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お題:  花菖蒲の仲間に入れてね

キショウブ [黄菖蒲]
分類 アヤメ科 アヤメ属
原産地 欧州
明治時代後半に観賞用として渡来し帰化
利用部分 根茎
適用 草木染め染料
名前の由来 葉がショウブ(サトイモ科ショウブ属)に似て、黄色い花が咲くので”キ”が付いた。
現在、ショウブと呼ばれるものは、
ショウブ(菖蒲:サトイモ科ショウブ属):在来種で五月節句の菖蒲湯に
     使う
ノハナショウブ(野花菖蒲:アヤメ科アヤメ属):在来種で野生の花菖蒲
ハナショウブ(花菖蒲:アヤメ科アヤメ属):江戸時代に野花菖蒲から改良
        した園芸種
キショウブ(黄菖蒲:アヤメ科アヤメ属):欧州から園芸用として移入後、野
       生化
他に似たような花では、次の二種があります。
アヤメ(菖蒲:アヤメ科アヤメ属):在来種で類似種として、ヒオウギアヤメ
    がある
カキツバタ(杜若:アヤメ科アヤメ属):在来種
処が、万葉集では
ショウブ(菖蒲:サトイモ科ショウブ属):菖蒲草、菖蒲、安夜女具佐、安夜     売具佐と書き”アヤメグサ”と呼ばれていて、12首詠まれている
ノハナショウブ:花勝見と書き”ハナカツミ”と呼ぶものがあり、現在の野
         花菖蒲と云われているが不明、他にショウブもノハナショ
         ウブも”アヤメ”であったとする説があります。
         ハナカツミとして1首のみ。
カキツバタ:垣播・垣津旗・垣津播・加吉都播多と書き”カキツハタ”と呼
       ばれていて、7種詠まれている。
何故、現在のアヤメが万葉集では、詠われていないのだろうか、また、何という名前だったのだろか。
サトイモ科のショウブ:中国から薬草や魔除けの草(霊験あらたかなな草
             )として、知識が伝来し、また、中国の端午の節句
             の行事が奈良時代には、国家行事として行われ、
             ショウブを飾る習慣が出来ており、その後、漢字も”
             菖蒲”が定着した。
ノハナショウブ:縄文時代末期に大陸から到来した稲作には水が必要で
        、雨を待つ昔の人達は、ノハナショウブの開花を見て、梅雨
         の到来を知る、田植えの指標花であったとの説がありま
         す。
この説からすると、サトイモ科のショウブのいわれが中国から伝わる以前は、ノハナショウブの方が、重要な植物であった事になり、”アヤメ”と呼ばれていて、その後、奈良時代に中国から知識で、サトイモ科のショウブの意味を知り、ノハナショウブと良く似た葉なので”アヤメ”として区別をしなかったようですが、その由来には次の二説があります。
中脈が盛り上がり青銅剣のような形をした葉が繁る様子が綾目/文目(あやめ)模様に見える事から付けられたようです。
他の説に、端午の節句の宮中行事の中心的な役目の中に、菖蒲の薬玉を取り次ぐ、菖蒲の蔵人と云う係りがあり、これを担う人は、朝鮮からの渡来人で機織の技術を持った女性(”漢女:あやめ”と称した)でした。このことから”漢女草:アヤメグサ”と云われるようになったとの説も有ります。また、
カキツバタ:草木染の染料として、花の汁で布を染めたので”書き付け花”と言われていたものが”カキツバタ”に訛ったもので、”杜若”と書くのは、漢字の誤用と云われています。
万葉集で詠うアヤメは、すべて端午の節供を飾った菖蒲の葉姿のみを詠み込んだもので、花は全く詠われていません。
カキツバタは、花を愛でたり、花で衣を染める事が詠われています。
何故、アヤメの花を詠んだ歌が無いのでしょうか?
これは意図的に、大和朝廷の重要行事である、端午の節句に使うサトイモ科の菖蒲を詠んだ歌だけが選ばれたのではないかと云われています。
また、この三種(ショウブ、ノハナショウブ、カキツバタ)の生育地は、いずれも水辺の湿地であり、有用植物であるので認識されていたが、現在のアヤメは乾燥地の草原が生育地で、有用性も認められていなかった事から、名前も付けられておらず当時の人々に認識されていなかったと思われます。
その後、ノハナショウブの区別や現在のアヤメも認識されるようになり”ハナアヤメ”として区別するようになったが、漢字は”菖蒲”のままだったので依然曖昧であった。
その曖昧さが流行語を生み。”いずれがアヤメかカキツバタ”の語源となった逸話に
源平衰盛記(1250年鎌倉時代後期成立)の保元・平治の乱で名を馳せた源三位頼政の詠んだ”さみだれに 沼の石垣水こえて いずれがアヤメ引きぞわづらう”が有名で、これはどれも優れていて選択に迷うという
ことを言っていますが、当時”アヤメ(菖蒲)”と”ハナアヤメ(花菖蒲)”の両方ともに”アヤメ”と呼ばれていたために、大変紛らわしかった事から”いずれがアヤメ”という表現が流行していたようです。
この歌は、その言い回しを巧く詠み込んだもので、頼政が鳥羽院の最愛のあやめの前に恋をし、やがて院が知り、頼政を試そうと五月五日の夕暮れに、あやめの前と、それに似た女性二人を加え、同じ姿をさせて「みごと当てたらあやめの前をそちにとらそう」との難題を出します。
困った頼政は、上記の歌を詠み、院は感激し自らあやめの前の手を取って、頼政に賜ったと記述しています。
この混乱は江戸時代の途中まで続いたと云われます。
”ショウブ(菖蒲)”と云う用法が広まった背景には、武家社会の定着と深い関係があります。
”ショウブ:菖蒲/勝負/尚武(武事を尊ぶ、軍備を盛んにするの意味)”と同じ発音であり又、サトイモ科のアヤメが邪気を祓い、一族のの安泰を願う尊い草花として”アヤメ”から”ショウブ”と呼ぶように定着していった。そして武具などに武運長久のお守りとして、白抜きの花菖蒲紋が盛んに描かれました。
江戸中期になると園芸が盛んになり、ノハナショウブの改良が行われて現在の”ハナショウブ(花菖蒲)”が作出され、武家社会の風潮を反映し”ハナショウブ”と名付け母種の”ハナアヤメ”と呼ばれていたものは、区別のために”ノハナショウブ”名付けられた。
更に現在の”アヤメ”と”ノハナショウブ”の区別は、幕末から明治時代の初期と云われています。
花のつけ根に網目状の模様があるから”アヤメ”と云う説もあるが、むしろ使われなくなった古名の”アヤメ”復活させたのではないかと思うのですが。
現在でも”ハナショウブ”は、一般的には”ショウブ”と呼ばれ”サトイモ科のショウブ”との区別が曖昧で混乱しています。以上が、千数百年に及ぶ混乱の歴史の話でした。

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