阿片戦争の話
茶、絹などの対中国貿易赤字による銀流出を嫌ったイギリスが、東インド会社を通じ、清へインド産阿片の輸出を行い、清に年間4万箱強の阿片が密輸入され、国家財政の4分の3に当たる多額の銀貨がイギリスに流出していた。
政府高官から庶民まで蝕み、多数の廃人が続出した。輸出を行ったイギリスでは、当時、阿片を吸引した者には極刑を課していたと言う。
清の道光帝は1839年、欽差大臣・林則徐を広東に派遣し、阿片の没収や焼却処分などの強硬策をとり、イギリスとの交易を禁止し、イギリス及び国内の阿片商人を徹底的に取り締まった。
没収した2万箱の阿片を人工池で廃棄したのを機に、イギリスは清に軍隊を派遣(1840年)した。
1842年6月、清軍はイギリス軍に大敗し、南京条約を締結を余儀なくされた清は、鎖国を解き、上海など5港を開港し、香港の割譲という結果となった。
この歴史的事件は、日本(明治維新の30年前の事)などアジア諸国に衝撃を与え、、近代史の幕間けとなった。
その後、太平天国の乱、第二次アヘン戦争を経て急速に国力を衰亡させることとなったのである。
中国におけるアヘン禍は20世紀初頭まで続いた。