「たるんどる!」

テニスコートからでっかい怒鳴り声が聞こえる。
近くを歩いてる生徒達が何事か、と足を止めている。

私はというと、いつものようにスナック菓子をかじりながら
その光景を見つめていた。


 腹減りウサギ
  と
 黒帽子



今日も今日とて同じクラスの真田は自分とこの部活の
メンバーに雷を落としていた。毎日毎日ご苦労さんなことだ。
うちの学校―立海大付属中ってのが通称なんだけど―の
テニス部といえば全国レベルのでたらめな強さで超有名…らしい。
そしてそんな部活の様は何と言ったもんか…『巨人の星』って
漫画みたいって言えばわかってもらえるだろうか。
とにもかくにも一昔前のスポ根万歳なノリだ。

真田はそんなテニス部の副部長で、常日頃厳しく部活を纏めてて
まさに燃える闘魂を具現化したみたいなヤツだった。
そりゃ何たってそれまでにも全国大会制覇を成し遂げるような
部活なんだから生半可にやってられやしないのがわからんとは言わないけど、
真田は極端に厳しくて場合によっちゃ部員に手を上げることも辞さないらしい。
私から見りゃやり過ぎだろ、と思う。
人間、極度の緊張が続くと後で面倒なことになるもんだし。

大体、運動部の功績なんてもん縁が無い者にとっては
どうでもいいことに過ぎない。えてしてそんなもんだ。
それなのにどーしてあそこまで頑張れるんだか。

燃える闘魂には縁がなく、自らも目指すべきものを持たない私には
正直理解出来ない世界だった。

だが、だからこそ私はこうしてテニスコートに
足を運んでいるのかもしれない。


毎日放課後になるとテニスコートに来てテニス部の様子を
眺めるという妙な癖がついたのはいつの頃だったろうか。
正直いつだったかはよくわからない。
わかっているのはその日家に帰ろうとソフトキャンディを
噛みながら校内を歩いてたらテニスコートから
物凄い野郎の怒鳴り声(それも体育教師顔負けの)が聞こえたから
何事だろうと思って行ってみたのが始まりだった。
行ってみたらそこで誰かが部員達に説教をたれている所だった。
誰がそうしてるのかなんて興味はなかったけど、
それは凄く緊迫した状況ではっきり言って怖かった。
近くを通っている生徒もおっかないのがたまらないのだろう、
そそくさとその場を離れている。
私もそうしようと思っていっぺん止めた足を動かし始めたとこだった。
説教をたれているのが何を思ったのかこっちを振り返った。

「うぐっ。」

私は思わずソフトキャンディを喉に詰めそうになった。

振り返ったそのおっかない顔は、同じクラスの真田弦一郎のものだった。


それまでの私にとって、真田というやつは同じクラスではあるものの
どうでもいい人物の1人に過ぎなかった。
話したことなぞ全然なく、真田自身無愛想で感情が顔に出るような
タイプじゃなかったからどういう人柄なのか、何を思って普段行動しているのか
見当もつかない。興味を示す気も無かった。
そう、真田は私の中で所謂謎に包まれたやつだったのだ。

だからあの時、凄まじい勢いで部員に活を入れている
真田など想像もつかなかった。
勝手な話だが私から見れば何も知らなかったクラスメイトの
一面を垣間見た感じで、何とはなしに興味を持ったんだと思う。

後で考えたら自分が知らないだけで、実際は誰もが知ってることも
多くあったのだけれども。


そんな真田との距離が縮み始めたのはいつの頃だっただろうか。

私は教室で1人、机の上にお菓子を広げて食ってる最中だった。
何しろ腹が減ってしょうがない。
今日だって家から持ってきた弁当の他に購買で
海老カツサンドとソーセージパンを買って食ってたのに
何故こうも空腹を感じるのだろうか。
どうせ既に誰もいないのだ、1人おやつを食ってた所で問題はないだろう。
とりあえず食ったら今日もテニスコートに行ってみるとするか。
帰りはコンビニで明日の分のおやつを買って…

そんなことを考えてた時だ。

ガラッとドアを開ける音がして誰かが入ってきた。
私は何の気なしに音のした方を見た。
そしたら瞬間に体が強張った。

入ってきたのはよりによって真田だった。
私は1人勝手に彼を意識してスナックを齧る手を止めていたが
向こうはまるで私など存在いないかのようにスタスタと歩を進める。
そうして自分の席に辿りついた真田は机の引き出しに
手を入れてしばらくゴソゴソしていた。忘れ物でもしたんだろうか。
何にしろ真田が来たせいで私以外誰もいなかった教室の空気が
急に張り詰めた…ような気がする。
その感じに何故か動揺を覚えた私は自分を落ち着かせようと
普段より速いペースで再びスナックに齧りついた。

ほとんど無音に近かった空間にいきなりガジガジという
音が響いたのと真田がこっちを振り向いたのとは同時だった。

振り向いた真田は、ひどく吃驚したような顔をしていた。
その顔といったら、それはそれはポカンとしていてとてもじゃないが
テニス部で部員達に怒鳴り散らしてるのと同一人物のものとは思えない。
私は密かにおかしみを感じたが、悟られたら怒られるかもしれないと
思って食べるのに集中している振りをする。

か。」

真田が口を開いた。名を呼ばれるとは思っていなかった私は
相当動揺してたんだろう、ど、ども、と言いながら
軽く会釈なんぞをしてしまった。
同級生相手に会釈してどうするってんだろう、我ながら。
真田はそんな私に何を思ったのか、
あるいは何も思わなかったのかわざわざこっちに近づいてきた。

「こんな時間まで残って何をしている。」

言い方がどうも高圧的だったので私は先生に怒られてるような
心持がして余計に落ち着かなくなった。
結局それはスナックを齧っては新しいのを取り出す行為の繰り返しに繋がる。
これが煙草だったらチェーンスモークだ。中学生には縁の無い話だけど。
そのまま返事をせずに食べ続けていたら不審に思ったのか
真田は聞いているのかと言ってきた。こいつは職務質問中の警察官か。
答えるまでもないと思うのだけれど口に出さないと
どうやら納得しなさそうだったから私は口の中でおやつタイムだと答えてやる。
答えてやったら答えてやったで今度は聞こえないと言われた。
私の声はそんなに通りが悪いのか。

「おやつタイムだよ。」

いい加減鬱陶しかったので私は少しつっけんどんに言った。

「お腹減ったから食べてるの。」

真田は私の机の上に広げられたおやつのパッケージを眺めてため息を漏らした。
これもまた私にとっては思ってもみない反応で、なかなか珍しい気がする。
てっきり『たるんどる!』と怒鳴られるかと思ってたんだけど。

「教室は宴会場ではないぞ。」
「そんなこたぁわかってる。」

私は新しいスナックをまた手にとって齧る。最早開き直りだった。

「お宅こそどうしたの、部活あるんでしょ?」
「迂闊にも筆箱を忘れたのに気がついてな、取りに戻った所だ。」

言われて見れば真田の右手には確かに筆箱が握られていた。

「そっか。」

私は棒状のスナックを半分くらい噛みとる。

「それじゃ今から部活だね、早くいってらっしゃい。」
「お前はどうするのだ。」
「わ?(は?)」

唐突な問いに私はスナックを口に入れたまま間抜けな声を上げた。
とりあえず飲み下してから一体何の話か聞きなおす。

「いつもうちの部を見に来てるだろう。」

真田の口調は何当たり前なことを、と言わんばかりだった。

「そんな細かいこといちいち見てるんだ。」
「何の気なしにとはいえほとんど毎日同じ顔を目にするのだ、
覚えぬはずがなかろう。」

ああ、そうですかと思いつつ私はスティック型のポテトスナックを
もう1本口に入れる。そのままお互い沈黙してしまった。
聞こえるのは私がスナックを齧るボリボリという音だけだ。
やりにくい。空気が気まずい。何とかしようにも一体何を喋ったもんだかわからない。
どうにかならないものか、つうか何とかしてくれ。

そうしてそろそろスナックが後数本になりそうな頃、
先に沈黙を破ったのは真田の方だった。

「お前は、いつも何かを食っているな。」

そんなことを真田が口にするとは思わなかったから
私は一瞬スナックをつまもうとしてた手を止めた。

「だってお腹減るんだもん。」
「食事は。」
「毎日3食欠かさず食ってる。」
「では量が少ないのではないか。」
「どうだろね。今日の朝御飯はチーズトーストにインスタントの
マカロニスープにゆで卵に、後はサラダと牛乳だったかな。
そんでお昼は…」
「俺が悪かった。もう充分だ。」

ふと見れば真田は頭を抱えている。こんな一面もあるとは知らなかった。

「私何かまずいこと言った?」
「いや、そうではないが…」

訳のわからん奴だ。

「早く部活行ったら?後輩に『たるんどる!』って言われたら洒落になんないよ。」

真田はうむ、と呟くとまだ何か言い足りなさそうな様子でチラと私を見た。
けれど結局それ以上何か言うこともなく黙って教室を去っていった。

私はというと最後のスナックを齧り終わって出たゴミを
袋に入れて自分の鞄にしまいこんだ。
そうして片付け終わってさぁ行こうとしたら
ブラウスの胸ポケットに突っ込んである携帯電話が振動した。


次の日、私がいつものように学校に来て自分の席で鞄を置いたり
1時間目の授業で使うノートや教科書やらを引っ張り出したりしてたら
ノッシノッシと重たい足音がして、真田がやって来た。
当然、そんなことを予想してないから私は動揺する。
何だってわざわざ真田が私の席に来るんだ。

「お、おはよう。」

とりあえず挨拶なんぞをしておくが真田はうむ、と頷くだけ。

「昨日は来なかったな。」
「はい?」

いきなりそれかよ!と突っ込みたかった。
朝から何を言ってるのだ、こいつは。
そしてそんな私の反応に真田も困惑しているようだ。

「いや、どうということはないのだが。」

帽子の下の顔が微妙に赤い。

「たまたま目についたのでな。」
「あー、行こうと思ったんだけど妹が買い物に
付き合ってくれってメール寄こしてきてさ、
帰らざるを得なかった訳。」

でもそれがどうかした?、と聞くと真田は更に顔を赤くして何でもない、
と呟くと自分の席に去っていった。
何だかよくわからないなぁ、と私が思ったのは言うまでもない。
ぼんやりと真田の後姿を見つめていると
近くの席にいた女の子にねぇ、と声をかけられた。

さんって真田君と仲良かったっけ?」
「まさか。」

私は答えた。

「私が一番吃驚してるのに。」

大変笑えることに、真田はその後の休み時間もノッシノッシと私の席までやってきた。
休み時間といえば、テニス部の誰かと話しているか1人将棋の本
(そんなのを持ってるせいで老けこんで見える)を読んでるばかりの
彼が一体全体何を思って私に近づくのか皆目見当がつかなかった。
とはいうものの、別に嫌ごとをしてくる訳じゃなし、拒む理由はない。

「ハロー。」

やってきた真田に対して私はとりあえず挨拶をしてみた。
が、当の本人の目は私の手元に注がれている。

「お前と言う奴は、」

口を開いた真田の言い方は呆れたと言わんばかりだ。

「また食べ物を買ってきたのか。」
「だって放課後まで保たないもん。ちなみに
新発売のさくらんぼ味なんだけど、食べる?」
「生憎余計なものは食べぬことにしている。」
「あらそ。」

私は差し出した飴を引っ込めた。何とも面白みのない奴だ。
あれか、一応スポーツマンな訳だしわざわざ普段の
食事内容も細かく決めてたりするのか。

「よくまあそうお堅くしてられるね。」
「俺は堅い訳ではない。目標の為に当然のことをしているまでだ。
そういうお前はどうなのだ。」
「どうってどゆこと?」
「何か目標といったものはないのか。」

さくらんぼ飴の袋を()いていた私の手が止まった。

「ないよ。」

私は半分唸ったように答えた。

「私には、何も無いんだ。」

そう漏らした私の言葉は妙な結果を引き出した。
何故なら言った途端、真田は気まずそうに視線を外して言ったのだ。
スマン、と。それもまるで口が滑った、と後悔してるみたいに。

一方の私は沈黙した。だって謝られた所でどうしようもないのだ。
私には目指すものなど何も無いのは本当のことで
それは別に真田の責任じゃない。なのにどうして謝られるのか。
理解できないままに私は先に口に入っててかなり小さくなったさくらんぼ飴を
奥歯でガリガリと砕いた。

真田は黒帽子のつばをぐい、と押し下げて
そのまま申し訳なさそうな感じで黙っていた。


「有り得ねー!」

丸井が素っ頓狂な声を上げるのを聞いて私の目は細くなった。

「何それ。」

ムッとして言う私に丸井はだってよ、と呟いて風船ガムを膨らませる。
いつもガムを噛んでるので有名な丸井ブン太の
今日のガムはラズベリー味、香料の匂いが滅茶苦茶きつい。
丸井とはクラスが違うし友人と呼べる程の間柄でもないが
たまに会えばこうして昼休みに屋上で話したりする。

「もし俺があいつに目指すものなんてないとか何とか言ってみろ、
『たるんどる!』って怒鳴られるのがオチだぜ?
あいつ、お前には随分優しいのな。」
「呆れて怒る気もなかったんじゃない。」

私は言ってスカートのポケットからメロンキャラメルの箱を取り出す。
丸井が自分の持ってるガムを1枚差し出してくるが
それは丁寧に断わる。残念ながらガムはあんまり好きじゃない。
噛むだけ噛んで味が無くなったら処分するしかないような
物は食べ物という感じがしないのだ。

「へってーひはふ。」
「じゃ何なのよ。」

膨らませたはいいが割れてしまったガムの膜を
舌で片付ける丸井を私は怪訝な顔で見た。
(丸井が何と言ったのか聞き返さなかったのは
『ぜってー違う』と言っていたことは明白だったからだ。)
一方の丸井は口に張り付いたガムの膜を喋ることが
出来る程度にまで片付けて話を続ける。

「あいつ、お前のこと気に入ってんだよ。」
「阿呆らしい。ろくに喋ったこともないってのに。」
「いいや、気に入ってる。間違いない。」
「だから、何でそんなこと言えるのよ。」
「だってあいつ、部活ん時よくお前の方見てるんだぜ。」
「どうだか。」

これ以上丸井の意見を聞いたところでしょうがない。
私は箱からメロンキャラメルを1個取り出すと
包装を剥いて口に放り込んだ。

「何で、」

古いガムの膜を完全に片付けて新しいガムを
取り出しながら丸井がボソッと言った。

「何もない、なんて言ったんだよ。」
「事実だから。」
「何もないことねぇだろ、お前だって…」
「もう過ぎた話だよ。」

私は丸井を無理矢理黙らせてキャラメルをもう1個口に放り込んだ。
少しイラつきながら噛むキャメル2つ分の味が妙に舌にしみる気がした。

そうして今日の放課後も私はテニスコートに出向いて
クリームサンドクッキー(ミニタイプ)を齧りながらテニス部の様子を見ていた。
今日は真田が怒鳴り散らすことはなかったけど、みんな必死で鍛錬をしていた。
あの丸井ですら真剣な面をして走りこんでたりするのが何か不思議だ。

どいつもこいつも本当に頑張ってんだな。

そう思うと、急に胸が締め付けられるような気がした。

走りこみ中の丸井が私の方を見た。
ニヤニヤ笑いながら手を振っている。
それに気づいた真田が丸井に何事か言う。
丸井がウゲッと言ったのが口の動きでわかった。
多分もう数周分走る量を増やされたんだろう。
阿呆だなぁ、と思いつつ私はクッキーをもう1つ齧って
真田の方を見る。
ふと、真田と視線がかち合った。さりげなく目をそらそうとしたけど
うまくいかない。
真田の方が私を凝視したまま目をそらそうとしないからだ。

どうせまた何か齧ってると思って呆れてるんだろう、と私は思った。
だから膨れっ面をしてプイ、と思い切りそっぽを向いてやった。
そしたら真田が何やら落胆したような顔で黒帽子を
かぶり直すのが視界の端っこに映った。
ちょっと悪いことをしたかもしれない。

「おーい、ー!」

走り込みをしてるはずの丸井がこっちに向かって声を上げた。
おいおい、いいのか。また周数増やされるぞ。

「見たか、今のー。真田の顔、真っ赤だったぞー。」
「丸井っ、いい加減にせんか!もう10周追加だっ。」

そら見ろ。
それでも丸井があまり懲りてない感じだったのは気のせいじゃないと思う。


それから何度も何度も真田は事あるごとに私の所にやってきては
一言二言言ってくるようになっていた。

「気になっていたのだが。」
「何?」
「お前が常に物を食すのには何か訳があるのではないか。」
「ないよ。何で?」

問い返したら真田は何でも何もないだろう、とため息をついた。

「どう考えても栄養の過剰摂取、誰が見ても不健康だ。
今から生活習慣病にでもなるつもりか。」
「なるのは真田じゃないんだからいいじゃん。」
「そういう問題ではない。」

うわ、うるさいなぁ。
私は思った。
こいつがこんなにお節介なタチとは…。

「お前は…」

真田は何か言いかけた、が、そこへ丁度他所のクラスにいるテニス部の奴
(私の記憶が正しければ仁王とかいう名前の)がやってきて真田を呼んだので
結局真田が何を言わんとしていたのかはわからず仕舞いだった。

真田が何を言いたかったのかわからないままに時間は過ぎて
いつものように放課後になった。
私はおやつを食べているうちに汚れてきた手を洗いに手洗い場に行っていた。
何の気なしに廊下を歩いて教室へ戻ろうとしていた時だ。

教室の側で人の気配がした。男子生徒何人かが固まって喋っているらしい。

「おい、お前ら知ってるか。最近、テニス部の真田とあのが怪しいんだってよ。」
「マジ?すっげ食い合わせ悪ぃな、時代遅れのテニス部副部長と馬鹿で大食いのダメ女か。」
「うっげ、グロ。つーか、の奴、前からダメダメだけど最近更にダメに磨きかかったなぁ。」
「あいつってさ、何かあったのか。」
「何だ、知らねぇのか。あいつ、どっかの部の部長だったんだよ。
だけどそこ、弱小で今年に即刻潰れたんだと。」

当事者がいることも知らず好き勝手言う野郎共に
私のはらわたが煮えくり返ってしょうがない。
まだそれだけなら我慢してその場を立ち去ったんだろうけど、

「しょうがねぇだろ、」

野郎共の1人が言った。

「部長が大食いで脳足りんじゃ潰れて当然だぜ。ざまぁみろだ!」

多分、人はこれを『キレた』と表現するんだろう。
私は我を忘れて相手に近づいていた。
向こうはまさか私が現れるとは思ってなかったんだろう、
呆然としている。
すかさず私はそこへ殴りかかっていた。

それからお互い取っ組み合って殴る蹴るの応酬だった。
何事かと思った生徒達が集まってくるうちにだんだん野次馬が
増えていくが構ってる場合じゃない。
一回、向こうが私の顔を掴もうとする拍子に
かなり伸びてた爪の先が私の額に掠める。
誰かが呼んできた教師に割って入られて、
押さえられたのは一体何分後のことだったのか記憶にはない。


職員室に呼び出しを食って教師に長々と見当はずれな説教を食らった後、
家に帰るのも面倒だった私は教室で煎餅を食べていた。
爪をひっかけられた額には保健室で貼られた絆創膏、こいつは当分貼ったままになるだろう。
家に帰ったら母さんがさぞかしうるさいに違いない。
憂鬱に思っていたら誰かの足音が教室に近づいてきた。
一体誰だろうと思っていたら、

。」

ドアを開けたのは何と部活中のはずの真田だった。

教室に入ってきた真田は案の定私の額に貼られた絆創膏に目を留める。

「乱闘をしでかしたそうだな、それも男子と。」

それを聞いていちいち部活放って飛んできたのか。

「もう知ってるんだ。噂の足は速いもんだね。」
「茶化すな、お前ともあろうものが何たる失態だ。
目標も何も持たぬものがそのようなことを
しでかすなど愚の骨頂だぞ。」

この時、私は真田を思い切り睨んでいた。
真田は睨みつける私に何を思ったのかそれ以上言葉を続けない。
しばらく沈黙が続いた。

「何があった。」

一体どれくらいだったのかわからない沈黙を破って真田が言った。

「別に。」

私はぶっきらぼうに答える。
関係ない真田にさっきのことを言うつもりなんて煎餅の欠片ほどもない。

「ならば思い詰めた顔をしながら食い散らかすのはよしたらどうだ。」
「うるさいなぁ、ほっといて。」

いちいち干渉してくる相手に私は額をさすりながらだんだん苛立ちを募らせる。
額の傷は痛むし、自然、煎餅を齧るスピードが上がった。

「お前が何の理由もなしに手を上げるということはあるまい。」

私が口を割るつもりがない、と悟ったのか真田は言った。

「察するに何か言われたのだろう。」
「黙ってろ。」

私は乱暴に返した。

「昔のことをちょっと持ち出されただけだよ。」
「部活のことか。」

言われて私ははっとした。
煎餅を口にしたままの間抜けな格好で思わず真田を
―今度は睨むのではなく―凝視する。

「お前は以前、ダンス部の部長を務めてたな。」

何でこいつがそのことを!さては丸井の奴か。
私は忌々しく思い、バリンと音を立てて煎餅を乱暴に噛みとった。
さすがに歯に来たが構うもんか。

「ダンス部は確か今年の初めに廃部になっている。
理由は人数不足とそれに伴う実績不足、残念なことだ。」

その時、私の中で何かが弾け飛んだ。

「そんな簡単に残念とか何とか口にするな!」

気がついたら私は煎餅を置いて立ち上がり、真田に食って掛かっていた。

他人事(ひとごと)だからってふざけんなよ、真田。」

つつき出されたくなかった過去に私の口調は自然ときつくなる。

みんなで目指すものに向かって必死で踊り続けていた日々、
そこへいきなり突きつけられた通告、
それに抗ってもがき訴え続けたけど叶わなかった存続の夢、
忘れかけていたはずの痛みが一気に押し寄せてくる。

そう、あの日から私の中で何かが壊れたんだ。
あの日から、私は目指すものを失ったんだ。

「何も知らないくせに、ってゆーか、お前にわかってたまるか!」

ひどいことを言っているのはわかっていた。
こんなことを真田に言ったところで単なる
八つ当たりであることだって知ってはいた。
だが止まらなかった。口にしないとそれこそどうにかなりそうだった。

これで真田が私を殴るなりなんなりしてくれればまだ気が楽だったと思う。
だけど真田は静かに、見守るかのように佇んでいるだけだったから
それが余計に私をやるせなくさせる。

「すまない。」

真田は言った。

「お前を追い込むつもりはなかった。」
「何で…」

私は言いかけたが言葉が出てこない。
あれだけ滅茶苦茶を言ったのに何で怒らないの。何で謝るの。

「おそらくお前は知らぬだろうな。」

黒帽子のつばを下げながら真田は言った。

「こっちは何度もお前を見ていたのを。」

勿論知ってるはずなどない。故に私はハタと真田を見つめていた。

「見てたって、一体いつの間に。」

尋ねたら真田は簡単なことだ、と呟いた。

「ダンス部はいつも色々な場所で練習していただろう。
よく中庭でお前達が練習しているのをよく見かけたし、
廊下で練習していたのも見た。
さぞかし練習場所を工面するのに苦労していたのだろうな。」
「弱小の部活は荷物置き場すらもらえないからね。」
「だがお前は、」

真田は私の言葉を無視して話を続けた。

「ともすれば他の部の連中に嘲笑されるような、
そんな恵まれぬ状況でもいつも楽しそうに踊っていた。
思ったものだ、あの状況で何故そうしていられるのか。
そして自分が如何に恵まれた環境にいるかもわかった。
正直、お前のおかげで今ようやっとここまで来れたようなものだ。」
「冗談でしょ。」
「冗談ではない。俺とて士気が下がることなど幾度でもある。
そんな時、いつも思い出したのはお前のことだ。」

臭い台詞の数々(真田本人はそんなつもりはないのだろうけど)は、
普段の私なら聞くに耐え切れず笑い飛ばしていただろう。
だが、この時ばかりは違った。ただただ真田の言葉に耳を傾けるばかりだった。

、お前は目標を持たぬのではない。
お前はただ道を失ってそのまま立ち尽くしているだけだ。」

そうだ、そうなんだ。
私は始めから目指すものを何も持たないんじゃない。
失ってしまって、それから私の時は止まったままなんだ。

気がつけば、私はがっくりとその場に膝をついていた。
真田がそこへそっと近づいて手を差し伸べる。
私は思わずその手を掴む。

そして、私はしばらくぶりに声を上げて泣いた。

真田はこの時も『たるんどる』と怒鳴り散らすこともなければ
叩くこともなく、泣くな、とも言わなかった。
ただ私の頭を撫ぜながらともすれば床にずり落ちそうになる私の体を支えていた。

「よく、今まで耐えたものだな。」

泣きじゃくる私に真田は呟いた。

「もし俺がお前の立場なら、果たして耐えられたかどうか。」
「わ、わたしは、ヒクッ。べつにっ、…」
「何も言うな。」

言う真田の声は、同い年のくせにまるで兄が妹にでも言ってるかのようだった。

、まだ諦めるのは早い。お前はもう一度動き始めるべきだ。
今からでも遅くはない。」

私は、黙って首を縦に振った。


今から思えば、真田は憂えていたんじゃないかと思う、
何事にも気の入らなくなっていた私を。
だから私がテニス部の側をウロチョロする度に気になってしょうがなかったんだろう。
結局のところ、私はどこまでも真田弦一郎という奴を全然知らなかった訳だ。
アレだけテニス部で彼の様子を見ていたにも関わらず。

その後の私がどうしていたかというと、もう一遍ダンス部復興の為に奔走し始めていた。
かなり遅い再出発だったけど、何もしないよりかはマシだ。
真田の言ったとおり、動きださなければ。
難色を示しまくる教師陣や生徒会に何度も掛け合った結果、
まずは同好会としてやり直すところまではこぎつけた。
真田に報告したらまるで自分のことみたいに嬉しそうにしてたのが妙に印象的だ。
後で丸井が『やっぱりお前、真田のお気に入りにだな。』なんて言うのには参ったけど。

そういえばあの一件以来、私は以前のように食べまくることをしなくなった。


  終わり


作者の後書(戯言とも言う)

以前日記でドリームを書き始めたはいいけど、
どういう訳か相手が決まらなくて困ってる話を書いたと思います。
(詳しくはこちら
これがその正体です。最終的にお相手は真田少年と相成りました。

何故彼になったかと言えば、この話での役回りでは
彼が最適な気がしたからです。
多分原作の彼はもっと厳しいでしょう。
が、ドリーム小説においてはこんな真田少年がいても
ええやん、と思う今日この頃です。

2006/03/19

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