別名 | タカトウグサ[高遠草] |
分類 | ユリ科 ネギ属 |
原産地 | 西アジアからインド、東南アジア、東アジア、シベリヤにかけて広く分布 日本には弥生時代に渡来したとも云われ、 自生していたと云う説もあり定かではない。 一方、ニラは西洋では見られず、その栽培は東洋に限られています。 |
生薬名 | キュウシ(韮子) |
薬用部分 | 種子 |
成分 | 未詳 |
適用 | 強壮、興奮などの目的で漢方処方(韭子酸:キュウシサンなど)に配剤され、他に夜尿症、胃腸薬などにも用いられ、また、 葉は止血、解毒、去痰、食用に使用される。 |
名前の由来 | 古名はカミラ(加美良:古事記)、コミラ(古美良:本草和名)、ククミラ(久君美良:万葉集)と云われており、また、ニンニクの古名の“オオミラ”に対してニラを“コミラ”と称していたようで、これらの呼び名が簡略され“ミラ”となり、それが転訛して“ニラ”となった。 その共通の“ミラ”の意味は、食べると美味しいことを“みら(美辣)”と云った。 万葉集では、一首詠われており 伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢 作者:不明 「伎波都久(きはつく)の岡の久君美良(くくみら)、我れ摘めど、籠(こ)にも満たなふ、背(せ)なと摘まさね」 歌の意味は“伎波都久(きはつく)の岡に茎韮(くくみら)を摘みに来たけれど、籠はぜんぜん一杯になりませんよ。 じゃあ、あの人と一緒に摘みなさいね”で東歌の一つで茎韮(くくみら)を摘みに来た菜摘女(当時、野菜は栽培されておらず山野の野草を採取する女性を貴人たちは雇っていた)が詠ったものようです。 また、漢字表記は漢名の“韮”を充てたものです。 学名(属名)のアリウム(Allium)は“ニンニク”の古いラテン名で“匂い”という意味が語源だそうです。 |
色々なニラ | 韮青、韮黄、韮白、韮子などと中国野菜で云われますが、これらは 韮青:花が蕾の段階の花茎を収穫した“花ニラ”のことですが、葉を食 べるニラとは別種のようで花ニラの葉は細く、固く、食用には適 しません。 塩漬けにされて、利用されます。 韮黄:日光や光を遮断して生育させた、黄色い葉のニラのことで日本 では“黄韮”と呼ばれていて生食に利用されます。 韮白:韮黄より更に、萌やし状に生育した白色のニラのことで、やはり 生食に利用されます。 韮子:種子のことで、中国では生薬として泌尿系疾患や下痢止めに用 います。 |
栽培の歴史 | 中国西部の原産。東アジアに広く分布し、中国、フィリピン、インド、インドネシア、台湾、日本などで栽培されて、ヨーロッパやアメリカでは利用されていない。 特に中国では古くから野菜として栽培され、後漢時代の“四民月令”には葉も花も利用できると記載されています。 日本では、弥生時代に渡来したとも云われ、 自生していたと云う説もあり定かではないが、9世紀(平安時代)に入ると栽培されていたようで、最初は薬用とし粥に混ぜて利用した程度と云われています。 江戸時代になると、農業全書(宮崎安貞:1697年)の中で、ニラは昔から有名な作物で、人々から賞味されていて、陽起草とも云って人の栄養を助け、身体を温める性質の良い野菜であると書いてあります。 この時代になると、重要な野菜の一つとなり、栽培法や利用法、効用に関する記載も多く見られるようになってきますが、依然として大量に用いるものではなかったので庭先や、畑の隅に、畑の縁の土留めを兼ねて 植えられる程度で少量ずつ栽培、利用されていたようでした。 大量に栽培、消費されるようになったのは、食生活の変化が著しくなった1960年代(昭和35年頃)以降からです。 農林水産省の野菜生産状況調査には、1972年(昭和47年)に新顔として登場しました。 その時の作付面積は1890ha、生産量2.8万tでした。その後急増し、1980年代前半には25,000ha、6.5万tに達しました。 |