能の“二人静”
現の人間に霊がとり憑く能は多いが、死者に憑かれて、その死者の物語を語る女と、死霊そのものとが現れて二人が同じ衣装で、影が形に添うように同じ舞を舞うと云う数少ない形をとる能で、その物語は、吉野の勝手明神(奈良県吉野町:頼朝勢に追われ義経と別れた静御前が捕らえられ、この社殿の前で別れの舞を舞ったとの伝説がある)は、毎年正月7日の神事に、ふもとの菜摘川から若菜を摘んできて神前に供える風習がありました。
例によって神職が、菜摘女に若菜を摘みにやらすと、一人の女が現れて、“吉野に帰るなら伝えて下さい。
私の罪の深さを哀れんで、一日経を書いて弔って欲しい”と頼みました。
そして“あなたのお名前は”と尋ねられると、何も答えないで、跡形もなく消えてしまいます。
そんな不思議な体験をした菜摘女は、そのことを神職に話しているうちに、その女の顔つきが変わり、言葉つきも変わってきたので、神職は“いかなる人が憑いているのか名を名乗りなさい”と云うと、“静である”と名乗りました。
静御前の霊が菜摘女に憑いたことが分かり“それでは、ねんごろに弔うから舞いを見せて欲しい”と女に頼むと、女は果って静が勝手明神に収めた舞いの衣装を宝物蔵から取り出し、女がその衣裳をつけて、舞を舞おうとすると、いつの間にか静の霊も現われ、一人の女が二人となり、義経が頼朝勢を逃れて吉野の山を奥へ奥へとふみ分けて行ったありさまを語り、頼朝の前で不本意ながら舞った白拍子の舞を舞うのです。