手塚君に
近づく生徒はそういない。
勿論、彼と同じテニス部の連中は除いての話だけど。(あいつらは元々次元が違う。)

私が彼と接触するようになったのは本当に些細なきっかけだった。
その時私は手塚君の後ろの席で、昼休みに彼が広げてる洋書を
後ろからボヤーと見つめていた。
勿論、私の英語力では内容なんぞ欠片もわかりゃしない。
ただアルファベットの羅列を眺め、それを理解してるらしき手塚君に感心しつつ
一体何の本だろうかということを考えてるだけだ。

「何か用か。」

突然言われて私は思わずビクッと体を震わせた。
気づかれてると思わなかったのだ。

「い、いや、別に。」
「だったら人を凝視するのはやめてもらおうか。」

見てたのは人ではなく本のページだったのだがいちいち説明するのは面倒くさい。
というより、手塚君の目つきがそんな言い訳を受け付けそうに見えない。

「御免。」

私は代わりに呟いて、顔をうずめる。
後は眠って過ごすとするか、どうせ話す相手がいる訳じゃないし。

「興味があるのか。」
「へ?」

いきなりもっぺん話しかけられた。顔を上げたらさっきと同じ眼鏡君がこっちを見てる。

「何の話?」

私が聞き返すと、手塚君はクイッと持っていた本を私の方に傾ける。

「あー、ええとね。全部英語なのによく読めるなって思って。」
「普通だ。興味があるなら読んでみるか。」
「私に出来る訳ないでしょ。」

私は笑った。

「よかったら何書いてるか、君が教えてよ。」

冗談、のつもりだった。まさか天下の手塚国光が本気にするとは思ってない。
当然のことだろう。でも…

「いいだろう。」

ひどく唐突だけど、それが手塚君と私が関わるきっかけだった。


きっかけが多少おかしな感じとはいえ、以降私と手塚君はよく言葉を
交わすようになった。
始めは本当に例の本について彼が淡々と私に語ることの方が多かった。
勿論、私は興味を示してそれに反応するのだけど時が経つにつれて
だんだん私が全然違う話題を持ち出して彼がそれに応えるということが増えていった。

「手塚君、この本は誰が書いた訳?」
「アーネスト・ヘミングウェイだ。知らないのか、アメリカの有名な作家だぞ。」
「君みたいに博覧強記じゃないからね。」
「そもそも常識だ。」
無知蒙昧(むちもうまい)ですいません。ところで何で鞄にお守りぶらさがってんの?」
「話題を一つに絞れ。」

交わすのはそんな他愛もないやり取りばかりだったけど、
それまでほとんど1人だった私にとってかなり大きいことだったのは
言うまでもない。

ある時手塚君が言ったことがある。

「お前は、いつも1人だな。」
「いきなりどうしたの。」
「誰かと共にいるのを見たことがない、と思ってな。」

私はタハハ、と笑った。

「私、超内気だからねー。てゆうか、基本的に他人様にあんまり興味ない。」

だから誰も近づかないんだよ、とは間違っても言わないけど。

「そうは見えないが。」
「まぁ手塚君は特例だね。」
「光栄なことだ。」

真面目くさって言う彼が面白くて、私はさっきより大きな声で笑ってしまった。

「お前は、」
「ん?」
「いや、何でもない。」


それからしばらく時が経った。
手塚君が関東大会で負傷したとか何とかで突然九州に行ってしまったのは
確かこの辺りだったと思う。
東京を離れる前、彼は別に私に何も言わなかった。
私はその間、1人彼のいない休み時間を過ごした。
尤も、手塚君と話すまでずっと1人だったから彼がいなくなったのは
ある意味日常に戻ったのと同義だ。
故に他人様に無頓着な私は何も考えないまま時を過ごして、ふと気がつけば手塚君は学校に戻ってきていた。

それからは席が離れたこともあって、彼と私が言葉を交わす回数が激減した。
まるでそれまで何もなかったみたいに。
だから私は忘れていたのだ、大事だったはずのことを。


それを思い出したのは寝坊して軽く遅刻した日の休み時間だった。
私はその時、教室の隅の席で突っ伏してガリガリと机に落書きをしていた。

「ねぇねぇ、」

廊下側の窓の外から通りすがりの会話がふと耳に入ってくる。

「もーすぐ手塚君の誕生日だよ、アンタ何かあげるの。」

『手塚君の誕生日』、その言葉を耳にした瞬間、私の体がビクリと跳ねた。
そういや今日何日だろう、とこっそり携帯電話のカレンダーを見る。

「ゲッ。」

全身から血の気が引いた気がした。
液晶画面の太字の数字は既に10月3日を示している。

『じゃあこの日になったら何かプレゼントするよ。』
『楽しみにしている。』

あの時のやり取りが脳裏に蘇る。何だって忘れていたんだろう、
自分にとって唯一大事なイベントだったんじゃなかったのか。
今日は既に4日前、なのに何にも考えてない。

「もう決めてる。でもうまく渡せるかなぁって。」
「大丈夫だって、アンタビビリ過ぎ。」
「うーん。」

聞こえてくる会話は既にどうでもいいものと化している。
私はとりあえず財布の中を見てみた。
(傍から見たら変な光景だけど構ってる暇はない。)
ダメだ、軍資金がろくにない。
この間行きつけの店で好きな映画のDVDを発見し、つい買ってしまったのが祟ったか。

困った、どうしよう。
これで手先の器用な子なら何か自分で作るんだろうけど、私にはそんな能力もない。

となれば仕方ない、残り日数でなんか考えるしかないか。

でもそれは考えただけでげんなりしてしまう話だった。


そういったわけで私は残り3日の間うーうー唸りながらどうしたものかと
頭をひねっていた。
だけどご多分に漏れずそんな時に限って何も思いつかない。
考えれば考えるほど意味不明の思考の迷宮にハマり込んでしまう。

それで残り日数のうち1日は潰れた。
2日目は考えているうちに頭が飽和状態になったので、現実逃避に
TVゲームやってたらつい夢中になって無駄に潰れた。

そして、最後の3日目。
私は1人下校しながらうんうん頭をひねっていた。

「最早これまでか。」

私は1人呟いた。
手塚君の誕生日前日、既に私の脳は考えることを拒絶する方向に走りかけていた。
どうせ彼は私の言ったしょうもないことをいちいち覚えてないだろう。
何か渡したところで疎まれるのがオチじゃないのか。
いや、しかしそういうことでいいのか?

おかしな話だった。他人様に興味ないはずの私が今、誰かともう一度
関わりなおそうとしている。
でもそれは現時点で立ち止まって振り返る問題じゃない。

ひとしきり脳内で自分と会話してから私は改めて考え込んだ。

手塚君ってそういえば何が好きなんだろう。

私が知ってる手塚君といえば、テニス小僧で勉強出来て
生徒会長でその他諸々でも活躍してて洋書ばっか読んでて…
そこまで考えて私は急にハタと足を止めた。

「おお。」

あたりに誰もいないのをいいことに私はひとりごちた。

「この手があった。」

それから私は高速で歩を進め、よく行く100円ショップに入ったのだった。

その日の夜、私は100円ショップで購入したものを何とか自分で
ラッピングすることに取り組んだ。
普通なら大したことないだろうに、変に時間がかかった。
不器用はいつだって悲しい。


そうして迎えた10月7日当日は勿論大騒ぎだった。
手塚君がこの手のザワザワを好まないことを知ってるのか知らないのか、
あるいは知っててもこの際それは無視なのかわからない女の子達が
クラス内外問わず集まって彼にプレゼントを渡しにやってくる。
私はその様子を教室の隅の席でぼへーと眺めている。
とりあえず混雑が収まるまで待っていよう。もみくちゃにされるのは御免こうむる。

見つめているうちに手塚君の元に押し寄せる連中はどんどん増えていった。
幾度となく誰かが手塚君に物を渡してるのが見える。
その後の女の子は大抵顔を赤くしている、そして小走りに去っていく。
あの子も、あの子も、あの子も…

あれ、おかしい、だんだん視界がぼやけてくる。
そういや、昨日プレゼント包むのに夜中までかかったけど原因はそれか。

そして、私の意識はそこで途切れた。


意識が戻ったのは本当に突然のことだった。

「いつまで寝ているつもりだ、。」
「ふがっ?!」

いきなり降ってきた声に私はガバァッと起き上がった。
この声は…

「手塚君?!」

ふと気がつけば見慣れた眼鏡君が傍らに立っている。

「私、一体。」

教室を見渡すと、さっきまで手塚君の元に押し寄せていた連中は
勿論クラスの連中の姿もない。
がらんどうの空間には私と手塚君だけがいて、窓からは西日が差し込んでいる。

「終礼の間もずっと眠っていた。随分なことだ。」
「うわー。」

おいおい、えらいとこ見られちゃったんじゃないかい。

「特に大きな連絡事項がなかったのが不幸中の幸いだな。」
「そうなんだ。」

私は赤面したまま目線を机に落とす。

「それより、何でわざわざ起こしに来たの。放っといてもよかったのに。」

言った瞬間、手塚君の眉間にしわが入る。

「お前にまで冷徹だと思われるのは遺憾だ。」

どうやら本当にショックだったらしい。私は慌てて御免と付け足す。
手塚君は存外それで機嫌を直した。

「ところで、お前はさっきから何を握っている。」
「あ。」

言われて私は当初の目的を思い出す。

「こ、これ!」

私は寝てる間も握ってたらしい包みを手塚君の鼻先に突きつけた。

「誕生日プレゼント、あげる!」

口走った瞬間に面白いことが起こった。
手塚君が口をポカンと開けた。
手塚君の目が丸くなった。

「まさかお前から何か寄こされるとは思っていなかった。」
「前に何かプレゼントするって言ったじゃん。」
「そうだったか。」

やっぱりそうかよ、この野郎と蹴っ飛ばしてやろうかと思ったけどまぁいいや、
という結論に至ってやめた。
間に合ったんだから、まぁいいや。

「開けていいか。」
「どうぞご自由に。あんましいいのじゃないかもだけど。」

手塚君は私の吐いた2番目の文を完全に無視して、包みを開けにかかった。

「しおり、か。」

中身を取り出した時点でわかることをわざわざ手塚君が呟くので、
私はまたちょっと顔が熱くなるのを感じた。
もしや、何かまずいことでもあったろうか。

「あー、うん、だって手塚君いっつも洋書読んでるけどさ、あの手の本って
大抵しおりないじゃん、あったら便利なかなぁって。」

それだけ口走っても手塚君は無反応で口を噤んでいるもんだから私は更に焦る。

「御免ね、100円ショップので。その、お金なくてさ、でも良さそうな柄探したんだよ。」

やっぱり手塚君は沈黙状態。あああ、まずい。すこぶるまずい。
いらないことを言い過ぎたのか、どうなんだ。
そんな私の焦燥を他所に手塚君は鞄の中からいつも読んでる洋書を取り出して
パラパラめくったかと思うと私が渡したしおりを1枚、その中に挟んだ。

「えーと。」

その行為をどう解釈したものかわからず私はポカンとする。

「お前のおかげで助かった、。」
「はい?」
「しおりの手持ちがなくて困っていてな、これだと大きさも丁度いい。」

言う手塚君の顔がほんの、本当にほんの少しだけほころんでたので
私はホウッと安堵の息を吐いた。

「お役に立ててよかったよ。」
。」
「何?」
「忘れていなかったのだな。」

どういう意味かと聞き返そうとしたら、手塚君は部活に行くからと言って
さっさと去ろうとする。私は思わずその制服の袖を掴んだ。

「『忘れてなかった』ってどういう意味?ちゃんと言ってよ。」

戦線離脱しようとしていたくせに優等生は顔色一つ変えないでこっちを振り向く。

「俺の誕生日のことなど、忘れられているかと思っていた。」
「何で。」
「前に言っていただろう、自分は他人に興味がない、と。」

ああ、と呟いたものの私はあまりよくわかっていない。

「お前と話すようになってから、少し考えたことがある。
お前が他人に興味がないのではなく、他人がお前を閉め出しているのではないかと。」
「何を根拠に。」
「お前が、俺にはちゃんと話したからだ。」

一瞬固まった。手塚君の袖を掴んでた手がポロッと落ちる。

「多分お前は誰かが受け入れさえすれば、拒むことなどない。
だが今まで誰もお前を寄せ付けなかった、そしてお前は自分から関わることが
出来なくなってしまった。違うか。」

それはあまり他人様に指摘されたくない事実だった。
誰かに訴えたかったけど、言うべきではないとどれだけ我慢してきたことか。

「だが、お前は」

手塚君は1人続ける。

「俺には心を開いた。正直嬉しかった、自分が心を開ける相手だと
思われていることが。」
「嘘。だって、私には何も言わなかったじゃない。
怪我してることも九州に行かなきゃなんなかったことも、何も。」
「いらぬ心配をかけたくなかった。」

そんなのおかしい、と私は言いかけた、が…。

「それはそうだ、」

手塚君はこれもわかってたかのように自分の言葉で遮ってしまう。

「本当のところ俺は恐れていたのかもしれない、告げたところでお前が
何の関心も持たないことを。
実際、戻ってきたらお前は以前と同じく誰にも興味を示してないように見えて
俺は少し怖くなった。もしかしたらは本当に、と。
だが、取り越し苦労だったようだな。」

手塚君はここで口を噤む。
座ったままずっと話を聞いていた私は何だか不思議だ、と思っていた。
というより手塚君が私ごときのことで一喜一憂してたのが驚きだった。
そして改めて気づいた、自分が無意識のうちに彼を本当に特別だと思っていたことに。

「すまない、。有難う。」

手塚君がそう言った時、私はこの日を唯一大事なイベントとしておいたことは
間違ってなかったと確信した。


そんなこんなで10月7日はあっという間にどこかへ行ってしまった訳だけど、
あまりそういうことは日常には大きく影響しなかったりする。
実際、私はまた手塚君の席の側に佇んでいた。

「手塚君、今度のその本何?」
「フォスターの『小説の諸相』だ。」
「題名聞いただけで頭の中がゴミ箱になりそうだよ。日本語でもわかるかどうか。」
「そう言わずに読んでみたらどうだ、非常に奥が深いぞ。」
「何か喧嘩売られてるような。」

そんなことを言っていたら、手塚君の本から何かがハラリと落ちる。

「ちょっとちょっと、落とさないでよ。」

落ちたものを拾って渡しながら私は言った。

「せっかくあげたんだから。」
「ああ、すまない。」

手塚君は渡したしおりをもう一度挟みなおす。

「あのね、こないだ来年のカレンダー買ったんだけど。」
「それがどうかしたか。」
「まだ使わないのに封開けて10月7日の欄だけマークしちゃったんだ。」

口にした瞬間、顔から火が出そうな気分になる。
よく考えたら何か妙なことを言ってはしないだろうか、私。

「そうか。」

一方の手塚君は言って、瞬きしたら絶対見逃しそうなくらいの微笑を
浮かべただけだった。

「今度は慌てず準備しておいてもらおう。」
「了解。」





作者の後書き(戯言とも言う)

なるべくヒロインは普通の女の子にするつもりだったのに
結局いつものパターンで少数派になってしまった。
しかも何だって100円ショップでしおり、なんて
思いついたのか自分でも不明。

でもそんなことより1日遅れでも無事手塚少年の誕生日夢を
書けた事について神に感謝しようと思います。
(↑日頃無神論に近いくせに)

2005/10/08


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