2/5(ベナレス→カルカッタ)
今日泊まっていた宿がまたガンガーに近いって事で今日も朝日を見に行きました。
でも、今日の朝日は霧が出ていたせいかよく見えなかった。前回、船を借りてみた時に
綺麗にちゃんと見れたのは結構運が良かったからかもしれませんね。
朝日を見た後、二度寝をする。起きたら11時になっていたのでチェックアウト
まず、朝食を食べに近くのレストランへ。
で、出てきた品物を見ると頼んだのとは違うのがでてきた
???
ナンデだって思って、訝しげに料理を見ていたら店主が一言
「頼んだの料理は美味しくないから変えておいた」
・・・・
美味くないから勧められないなら品書きに書くなよ!って思ったんだけれども
単に、材料がなかっただけだったんだなって今になって分かった。
インドは適当なお国です(笑)
朝食後、今日はこの町の有名な物の残りを見に行きます
一つは火葬場でもうひとつは昨日見に行ったヴィシュヌワート寺院の本物です
後者のほうは異教徒は入れないって事なので、せめて周りだけでも・・・。
黄金の塔があるらしいので外から少しでも見れればイイなって事でいってみようって事になりました。
火葬場は行ってみて何か後悔しました。
見るものではないと思いました。興味本意で行くような場所ではないと
そして、そこにはまた観光客目当てにガイドをする人がいる
人の死を利用して、観光客から金を巻き上げようと考える人を見て最低だと思った
そして、火葬場に興味本意で行った私たちも最低だと思った
ガンガーの近くには助かる見込みのない人が死を待つための施設 ホスピスがあって
そこに、連れて行かれた
そこには死を待つ人が何人かいた
その人たちは何を思って火葬場を見るのだろうか?
自分の姿を重ねはしないのだろうか?
重ねた時、いいしれぬ不安には襲われないのだろうか?
学校で、ヒンドゥー教の人たちは死後ガンジス川に流されることを願っていると聞いたことがある
もしかしたら、死を待っている人はガンジス川に流されることを楽しみにしているのではないか?
それが、ヒンドゥーでは幸せであると言われているから・・・。
もしそうだとしたら、死を待つこの人たちは死を恐れないかもしれない
でも、それは人の弱みに付け込んでいるように思う
人はみな「死」を恐がる
私もそうだ
当然のことだと思う
でも、それを避けるために宗教があるのだとしたら
宗教ってなんなのだろうか?
そんなことを感じた
そんなことを考えていると
「マリファナ?チョコ?」
とか聞いてくるインド人
場をわきまえろ!!!
後輩のキヨシは危うく殴るところだって言ってた。
次に目指したのはヴィシュヌワート寺院なのだが、
ほっそーい路地を突き進んだら、警察がたくさんいる入り口が見えて・・・
どうやらそこが、ヴィシュヌワート寺院らしいのだが全くもって何も見えない
寺院の周りには土産物屋がたくさんあるせいで少し離れた場所から見ようと思っても
店が邪魔で少し離れるって事ができないし
遠く離れると店が邪魔で見えないし・・・
ってことで、今回見えませんでした。残念(泣)
あとは、見るものないって事で駅に向かって電車を待ちます。
今回も電車は90分遅れるようです。
もう慣れましたわぁって感じです。
電車が遅れて、どうしたらいいか分からなかったので
駅のインフォメーションセンターにまた行きました。
行ってみると、ここ何日間かお世話になったオッチャンがいて
またまたお世話になりました。
電車を待つんならココに行って・・・
30分前になったら駅員にこういうんだよ・・・。
それを理解できないでいると、紙に英語を書いてくれて
「駅員にこれを見せなさい」なんてことまで・・・
本当にありがとう!おじさん!
何度も何度もお世話になりました
個人的には8回お世話になりました
ありがとう!
そして、90分後、やっと来た電車に乗った私たちはカルカッタへ向けて旅たちました・・・。
↑のオジサンが親切なツーリストオフィスのオジサンです
唯一信用が出来た方です
ヴァナラシに行ったらゼヒ立ち寄ってみてください
何か言い情報をくれるかもしれませんよ?