噂のあいつ 「終わり」


その後しばらくは、は今までと変わらずに過ごしていた。

教室ではいつものように英二と漫才をし、部活では後輩達の面倒を見ながら手塚と口喧嘩をし(大抵は手塚の負け)
部活が終わったら僕と一緒に帰ってサボテン語りをし、合間合間に2人きりの時を過ごしたりした。

あんなショックなことがあったなんてとても信じられないくらい、それは穏やかな時間だった。

…勿論、その前にこの前の無断外泊の件については大分手塚に絞られたみたいだけどね。
(あれは本当に参った。の愚痴にほぼ一日中付き合わされたんだもの。)

でも僕は気になっていた。
はこれからどうするつもりなのか。

手塚の言っていたように女の子に戻るつもりなのだろうか。

でもそれは簡単なことじゃないはずだ。

今まで『』として過ごして来た時をどうやって抹消するのか、
抹消したとしてもその埋め合わせをどうやってやるのか。

そもそもが男装に至った原因が原因だ、がそんな選択肢を選ぶのかどうかすら怪しい。

僕としては女の子に戻ってもらった方が堂々と付き合えるし、不自然なことをして苦しんでいる姿を見るより
ずっと嬉しいんだけど…

まさか、僕の都合だけでそれをに強制するわけには行かない、よね。



今日の部活の終わり、は僕に家に来て欲しいと言ってきた。

「いいよ、でもまたどうして?」
「話がある。大事な。」

はボソリと僕の問いに倒置法で答えた。

「わかった、一緒に行くよ。」
「おう。」

短く言うはいつもと変わらないように見えたけど、何となく持っている雰囲気が深刻に思えたのは
僕の気のせいだろうか。

「そういえばさー、周助、きーてくれよー。」
「何?」
「昨日、俺ひでぇ目に遭ったんだよー。」
「さては、手塚にお説教されたんだね?」
「ぬおっ!!何故そーなる?!」

クスクスクスクス

「だってがひどい目に遭うって言ったら大抵手塚がらみだし。」
「残念でしたー、今回は侑士がらみだ。」
「今度は何があったの?」

僕は尋ねる

「あの…周助さん?顔は笑ってるけど目が笑ってませんよ?」
「気のせいだよ。」
「嘘付けやっ!!まー、いいや。何があったかってーとなぁ…」

それから僕はから忍足君がまた家に泊り込んで、しかも今度はよりによって彼女連れで
(多分忍足君言うところの『愛しのちゃん』だと思う)、人の迷惑も考えずにイチャついて大変だったという
苦笑せざるを得ないような話を聞かされた。

でも、それもこれから話さなきゃならない重要な何かの前の気休めなのかな、と思うと切なかった。


で、気がついた時には僕はの家にお邪魔していた。

相変わらずこの家には僕と以外に人の気配はない。
(これで忍足君がまた2階に巣食ってたり手塚が乱入したらかなり笑えるけど。)

「あ、そこに座っててくれ。お茶入れてくるから。」

は僕をリビングのソファに座らせると自分は台所へ消えた。

僕は待っている間、いつだったかのように自分の足元に目を落とした。

相変わらずゲーム機が繋がれっぱなしだ。
蓋の上にはソフトのパッケージが乗っかっているし、メモリーカードのケースも散らばってる。

手塚が従兄弟の家へ抜き打ち検査に来る時、この有様を見たらどうなるか、と思うとちょっと面白かった。

ほどなくしてが湯飲みと煎餅を乗っけたお盆を持って姿を現した。

僕は礼を言って入れてもらった緑茶を一口。

「で、話って?」
「ん、ああ…」

は何だか曖昧な笑みを浮かべた。

でも躊躇することがあるのか一瞬、間が空く。

「実はさ、」

いつもよりやや歯切れ悪くは言った。

「俺、女の子に戻ることにしたんだ。」

現状認識にやや時間が掛かったのは僕がおかしいからだとは思わない。

「大丈夫なの?」

お茶を飲んだところだというのに、僕の口の中は乾いていた。

「だって…君は…」
「このまま化けてたってどうしようもねぇ。」

はきっぱりと言った。

「自分でももうわかってんだ。もう9年、長いこと逃げすぎた。いい加減、向き合わないといけねぇって思うんだ。」
…」
「それに、さ。」

はちょっと照れくさそうに笑った。

「いつまでも周助とコソコソ付き合うの、嫌だし。」

僕は何故か、思わず安堵のため息をついてしまった。

「じゃあ、もう決めたんだ。」

緑茶の入った湯飲みをコトリ、と置いて僕は言った。

「ああ、スミレちゃんにも話した。」

は僕の言葉に肯く。

「先生、何て言ってた?」
「ホッとしたって。正直、俺が化けたままで入部するの許可したのはいーけど、気が気でなかったんだとよ。」
「わかる気がする。」
「でな、自分で決めたことなんだから躊躇しないで顔上げて歩けって。」
「竜崎先生らしいや。で、いつから僕はセーラー服の君を見られるのかな?」

僕がわくわくしながら尋ねると、はお前な、とため息をついた。

「今の発言、一歩間違えたらセーラー服萌えの変態さんだぞ?」
「『萌え』って何?」
「俺が悪かった。何でもねえ。」

は何だか深く後悔したような顔をしていた。

「何がともあれ大分、大変なことになりそうだね。」

僕は煎餅の袋を開けながら呟いた。

「あー、関係者に大迷惑をかけるのかと思うと気が重いぜ。」
「いいんじゃない?このまま不自然なことして破綻しちゃうより。」
「国光とおんなじこと言うのな。」

…何だって?

「周助っ!!雰囲気怖い、雰囲気怖いっっっ!!」
「そぉ?」

僕はすっとぼけてお煎餅をバリンとかじった。


その数日後、は退部届けを出す、と僕に告げた。

「ボチボチ動き出すんだね。」
「ボチボチって…お前、いつから関西人になったんだよ?てゆーか、今時の関西人が使う言い回しじゃねーし。」
「さぁ、のがうつったんじゃないかな。」
「いや、それはどっちかってーと侑士のがうつった確率が。あいつの大阪弁ちっと古いからな。」

そう言われてあまりいい気がしないのは何故かな?

「やめろ、周助。開眼するんじゃねー。」
「ねぇ、。」
「何だよ?」

「本当は、何て名前なの?」

「内緒。」

はイタズラっぽく笑った。

「いくらここが人のいない屋上でも、迂闊に言えねぇよ。時が来るまでお楽しみ☆」
「じゃあ、待ってるよ。」
「うん。」


が今日限りで退部する、という話は青学テニス部を大きく揺さぶった。

無理もないよね。
シングルスでもダブルスでもあれだけの実力を見せたが、例え今回はレギュラーになれなかったとしても
いずれは公式戦で活躍するって誰もが信じて疑ってなかっただろうから。

「悪ぃな、みんな。」

退部することを発表した時、は部員全員の前でこう言った。

「ずっと後から入ったのに先にへたばっちまって。でも…勘弁してくれ。
すっげ短かったけど今まで有り難う。」

その時のの潔い真っ直ぐな姿を、僕は絶対に忘れない。

「何だって急にさんは…」

部活の終わった部室で桃が呟いた。

「確かに肩に何かあったっぽいけど…けど、あんましにもいきなりすぎるぜ。
不二先輩、英二先輩、何かご存知ないんスか?」

桃は言って、首をこっちに向けてきた。

「俺は…何も聞いてない。昨日だって、普通だったしさ。」

英二が呟く。

桃は次に僕に目を向けたけど、僕は黙って首を横に振る。

僕は英二と違って事情を知っている。
でも、それは他に漏らすわけにはいかない。

僕の反応を見て、桃は諦めたのかため息を1つ漏らしてうつむいた。

「詮索したって仕方ねえだろ。」

次に口を開いたのは海堂だった。

「あの人はあの人でなんか事情があったに決まってる。俺達がどうこう言ったってどうしようもねぇだろが。」

口調はいつものとおりぶっきらぼうだったけど多分、遠まわしに桃城を気遣っているんだろう。

部室の中の空気が一挙に重くなった。

本当には凄いよね。
まだ一緒になってからほんのちょっとしか経ってないのに、いなくなったら皆がこんなに元気がなくなる。
一体どれだけの影響力を持っているのか。

は…

僕は思う。

は最強だ。

僕を破ったテニスの腕前のことだけじゃない。

その存在の大きさは僕を含めて皆を惹きつけ、そしていなくなれば大きな喪失感を与える。

と一緒に全国、行きたかったのにな。」

タカさんが言ったら、その場にいた皆が肯いた。

僕は複雑な気分でその光景を眺めていた。

と一緒に戦うことが出来なくなる残念さと、
彼がこれから別の姿に変貌することを知っている優越感のようなものとが交じり合った、そんな気分で。

これでいいんだ。

これで。

…そしてその日を境に、『』という選手は青学から姿を消した。




』という存在を抹消するのに学校側は、彼が事情があって別れを告げる暇もなく学校を去った、と発表した。

当然、あまりにも唐突なことだったから生徒のほとんどは納得した様子がなかったけど、詮索してもどうにかなるもんじゃないから
いちいちそれに対して突っ込むものはいなかった。

尤も、英二は『どーなってるのさーっ、俺達にも何にも言わないにゃんてー!!』って騒いでたし、
乾や大石もその不自然さには首を傾げていたけど。
あ、そういえば越前も『俺と勝負する前にトンズラするなんてずるいっス。』ってボヤいてたっけ。

学校側を説得するのに一体の側はどういう手段を使ったのか、それとも特に根回ししなくても何とかなったのか、
僕は知らないし、知るつもりもない。

いきなり空っぽになった隣の席を見るとさすがに虚しくて、本当には戻ってくるんだろうかと不安になる。

大丈夫、だとは思うけど…


「不二〜、不二ったらー!!」

英二に呼ばれて僕はハッとする。

「御免、英二。何?」
「何もへったくれもにゃいでしょっ!!」

僕の反応に英二はブーッと口を尖らせた。

「さっきから呼んでんのに全っ然返事しないんだからー。」
「そう…御免ね。」

僕は言ってついっと窓の外に目をやる。

「あのさー、不二。」

英二が呟いた。

「不二、最近元気ないよね。」
「………そう、かな?」

やや間を空けて僕が言うと英二は肯いた。

「だってここんとこ授業中時々トンチンカンなこと言ってるし、部活でも桃や俺の話きーてない時おもいっきし増えたし。
なんつーかさ、」

ここで英二はふと視線と足元に落とした。

が行っちゃってから、どっかに意識がすっ飛びっぱなしって感じ。」

僕は苦笑せざるを得なかった。
どうやらの姿を見かけなくなったせいで、自分でも思ったより参っているらしい。

そんなつもり、全然なかったんだけどね。

「不二、気持ちはわかるけどさ。」

英二は更に言った。

「俺達だってに黙って行かれてがっくしきてんだから、1人で抱えちゃダメだよ。」
「うん、そうだね。」

僕はそう返事をしたものの、君らのがっくしと僕のがっくしは大分差があるんだよ、と
思っている自分がいた。


そんな状態が一ヶ月くらい続いたある日。

ザッザッザッ

静かな中に足音だけが響く。

放課後、僕は1人で部室に向かっていた。

いつもなら一緒に行くはずの英二は、今日返ってきた国語の小テストの成績が散々で補習を食らい、
部活にいけなくなったのだ。

辺りにあまり人の気配はない。
グラウンドの方から他の部活の人が準備しているらしき音は聞こえるけど、テニスコートの方はまだ誰もいない。

もしこれで部室もまだ閉まっていたら、自分が行って部室の鍵を取りに行かなきゃならないな、と考えながら
僕は部室のドアノブに手をかけた。

カチャ

「…あ」

鍵が開いてる。誰か先に来てるらしい。

僕はそのままさっさと部室に入る。
中には誰かがいた。

薄暗くてよくわからないけど、その人影は結構小柄だ。
きっと越前か、他の一年生だろう。

「暗いよ、電気つけた方がいいんじゃない?」

相手は僕の言葉に反応しない。
この態度からすると、さては越前かな?

僕はスタスタと人影の横を通り過ぎて電灯のスイッチを入れた。

たちまち、辺りがパッと明るくなった。

「これでよし、と。」

僕は言ってさっきから無反応の相手のほうを振り返った。

そして、僕は思わず目を見開いた。

そこにいたのは、越前じゃなかった。
そこにいたのは、セーラー服を着た1人の女の子。

「よぉ。」

その子は手をパタパタと振りながらあっけに取られてポカンとしている僕に笑いかけた。

やや長めの薄い色をした髪、どこか自信に溢れてて、余裕のある態度。

こんな人物は僕の知る限り、1人しかいない。

…?」

僕が呟くと、女の子はついっと目の前に迫ってきてニッコリと微笑んだ。

「今はよ。。」
…?」

ふいに押し寄せてきた感情に圧倒されて僕は思わずガバッと彼女を抱きしめた。

「うわっ?!ちょっ!しゅーすけ?!」

が声を上げるけど取り合うつもりは0%だ。

「戻ってきたんだね…」
「あったりまえだろっ、戻ってこなくてどーする!」
「…言葉遣いはそのままなんだ。」

せっかくセーラー服で可愛いのに。
ちょっと幻滅。

「今更変えたら不気味だろーが。第一スタイルじゃねぇ。」
「過去のことがバレても知らないよ。」
「バレねーよ。」

はニヤッと笑った。

「周助以外の人の前ではやらないもん☆」
「イジワルもそのまま、か。」

僕は言っての耳元にそっと囁いた。

「ねえ、これからもずっと一緒にいられるよね。」
「うん。」

は肯いた。

「周助。」
「何?」
「これからは一緒に部活は出来ないから…その…全国大会、頑張ってね。」
「勿論。『』の分までやるよ。」

は有り難う、と言ってそっと目を閉じた。

「大好き。」
「知ってるよ。」

僕は言って、をそっと離す。

やっぱり、君は最強だよ。
僕をここまで惹き付けてるんだから…

「ところで、、」

僕はふと気になったことを口にした。

「君はどうやって部室に入ったの?」
「そんなの決まってるじゃない。」

はしれっとした顔で言った。

「国光を脅したのよ☆」

僕は不覚にも思わずずっこけてしまった。

…結局、根本は変わってないんだね。

手塚、同情するよ。



その後の僕らは色々と大変だった。

はあの後、と入れ替わりにうちのクラスに来た。

でもその途端、英二を含む野郎共が一斉に彼女に注目したもんだから(無理もないんだけどね、あの器量じゃ)僕は戦々恐々だった。
しかも僕らが既にできてることも何故か知れちゃって、英二に『どーゆーことだよー?!』と理由を問いただされて誤魔化すのに一苦労だった。

結局、僕がニッコリ笑って誤魔化したら、英二の顔が青ざめてそれで事は収まったんだけどね。

で、だった頃の癖が抜け切れなくて何回か危ない橋を渡ったし、
9年ぶりのスカート姿はまだ不安なのか、1人で外を歩くのはまだ抵抗があるらしい。

だから僕はよく朝にを迎えに行ったり、一緒に帰ったりしている。

ちなみに家にも良くお邪魔してたりするんだけど、これは手塚が時々僕ら2人共に『ほどほどにしろ』と口を挟んでくる。
…完全にお兄ちゃんモードだね。

「しゅーすけー!早くー!」
、そんなに急がなくても、大丈夫だよ。」
「だって理科室遠いじゃーん。早くしないと先生うるさいよー。」
「はいはい。」

廊下の向こうで手を振っているに微笑みながら僕は歩を進める。

廊下の窓から入ってくる光がまぶしい。
今日もいい天気だ。

「ねぇ、。」
「なぁに?」
「新しいサボテン買ったんだけど、見に来る?」
「行く!絶対!」
「じゃあ、今日の実験の時、試験管に変なもの仕込んだりしないでね。」
「え〜っ、せっかく乾から青酢くすねたのに〜。」
「ダメ。」

はケチー、と呟いた。

僕はそんなの頭をポン、と叩きながら言った。

「じゃ、行こうか。」
「あっ、こら!先行くんじゃない!!」

が捕まえようとするので、僕は笑ってそれをやり過ごした。

「こらっ、逃げるなーっ!」
、」
「何よっ!!」
「そんな顔したら勿体無いよ?」
「バカーッ!!」

に追っかけられて、僕はそのまま理科室まで逃げた。


…それから僕とは、傍から見ればイチャついている、と言われるくらい幸せに時を過ごした。

自分で言うのもなんだけど、まさに彼氏と彼女って感じで。

は時々以前のガサツさが目立つけど、まあそれはそれでらしいと思ってる。

ちなみに何も言わずに去った元・撃鉄中オレンジ線レギュラーにして、青学テニス部員『』の名は、
今でもテニス部の名簿に残っている。


最初で最後の、幻の選手として。

The End


作者の後書き(戯言とも言う)

やっと終わりました。

何だか不思議な感じです。
話は9話で終わっているものの、海堂少年の〜目指すもの〜よりも長くやっていたような感覚があって
自分でも『あれ?私、終わらせたんか?』という気分になります。

しかし終わらせたものの…結局バタバタした感じで後の方は何が何だかわからない代物になってしまった気が。
所詮、撃鉄は恋愛系に向いてない書き手ということなんでしょうか(^^;)

とりあえず、何とか途中で投げ出さずにここまで来ることが出来ました。

最後まで読んでくださった方、有り難う御座いますm(__)m

噂のあいつ 〜幻の最強選手〜 目次へ戻る