栽培菊の話 | 中国では2000年以上前からキクを薬用として栽培していた記録があり、1500年程前に、菊の祖先は中国北部に野生する“チョウセンギク”の白または淡紅色の花と
中国南部に野生して黄色い花が咲く“シマカンギク”が中国の中部地方で自然交配した物だと云われております。 日本には野生種、栽培種を含め沢山の種類がありますが、これが日本に移入された植物のようで、万葉集(舒明(じょめい)天皇(600年位)から大伴家持(759年)までのものが収録されている)には菊を歌った歌は一種もないのです。 あれだけ目立つ花なのにですよ。 このようなことから、天平時代(奈良時代とも云う710〜784年)に中国大陸から薬草として移入されたものと云われております。 しかし野生種は在来種として元々日本に存在したとも云われております。 平安時代の貴族社会では九月九日の重陽節句(菊の節句)が、酒の盃にキクの花(葉)を浮かべ漢詩や和歌を作って長寿を願う行事(キクの宴)として定着し、観賞花として古今和歌集(905年に成立)に歌われている。 鎌倉時代になって中国の宗から変種や改良品の導入がなされ、時代が下がるに従い多くの人が取り上げるようになり、江戸時代になると沢山の品種が改良・栽培されたそうです。 本場の中国では“神農本草経(紀元25−220)”の注釈に“菊に両種あり、一つは茎が紫で気香しく味甘く、葉は羹(あつもの)に作って食えるものが真である、一つは青い茎で大きく、蒿艾(こうがい:よもぎぐさ)の気(臭い)あり、味苦く食うに耐えないモノを苦意という」としている。 このように最初の菊は食用として利用されていたと考えられ、紀元前3世紀の孔子の書にもキクの花を食用としていたことが記されています。 その後、薬草として利用されてきたものと思われます。 粉末にして酒に浸したキク酒を1日3回飲むと、100日で身体が爽快になり、1年で白髪が黒髪に2年で抜けた歯が再び生え、5年飲めば老人が子供にかえる伝説もあるそうです。 更にキクの露が落ちた谷川の水を飲んで700歳まで生きた仙人の伝説など、キクの効能に関する逸話は沢山ありますが、眼病、動脈硬化の予防、頭痛などに用いられていたようです。 中国唐時代(618〜907年)の菊の挿絵(さしえ)は現在のキクと同じで、唐時代に中国で現在のキクは生まれていたと考えられています。 宗時代(960〜1276年)になると品種改良が進み、劉蒙の“菊譜”などに花の形態を記した本が出来ています。 |
菊の紋章の話 | 菊花紋と言えば、皇室を思い浮かべますが、明治2年に菊が皇室の紋章として制定され、天皇家は十六花弁の八重菊、皇族は十四花弁の裏菊(菊の花を裏からみた形の図案)と定められました。 鎌倉時代に後鳥羽上皇が衣服や刀剣まで菊の文様を用いたことに始まると言われています。 菊は平安時代以降、装束や調度の文様として多く用いられ、貴族は家門を誇るために優雅な絵柄を選び、鎌倉、室町時代から武家の紋章にも度々登場します。 貴族や武士が、菊の文様を好んだのは、中国の菊慈童伝説(100年を経てまだ童顔の仙人で在り続けた)の故事に因んで、延命長寿の霊力にあやかりたいと云う願いの現れでしょうか。 菊は古代中国では蘭、竹、梅と並んで“4君子”と称され、高貴な植物とされていたことから、日本でも比較的古くから皇室、貴族の間で利用されていました。 |