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お題:  爛漫

シオン [紫苑]
別名 オニノシコクサ(鬼の醜草)、オモイグサ(思い草)
分類 キク科 シオン属
原産地 中国北部から東北部、モンゴル、シベリア、朝鮮半島
奈良時代か以前に中国から朝鮮半島を経て薬草として渡来し、現在では広島、大分、宮崎、熊本などで栽培種が野生化している。
花が美しいので薬草より観賞用として栽培が盛んに行われた。
生薬名 シオン(紫苑)
薬用部分
成分 アスターサポニン、シオノン、エピフリーデリノールなど
適用 サポニンが気道粘膜の分泌促進をして、痰が出やすくする作用があり、
鎮咳・去淡などの目的で漢方処方(紫苑散、射干麻黄湯など)に配剤されます。
乾咳や口乾などの症状がある場合には用いない。
名前の由来 本草和名(918年)の中で“漢名:紫苑”と記述され、その意味は“苑”に”囲い・園・物事の多く集まる場所・草木が茂る様子”などから、“紫の花の集まり”と云う事から名付けられた。
他に、根が紫色をしている事からとの説も有ります。
また、”苑”は呉音(古い中国南方系の読み)での“オン”の読みが伝来し“シオン”と呼ぶようになった説と、紫苑の中国音“ジワン”が訛ったものとの二説があります。
また、中国では“青苑”とも書きます。
<他の名前>
新撰字鏡(901年頃)に、葉が鹿の舌に見立てたと思われる“加乃志太/鹿舌(かのした)”とか“乃之/能之(のし)”と云われていたが、平安時代には“シオン”が確定していた。
花の時期が中秋の名月とも重なるところから“十五夜草”
“しおに”と云う名前を使った、一茶の“栖(すみか)より四五寸高きしおにかな”があり、シオンの“ン”を“ニ”と表記したものです。
“鬼の醜草”は『親の墓に兄は萱草を植え墓参りをやめ、弟は死を悼んで墓に紫苑を植えて日参する弟の孝心に墓を守る鬼が感じ入る』と云う、今昔物語(1120年〜1150年成立)に収載されている物語に由来する
のですが、既に万葉集(600年位〜759年の歌を収録)の時代には、この物語は知られていたようで、次のような歌が収載されています。
『萱草 吾下紐尓 著有跡 鬼乃志許草 事二思安利家理』  作者: 大伴家持
“忘れ草、我が下紐に、付けたれど、鬼の醜草(しこくさ)、言(こと)にしありけり”
和名抄(934年)に萱草の漢名をあげ、一名“忘憂(ぼうゆう)”和名を“和須礼久佐(わすれぐさ)”から萱草=忘れ草は知られていたようですが、紫苑は鬼との関係の鬼の醜草(しこくさ)で呼ばれ、兄の植えた忘れ草との対で、弟の親を思う心に目を向けた“思い草”と呼ばれるようになるのは、かなり時代が下がってからのことと思います。
<思い草の余談>
中国に「漢の武帝は李夫人が死んだのを悲しみ、返魂香(はんごんこう:想像上の香)を炊いたところ愛しい李夫人の面影が煙の中に現れた」と云う故事があります。
この事から“返魂”に「死んだ人の魂を呼び返す」と云う意味が生まれました。
漢名の“紫苑”には“返魂草”の異称あると云われ、ここから“思い草”と云われる様になったものと云われます。
思い草と呼ばれる植物にナンバンギセル、シオンの他に、キキョウ、オミナエシなども云われます。
また、返魂草と云われるものに、黄色い花の咲くキク科キオン属のハンゴンソウがあります。
キク科キオン属のハンゴンソウ(返魂草)の名前の由来は手の指ように切れた葉の裂片が下を向くので幽霊の手を連想して、中国の故事に因んで付けられたと云われます。
処が、足が無く、手が垂れた幽霊を最初に考え絵にした人は、円山応挙(まるやまおうきょ:1733〜1795年)と云われ、江戸時代
(1603〜1867年)の中期以降の人です。
今昔物語などにみえる源融(みなもとのとおる:822−895年)の霊や
伴善男(とものよしお:809〜868)の霊も生前の姿で出現しています。
ですから、キオン属のハンゴンソウ(返魂草)の名前は、江戸時代の中期以降に定着し現在に至っていると云えます。
それ以前の名前は、“鰹草”と云われ、“鰹が取れる時期に花が咲く”事からと云われており、また漢名は“劉寄奴(リュウキド)”と云われていましたが、“劉寄奴”と“キオン属のハンゴンソウ”はべつものであると牧野富太郎博士は云っておられたようですが、現在では“劉寄奴”はキク科ヨモギ属の植物で、日本には無いものだと確定しているそうです。
しかし生薬としての“劉寄奴”は、日本ではオトギリソウ、ヒメオトギリソウが同等の物として、充てられています。
古典の世界 ”忘れ草・思い草の話”は、ここクリック

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