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別名 | グビジンソウ(虞美人草) |
分類 | ケシ科 ケシ属 |
原産地 | ヨーロッパ中部 日本へは唐時代に中国に渡ったものが、江戸時代前期の花壇地錦抄(伊藤伊兵衛;三之丞 1695年)に栽培法が記述されているので、これ以前に渡来したようです。 |
名前の由来 | 「雛」は”小さい”とか”可愛い”の意味で、ケシの花の中では小型で可愛い花である事から名付けられた。 グビジンソウ(虞美人草)は、中国は三国志の時代、楚(そ)の国の項羽(こうう)と、漢の国の劉邦(りゅうほう)の最後の戦いの時、項羽は愛する后の虞妃(ぐき)と共に劉邦軍に包囲された。 項羽は別れの宴を催し、楚の国の歌を歌ってから最後の出撃(これが”四面楚歌:しめんそか”の言葉の由来)をし、虞妃も自刃して殉じ、その跡にヒナゲシの美しい花が咲いた。 それを見た人々が、この花を”虞美人草(ぐびじんそう)”と呼ぶようになった。 この切ない伝説とは裏腹に、この種は20年以上地中にあっても発芽するほど生命力が強く、欧州では畑の雑草です。 英名は“ポピー(Poppy)”で、日本でも一般的な呼び名となっていて、スペイン語では“アマポーラ”、フランス語では、オンドリの鳴き声の擬声語で、鶏冠の赤色と同じ色から“コクリコ”と呼ばれるそうです。 虞妃(ぐき)は、すごい美人のようでますが、中国四大美人と云われるのは、西施、貂蝉、楊貴妃、王昭君の四人だそうで、虞妃は入っていません。 |
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