ボタンをクリックすると写真変わります
分類 | タデ科 ソバ属 原産地 チベット・ヒマラヤ・中国南部・中国東北部・中央アジアなど諸説がある。 日本での栽培始めは不明(縄文早期の遺跡からも花粉や種子が出土している)であるが、722年に元正天皇の詔でソバの栽培を勧めているのが記録に残されている。 |
薬用部分 | 全草 |
成分 | ルチン |
適用 | 毛細血管の浸透性を良くする作用を利用した高血圧症の、ルチン製造の原料に用いらる。 高血圧症の予防に、全草や種子を茶として服用します。 ソバ粉から作るゆでたそばには、ルチンは含まれていないので高血圧とは無関係です。 |
食用 | 種子は主に粉にしてそばの原料にする。 生育期間が短かく(60〜70日)、山間地の作物や救荒作物として、古くから栽培されてきた。 |
名前の由来 | 漢名の“蕎麦”を本草和名(918年)や和名抄(932年)では、“曽波牟岐(そばむぎ)”と充てています。 “蕎(そば)”意味は、稜のことを云い痩果は3稜形で、穀類なので“麦”が付けられ“ソバムギ”と呼ばれたが“ムギ”が略されて、“ソバ”になったと云われています。 |
そばきり の話 |
江戸時代初期に、小麦粉を繋ぎにしてそば粉を練って、伸して、切って、麺にして食べること始まった。 これが現在のそばのことで、小麦粉2割にそば粉8割が標準割合で、それが“二八そば”の始まり。 その、そばきり発祥の地と云われているのは、塩尻市本山地区(旧本山宿)で、宝永3年(1706年)に芭蕉の門人の森下許六が出版した“本朝文選”に許六の弟子の雲鈴が「蕎麦切りといっぱ(云うのは)、もと信濃の国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされける」と書いたことによります。 また、本山宿本陣では、寛文10年(1670年)6月4日の大名宿泊時に蕎麦切り献上の記録も残っています。 <年越しそば> 大晦日(おおみそか)に、蕎麦(そば)を食べる風習は、江戸時代に その一、“金銀の箔(はく)工房で、飛び散った金銀の粉を集めるのにソバ 粉を練ったもので集めていた”ことから、“新年も金銀を引き寄せ られるように”という願いから始まった。 そのニ、“家運や財産、寿命などが細く長く伸びるように”との願いと、逆 に“切れやすいことから、旧年中の苦労や災いが今年で切れる ように”との願いを込めて、商家を中心に始まった。 などの説があります。 |