ボタンをクリックすると写真変わります
別名 | サラダナ、レタス |
分類 | キク科 アキノノゲシ属 |
原産地 | 地中海沿岸 アキノノゲシ属なので、花もアキノノゲシ(秋の野芥子)に似ています。 |
薬用部分 | 葉 |
成分 | クエルセチン及びルテオリンの配糖体、セリルアルコール、エルゴステロール、リンゴ酸、コハク酸、精油を含みます。 白い液汁の中には催眠効果を誘うラクッコピコリンと呼ばれる苦味成分テルペンの一種が含まれいます。 |
適用 | 中国では、清熱利水作用があるといい、解熱、利尿、催乳、催眠作用があり、葉を煎じて服用すると、利尿、むくみを取り、神経の鎮静や不眠症対策として良い。 中国では、“出産後の乳汁の出の悪いのを治し、小便の出をよくし、血液の循環をよくする(本草綱目)”とか、“五臓を利し、気持ちを開き、気を大きくし、血液の循環をよくする(飲膳正要)”など、と述べられています。 |
名前の由来 | 中国から平安時代に渡来し、“本草和名(918年)”には“知佐(チサ)”として収録されていて、その“知佐(チサ)”は、“乳草(ちちくさ)”が略され“チサ”となり、更に転訛して“チシャ”となったと云われています。 中国ではチシャの総称を萵苣(ウォジュ)と云い、“萵の国から伝わった苣(葉っぱ)”と云う意味の漢字を充てた。 レタスという呼び名は英名の“lettuce”で、この英語もラテン語の“lactuca”に由来し、“lac”は乳のことで、切ると乳状の粘液が出ることから連想して名付けられました。 また、学名(LACTUCA SATIVA)の“LAC”も同様に乳を意味する言葉で、茎を切ると白い液体が出ることに由来しています。 奇しくも東西の呼び名の語源が乳で一致しているのは、面白い結果だと思います。 |
種類 | 1.[玉チシャ]:ヘッディングレタス;クリスプヘッド(レタス) バターヘッド(サラダ菜) 2.[葉チシャ]:リーフレタス(サニーレタス) 3.[立ちチシャ]:コスレタス 4.[茎チシャ]:ステムレタス(アスパラガスレタス) 5.[掻きチシャ] :カッティングレタス 現在の日本では結球する[玉チシャ]のクリスプヘッドを、一般的にレタスと呼んで、最も普及しています。 不完全ながらも結球するサラダ菜や不結球の[葉チシャ]のサニーレタスや最近では韓国ブームに伴って[葉チシャ]の一種であるサンチェが普及しつつあります。 また、葉が卵形で長い[立ちチシャ]などがあり、中国料理で使われる、茎を食べる萵苣筍(チシャトウ=[茎チシャ])が、日本で栽培されているようです。 <レタスVsキャベツの競争> 一般に生活のレベルが上がるとキャベツの消費量が増えると云われ、更に豊かになると、レタスの消費量が増えて、キャベツの伸びが止まる現象がアメリカで見られました。 それと同じことが昭和40年代以降の日本でも起きました。 食生活のスタイルがアメリカに似てきたと云う事のようです。 |
チシャの歴史 | 古代ペルシア・ギリシアでの栽培は紀元前4,500年ほど前まで溯ると云われています。 当時の利用は種子からの搾油が目的で有ったろうと思われています。 その後、紀元前500年頃には葉の食用利用も定着していたようで、ペルシャ王の食卓に供せられたと伝えられ、ギリシャの哲学者アリストテレスも食べたと云われております。 ギリシャ人、ローマ人により野菜としても薬としても高い評価を受けていました。 中国には5世紀頃に中央アジアを経由して伝来しました。 その品種は、現在の中国でも良く利用されている“ステムレタス”や“カッティングレタス”の事だと思われています。 コロンブスは新大陸アメリカから、色々な植物を欧州にもたらしたばかりでなく、逆に新大陸に持ち込んだとも云われており、その一つにチシャ(レタス)があったと云われています。 そのアメリカで現在のレタス(クリスプヘッド)が誕生しました。 ヨーロッパ、アジア、アメリカなど世界的に広まり、主要野菜となりました。 日本には、中国から平安時代に渡来しており、“本草和名(918年)”には“知佐(チサ)”として、収録されていて、その品種は、中国からの伝来であったため、“カッティングレタス”であったと、考えられています。 日本では、普及せず幕末から明治にかけて、サラダ菜の栽培が細々と始まったのですが、料理の飾り程度の利用に止まった為、消費は低迷していました。 同様に、明治時代初期に栽培が始まった、キャベツがたちまち日本の食卓になじみ主要な野菜になったのに対しチシャ(レタス)は、横浜市などで一部の農家が外国人やレストラン、ホテル向けに栽培しているだけでした。 余程、日本の食事には相性が悪かったようです。 第2次世界大戦後になると、アメリカで品種改良された結球タイプの玉レタス(クリスプヘッド)が、在日アメリカ軍の必要不可欠な生鮮野菜として、栽培が始まり急激に増えました。 それでも日本人の需要は殆ど無かったようです。 昭和40年代になると、食生活の変化、肉食の普及により、ようやくレタスも大衆化した野菜となります。 昭和40年頃の作付面積が全国で2,500haだったのが、昭和55年には約2万haと約10倍に増えました。 こんなに急激に増えた野菜は他には例を見ないそうです。 |