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お題:  綿菓子みたい

セイヨウナツユキソウ [西洋夏雪草]
別名 メドスイート(英名)
分類 バラ科 シモツケソウ属
原産地 ヨーロッパ、アジア西部、モンゴル
薬用部分 花、葉、茎、根、種
成分 サリチル酸塩、タンニン、フラボノイド、精油(アネトール)他
適用 リウマチ、解熱、胃炎や胃潰瘍、利尿作用、尿酸の排出などに、ハーブティーとして利用。
食用 花にはアーモンドのような香りがありジャムやワインなどの香り付けに、種子は焼き菓子の香料に利用。
染料 刻んで乾燥させた根は、シルクを暗褐色から黒色に染色します。
名前の由来 キョウガノコ(京鹿子:バラ科シモツケソウ属)の白花種を夏雪草と云い、その花姿が似ているので夏雪草の名前を借りて、外国産なので西洋を付けた。
夏に咲く白い雪のような花から夏雪草と呼ぶようになったようです。
ヨーロッパ原産の園芸品種のシロミミナグサ(白耳菜草:ナデシコ科ミミナグサ属:葉をねずみの耳に見立てた)の別名は、ナツユキソウとも云うそうです。
学名(属名)のFilipendulaは“ひもがぶら下がった”と云う意味で、その根の形に因むそうです。
アスピリン
    の話
医学の父と呼ばれる2300年前の偉大なギリシャの医師ヒポクラテスは、ヤナギ(セイヨウシロヤナギ:ヤンギ科ヤナギ属)の樹皮を鎮痛・解熱に、葉を分娩の痛みの緩和に用いたと云われています。
ディオスコリデス(40〜90年)は医薬用本草書“マテリア・メディカ”に白い葉の柳(salix alba)の葉が痛風に効くと記載しています。
アフリカのホッテントット族はリウマチ発作にカワヤナギ(川柳)の若枝を煎じて服用してしました。
紀元前より、ヤナギの樹皮の抽出エキスは鎮痛・解熱のために用いられており、古代インドや中国、ギリシャでもヤナギの鎮痛効果はよく知られていました。
欧州人は何世紀もの間、通風、リウマチ、神経痛、歯痛、耳痛あるいは分娩痛などの痛み止めとしてセイヨウシロヤナギ、他の種のヤナギの葉や樹皮の煎じ薬を用いていました。
18世紀には、ヤナギの樹皮を細かく砕き、水に溶かして飲ませると熱が下がると、ロンドン王立協会から出版された書物に記載されています。
その活性成分の単離は多くの科学者が試みたと云われるが、実際に分離されたのは1819年のことでエドワードストン神父がヤナギの樹皮から薬効成分を分離しヤナギ(Salix)属の属名に因んでサリシン(salicin)と命名された。
しかし、これは純粋ではなく、実際に純粋物質として結晶化されたのは1827年であり、しかもそれはヤナギからではなくセイヨウナツユキソウ(Filipendula ulmaria)の葉からであった。
しかし、サリシンは実際に純薬として使われることはなかった。
それは、サリシンは内服出来ないほど酷く苦かったからである(一般に配糖体は苦味の強いものが多い)。
サリシンを含むセイヨウシロヤナギの樹皮の煎液も苦く、欧州人は何世紀もの間その鎮痛作用を求めて
ひたすら苦さに耐えてきたのです。
従って、サリシンの唯一というべき欠点を克服するため、科学者たちはその代替品を求め続け、1838年になってサリシンの分解物として得られていたものの主成分がサリチル酸であることを突き止め、更に、抗リウマチ作用が有ることも突き止められました。
ほぼ同時期に、ドイツでサリチル酸が化学合成されました。
サリチル酸のドイツ名はスピールゾイレ(spir saure:スピール酸)と云われ、スピールゾイレはセイヨウナツユキソウの昔の学名Spiraeaulmariaの属名に由来し、それは、前述のように初めて得られたのがヤナギではなくセイヨウナツユキソウであったからです。
天然サリチル酸に代わって、合成サリチル酸が19世紀後半には、慢性関節リュウマチ、風邪、歯の痛みから、ジフテリア、梅毒、コレラに至るまで、あらゆる病気に使われていました。
しかし、この薬も耐えられないほどの苦味や副作用で胃をやられ、腹痛や吐き気に苦しんでいる人が沢山いたのです。
このような背景から、ドイツの製薬メーカー、バイエル社は、29歳の化学者、フェリックス・ホフマンに副作用の少ない鎮痛剤の開発を指示しました。
安心して飲めるリュウマチ薬の開発を志し、ホフマンはアセチルサリチル酸が有効なことを見出します。
アセチルサリチル酸は過去に何人かの化学者によって合成はされていたものの、原料のサリチル酸が残り、また不純物が混ざっていたため実用に供されなかった化合物です。
ホフマンは、先人達の研究を調査、検証し、フランスの化学者(ジェラール)がサリチル酸をアセチル化する方法を報告した論文を見つけ、それを改良して純度の高い“アセチルサリチル酸”の合成に1897年に成功し、ここにアスピリン(Aspirin)が誕生しました。その名前は、アセチル化の“A”とスピールゾイレの語源であるセイヨウナツユキソウの昔の学spirae(現在はバラ科シモツケ属の学名になっている)に由来し、1899年にバイエル社から商品名アスピリンとして売り出されたのです。
アスピリンは、服用し易く副作用の少ない解熱、鎮痛、消炎剤として、世界で爆発的に売れバイエル社の登録商品名であったにもかかわらず、第一次大戦後の国家賠償の対象となり各国で登録抹消し一般名となりました。
いかに各国がアスピリンを欲しかったのかが分ります。
ですから日本でも1932年から日本薬局方にアスピリンの一般名で収載されています。
処が、何故このような薬効が発揮されるのか、その薬理作用のメカニズムは不明のままであったが、1971年に初めてイギリスのジョン・ヴェインが薬理作用メカニズム(アスピリンは痛みの伝達物質が体内で合成されるのを抑制する作用が有り、結果として脳への痛みの伝達を阻害して鎮痛効果を発揮する)を解明した業績により、1982年にノーベル医学賞を受賞した。 
更に新しい薬理作用として血液中の血小板の凝固抑制作用が発見され、心筋梗塞や脳梗塞の再発予防薬として、遅ればせながら日本でも2001年から薬事法の改正で健康保険の薬価収載されました。
1899年にバイエル社から売り出されてから100年以上経ちますが、現在でも重要な薬剤であり低用量では“心筋梗塞や脳梗塞の再発予防薬”として、高用量では従来の“解熱/鎮痛/消炎剤”に使われ、今では心筋梗塞や脳梗塞の再発予防薬としての使用が主流となっています。
アスピリンを沢山投与すれば良いのではなく、高用量では血液の凝固抑制作用が低下し、また、副作用が少ないと云われているが、胃腸障害発生の可能性が高くなります。
ピリン系の鎮痛解熱剤によるアレルギー性副作用が問題となりましたが、アスピリンは“ピリン”が付くが非ピリン系の薬剤でピリン系の薬剤は“アミノピリン・イソプロピルアンチピリン・スルピリン”などが使われているものです。

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