うちのクラスに彼女が来たのは突然のことだった。

中学3年の途中という時期に転校生とは妙なこともあるものだと俺は思ったが
人にはそれぞれ事情があるだろう、と特に気にしていなかった。

時期のこともあってあれやこれやとクラスの連中が詮索する中、
彼女はどこを見るでもなく視線を漂わせたまま教壇の横に立っていた。

その名を、と言った。


 夢想少女とせーとかいちょー


という女子は至極変わった奴だった。
態度はいつもどこかボンヤリとしていて、一体何を考えているのか
あるいは何も考えていないのか理解に苦しむ。
物言いは生憎女子には似つかわしいとは言い難く、
しばしば古めかしくて遠回しで荒っぽい表現も目立つ。

誰かと馴れ合うのは好まないのか、自分から進んでクラスの連中と話そうとせず
話しかけられてもその特徴的な喋り方のせいで相手が困惑し、引き下がってしまう。
更に1人で居る時は普通なら誰も意識しないような空間
―例えば天井の電灯が取り付けられていない部分や
窓際の席でも机に突っ伏さない限りは見ることが
出来ないような角度の景色―ばかりを見つめている為、
周囲からは完全に『おかしな奴』のレッテルを貼られていた。

そしてそんなと俺は奇しくも席が隣同士だった。



その日の授業中、俺の隣の席からは寝息が聞こえていた。

「スー…スー…」

俺は横を一瞥してまたか、と内心でため息をついた。
、どうやら今日も一日授業を寝て過ごすつもりらしい。
正直穏やかでおられなかった。一体学校をどういう場と心得ての
態度なのか、と思うと腹立たしい。
が、という奴は転校当初からこうだった。
本当に何を考えているのやらどの科目の授業中でも
起きているのを見た例がほとんどない。
一度など音楽の授業で合唱している最中に立ったまま
寝とぼけている姿を目撃した時は頭痛を覚えたものだ。
(まさかテニス部の連中にもこんなのがいはしまいかと思うと)
その癖、指名されたらちゃんと目を覚まして必ず正解を
口にするのでどうやら頭はいいらしい。
これもまたがクラスから『おかしな奴』と言われている所以であり、
俺としてもどうにも釈然としないものがある。

「くかぁ〜…」

そんな人の気も知らず眠り続けるを俺は敢えて起こさなかった。
後で困るのは本人自身だ、いくら担任に転校生の世話を
任されているとはいえ、そこまで面倒を見てやる気はなかった。

が起きたのは授業が終わって休み時間が始まってからだった。

「あー……どうやら私はまた寝てたらしいとみた。」
「らしいとみた、じゃない。」

くぅ〜っと伸びをするを俺は呆れて見つめた。

「学業の場で寝るなど言語道断だ、一体お前は何を考えている。」
「この面が何か考えてるようにみえるかね、せーとかいちょーさん?」
「確かにそうだが、」

とぼけた口調で開き直ったようなことを言われるのにも少しは慣れた。
初めての頃は何度も聞くべきではなかったと頭を抱えたものだが。

「お前はもう少し親が学費を負担しているとか自身の為とかを考えるべきだ。
学業が学生の本分であることぐらい、お前ならわかっているだろうに。」
「その学業とやらの中には先生が奥さんのノロケをしてるのを
聞く義務も含まれているのか?」
「くだらない冗談に耳を貸すつもりはない。」

俺がそう切り捨てるとはああ、そうかよ、と呟き、
また机に突っ伏して首だけ左に向けた。
窓の外を見ている。
はいつもこうだ。
彼女の席は窓際からは2列ほど離れているのに何故かそこからでも
窓の外の景色に目を向けようとする。
その視線の先には何があるのか、俺には知る由もない。
ただ、どうにも変わった奴だと思う他なかった。

「せーとかいちょーさん。」
「その呼び方はやめろ、と言ったはずだが。」
「アンタんとこの後輩が来てるぞ。」

とぼけた声色で言うは人の話を聞いている様子がない。
しかも俺が教室の扉の方に目を向けたところ、そこに見知った顔はなかった。
誰もいないようだが、と隣の席に向かって言いかけたその時、

「ちーっス、手塚部長。」

聞きなれた声がして開けたままになっていた扉
(後でクラスの連中に注意せねばなるまい)の前には
見慣れた小さな姿が現れた。

「越前…」

俺は呟いて、思わず隣の席でだらしなく寝そべるを凝視した。

「別にこっち見るのは構わないけどさ、」

顔を上げることもせずにが言った。

「後輩待たせるのが先輩の仕事とは思えないぞ。」

何故彼女は普通に『早く行け』、と言わないのだろうか。
しかし表現の仕方に違いがあっても後輩を待たせているという事実には変わりがない。
どうにも奇妙な感覚を覚えつつ、俺は後輩の元へ向かった。



という奴はいつの時でもどんな場所でも浮いている。

休み時間の教室では何もない空間をひたすら見つめているのが
嫌でも目につくが、それだけではない。
普通に廊下を歩いている時、普通に立っている時、
何気ないハズ動作の一つ一つにもどこか他とは違う感じを受ける。
何故かはわからない。ただ、それが故にクラスの連中は彼女を避け、
遠巻きに彼女を見つめる。

ってさ、」

いつだったか、誰かが言ってるのを小耳に挟んだことがある。

「何かすっ飛んでるよな。」
「あ、わかるわかる。喋り方変わってるし、いっつもボーッとどっか見てるし、
大丈夫か生きてるかって言いたくなるよね。」
「もしかしてアレじゃないのか、どっかから何か受信してんじゃないの?」
「うっわ、それヤバいって!」

非常に馬鹿馬鹿しい会話ではあったが、多少なりとも
関わっている身としては見過ごせないものがある。
いくら本人がいないからとてそこまで言う必要があるのだろうか。
少なくとも、向こうを理解しようという努力くらいはしてもよさそうなものだが。

「おーい、せーとかいちょー。」
「その呼び方はやめろと何度言ったらわかる。
同じ事を二度以上言わせないで貰おうか。」
「非常に強固な精神をお持ちのようで羨ましいよ。」

つまり遠回しに俺は頭が固い、と言われたわけだが
それがわかるようになったのも最近のことだ。

「挑発するような言動は慎め。いつか後悔するぞ。」
「相手がせーとかいちょーだからやってるんだが、わかりにくかったか?」

……言うだけ無駄だったか、まったく手がかかることだ。
手がかかるのはうちの分の連中だけで充分なのだが。

「大体、いつも固いことばかり言ってて疲れないか、せーとかいちょーさんよ。」
「余計な心配は無用だ。」
「そいつぁ失敬。」
「その物言いもいい加減直さないか。」

言い合っているとクラスと連中がチラチラとこちらを伺っているのに気がつく。
俺が誰かと話すのがそんなに珍しいのか。
確かに自分でもわかるくらいと話すと俺は口数が多くなるが…。

「ところでせいーとかいちょー、次の授業は何だったけ?」
「またか、早く時間割表を書き留めろと言っただろう。」

これでは口数が多くなるのもいたしかたないかもしれない。


同じ部活である不二に妙なことを言われたのは
その日の昼休み、屋上で昼食を取っている時のことだった。

「手塚、最近あの転校生と仲いいらしいね。」
「そんなことはない。」

俺は思ったことをそのまま口にした。
実際、俺がと関わっているのは担任に当分の世話を
頼まれたからというだけにすぎない。
そうでなければクラスでも浮いているあのよくわからない女子と
接触があるわけがないだろう。
しかし不二は何を考えているのか、未だ俺にも理解出来ない
クスクスという笑いを漏らす。

「何がおかしい。」
「いや、君が否定するのは勝手だけど随分と説得力がないなぁって。」
「不二。」
「だって、」

不二は悪びれた様子もなく言う。

「しょっちゅうさんと話してるらしいじゃない。」
「必要だから話しているまでだ、世話を任されているしな。」
「本当にそれだけ?」
「無論だ。」

不二はへぇ、とは言ったがその雰囲気は明らかに納得しておらず
しかも何やら面白がっているような感じですらある。

「だったらもう潮時じゃない?」
「何が言いたい。」
「だってさんが来てから結構経ってるよ。
いい加減、彼女も慣れてきてるから君が世話を焼くことないと思うけど。」
「俺は…」

言いかけて俺は止まってしまった。一体自分でも何を言おうとしていたのかわからない。
不二はそれをどう解釈したのかやはり胸の内が読めない笑みを浮かべたままだ。

「確かに君は何だかんだ言ってても人がいいけど、もうちょっと自覚がいるんじゃない?」
「どういうことだ。」

俺は尋ねたが、チームメイトは答えは自分で探さないとね、としか言わなかった。


昼休みが終わってからも、俺は不二の言った意味をボンヤリと考えていた。
どうにも不二の考えることはよくわからない。
と関わりがあるのは俺としてはあくまでも義務があるからだが、
あいつに言わせればそうは思えないという。

一体、俺に何を言わせたいのか。

「どーした、せーとかいちょー。」

一人考え込んでいたら隣から声がかかった。

「珍しく意識が空へ飛んでってるみたいだけど。」
「別に何でもない。」

俺は言って、口を大きく開け、はしたなく欠伸をするに眉をひそめる。

「お前こそ、また天井など見てどうしたというのだ。」
「ん?ああ…」

はすぅっと人差し指で教室の天井を指さした。

「そこ、染みがあるだろ?」
「ああ。」
「あれ、何に見える?」

俺は天井についた染み(設備が整っている青学において
何故そんなものがあるのかよくわからないが)を
見つめたが、の言うようにそれが何か別のものには見えなかった。
染みはあくまでも染みにすぎない。

そう言ったところ、はやれやれ、とため息をついた。

「今から退化が始まってるんじゃこれからどうするんだ?」
「ならばお前にはあれが何に見えるのか伺おうか。」
「おお、いいともさ。」

は何か嬉しそうに言った。

「そうだな、今日のところはタツノオトシゴが漂ってるみたいに見えるな。」
「今日は?」
「昨日はどこかの湖みたいに見えた。その前は蠍だな。」

なかなか柔軟な発想のようだが、どうにも子供じみている気がしてならない。
しかし、相手が菊丸あたりならたしなめてるであろうそれらの発言を
無視する気になれない自分がいた。



そういう感じで、俺がと過ごす時間は過ぎていった。
授業中は指名された時だけ起きて後は居眠りばかりしている
休み時間になるとふよふよと空想の世界に入ってしまうようだった。

この前などは、空に浮かぶ雲を見て『テスト用紙持ってる竜崎先生だ』などと
言ってきたくらいだ。
そんなことを言われても俺には反応のしようがないのだが
(発想が飛びすぎている)、はとりあえず
俺に話せさえすればいいのかそんな時はいつも嬉しそうだった。
しかもどういう訳か、俺ものそんな話を聞くのが苦ではなく
寧ろ最近は密かに楽しみにしている節もある。

おかしなこともあるものだ。

事が起こったのはそんなとある日だった。

その日のとある休み時間、はフラリと教室を出たきりだった。
いくらとていつもいつも休み時間は教室で俺以外の誰とも
話さずにいるのも息苦しいのだろうと思い、
特に気にはしなかった。

気にせねばならなくなったのは休み時間が終わって、が戻ってきてからだった。
は、泣いていた。
いや、正確には泣いてはいなかったが顔に泣いた跡がくっきりとついていた。

、何があった。」

俺の方を見もせずに隣の席につこうとする彼女に俺は言った。
しかし、は聞こえてないフリをしているつもりなのか
いつもしているように天井の何もない空間に目をやる。

「聞こえているのだろう、一体どうした。」
「別に。」

その言い方は普段よりもそっけなく、ごまかしきれていないのは明白だ。

「何でもないということはないだろう。」
「うるさいなぁっ、何でもないっつってんだろ!」

が声を荒げた。
滅多にあることではなかったのでクラス中の目がこちらに向けられる。
俺はというと、初めて聞くその荒々しい声に不意を突かれて硬直する他ない。

も気がついたのか、ハッとしたように自分の口を手で覆った。

「悪い、言い過ぎた。」

は席につくといつも休み時間にしているように上半身を
ごろりと机に乗せて背は俺の方に向けた。

勿論そうなってしまった以上、必然的に会話は皆無になる。
そのせいか、隣同士の席の間に漂っている重い何かを
嫌と言うほど感じねばならなかった。


そうして結局そのまま時間は過ぎていって放課後となってしまう。

終礼が終わってクラスの連中が一人、また一人と教室を出ていく頃
俺は部活に向かう用意をしていた。
テニスバッグに教科書などを入れながらふと隣の席に目をやれば、
は帰宅の用意もせずに机の上に頭を預けたまままた窓の外を見ている。
何か気の利いたことを言おうかと思ったが、生憎俺はそういったことは不得手だ。
しかも部活に行く時間が迫っている。

「俺は行く。」

ぐったりと横になるの背中に向かって俺は言った。

「お前も遅くならないうちに早く帰れ。」

情けないながらこれが俺の精一杯だ。
何か苦いものを感じながら教室を出ようとしたその時だった。

「手塚。」

それまでずっと口を開かなかったが声を出した。
声を荒げられたのも初めてだが、名前をまともに呼ばれたのも初めてだ。

「何か用か。」
「テニス部は、いつぐらいに終わるんだ?」

何故そんなことを聞くのかわからなかったが、俺はその質問に答える。

「部活終わったら屋上来てくれないか。」

こちらを向こうとはしないままは言った。

「話がある。」
「いいだろう。」

俺はその申し出を承諾した。


と一旦別れた後も俺は自分でも信じられないくらい集中力を欠いていた。
油断すればすぐにの泣いた跡が残る顔が脳裏にちらついてしょうがない。
相手が普段はマイペースを崩すことのない人物だけに、
一体何があったのか柄にもなく(しかも滑稽なくらい)気になって仕方がないのだ。
時折大石に呼ばれているのに気がつかなかったりもして、
こんな状態でどうやってちゃんと部活に支障をきたさないで
済んだのか自分でもよくわからない。

外には出さないようにする努力が効いたのか、
幸い極々一部を除いて誰もそんな俺の状態に
気がついている様子はなかったが。

まったくもって妙な話だと思う。
何故たまたま自分の隣の席になった転校生のことがこうも気になるのか。
確かにとは良く話す。
しかしだからと言ってそれ以上の何かがあるというわけではない。
ならば何故、俺は部活が終わってからも残っている部長の仕事を
一分一秒でも早く済ませようとしているのだろうか。
何故仕事を済ますや否や校舎にとって返し、
彼女の待つ屋上まで走っているのだろうか。

いや、そんなことはどうでもいい。

走りながら、が以前天井の染みがタツノオトシゴや他の色々なものに見える、と
楽しそうに笑っている姿が頭に浮かんだ。

屋上に行ってみると、はフェンスにもたれていた。

「よお、せーとかいちょー。悪いな、わざわざ。」

は俺の姿を視認するやそう言った。
その視線は、いつものように何もない空間を見つめてはいない。
この様子だと、多分ずっと屋上の出入り口を見ていたのだろう。

「俺は別に構わない。それより、話とは。」

はああ、と呟いて視線をコンクリートの地面に落とす。

「聞きたがってただろ、何があったのか。」
「言う気になったのか。」
「まあ、そうとも言うかな。」

そうとしか言わない、と言ってやりたいところだが今はそれどころではない。

「で、何があった。」

促したもののは逡巡したかのように首を傾げる。

「……言われたんだよ。」

やっと彼女が口を開いた時、漏れたのは酷くしゃがれたその一言だけだった。

「何をだ。」

尋ねるが余程言いにくいことなのか、はううと一旦呻く。
早く先を聞きたかったが、急かすのは得策でないと思い俺はしばし待つ。

「近づくなって。」

肝心なところが省略された言葉に俺は怪訝な目を向ける。

「頭のおかしい電波系が、手塚君に近づくなって言われたんだ。」

言い切った瞬間、はたまったもんじゃないと言わんばかりに
下に泳がせていた視線を一気に空へと向けた。
俺は、頭を突然殴られたような感覚に襲われていた。

「誰に言われた。」
「ここの学校の生徒全員知ってる訳じゃないんでな。多分、同じ学年だと思うけど。」
「それで、どうした。」
「向こうさんの言うには、私はいつもボーッとどっか見てて気味がよろしくないらしい。
で、その癖せーとかいちょーと良く喋ってるのが今ひとつお気に召さない、と。
私言ったんだよ、そんなのこっちの知ったことじゃないって。
言いがかりも大概にしろって。
そしたらあいつら言ったんだ、『イカレ女の癖に生意気だ、さっさと死ね』って。」

何かを堪えているのか、はひどく早口で話す。

「他にもいっぱい言われた。ブスだとか触ると何かバイキンがうつりそうだとかさ。」

言いながら、上を向いたままのの目から透明なものが溢れて流れ出した。
それに気がついた時、俺は心臓がズキリと痛んだ気がした。

が泣いているところは初めて見る。
普段ボンヤリとしてばかりのは大きな感情の揺らぎを
見せることがほとんどない。故に、彼女はあまり物事に動じない
感情の薄いたちかと思っていた。
しかし、もしかしたらはいつもはそんな揺らぎを
見せないようにしているのではないだろうか。
クラスの中でも浮きがちな彼女だ、心無い言葉を平気でぶつけるものは
クラスの内外を問わず今までにもいたはずだ。

何故、それに気がつかなかったのだろうか。

腹の中で何か熱いものが動いている気がして落ち着かなくなり、
俺は沈黙してしまった。

「ホントは言いたかなかったんだ。」

俺の沈黙をどう取ったのか、彼女は続ける。

「忙しい人をヘボ転校生の愚痴なんかに付き合わせるのも何だしな。」
「俺はお前のことをそう思ったことはない。」
「知ってるよ、だから言いたかなかったんだ。」

それで俺はわかった、彼女が何を思って始め何があったのか
聞いても口を割らなかったのかが。

「何でなんだ?」

目を空に向けたままは問いかけるように呟く。

「私はただ、面白いからちょっと違うとこからものを見るのが好きなんだ、
見ながらちょっと空想してみるのが
好きなだけなんだ。なのに、何で誰もああ、そうかで済ませてくれないんだよ。
これじゃ…」

は一旦言葉を切った。

「いくら学校変わったトコで一緒じゃないか。」

その一言を聞いて俺はハッとしたがそれについては何も聞かないことにした。
今ここで俺がの過去を詮索したところで何をしてやれるというのか。
只出来るのは…

「せーとかいちょうー、これ…」
「使え。見ていられないのでな。」
「いや、だけど…」

渡したハンカチを突き返そうとするの手を、そっと押さえる。

、」

俺は言った。

「お前はお前のままでいい。」
「あ…」
「俺はお前がそのままであるところがいいと思っている。」
「せーとかいちょー…?」

は不思議そうな顔をしたが、俺はその無言の疑問に答える気はない。

「せーとかいちょーってやっぱ優しいんだな。」
「生徒をまとめる役職についている以上当然のことだ。」
「それもそうだな。」
「だが、誰彼構わず優しく出来るほど俺は人間が出来てる訳でもない。」

俺は言ってから、うっかり口を滑らせたことに気がついて
慌ててから顔を背けた。
が、有難いことには頬を伝っていた涙を俺の渡したハンカチで
拭くのに忙しくてこちらの言った意味に
気がついた様子はなかった。



「それで結局はっきりと『好きだ』って言いそびれちゃったんだよね、手塚。」
「放っておいてくれ。」

部活での休憩時間、ベンチに座り込んでクスクス笑う不二を
軽く睨んで俺は手にしたボトルから水分を補給した。

「まあ、知らない内に好きになっててしかも自分で
全然気づいてなかったなんて手塚らしいけど。」
「からかうなと言うに。」

不二がなおもクスクスと笑うのをやめないのに
ため息をついて俺はボトルのストローから口を離した。
確かに不二の言うとおりではあった。
俺はろくに自覚出来ていないままに、に心惹かれていた。
が顔に泣いた跡をつけていた訳を聞いたあの時に
やっとそれがわかったのだ。
隣の席でいつも夢想ばかりしている少し変わった転校生に
何故惹かれたのか、と聞かれると理由はよくわからない。

俺は今は近くにいないのことを考える。
彼女は今日も休み時間に妙な姿勢で雲を見て、
何かでっかい島が浮いてるみたいに見えるなどと言っていた。
(しかもあのへりのあたりが岸で、あの辺が山で、町があの辺と
やたら描写が細かかった。)
多分今頃も帰途につきながら植木の形が動物に見えるとか
そんなことを考えて歩いているに違いない。

俺には到底出来ない真似だが、もしかしたら自分にはない
のそんな所に惹かれているのかもしれない。

「だけどいいの、このままで?」

ふいに不二が真面目な顔で言った。

さんは多分そういうことには凄く鈍いよ、言ってあげないとわからないと思うけど。」
「わかっている。だが、今はまだこのままでいたいと思う。」
「やれやれ、君はホントにしょうがないね。」
「お前に言われたくはない。」

不二から漏れる苦笑に面白くないものを感じつつ、ベンチから腰を上げる。
そうして飲み終わったボトルをしまおうとしたその時だった。

「おーい、せーとかいちょー!」

背後からいきなり聞きなれた呼び声が聞こえる。
まさかと思って振り返ってみれば、そのまさかだった。

…」

予想だにしなかったことに俺は一瞬言葉を失う。
噂をすれば何とやら、とはよく言ったものだがあまりにも出来が良すぎる偶然だ。

「あ、スマン、もしかしてお忙しかったか?」
「いや、今は休憩中だ。それより、お前こそどうした、帰ったのではなかったのか。」
「いや、それがさぁ、今日も国語の時間思い切り睡眠に使っちゃったから
先生にとーとーとっ捕まってな。」

その先はあまり聞かない方がいいような予感がする。

「さっきまで先生とマンツーマンだったのだ。」

やはり聞くべきではなかったか。

「補習で先生の手を煩わせるとは感心出来ないな。
いつも自分の行いを考えろと言っているだろう。」
「せーとかいちょーはいつから父親兼任になったんだ?」
「少しは真面目に聞け。」

だがしかし、はフェンス越しからテニスコートを珍しそうに
見つめていて俺の言っていることが耳に入っている様子がない。
何故こんなのに惹かれてしまったのかやはり自分でもわからなくなってきた。

「ところでせーとかいちょー、」
「その呼び方もいい加減にやめないか。それで、何だ。」
「一緒に帰っていーか。」
「俺は部活が終わっても仕事があるが、お前がそれで構わないなら。」
「待ってるからいーよ。」
「そうか。」


そういう訳でその日は珍しくと共に家路についた。

歩いている間もは時折夢想に耽って足元が不安定になったり、
塀の上の野良猫にちょっかいをかけたりするので
歩みはなかなか進まない。

それに悪くない心地を感じつつ、俺はふと空に目をやる。
既に日は大分傾いていたが、やはり夏の空はまだ明るい。

「この節のこの時間の空はなかなか趣があるな。」

思わず呟いてしまった。
それを聞いたが目を丸くする。

「せーとかいちょー、どうしたんだ?」
「思ったことを言ったまでだ。」

俺はそれだけ言っておく。
は不思議そうな顔をしたが、まあいいかと結論したのかそれ以上聞いてこない。

「せーとかいちょーにしては上等だ。」
「そうか。ところで、」
「何?」
「いや、何でもない。」

やはり今はまだ言えない。
この夢想少女に思いを寄せている、とは。

「変なの、いいけどさ。って、あー!」
「どうした。」
「また時間割書きとめとくの忘れたー!」
「いい加減にしろ。」


終わり



作者の後書き(戯言とも言う)

撃鉄シグ初の手塚夢です。遅ればせながらリクエストくださった華白様に捧げます。
手塚夢でヒロインは頭はいいけど浮いている、という設定でとのことでしたので
こんな感じになったのですが如何でしょうか。

ここまで読んでくださった皆様も有り難う御座いました。

・今回の背景
 作中に登場した天井の染みを表現してみました。
 (だから何やねんって話のような気もしますが)

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