ある日のテニス部、練習が終わって部室にもほとんど人がいない時
チームメイトのジローがそれを言い出したのは唐突だった。

「跡部ってさー、勝気な女の子好きなんだよねー。」
「何だ、いきなり。」
「大人しい子は?嫌いなの?」
「嫌いだな。」
「何で?」

何でって、何で俺がこいつに答える必要があるんだよ。
俺はジローの話を聞かなかった振りをした。

「ねぇ、何で?」

しつけぇな、おい!

「何でもかんでも我慢しやがるからだよ。」

とりあえずジローの質問には答えておいてやる。
こいつのことだから気が済んですぐに眠っちまうだろう。
ところが今日に限ってジローは眠ろうとしなかった。
それどころか部室のソファから身を乗り出して
何だか期待を込めて顔をのぞかせてやがる。

「詳しいことを話す気はねぇぞ。いつもみたくさっさと寝てろ。」
「ヤダ。目ぇ冴えてるから何か話してほしいなー。」
「てめぇはどこぞのガキだ!」

しばらくそんな押し問答が続いた。
で、情けないことに折れたのは俺の方だった。

「わかった、話してやる。その代わり絶対口挟むんじゃねぇぞ。」
「おっけー。」


 嫌いな訳


あれは確か去年の話だ。俺がそん時丁度ムシャクシャしながら帰ってた。
何でムシャクシャしていたのかは覚えてねぇ。
胸くそ悪いことは忘れることにしているからな。
とにかく腹立って腹立ってしょうがなかった。
そんな状態だったからまともに家に帰る気すら起きなくて、
1人珍しく後輩の樺地も連れずに歩いていた。

まぁ普段は自家用車に乗って帰ってる訳だが、
たまには歩いて帰りたい時もある。

とにかくそういった訳で俺は歩いて帰っていた。
歩いてる途中でとある公園の入り口が目に入った。
公園に取り立てて執着がある訳じゃねぇ。
ただ、いつも車の窓からしか見たことのない場所だというのが
何となく気になってフラリと立ち寄ることにした。


「チンケなトコだな。」

公園に入ってすぐ俺は呟いた。まったくもってチンケなトコだった。
どこの住宅街にでもありそうな小さな敷地、
真ん中に滑り台やらうんていやらが組み合わさったちょっと大き目の
遊具と後はブランコや砂場が申し訳程度に設置されてるだけ。
入るまでもなかったはずだのにわざわざ足を踏み入れた自分が阿呆くさくなってくる。
一体俺はここで何をやってんだ。

「チッ。」

舌打ちをしながらざっと辺りを見回すと砂場の側にベンチがあるのを見つけた。
帰るのがまだ億劫だった俺は荷物を降ろしてベンチに座り込んだ。
公園には俺の他に誰もいない。辺りは気味悪いくらい静まり返っていて、
そのせいか俺は特にどこに焦点を合わせるでもなくボンヤリとしていた。
何か考えようとしていたんだろうか。だが考えようとした端から
考え事はまるで指の隙間から零れ落ちる砂みたいに流れていってしまう。
マジで俺はここで何をやってるんだろうか。
既にそれを考える気力すらなくなっていたのは明白だった。

どれくらい経った頃だろうか、どうやらボンヤリしているうちに半分眠っていたらしい。
急にザリッという砂利を踏みしめる音が聞こえて
俺は柄にもなく飛び起きた。
何だと思って辺りを見回すと、丁度公園の入り口に目が行く。

そこには誰かがいた。女が1人、しかもうちの学校の制服を着てやがる。
手には鞄、俺からすりゃ信じられない薄手の生地な上、
かなりボロくなってて角から糸がピンピン飛び出しているのが見える。

これが砂遊びの道具片手のガキだったらどうということはない、
単に近所の奴が遊びに来ただけのことで済むが
相手が自分と同じ学校の生徒となるとそうは行かなかった。
だがこの時俺は余程ボケていたんだろう、どういう訳だか突然の
来訪者を阿呆みたいに凝視していた。

女の方は自分をジロジロ見てくる見ず知らずの胡乱な男に
警戒した様な視線を投げかけるが、何も言わない。
そのままこいつは砂場に入った。

信じられないだろうがマジだ。マジでこいつは堂々と砂場に入った。
しかも更に信じられないことにこいつは鞄を傍らに置くと、
しゃがみ込んで両手で砂をすくい始める。
いっぺん女はまたこっちを見た。
(俺はこの時もこいつを見続けていた)
が、すぐに視線を外し、両手で砂を盛り上げにかかった。
砂をすくっては平らにならし、そこへまた新しくすくった砂を重ねる。
そしてまたならしては重ねての同じ作業が繰り返される。

何を作ろうとしているのか、女の目が随分とマジなのが笑えた。
まるで仕事でもしてるみたいだ。

向こうからすりゃそんな風に自分を見ている俺が変人に見えただろうが、
俺からすりゃこの女も大概変な奴だった。
目の前で知らない男がやたら自分を見ているというのに
年甲斐もなく黙々と砂を盛り上げる作業を続けてやがる、しかも楽しそうに。
普通ならとっくに気味悪がって引き上げてるとこだろう。
それ以前に中学生(多分)が砂場で遊ぶなってんだ。通報した方がいいか?

まったく、変な奴だ。

そんなことを思っているうちに、その時苛立っていた俺の内面は
すっかり落ち着きを取り戻していた。
俺はいい加減帰ろう、とベンチから立ち上がった。
女はそんな俺の方を見ることもなく、砂を盛り上げ続けていた。


そのまま1週間くらいはそんな変な女のことなんざ忘れていた。


そうして迎えたその日もいつもと変わらない、はずだった。
いつもどおり部活の朝練を終えた俺は後輩の樺地と一旦別れ、
下駄箱で靴を履き替えようとしていた。

いつものことだが近くを通り過ぎる女共がいちいちうるさい。
人が靴を履き替えてるくらいでキャーキャー言うな、
俺はTVタレントじゃねーんだよ、馬鹿。

ってな内心とは裏腹に愛想笑いをしてやってる俺は俺で
とんだ道化だとは思うが生徒会長という肩書きも持っている以上
人気を維持しておく必要だってある。そんなもんだ。

履き替えているうちに騒ぐ女共の波が治まった。
が、やれやれと安堵した次の瞬間にいつもと違うことが起こりやがった。
妙な音がする。無論予想だにしてなかった俺は
いつかのように柄にもなくビクリとした。

よく聞いたらその妙な音は歌声で、誰かが
歌いながらこっちへやってきているらしい。
ただでさえさっき騒がれてあまり機嫌が良くなかったから、
朝っぱらから浮かれやがって、とカチンと来た。
しかも本人は小さく歌ってるつもりなんだろうが、
結構音が響いていてやたら耳につく。
それが余計に(かん)に障った。

ちょっと黙らせよう、そう思って振り向いた時だった。

危うくあっ、と声を上げそうになってすぐ堪えた。
同時に冗談だろ、と思った。
目の前にいたのは、いつか公園で砂遊びをしていた変な女だった。
手にはやっぱりほつれた糸が目立つ安物の鞄を持っている。
同じ学校なのはわかっていたが、学年も同じだったのか。
当の本人は俺と目が合った瞬間、歌うのをやめてしばしじっとこっちを見ていた。
だがすぐに視線を外してまた歌いながら俺の横に来て靴を履き替えにかかる。
どうやら隣りのクラスの奴らしいが、その行動はまるで何も見なかったかのようだ。

「人前で歌ってんじゃねーよ。」

その行動が何となくムカついて俺は思わず唸る。
歌がまた止まった。靴を履き替えていた女はこっちを振り返るが
俺はそれを無視して通り過ぎる。
別に返答を待ってるって訳じゃないからな。
ところが、

「何よ、うっさいなぁ。」

背後から聞こえた思わぬ声に俺は足を止めた。

「いい度胸じゃねぇか。」


次の瞬間、俺はどういう訳かそいつと一緒に教室に向かっていた。

「お前、名前は。」
。」

なめてんのか。

「言うに事欠いて名前だけかよ、先に苗字言え、苗字。」
。」

最初っからそう言え!ったく、マジでおかしな奴だ。

「ところでアンタは?」
「氷帝学園にいて俺を知らないのかよ、跡部景吾だ。」
「いや、知ってるけど念のため確認。」

何の確認だ、何の。と言ってやろうかと思ったが聞いたところで
おかしな返答をされそうだったのでやめておいた。頭痛の種は御免だ。

「こないだ公園にいたよな。」
「うん。跡部はベンチに座って寝てた。」
「くだんねぇこと覚えてやがるな。」

言うとは何か呟くが朝の喧騒に掻き消されて
何を言っていたのかはわからない。
どうせこんな奴だ、ロクなことじゃないと思って
聞き返すことは敢えてしなかった。

「で、お前はあん時一体何してやがったんだ。」
「いいとこの坊ちゃんの癖にひどい口のきき方だね、別にいいけど。
とりあえず何してたもへったくれも跡部見てたじゃん。」
「何だって砂遊びし出すんだか俺にわかるかよ。」

、あるいは、はうーん、と呟くと首の辺りをポリポリ掻いた。
(女がこんな行動をする時点で俺にとっては既に信じられない)

「何でって言われても何となく、としか言いようがないんだよね。」
「ああ?」
「いや、怒んないでよ。私、時々自分でもよくわかんないことしたくなる
衝動に駆られるのね。」
「何だそりゃ。」
「だから自分でもわかんないだってば。」
「よくわかった。」

こいつが如何におかしな奴かってことが。
はあら、そう、と呟くとでかい欠伸を一つ漏らした。
それっきり俺とこいつは口をきかず、お互い自分の教室が
見えてきたところで別れた。


俺との関わり方は、おかしかった。大体最初の出会い方からして普通じゃねぇが、
その後も明らかにおかしい。
というのも学校ではお互い自分から相手に近づこうとはしないからだ。
俺は日々自分のことで精一杯だったし、で何も考えてないのか
俺が近くにいたとしても視線すら合わせない。
それなのに俺が気まぐれを起こして
(まぁ大抵は前みたいにムシャクシャして何となく家に帰りたくない時だ)
あの公園に足を伸ばしたらは必ずそこにいて、砂を弄っている。
で、俺は砂場の側にあるベンチに座って2人で語り合っている。

語り合うと言ってもそれがまともに盛り上がった例はほとんどなかった。
は所謂大人しいタチだったから自分からあまり多くを語ろうとしない。
ましてこの変わった性質のせいで世間の感覚ともずれているらしく、
当世の流行の話なんざ欠片も通じない。
結局、話すのはすこぶるしょうもないことばかりだった。

「砂弄ってて楽しいか。」
「面白いよ、色んな形になるからね。跡部もやってみる?」
「冗談じゃねぇ。」
「あ、そう。」

ちょっと会話したらしばらくは沈黙が続く。が砂遊びに夢中になってしまうからだ。
俺はどこが楽しいんだかと思いながらが砂山にトンネルを開けたり、
周りに飾りのつもりでこさえた泥団子を配置したりするのを眺めている。

「跡部ってさ、普段家で何してんの?」
「いきなり何だ。」
「御免、だって生活感ないんだもん。」
「お前も大概だろうが。」
「そんなことないよ。」

どこがだ、どこが。

「まぁあれだな、暇があれば読書をしている。」
「どうせ小難しいの読んでるんでしょ。」
「お前はどうなんだよ。」
「私は漫画しか読まないからねー。」
「それでどうやってうちの学校に入ったんだ。」
「奇跡。」
「黙れ。」

何とも不毛な会話だ。何だって自分がこんなことをしてるのかも未だよくわからない。
しかし同時にそれは穏やかな時間でもあって、それを悪くないと思っている自分もいた。


そんなこんなで公園で話をするようになってから何となくわかったことだが、
は学校ではあまりよく思われていないようだった。
中2にもなって砂遊びをしたり、朝から歌いながら学校に来たりする
奇行振りからして無理もないかもしれないがどうにも
タチの悪い目に遭わされるのもしばしばらしい。
そういえば一度、学校で妙な現場を見たことがある。

その時俺は移動教室で面倒だと思いつつ教科書やノートを
抱えて化学実験室に向かっていた。
丁度女子トイレの前を通りかかった時だ、何だか女共が数人固まってやがる。
邪魔だと思いながらも通り過ぎようとした。
そしたら固まってる女共の真ん中にがいた。

は何も言わなかったし、俺は移動教室で時間を
無駄に出来なかったからそのままそこを去ったが
その日公園でに会ってもその話は一言も出てこなかった。

まぁいい、と思ってその時は気にしないことにしたが
その他はひっかかることが多すぎた。

3日前にわざと足を踏まれた。
昨日はどうやら陰口を叩かれていたらしい。
今日は見ず知らずの男子に雑巾を投げられた。
等々聞いただけでも枚挙に暇が無い。
教師に言えよ!と思わず怒鳴りたくなる。いや、実際俺は怒鳴った。
だがは言った。

「面倒がって誰も首を突っ込みたがらないからね。ま、何とかなるよ。」

そしてこいつはカラカラと笑った。
あまりにあっけらかんとしていたので、俺は何かされても
こいつは痛くもかゆくもないんだな、と思った。


それが大きな間違いだとわかったのは随分と後になってからだった。


面倒なことになったのはその随分と後になってからの日で、
しかも放課後部活の為に着替えようとしてた時だった。

「ねえ、って女子知ってる。」

誰かが突然話を持ち出した。(確か滝だったと思う)
いきなり出たの名前に俺は反応しそうになるが、うっかりしたことを漏らせば
チーム内でやたらからかわれる恐れがある。

だ?俺はあいつ好かねぇな。何考えてんだか得体が知れねぇ。」

代わりに反応するのは宍戸だ。そこへ忍足も口を開く。

「せやなぁ、何かぼーっとしててどこ見てるんかもわからんし、
ちょっとどないかなってるんか思うとこあるわ。」

ここで忍足はあ、という顔をした。

言うたらさっき目(あこ)うして門出て行きよったん見たけど、
どないしたんやろな。」
「俺知ってるぜ、多分。」

言ったのは向日だった。

「あいつさっき誰かに呼び出されてたから、それじゃねぇかな。」

向日の言葉を聞いた途端、俺の中で何かがズクンと音を立てた。

「向日先輩、それ見過ごしたんですか?最悪だ、絶対それが原因ですよ。」
「しょうがねぇだろ、長太郎。事情もわかんないのに俺が割って入れるかよ。」

一連の会話を俺は聞いているようで聞いていなかった。
さっきの音がドンドン大きくなる。ズクンズクンと耳なりがひどくなっていく。
気がついたら、俺は荷物を置いて部室を飛び出していた。

「跡部っ、どこ行くねん!」

忍足の声が追いかけてくるが構う気なんかなかった。

俺は馬鹿だ。本当に痛くない訳がねぇんだ。
表に出さないからわからなかっただけなんだ。
何でもかんでもすぐ我慢しやがって、だから大人しい奴は嫌いなんだよ!

学校を飛び出して目指していたのは初めてを見たあの公園だった。
そこにがいるという保証はない。だが、何となくあそこにいるような気がしていた。
いるならあそこしかない。俺はその時そう思い込んでいた。

そうして走り続けているうちにあの公園の入り口が見えてくる。
思わずスピードを上げて俺は中に駆け込んだ。

。」

息を切らせながら俺は呟いた、
砂場の中に座り込んでボタボタ涙を流しながら砂を盛り上げている姿を見つけて。

「あ、跡部。」
「何やってんだよ、お前。」
「別に、遊んでるだけだよ。」
「泣きながらか。」

はほっといてよ、と言ったらしいが鼻をすすりながらだったからよく聞こえない。

「答えろ、何があった。」

の口から妙な音が漏れた。いつもならそんなもん聞き取れないくせに
今回に限って何を言っているのかわかった。

「何でもない奴がんな顔してんのか。」

だがはなかなか口を割ろうとしない。
代わりに狭い砂場の真ん中に巨大な造形物が出来上がっていく。
砂の城、静かに立っちゃいるがその実少しでも
触れたらすぐにでも壊れてしまうだろう。
まるでみたいだと思った。

もしかしたらはいつも砂場で外に出せない感情を
こうして形にして固めていたのかもしれない。

そうやって我慢して我慢して、いつも何とか痛みがひくまで待っているんだ。

「答えろ。」

俺はもう一度言った。いや、命令した。
そこではとうとう折れてため息を吐いた。

「見て、これ。」

そうして渋い顔をしながら砂を弄っていた手を止めて
制服の片袖を捲くった。
俺より一回りは細い腕が現れる。
その肌には赤い爪跡が、それもねじったみたいになのが、
いくつもいくつもついていてさすがの俺も絶句した。

「参るよ、まったく。呼び出されて訳わかんないこと言われるし
突き飛ばされるしその上(つね)られた。4人くらいいたかな、ひどいんだよ、
思い切り爪立ててやるんだもん。」

は何とか動揺を隠そうとしていたが、うまくいっちゃいない。
吐き出した瞬間に我慢の歯止めがきかなくなったのか、
声が揺れていて手も震えている。
目からは涙がまた流れてて、ボタボタと砂の上に落ちていく。
そんなの姿に俺はそれまで感じたことのないくらいの痛みを覚えた。
理不尽だ、と思った。
何だってこいつがこんな目に遭わなきゃならないんだ。
そりゃ相当におかしな奴だとは思うがここまでする必要があるのか。
(一番おかしいのは俺がそんなことを思ったのはこれが初めてだって事だが)
そしてこいつはこいつで何だってその痛みを我慢してしまうんだ

「泣くんじゃねぇ。」

見ているのがキツくなってきて俺は言った。

「泣いて何になる。どうせ誰も助けちゃくれねぇよ。」

第三者が聞いたら何て冷たい、と俺を非難するだろう。
だが他に何を言ってやったらいいのかなんてわかりゃしねぇ。
は何も言わずに鼻をすすって俺の言うことを聞いている。
それがまた嫌だった、反論があるなら言えばいいのにと思うと。

だが、やっぱり…

。」
「何?」
「可能性は低いが、俺なら助けてやるかもな。」

他の連中の前だったら絶対言わない、いい加減な言葉だった。
それなのにはうん、と頷いた。

「有難う、跡部。」
「何もしてねぇよ。」

嬉しそうに笑うに俺はぶっきらぼうにそう答えた。


その出来事以降も日はどんどん経っていく。
その頃には俺自身本当に忙しくなってきて、
に会うことなどほとんどなくなっていた。
そんな中でが氷帝を去っていったのはあまりに突然だった。

が転校する時、俺はあいつに会わなかった。
運悪く、というのも妙だがその時テニス部の
公式試合があった為に学校には来てなかったからだ。
と同じクラスの奴にあいつが転校したことを聞いたのはその後だった。
親の都合で転校したとのことだったが何分事が急過ぎだったから
やはり毎日受け続ける痛みに耐え切れなくなったのが
元じゃないかと疑った。(今でも疑ってる。)
あの時俺はひどく自分を呪ったのを覚えている。
俺はに何もしてやらなかった。
思ってることを外に出さない奴は時々こっちから引っ張ってやらないといけない。
わかっていたのに俺はそれを面倒くさがったのだ。
一番あいつの近くにいたのは間違いなく俺だったのに
あいつがいつも痛みを抱えながら歩いていたことを知っていたのに。


「あん時思い知らされたぜ、俺は結局自分のことで精一杯だったんだってな。
だからもし側にいるなら見てて痛ぇ思いをせずに済む相手がいいって思った。
もう(そと)見てわかんねぇ奴は御免だ。」

話し終わってから俺はふと目を開けた。
まるで夢から覚めたような気分だ。
たった1年前の話なのに何だってこうも昔に感じるのだろうか。

「そっかー、そんなことがあったんだー。」
「思い切りお前の身近の話でもあるだろうが、寝てばっかだから気がつかねぇんだよ。」

ジローは跡部ひどいー、とブツブツ言いながらソファのクッションに頭を突っ込む。
が、何か思い出したのかすぐに頭を上げた。

「あのさ、跡部。」
「あんだ、一体。」
さんさ、幸せだったんじゃないかな。」

唐突な一言に俺は思わずジローを凝視した。

「冗談じゃねぇ。」

やっとこさそう吐き出す。

「俺は何もしてやんなかったんだぞ。」
「そんなことないよ。」

寝ぼけた目をしながらもジローがひどくしっかりと言う。

「そりゃちょっとだけだったんだろうけどさ、少なくとも跡部は
さんの側にいたげてたんでしょ?
ちょっとでも誰かがいてくれるって幸せだと思うけど。」

瞬間、俺の中で何かが溶けていく気がした。
溶けて流れていっている、何故かそんな風に感じた。

「跡部さ、自分責めすぎじゃない?」

ジローは言うだけ言って再びクッションに頭を突っ込んだ。
程なくスースーという寝息が聞こえてくる。
俺はジローから視線を外して部室の天井を見た。
目から何かがこぼれてきそうな気がした。


その日、家に帰ると執事のじーさんから手紙を一通受け取った。
一体どうしたのかと聞いたら、今日の昼頃にポストに入ってたらしい。
差出人は不明、しかも封筒は事務用の奴ときている。
まだ茶封筒でないだけマシってとこか、どの道センスを疑う。
チェーンレターの類だったらぶっ殺してやると思いつつ
自室で封を開けた。

中から出てきたのは薄紙に包まれた写真、勿論さっさとそいつも開ける。
開けて目にした途端、あ、と思わず声を漏らしてしまった。

写真には呑気に笑う女が写っている。
誰か、なんてのは言うまでも無い。
少なくともその顔だけは忘れたことはなかったから。

写っているのはそいつだけじゃなかった。多分仲間だろう、
幾人か知らない連中も写っていて、とにかく本当に幸せそうな写真だった。

幾枚かある写真をかわるがわる見ていたら、
最後に写真と同じ大きさに切ってある紙が出てきた。
紙にはよく女子が使ってるようなパステルカラーのペンで書き込みがあった。

   跡部へ。
   お久しぶり。覚えてるでしょうか、です。
   何も言わずに急に消えて御免なさい。
   何せ親が急に転勤になったとかで凄くバタバタしてたんで。
   氷帝にいた時はお世話になりました。
   色々あったけど跡部のおかげで乗り切れたって
   本当に思ってて、感謝してます。
   あの時、先生も誰も助けてくれなかったけど
   跡部だけは私の話を聞いてくれて私を拒まなかったから。

   今私は元気です。こっちでは友達も出来ました。
   転校する前に会えなかったのは残念だけど
   代わりにこの写真を送ります。
   どうか心配しないでください。

   

「ハン、遅ぇんだよ、あの馬鹿。」

それを見て俺はひとりごちた。
今度こそ本当に今までつっかえていたものが溶けて流れていった。
ついでにまた目から何か流れてきそうな気がしたが、
それはしまいこんでおいて、早速携帯電話を取り出す。
取り出すや否や俺は高速で番号を打ち込んで呼び出し音を聞きながら待った。

「はい。」

すぐに聞こえた声に俺はひどく安堵を覚えた。

「久しぶりだな、。」
「あ、跡部?!」
「あんだ、その驚きようは。てめぇが携帯の番号寄こしたんだろうが。」
「まーそうだけどさ。まさか早速かかってくるって思わなくて。」

電話の向こうのはあの時と変わらず間抜けな声で言った。

「元気にしてるみてぇだな。」
「うん、お蔭様で。」
「そうか、良かった。」
「心配してたの?」
「さあな。」
「あはは、相変わらず。」

どっちがだ。

「おい。」
「ん?」
「今度はメルアドも寄こせ。」
「了解。」


大人しい奴は嫌いだ。何でもかんでも我慢して、見ていて辛くなるから。

だがとりあえず本人が幸せなら、それでいいと思う。


THE END


作者の後書(戯言とも言う)

久々のドリーム小説更新はべーたんであります。
また少数派少女のお守りをしてもらいました。
ファンブック20.5にて彼の好みが勝気な子ということで
思いついたのですが、どうせなら主人公にそのままそれを
反映するより何か訳ありにしてみたらどうだろうかと
思って出来たのがこれです。

原作のべーたんはもしかしたらどこで誰が泣いてようと
興味ないタイプかもしれませんが実はこういう一面もあるかもと想像したら
楽しいと思うのであります。
まさにドリーム。んむ。

2006/02/09

2006/02/11
背景画像を差し替えました。
さすがに始めの手を写したものは無理がありましたので。


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