その時俺は畳の上に寝転って、団扇で仰ぎまくっていて、
完璧におっさん全開の状態だった。
世間では所謂夏休みの時期、外では蝉が鳴きまくっている。
頭の上ではキャアキャアと子供が騒いでいる。

。」

ノロノロと体を半分起こして俺はバタバタと走り回っているガキ共に唸った。

「ちったぁ静かにしろ。」


愛しのガキ共


時は既に夏真っ盛り、いくら団扇で扇いだところでクーラーか最低でも
扇風機をつけないととてももたないくらいひどい暑さだった。
そりゃ夏は暑いに決まってるだろうが、早いうちから気温が
平気で36度あったりするってのはどうにも参るものがある。

そういえば妻を亡くしたのは、こんな夏の日だったとふと忌まわしきことを思い出す。
あれからもう1年経った。時の流れは速すぎる。

あまりにもあっけない出来事だった。
丁度今みたいに暑い日の昼下がり、妻はいつものように買い物に出掛けて、
その帰りに交通事故に巻き込まれたのだ。
仕事中に連絡が入って、息せきって病院に駆けつけた時にはもう虫の息で…

後には、俺とまだ小学校にも入っていない双子の娘達が残された。

その後しばらくは立ち直れなかったのは当然だ。
母親を呼んで泣きじゃくるガキ共の横で、慰めてやることもせずに
1人沈んでばかりいた。
何とか考えないようにしようとしばらくは子供らを実家の母親に預けて仕事に没頭、
それでもあまりの憔悴振りを周りに散々心配されてとうとう両親や弟に
まだ子供たちがいるのにそれではいけない、と叱責された挙句、
自分でも気がついてやっとまともに残った子供たちに向き合ったのだった。

僅かの間とはいえほったらかしにしていたのにが『おとーさん』と
言って嬉しそうに俺に飛びついてきた時のことは今もはっきり覚えている。

それからは朝子供たちを幼稚園に連れて行って
出勤して仕事をこなして、といった毎日を過ごしているうちに時間が経ち、
今丁度子供らは夏休み、俺も今は休みという訳だ。

まぁ、それはともかくとして今日は暑い。

「くそ。」

流れる汗を腕でぬぐいながら俺はこっそり毒づいた。
昔はいくら暑くともトレーニングに励んでいたものだが、そこから離れてから結構経つ。
随分と衰えちまったもんだ、今は体を動かすのもだるい。
いい加減、暇を見つけて運動しねぇと体に悪いな。

そんなことを考えていたら突然わーんっ、と子供の泣き声がしたので俺は飛び起きた。

「どうしたっ。」

慌てて駆け寄ってみれば泣いているのは双子の片割れで、もう片方は
膨れっ面をして相棒に背を向けている。

「どうした、。何泣いてる。」
があたしのおやつ食べちゃったのー。」
「だってが残してたんだもん。」
「残してないもん、好きだからとっといたのにー。」

俺は思わずガクーとなった。てっきり何か怪我でもしたのかと思えば
そんなしょうもないことで揉めてたのか。
いや、子供らにとっては重要なんだろうが、しかし…

のバカー、おやつ返してよー。」
「いたいーっ。おとーさん、がぶったー。」
が悪いんだよー。」

双子たちがとうとう掴み合いを始めた。考え事をしてる場合じゃない。

「いい加減にしろっ、2人ともっ。」

一喝するとガキ共は途端に大人しくなった。

「ほら、お互いちゃんと謝れ。」

渋々ながらも子供らはちゃんと向き合うと、ごめんね、と言う。
一連の動作が終わると俺は双子たちを抱き寄せて頭をなでてやった。


「ヤベェな。」

遊ぶのに飽きて眠ってしまった子供らにタオルケットをかけてやりながら
俺はひとりごちた。

も夏休みに入ってから、ほとんど家にいるか外に出ても
近くの公園で遊ぶかくらいしかしていないからストレスが溜まっている。
おまけに俺が普段から節約を徹底(我ながらケチ臭い親父になったもんだが)
してるからクーラーも夜寝る時に軽くつけるかつけないかだ。
いくら呑気な子供らでもこれで不快指数が高まらないはずがない。

ならどっかに連れて行ってやればいいではないかという話だが、
つい自分があまり外をうろつきたくなかったので延ばし延ばしにしていたのだ。
最早限界、だが連れていこうにもどこにしたもんか。
休みだからどこも馬鹿みたいに混んでて暑苦しいのは目に見えているし、
もあまりじっとしてるのが得手なタイプじゃない。
どうしたものかと散々考えてテレビの前でゴロゴロ転がってるいるうちに
晩飯を作ってやらねばならない時間になった。
(妻が死んでから、かなり必死で料理を覚えたことを一応言っておく。)


で、晩飯の時間。

「おとーさん、」

差し向かいに座っていた双子の片方が口を開いた。

「なんだ。」

俺は魚をつつきながら子供に目をやる。
ちなみに今喋ってるのは昼間におやつを取られたと泣き喚いていたの方だ。

「どうしてうちはお休みなのにどこも行かないの?」

言われて俺は内心ギクリとする。まさかとーさんが出不精で
混んでる所が嫌いだからです、と答える訳にもいかない。

「俺が疲れてるからだ。」
「でもおとーさん、ずっと家にいるよ。」

適当に答えれば今度はがすかさず突っ込みを入れてくる。
俺はといえば、返答に困って飯を一口。
双子たちはというと俺の顔をじっと覗き込んでいる。
ヤベェ、マジでヤベェ。

「そういうお前らはどっか行きたいとこがあるのか。」

魚を口に運びながら苦し紛れに言ったことは存外効力を発揮した。
双子たちが揃って叫んだのだ。

『プール行きたい!』
「プールだ?」
「うん。」

が頷くとが口を開く。

「おっきいとこがいいな。」
「そんでね、流れてるとこがいい。」
「いっぱい泳ぐの。」
「連れてってくれるよね。」

替わりばんこに口を開かれて騒がしくてたまらない。
まったく、こいつらは。だが、自分達から言ってくれるのは有難かった。

「じゃあ今度連れてってやる。」

俺が言うと、子供らは同時に甲高い歓喜の声を上げた。

「おとーさん、それホント。」

がテーブルから身を乗り出し、も目を輝かせている。

「お前らがいい子にしてたらな。」

再び歓声が響いた。

「だからチンゲン菜を残すな、、お前もだ、
笑う前に茶碗をちゃんと持て。」

言ってやったら片方は慌てて皿の横にどけていた野菜を口に入れ、
もう片方は茶碗を持ち直す。
まったく世話の焼ける奴らだ。それでいいのだけれど。

そういう訳でその後2、3日ほどはネットで情報探しやら必要なものの
買出しやら(ガキ共の浮き輪がうちにはなかった)の準備に費やした。
は陽気に歌いながらまだ早いうちからタオルやら
ビーチサンダルやらを引っ張り出していた。
子供は子供なりに自分達である程度ちゃんと準備しようとしてるのが
微笑ましいと思えるのは多分気のせいじゃないと思う。


前日はちょっと騒がしかった。
俺が普段あまりどこかに連れて行ってやることがない為、2人とも
妙に興奮しやがるときてる。
さっきだって一緒に風呂入ってる間中2人で湯をかけあって遊んでるし、
洗ってやろうとしたらバタバタしてばかりで1秒たりともじっとしようとしない。

今も2人で駆け回って落ち着きがないこと甚だしい。

「じっとしてろ、拭けねーだろが。」

俺は風呂から上がったばかりなのに、チョロチョロと戯れる子供の片方を
捕まえてゴシゴシとその頭をタオルで擦る。
子供は騒ぐが俺はじっとさせて拭き終わると、ヒョイッと抱き上げる。
抱き上げられたは嬉しそうに俺にピトッとひっついて頬ずりなんぞをしてきたが、
またピーピーと騒ぎ出した。
足元にいたもう1人がちょっかいをかけてきたらしい。

「いつまで騒いでる。」

足元にまとわりつくの手を取って俺は唸った。

「寝るぞ。」

『ハーイ』と見事な二重唱が響いて、俺は子供達と一緒に寝室に入った。

それでも子供たちは布団の中、俺を挟んでお互いにちょっかいをかけては
クスクスと笑ってるのでなかなか眠れやしない。
やっとのことで両側からスースーと寝息が聞こえてくる頃、俺も睡魔に
身をゆだねたのだった。


そうして当日もやっぱり騒がしい。

「準備できたか。」
「おとーさん、の帽子がないってー。」
「あ、今が落としたやつだ!」

双子たちはわぁわぁと口々に言う。ったく、こいつらは。

「あれほどちゃんと用意しとけっつったろうが。」

俺はやれやれと髪の毛をかきむしるとに帽子をちゃんとかぶせ、
のワンピースのリボンを直してやった。どうにも手間がかかってしょうがない。
が、戸締りもガスの元栓も問題ないしこれでやっと出発出来る。

「行くぞ。」

宣言したら、がオーッと歓声を上げ、次の瞬間にはおとーさん、と早く
と俺を急かす双子達の手を繋いで駅へと歩いていた。車は使わない。
つーか、うちにはない。
冗談じゃなく本当だ。今時、と思うかもしれねぇが元々子供がいることを
考えて交通の弁がいいところに居を構えてたし、車を持つと面倒が多い。
税金、維持費、駐車場の確保等々考えただけで頭が痛む。
歩いていけるところに電車の駅もバス停もあるんだったら十分だ。

有難いことにも家に車があろうがなかろうが
何も考えてないタイプだった。
普通のガキなら友達の家には車があるのにどうしてうちはないのか、
と聞いてきそうなもんだろうがこいつらはそうじゃない。

歩きが多かろうがなんだろうが、とりあえずどっかに連れてってもらえるのが
嬉しいんだろう、今だって俺を挟んでご機嫌だ。
2人揃ってとんでもねぇテンションだと思う。
そういや今朝はこいつらの大騒ぎで目が覚めたし、
一体何食ってりゃそんなに元気なんだ。
って、こいつらの飯作ってんのは俺か。

「今からはしゃいでっとすぐ疲れるぞ。」

俺が唸ると子供らは少し大人しくなったが、足取りはピョンピョンしていた。

駅に向かう途中で馴染みの交番の前を通る時、が立っていた若手警官に
『あ、犬のおまわりさんだー、おはよう。』と声をかけた。
警官は、相変わらずお前の娘はどんな躾してんだ、みたいなことを言ってきたが
俺はウルセェ、と言い返しておく。
実際しょっちゅう迷い犬拾ってんだろうが、クソ力。
近所の交番に中学ん時の同級生を配属しやがった上の奴に
抗議してやろうかとたまに思う。


そうしてしばらく電車に乗って(ガキ共はずっと車窓を覗き込んでいた)、
しばらく歩いて(いっぺんが帽子を飛ばしかけた)、たどり着いた現地が
やたら混んでたのは言うまでもない。
何たって夏休み、人が多いのは決まってる。
それだからチョロチョロする子供2人の手を繋いで連れて行くのは
簡単なことじゃなかった。
何度のどっちか(あるいは両方)の手がすり抜けていったような
気がしたことか。冗談じゃねぇぞ、離してたまるかよ。

。」
「ちゃんといるよー。」
もいるー。」
「ならいい。」

人ごみの多くは俺みたいに家族連れだった。
どこの家もガキがチョロつくのに困っているらしく、見ていて大変だと同情してしまう。
俺とも多分他人からは同じように見えていることだろう。
そんなことを思いつつ人ごみを掻き分けていたら俺はふと、ガキ共が
挙動不審なのに気づいた。

「どうした。」

しばらくキョロキョロしてたかと思えばとある一点をじっと見ている子供達に俺は尋ねた。

「べつに。」
「何でもない。」

どこが何でもないだ、どこがと思いながら子供達の視線を辿ってみて俺は納得した。
向こうに見えるとある親子連れ、多分うちと同じくらいの子供、父親、
そして子供の手を引く母親の姿。はが凝視してたのはそれだ。
胸が痛んだが、こればっかりはどうしてやりようもないからとりあえず
ガキ共の頭を軽く叩いてやったら2人ともハッとしたように顔を上げた。

「ごめんね、おとーさん。」

小さく呟いたに俺は黙ってその手を握りなおす。
謝ることじゃねえんだよ、馬鹿。


そんで引っ張ってた所謂流れるプールはガキ共にとっては感動モノだったらしい。

「わー、ホントに流れてる。」

プールサイドから水面に手を突っ込んでが言った。

「すごーい。おとーさん、早く入ろうよー。」

子供らが急かしてくるのを聞きながら俺は2人分の浮き輪を膨らませにかかる。
随分と無邪気っつーかなんつーか。こんなくらいで既に喜んでくれるのならもっと前から連れてってやればよかった。

「出来たぞ。」

膨らませ終わった浮き輪を投げてやるとは歓声を上げて
それをキャッチ、即刻プールへと走りこんだ。
確か数分前に走るなと言っておいたはずなのに、
子供に忠告することほど空しいことはないかもしれない。
しょうがないのでとりあえずガキ共を追って自分も水流の中に入る。

「流れがきついな。」
「見て見てー、おとーさん。勝手に動いてくよー。」
「コラ、勝手に行くんじゃねぇ。」

俺は先に立ってともすれば浮き輪ごと流れていきそうなガキ共を引いてやる。
念のため紐付きの浮き輪にしておいたのは正解だったらしい。
2人は最初はそれを鬱陶しがった。

「早く先に行きたい。」
「こんなんじゃ流れないよ。ねぇ、おとーさん。」

馬鹿か、こんな人ごみでお前らだけ行かせられるか。
何て言っても聞いてくれるよーな奴らじゃないから、黙って浮き輪の紐を握り直す。
引っ張られることに文句を言っていた双子はしばらくするとそんなことは
お構いなしで勝手に動いていく水流を楽しみ始めた。

単純な奴らだと思う。何だってガキってのはそんな風に自然と
流れに順応していけるんだろうか。
俺は妻が死んでからはまだ時間の流れに順応できてない節があるってのに。
大体、も何で…

「おとーさんっ。」
「どわっ、おい、っ。」

いきなし双子の片方が浮き輪からスポンと飛び出して人の背中に
飛びつくもんだから俺は思わず声を上げた。

、ずるい、あたしもー。」

が羨ましがって自分も引っ付こうとしてくるが、
いっぺんに2人乗られちゃたまらない。
俺は荷物トラックじゃねぇって普段から言ってんだろが。

「ずるいずるいー、あたしもー。」
「ダメー。」
「馬鹿、2人とも暴れんじゃねぇっ。足が…」

だが最後まで言い終わらないうちにバッシャーンと大きな音がして、
俺はモロに顔から水に突っ込んだ。

「ありゃりゃ。」
「ありゃりゃ。」
「ありゃりゃじゃねぇっ、このじゃじゃ馬共!」

周囲にいた連中(年齢問わず)がやたら面白そうに笑いやがるのが
何とも言えない。

ちなみにこの後俺はこいつらと一緒に流れるプールを
10周ほどさせられる羽目になった。


「ふぅ。」

手近な椅子に座り込んで俺は一息ついた。
は今浅い子供用プールで水を掛け合って遊んでいる。
とりあえず俺はあいつらが目の届くところにいるのを確かめながら小休止。
朝っぱらからたたき起こされた挙句わいわい騒ぐあいつらと一緒に
流れるプールを周回させられたんだ、
ちょっとぐらい休んだって罰は当たらねぇだろう。
双子の父親ってのも楽じゃない。
しかし、こんな程度で疲れるとは学生と頃と比べて本当に衰えたもんだ。
尤も、あの頃はまだ自分(てめぇ)のことにだけ構っていれば良かった訳だが。
そんなことをボンヤリと考えていたら

「あの、」

急に声をかけられて、俺は何気なく振り返った。
すると

「あ、やっぱり海堂だ。」
「お前は。」

久方振りに見る長身の姿に、俺は遠い昔を思い出す。

「鳳か。」

呟くと相手は昔と変わらない好青年な笑みを浮かべて、久しぶりと言った。

「奇遇だな、こんなトコで会うなんて。確か中学以来だったっけ。」
「そうだな。」

テニスをやっていた頃、関東大会で目の前の相手に敗れたことが
つい昨日のことのように蘇る。
過去を振り返るってのは柄じゃねぇが、あの頃の自分は何を考えていたのだろうか。
確か今のこんな様子など想像だにしていなくて、ひたすら強くなりたくて
勝ちたくてがむしゃらだったような気がする。

「元気にしてたみたいだね。」
「まぁな。てめぇは1人なのか。」
「あー、うん。」

鳳は苦笑を浮かべて髪をかきむしった。

「実は彼女と一緒に来たんだけどさ、急に用事が出来たって
さっき帰ってっちゃったんだ。俺もそろそろ帰ろうと思ってたんだけど。」
「そいつは災難だな。」
「送っていくって言ったんだけどね。海堂こそ、今日は1人なのか。」

俺は返事の代わりに向こうで泳ぐ双子達を顎で指した。

「あの子達は?」
「うちのガキだ。」
「そ、そーなんだ。」

背の高い約1名はそう言っただけだったが目が微妙に動揺している。
そんなに意外か、フン。

「奥さんは、一緒じゃないのか。」
「死んだ。」

瞬間鳳はひどく申し訳なさそうな顔をしたが俺は気にするな、と言ってやった。
実際気にしていない。寧ろ真面目に気遣われる方が応える。
一瞬沈黙が流れ、プールの水音と来てる客のざわめきが耳についた。
は2人で水遊びに夢中になっている。
が、時折こっちをチラチラ見ている辺りどうやら見慣れぬ大人と
俺が喋ってるのに興味があるらしい。
片方がこっちにこい、と手招きしてくる。無視したら更にブンブンと手を振る。

「お呼びだよ。」
「ウルセェ、見えてる。」

俺は完璧おっさんのノリで重い腰を上げた。

双子達の側に来るや否やすぐ片割れが擦り寄ってきた。ちなみにこっちはだ。
抱き上げてやったらは嬉しそうに頬ずりしてくる。
が自分も、とせがむのでを下ろして今度はこのもう1人を抱き上げる。

「で、お前ら何か用か。」
「おとーさん、あの人誰?」

が指差して鳳を指差した。つーか、言うに事欠いてそんな用事かよ。

「お友達?」
「まぁそんなとこだ。」

実際は微妙なところだが多分今のこいつらには理解できないだろう。

「違うよ。」

相方に異を唱えるのは

「らいばるだよ、ね、おとーさん。」
「うぐっ。」

子供は侮っちゃならねぇらしい。

「そうかもな。」
「だって、。」
「わーい、すごい。らいばるだ、らいばるだ。」
「おとーさんのらいばるだ。」

とうとうガキ共は騒ぎながら俺の足元をぐるぐると回り始める。
に至ってはわざわざ俺の腕から抜け出て)

「わかったからもうちょっととーさんを休ませろ。」

一応自分のガキだが、やっぱり疲れるかもしれない。

戻ってきたら妙にニコニコしてやがる鳳の顔が目に入った。

「あんだ、ニヤニヤしやがって。」
「慕われてるんだね。」
「どうだかな。」
「何だよ。」
「気を遣わせてるかもしれねぇ。」

鳳は何の話だと言わんばかりに眉をひそめた。

「俺は、あいつらの本当の父親じゃねぇんだ。」

一瞬沈黙。

「死んだ女房の連れ子でな。」

あっさりと言う俺に対し、鳳はというと、何も言わねぇ代わりに
目がだんだんと見開かれていく。
無理もねぇ。今までこのことを話した相手はごくごく一部、それでもほとんどが
驚いた面をするのにましてテニスの試合以外で関わったことのない奴が
そんな話を聞かされりゃビビったみたいな反応をするのは決まってる。
だが鳳はちょっとの間そんな驚いた風を見せたが、次の瞬間には何故だか
微笑んでやがった。

「大事にしてるんだな。」
「別に。」

俺は唸った。

「何だってなつかれるんだか未だにわからねぇ。」
「何言ってるんだよ。」
「女房が」

鳳の言葉に構わず俺は話を続けた。

「死んだ後どうも立ち直れなくてな、しばらくあいつらをほっといて仕事ばっかやってた。母親がいなくなって一番辛いのはあいつらのはずだってのに、
自分のことにばっかかまけてあいつらのことを見てやらなかったんだ、なのになんで。」
「あの子達にとってお前がお父さんだからだろ。」
「いっぺん父親であることを放棄したんだぞ。」
「それでも、だよ。」

鳳はきっぱりと言った。

「見てたらわかるさ、あの子達のお父さんはお前しかいないんだ。
でなけりゃあんな風にひっついたりするのか?第一、お前のことずっと
おとーさんって言ってたじゃないか、ここからでも聞こえたぞ。」

そこまで言われてから俺はやっと、あ、と思った。
横では鳳がやれやれ、と息を吐いた。

「テニスのことはわかるのに子供のことは意外とわかってないんだな。」

言われて俺は顔が熱くなるのを感じる。クソッ、笑うんじゃねぇ、鳳。

「いいね、血が繋がってなくても家族になれるのって。」
「どうということじゃねぇ。」

実際どうということじゃなかった。ガキ共を遠ざける理由も
虐げる理由も俺にはないってだけだ。
が自分を必要としているのなら俺にそれ以上の理由は必要ない。
そう言ってやったら鳳はやっぱり海堂はすごいな、と言った。

すごいもへったくれも当たり前だろうが。

「おとーさーん。」

向こうで遊んでいたがこっちに向かって手を振ってきた。

「こっち来てー。」
「またお呼びだよ。」
「わーってる。」

鳳に言われて俺は腰を上げた。大人にとってはほとんど水溜りみたいな
プールの中ではパシャパシャと水しぶきを上げて遊んでいて、
俺の姿を見ると2人とも真っ直ぐに飛んできた。

「おとーさん、」
「何だ。」
「あっちの滑り台に行っていい?」
「行ってもいいが、滑るんならとーさんと一緒だ。」

擦り寄ってきたガキ共はどういう訳か、えーっ、と抗議の声を上げる。

「それじゃあたしかかどっちかしか滑れないよ。」

うっ、そういやそうだ。参った、でかい滑り台に1人で行かせるにはうちのガキ共はちっと小さすぎるし変わりばんこに、つっても子供が片方ほったらかしになる。
どうしたものか。

「何だか困ってるみたいだな。」

いつの間にやら鳳がやってきていた。
俺よりずっとでかい図体のくせしてどうやったら気配もなく来られるのか
よくわからねぇが、その辺は深く考えないことにする。
事の次第を話すと鳳は、ああ、なるほどと呟いた。

「じゃあ俺が片方の面倒見るよ。」
「いいのか。」
「いいよ、いいよ。彼女も帰っちゃったし、ここで会ったのも何かの縁だし。」

そこまで言われりゃ断わる理由はねえ、それに実際助かる。
結局双子の片方は鳳にまかせて滑り台に行くことになった。

「じゃあ行こうか、ちゃん。」
「そっちはだ。」
「あ、御免。」

他人にこいつらの区別をつけろというのは酷かもしれない。


行きたいと言ったはいいがこういうとこの滑り台はご多分に漏れず
高い所からスタートするもんだから、ガキ共が途中でやっぱり怖いと
泣き出したらどうしようかと俺は密かに思っていた。
しかしそれは有難いことに取り越し苦労に終わった。
も初めての大きな滑り台にもまるっきり動揺することもなく、
寧ろ高速で滑り落ちるのに所謂スリルを感じてご機嫌全開だ。
一緒に滑ればキャーキャーと声を上げるから、こっちが自分の耳の
心配をした方が早いぐらいだと思う。
鳳になついたのも存外早かった。始めに鳳と一緒に滑った
『おにーさん、もういっぺん!』とか何とか言って苦笑する鳳を引っ張っていたし、
で今度は自分が鳳と滑るといって聞かなかった。
所謂人徳って奴だろうか、多分俺が逆の立場ならこうは行かなかったと思う。
そんなことをポツと漏らしたら、鳳に馬鹿なことを言うなとたしなめられた。

「お前には負けてるさ。」
「そうかよ。」

まあ、確かにこう見えてもあいつらの親父である訳だが。

「おとーさん、早くー。」
「お前ら何べん行く気だ、ちょっと待て。」
「海堂、この子はちゃんかい?」
だ。」


結局子供らに付き合ってその日はほとんど泳いだり滑ったりだった。
こんなに体を動かしたのはマジで久しぶり、子供を抱えてると
何がどうなるやらわかんねぇもんだ。
鳳は結局帰る直前まで俺達と一緒だった。随分世話をかけたから悪い、
と思ったが当の本人は全然構わない、の一点張りだ。

「いい子達だね。」

帰りの電車の中で、鳳がいきなり言った。

「多分な。」

何言ってやがんだ、こいつはと思いつつ俺は返事をする。

「またそんなこと言って、罰が当たるぞ。」
「知るか、今からグレるよーな躾はしてねぇってだけだ。」
「素直じゃないんだから。」

俺はフンと呟くと、聞こえなかったふりをした。
両脇ではガキ共が寝息を立てている。
これでもついさっきまでは2人でわちゃわちゃと騒いでたんだが、
今は微笑を浮かべながら夢の中だ。

「ガキってのは、」

俺はふと呟いた。

「どうした。」

鳳の野郎はきっちりそれに反応する。

「ガキがってかとりあえずうちのガキ共は、何だってこうも単純に
笑ってられるんだろうな。」
「母親がいなくなっても、か。」

俺はハッとして思わず相手をマジマジと見つめるが鳳は見てたらわかる、と笑う。

「とりあえずさ、お前がいるからだと思うよ。ちゃんとちゃんが
今でも笑ってられるのは。」
「そうなのか。」
「さっきも言ったろう、この子達にとってはお前がおとーさんなんだって。
同じようなことを二度も言わせないでくれよ。」

ああ。

「そうだったな。」


そうして鳳と別れて電車を降りると夕暮れの中、来た道を帰る。

「おとーさん、眠いよー。」
「あたし、立てない。」
「ちゃんと歩け、2人共だ。」

俺は眠気を訴えてダラダラする子供らを引っ張る。
犬の散歩じゃあるまいし、本当に手間のかかる奴らだ。

、まだちゃんと歩けねぇのか。」
「無理ー、しんどいー。でもね、」
「あ?」
「面白かったね、おとーさん。」

そうだな、と答えると今度はが言う。

「また行こうね。」

俺はもう一遍そうだな、と呟きつつ確かに自分に伸ばされる小さな手を握る。

「今度はお父さんを引っ張ったげるからね。」
「期待しとく。」

交互に喋るの顔をふと見ると、2人ともニコニコと笑っていて何だか眩しい。それで胸を締め付けられる気がして、俺は慌てて目をそらせた。

「おとーさん、お腹減ったよ。」
「あたしもー。おとーさんも減ってるでしょ?」
「ああ。」

俺は言って子供達の手を握りなおした。

「さっさと帰って、飯にするぞ。」

夕空にハーイと元気な二重唱が響く。

愛しい、愛しい、俺のガキ共。
どれだけ手間がかかろうが、お前達がこれからも笑顔を忘れないことを。


終わり。



作者の後書き(戯言とも言う)

薫君がとうとうマジに父親になっちまいました。
彼にはよくチビッ子をあてがってしまうのですが、どうも彼には子供を連れてる姿が似合う気がします。
だからといってこんな毛色の変わった設定、普通使わないだろうな。
いや、真島ヒロ先生の"Rave"に出てきた
自由家族(リベラルファミリア)」という概念が密かに好きでして。
(だからってその延長線上にテニプリ夢を持ってくるのはかなり強引。)

ネタを思いついたのは確か跡部夢『義兄と私』シリーズを書いていた頃だったので随分と前です。
元々シリーズにしようと思ってたんですが現状でこれ以上シリーズを増やしたら
えらいことになるので今回こんな形でお目見えすることになりました。

そもそも夏休みシーズンが終わってからどんくらい経ってるんだ。

2005/09/14

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