ケシのチョット怪しい話
漢字表記は中国名の”罌粟”を用い、日本では特別に,阿片を取る実を,芥子(ケシ)と名付けています。
中国名の”罌粟”は”罌+粟”から、命名され、”罌”は果実の”けし坊主(勿論、阿片の取れるケシ)”の形が”罌「もたい:液体をいれる口のつぼんだ甕(かめ)」”に似ていて、種子が”粟(あわ)”に似て いるので名付けられました。
”芥子”は”カラシ”とも読み、カラシナ(芥子菜)の種子です。
カラシナは、中央アジア原産で、中国から伝来し、”本草和名(918年)”や”和名抄(932年)”には、”辛い菜”のことで、中国名で”芥(がい/かい)”と云うとあります。
ですから、ケシが伝来する前に、日本人はカラシのことを”芥子(ガイシ)”として、知っていた事になります。
ケシは中国名の”罌粟”であることも知っていたのに、何故、”芥子”も用いたのでしょうか。
”芥”は”分ける・挟む”などの意味があり、また、”あくた”とも読み、この意味は”小さいゴミ”だそうで、カラシナの種子は、細かいので”細かく分けた種子=芥子”で、ケシの種子も細かいので同じ字を充てたとも云えるのですが、両者が違う物であることを承知の上で、同じ字を充てることは、常識で考えられない事です。
そこで、私見ですが。
源氏物語の「葵」や「手習」の帖で、祈祷の護摩を焚く際に”ケシ”を用いている記述があります。
この事から、真言密教と山岳信仰が結びついた、修験行者が行う、内護摩の修行(業や煩悩を焼く為に、行者自身が自らの業として行う)は、護摩木や大豆、小豆、米、胡麻、芥子などを数限り無くある煩悩の象徴として焼き付くし、仏様に近付いて、即身成仏を図るものです。
山中でケシを栽培していたのは修験行者で、その隠語として”芥子”を用いていたのではないかと、また、”即身成仏を図る”修行の手段の中に、阿片の使用もあったのではと思うのです。
こう考えると”芥子”の表記が重なった理由が理解できるのですが。