後編に飛ぶ


〜目指すもの〜番外編
The Viper and the Death
前編


(乾のデータノートより)

「こんなもん、俺に見せてどうするっつーんスか。」

海堂はうんざりしたように言った。

「参考になるかと思ってね。」

乾は逆光眼鏡を押し上げながらいけしゃあしゃあと答える。
海堂は馬鹿馬鹿しい、と乾が顔に突き出してきたノートを押し戻した。

参考だって? 冗談じゃねー、一体何の参考になるってんだ。

「お前最近、と仲が良いみたいだからもうちょっと彼のことを知りたいか、
と思ったんだが。余計なお世話だったみたいだな。」
「別に仲がいいって訳じゃねぇ。あのバカが勝手についてくるだけだ。」

フンッとそっぽを向く後輩を乾は苦笑して見つめた。

「素直じゃないな。」
「何の話っスか。」

海堂はギロリと先輩を睨んだ。が、当の乾は涼しい顔だ。

「嫌いじゃないんだろう?お前の性格から考えて、
気に入らない人間を側に置く確率は0%だからな。」
「それこそ余計なお世話っスよ。」

海堂は呟いてよっと立ち上がった。

「そいつは俺が自分で決めることだ。」



海堂薫と言えば、顔が怖い、無愛想、短気、と3拍子揃っていることで
青学では有名である。
故に校内で彼に近づく者は早々いない。
近づいたとしたら、それはのっぴきならない用事があった時に限られる。

海堂自身もそんな己に対する自覚はあって、自ら人と関わろうとしない。
多分、このまま誰とも深く関わることなく学校を卒業することになるだろう。
本人はそう思っていた。

確かに青学の中ならばそうかもしれない。

しかし、学校の外ではその限りではなかった。


部活が終わって家に帰ってから、海堂はいつものようにランニングに出かける。
まずは近所の公園までひとっ走りである。

日の暮れた公園はあまり人気がない。
現に、今も海堂の周りには人の気配がなかった。

しかし、海堂は一旦足を止めると、しばしキョロキョロと辺りを見回した。

傍から見ればかなり挙動不審だ、下手すれば本人には悪気がないのに
通報されかねない。

だがそんなことは構わず海堂はひとしきりキョロキョロする。

あんだ、今日はいねぇのか?

少し、がっかりな気がしてすぐにそんなことを思う自分に吃驚する。

俺は一体何を考えているんだ???

そんな時だった。

「海堂さん?」

急に背後からした声に海堂は危うく心臓が止まる思いをした。
おそるおそる振り向くと

「どないかしはったんですか?」

思ったとおりの顔があって、海堂はこっそり深いため息をついた。

「脅かすんじゃねぇ。」

海堂の目の前には1人の少年が立っていた。
抜け落ちたように色の薄い髪に白い肌、小柄で細身の体は白いシャツと
黒いジャージのズボンを纏っている。

全体的に地味で目立たない容姿だが、唯一彼の両腕だけは内側を
火傷の痕が覆っていて見る者に痛々しい印象を与えるものだった。

「そんなにびっくりしたんですか、そんなつもりなかったんですけど…」

地域色が垣間見られるイントネイションで少年は言って首をかしげる。

「足音が…聞こえなかった。」
「あらま。」

少年は言って自分の足元に目を落とした。

「神尾さんにはいっつも足音ですぐわかるって言われるんですけどねー。」
「…知るか。さっさと行くぞ。」
「はーい。」

少年は呑気に言って、走り出した海堂の後をテッテッとついてきた。

不動峰中テニス部1年、

彼が練習試合で海堂から5ゲームを奪ったのはついちょっと前のことだった。


「それでですね、海堂さん。神尾さんったら橘さんにきっちりペアチケットバレてもて
メッチャ凹んではったんですよー。」
…」

走りながら海堂は呟いた。

「で、俺言ったんですよ。この際杏ちゃん先輩誘うの諦めて、
俺をつれてったらどーですかって。
そしたら『バカヤロー、何でお前と行かなきゃなんねーんだよ!』って怒られてもうて…
冗談に決まっとうのに。」
「おい…」

海堂はもう一度呟く。

「でも、結局連れて行ってくれましたよ。伊武さんがうるさいライブなんか
ヤダって言うて断りはったから。
でもそう言うのわかった気ぃしましたね。俺もあのバンド好きなんですけど
周りのテンションが高いのなんのって。
何食うたらあんなに元気なんだか、不思議やなーって。あ、そうそう。そーいやですね」

ブチッ

とうとう海堂はぶち切れた。

「てめぇっっ、いー加減にしやがれ!!
ランニングの時は静かにしろっつってんだろが!!」

「わーっ、すんませーんっっっ!!」

海堂が怒鳴るとは頭を抱えた。

海堂はフシュゥゥゥゥと息を吐くと、ギロッと自分の後輩と
同じくらい小さな少年を見下ろす。

くすん、怒られてもうた、と呟くを見ながら海堂はボソリと言った。

「リズム野郎の苦労がわかる気がする。」

彼の脳裏には地区予選で散々、『リズムに乗るぜ!』と
五月蝿かった選手の顔が浮かんでいる。

いけ好かない野郎だが、こんな後輩を持っちまったことには同情するな。
ランニングの最中にここまで喋り捲るバカは初めてだ。

「てめぇ、部活中もんな行儀悪いことしてんのか。」

海堂は頭痛を覚えながら尋ねた。

「いえ、全然。」

はしれっとして答えた。

「寧ろ、黙ってます。」

海堂の中でまた何かキレた。

次の瞬間、海堂はの頭をしたたかにはたいていた。



フシュゥゥゥゥゥゥ

海堂はため息をついた。

とりあえず、ランニングを終えて近くの自販機の前で休憩を取っている時のことである。

どうも、やりにくい。

海堂は思う。

練習試合でと対戦してからしばらく、海堂は他校であるにも関わらずこの少年と
(後で乾に聞いたところによると実は少女らしいが)こんな風に一緒に鍛錬を
することが多くなった。

はいい奴だ。
性格は割と温厚で従順、キャップを被ったどっかの生意気君とは違い基本的には
目上の言うことはよく聞く。
しかも一途で非常に努力家なところは海堂の気に入るところである。

ならば、何がやりにくいのか。

ランニング中にペチャクチャと口数が多いからか。

それは少々違う。
問題は何故そこまでして海堂と話すのか。
何が楽しくて海堂に色々喋ったりするのか、ということだ。

つまり、海堂はこの他所の学校の生徒に懐かれて戸惑っているのである。

何だって俺に懐くんだ。

海堂は麦茶の缶を両手で持ってコクコクと水分補給をしているを見つめた。

同じ学校の奴でも俺に近寄る奴なんざいねぇってのに。
一体てめぇは何を考えている?

「あの、何か?」

海堂が見つめているのに気がついたのか、が不思議そうに首を傾げる。

「何でもねぇ。」

海堂は短く答えた。

「何だってガキみてぇに両手で缶持って飲むんだ、と思っただけだ。」
「そんなに変ですか?」
「まるで赤ん坊だ。」

はせやろか?とまた首を傾げる。
海堂はとりあえず、うまいこと誤魔化せたのでホッと胸をなでおろす。

しばしの沈黙が流れた。

「おい。」

先に沈黙を破ったのは海堂だった。

「はい?」

は―今度は片手で缶を持って―返事をした。

「その…学校ではうまくやってんのか?」

言いながら海堂は、一体俺は何を言っているんだ、と自分で自分に突っ込みを入れた。

「ええ、おおむねは。」

は言って麦茶をもう一口すすった。

「まだあんまし友達はおらへんけど、部活の皆さんがようしてくれますし、
部長の妹さんにも親しくしてもろてますし、前の学校におった時よりずっとええ…
おっと!」

は口が滑った、と言わんばかりに口元を押さえた。

「どうでもいい。」

海堂は呟いた。

「別にお前に昔何があったか聞く気はねぇ。」

海堂がそう言ってやるとは安心したようにほぉっと息をついた。

そんな彼(もしくは彼女)を見ながら海堂は思った。

どうやら、学校でうまくいってないから俺に懐くって訳でもないらしいな。
だったら何で…

海堂の思考は急に聞こえてきた悲鳴に中断された。

「あの声は…!」

見れば側にいるの顔がこわばっていた。

「まさか、杏ちゃん先輩!?」

杏…?
不動峰の部長の妹か。
何かあったのか?

「海堂さん!さっきの声、あっちから聞こえましたよね?!」

が切羽詰ったように言う。

「ああ。」

海堂は肯いて声が聞こえた方を仰ぎ見る。

「この先は…確か…」

ストリートテニスコートがあったはずだ。

海堂がそう言うと、は麦茶をグイッと飲み干し空き缶をくずかごに
放り込んでダァッと走り出した。

「おいっ、っ!!」
「急がんと!」

海堂が声をかけるとは走りながら振り向いて叫んだ。

「杏ちゃん先輩に何かあったんかもしれへん!!」

言って彼は海堂が静止する間もなくすっとんでいってしまった。

「チッ!」

あの馬鹿、1人ですっ飛びやがって!

まさか放っておくわけにも行かず、海堂は面倒なことになったともう一度舌打ちすると
自分もの後を追った。



にはすぐ追いついた。

別にがのろい訳ではないが、身長151.8センチと173センチだと
コンパスの長さの差は歴然である。

「海堂さん…」
「1人で行ってどうするつもりだ、この馬鹿。」
「あ…」
「さっさと行くぞ。心配なんだろ。」
「は、はい。」

2人してストリートテニスコートに来てみれば、現場は
何だか剣呑な雰囲気に包まれていた。

どうやら誰かが絡まれているらしい。

「杏ちゃん先輩!」

コートの真ん中にいる姿を認めてが声を上げる。

君!」

向こうも気がついたようだ。が、同時にもう1人、気がついた者がいた。

「あんだ、また何か来たのか。」

あれは。

海堂は自分の眉間に自然と皺が寄るのを感じた。

氷帝の部長じゃねーか。
確か、跡部って名前だったか。

見覚えのある色素の薄い髪と泣き黒子に、海堂はどうも自分は思ったよりも
面倒なことに首を突っ込んでしまったらしい、と思った。

「お前っ!!」

一方のは同じ人物を視認した瞬間、珍しく激昂していた。

「杏ちゃん先輩に何しとんねん!!手ぇ離せ!!」

残念ながら関西弁は怒鳴り散らすのには向いていないようだ。
だがしかし、やや丸くなってしまう物言いでもその怒りは充分感じられる。

「よせ、。」

相手に飛び掛かろうとするの体を海堂は咄嗟に抱き寄せた。
(後で考えたらかなり問題のある行動だったが)

「でも、海堂さん…!」
「殴りかかったってしょうがねぇだろが。」

静かに、しかしきっぱりと言ったのが効いたのか、
は海堂の腕の中で渋々大人しくなった。

「へぇ。」

跡部が髪を掻き揚げながら言った。

「誰かと思えば、青学のマムシじゃねぇの。そっちのチビは…察するに不動峰の奴か。」
「不動峰中テニス部1年、。」

付け足しながらがまた身じろぎしたので、海堂は腕に力を込めた。

うっかり緩めでもしたら、こいつはまた跡部に飛び掛りかねない。

跡部はが名乗ると突然笑い出した。

始めはククク、という程度だがだんだんエスカレートして
それは哄笑とでも言うべきものになる。

「何がおかしい。」

海堂は思わず唸った。

「これが笑わずにいられるか。」

跡部は言った。

「まさかあの撃鉄の『死神』がこんなところにいるなんてな。
しかも何だ、青学のマムシと仲良くしてやがる。
死神とマムシ、とんだ組み合わせだな!」

海堂は危うく自分も理性をすっ飛ばすところだったのを、何とか抑えた。

俺だけならともかく、まで馬鹿にしやがって!!

だがしかし、ここで自分もキレる訳にはいかない。

「そんなことより、」

が言う。

「杏ちゃん先輩を離せや。アンタ、これが1回目とちゃうんやろ?」

跡部の笑みが深くなった。

何か企んでやがるな。

海堂は思った。

「ま、それは別に構わねぇけど。俺の要求を呑む気があるならな。」
「一体、何や。」
「やめとけ、。どうせろくでもねぇことに決まってる。」
「おいおい、そう疑うなって。ストリートテニスしようって言おうとしただけだ。
ちなみに…ダブルスでな。」
「ダブルス…?」

海堂は呟いて周囲に目を走らせた。
まさか。

海堂の目は跡部の傍らにたたずむ巨漢の男子を捉える。

あいつが相手ってか。

「ええで。やるわ。」
「おい、…」

いくら何でも無茶だ。

海堂はそう言おうとした。
しかし…

「お願いです、海堂さん。一緒にやってください。俺、先輩を放っておけないんです。」

海堂は断る、と言い掛けてふとの目を見た。見てからしまったと思った。
は海堂のシャツの裾をギュッと掴んで、まるで海堂が時々拾う捨て猫のような目で
見上げていた。

すがるようなひたむきな瞳、こんな目で見られては海堂に勝ち目はない。

…俺はこーゆー目に弱いんだ。

海堂はため息をついた。

「わかった。足引っ張んじゃねーぞ。」
「ご心配なく。」
「そう来なくっちゃな。行け、樺地。」
「ウス。」

かくして、海堂薫との超異色越境ペアは結成されたのだった。

To be continued...


作者の後書き(戯言とも言う)

すいません、思ったより長くなってしまいそうなので2つに区切りました。
どうか、『続くんかいっ!!』という突っ込みはご勘弁をm(_ _;)m
後編もなるべく早いトコアップします。




次の話を読む
目指すものシリーズ目次へ戻る