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お題:  

ヒガンバナ  [彼岸花]   有毒植物
別名 マンジュシャゲ(曼珠沙華)、他に約400の別名があるそうです。
分類 ヒガンバナ科 ヒガンバナ属
原産地 中国の揚子江の流域
3倍体で不稔性なので球根の分球で増えるのですが、その分布は西日本中心で、自生北限は秋田県・山形県・岩手県ですが、山の中には見られず、主に人間の生活領域に分布しています。
これを“人里植物”と云い、何らかの目的のために、人間の手によって運搬されて植えられたことを示しています。
古典に登場するのが室町時代以降であり、それ以前の典籍には全く見られなく、万葉集には壱師(いちし)として、ただ一首収載されているが、それもヒガンバナと確定したものではなく、ギシギシ、イタドリ、クサイチゴ、エゴノキなどの説があり、ヒガンバナが最有力候補であると云われているに過ぎません。
それは、次の様な歌で、
路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀麗(女偏に麗)  作者: 柿本人麻呂
W道の辺のいちしの花の、いちしろく、人皆知りぬ、我が恋妻は”
『道端のいちしの花が目立つように、私の恋しい妻をみんなに知られてしまった』
[いちしろく]とは「明白」とか「目立って」というような意味です。
中国からの伝来には、次の様な説があります。
(1)自然分布説
今から200万年前は、日本列島とユーラシア大陸は陸続きの頃に、徐々に生息範囲を広げ東進して日本にたどり着いた。
ですが、化石が見つかっていないので、確証がないので何ともいえない
(2)海流漂着説
ハマオモト(浜万年青)やスイセン(日本水仙)と同じように、海流に乗ってたどり着いた。
有史来無人の孤島に、彼岸花がみられることから有力な説なのですが、球根が塩に弱いので日本に漂着しても発芽しない筈との事です。
スイセンのように海岸付近での、群生地が無いことから説得力に欠ける
(3)史前帰化植物説
オニユリのように、でんぷんを得るために、稲作農耕の始まる前の縄文時代に伝来した。
大変目立つ花なのに、万葉集には一首しか収載されていないのは、選者の偏見か、または、壱師(いちし)はヒガンバナではないので万葉人は彼岸花を知らなかった(無かった)のではないかと思われるのです。
(4)救荒植物・薬草渡来説
鎌倉時代に飢饉対策や薬草として移入され、農耕地帯を中心に広がったことと、別名:曼珠沙華と呼ばれるように、寺院による仏教の布教により広がっていった。
この説が、最も有力と思われますが如何ですか?(定説は史前帰化植物説なのですが)
生薬名 セキサン(石蒜)
薬用部分 鱗茎
成分 リコリン(アルカロイド:ヒガンバナ属の学名(属名)リコリスから)、
リコレミン(ガランタミン)
適用 催吐剤として用いられる“エメチン吐根 (トコン:Cephaelis ipecacuanhaアカネ科の根)”と似た薬理作用があります。
石蒜を去淡、利尿、解毒、催吐薬に用いられたことがありますが、毒性が強いために、現在は外用だけに用いられています。
煎汁は、腫れ物、疥癬などに塗布します。
民間では生の鱗茎の外皮を除きすりおろし
(1)酢又はヒマシ油を加えて関節痛や肩こりに湿布し、脚気、むくみ、
  乳腺炎、肩こり等に、外用する。
(2)トウゴマの種子をすり潰し加えガ−ゼに広げ痛い方の土踏まずの
  部分に貼ると膝の腫れが引きます。
(3)肩こり、乳腺炎、あかぎれ、いんきんたむし、ぜにたむしなどの患部に
  つける。
(4)打ち身、捻挫、肋膜炎などにも、おなじように用いるとされます。
毒草ですので、絶対に口にしてはいけません。
有毒部分 鱗茎、芽などの全草
有毒成分 リコリン、リコレミン(ガランタミン)(特に鱗茎に多い)
中毒症状 吐き気、おう吐、下痢、低血圧、頻脈、中枢神経麻痺(死に至ることあり)
救荒食 ヒガンバナの毒成分は、水に溶け易いので飢饉のときに鱗茎をすりおろして水に晒して毒を抜き、デンプンを取り出し団子など餅状にして食したそうです。
古代から、苦いどんぐりや山芋のあくぬきには、流水を利用してきたことから、抵抗なく食物として利用できたと思います。
他の利用法 田畑の畦、お墓や用水路などの法面によく植えられていましてが、これはヒガンバナの性質を利用したものと云われています。
鱗茎が寸断されても、別々の株として生き残っていくことが出来る。
また、鱗茎から生えている根には、地面に出てしまっても根が縮むことよって鱗茎を地下に引っ張り込む性質があり、たとえ鱗茎が掘り起こされても、また地面の中にに戻っていくことや、逆に地面の上に高く泥が積もった時などは、根が伸びることによって鱗茎を上に持ち上げて土中の適正な深さに移動することが出来ます。
密に張った根が、田の畔や土手の補強や土止めになるといわれ、また、植物の 有毒性を利用してモグラや野ネズミに巣穴を作られないようにする。
水田の畔や畑の土手などに群生するのは、このためで、結構、農業の役に立つ植物のように思いますが。
他に鱗茎の澱粉は、食用の他に良質の糊となり、この糊で貼った屏風や襖は虫に食われることはないとも云われます。
名前の由来 彼岸花で、秋の彼岸(9月下旬)の頃に開花することに由来します。
別名の代表選手である、マンジュシャゲ(曼珠沙華)は江戸時代以降に充てられたものですが、仏教上の言葉で梵語の“マンジュサカ”に由来し、天上に咲くという花の名の四華の一で『これを見るものはおのずからに
して悪業を離れる』という花のことです。
法華六瑞(法華経が説かれる時に現れる六つの瑞相)の一つ(雨華瑞:うけずい)として空から降るという四種の天界の華で四華と云い、白華すなわち曼荼羅華(マンダラゲ)、大白華すなわち摩訶曼荼羅華(マカマンダラゲ)、紅華すなわち曼珠沙華(マンジユシヤゲ)、大紅華すなわち摩訶曼珠沙華(マカマンジユシヤゲ)の 白・青・紅・黄の四種のことです。
もう一つ説があって、五天華(ごてんげ)の一つとするもので、仏陀(ぶっだ)や如来(にょらい)が法を説こうとすると天神の喜びに答えて天界に咲く随喜の花で喜びを祝い天から降り注ぐ花と云われ、“曼荼羅華・摩訶曼荼羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華・蓮華”の五種類の花を五天華と云います。
この四華や五天華の曼殊沙華の花色は仏教発祥の地インドでは白色の類似した花でしたが、中国に仏教が伝えられて赤いヒガンバナが充てられました。
<四華・五天華>
曼陀羅華:色が美しく芳香を放ち、見るものの心を悦ばせるという
      天界の花。
摩訶曼陀羅華:大きな曼荼羅華(摩訶は大きいという意味)
曼殊沙華:この花を見るものを悪業から離れさせる、柔らかく白い
      天界の花。
摩訶曼殊沙華:大きな曼殊沙華。
蓮華:三つの徳(
   @汚い泥に染まらず清い美しい花を咲かす。自性清浄の仏性が
     煩悩・業障に汚染されない。
   A開花したときには既に結実している。過去・現在・未来を同時に体
     現している。
   B必ず結実しその種子は間違いなく発芽する。仏性の絶対不滅を
    体現している。)を持ち、釈尊の誕生を開花して知らせた、
   天界の花。
<お彼岸>
梵語の“パーラミーター”を漢訳したもので、摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんきょう)の波羅蜜多(はらみった)のことで“到彼岸(とうひがん)”と訳します。
色々な欲望や迷い悩み多いこの現実世界を“此岸(しがん)”と云い、苦しみのない理想世界を“彼岸(ひがん)”と教えます。
迷いの此の岸を去って悟りの彼岸に渡り達するという意味であります。
彼岸に渡る方法として、
1.布施(財施(財を施すこと)・法施(真理を教えること)・無畏怖(恐怖取
  り除き安心を与えること)の三種の施し
2.持戒(戒律を守ること)
3.忍辱(苦しさに絶えること)
4.精進(常に仏道を修するための努力をすること)
5.禅定(心を安定させること)
6.智慧(真理を見抜く力を身につけること)
を六波羅密あるいは六度と云いますが、この六つの実践、が“中道”という生き方なのです。
春分と秋分の日は、一日の昼と夜の長さがほぼ同じ、また、太陽は真東から上り真西に沈みます。
こうした右にも左にも偏らない自然現象をお釈迦さまの説かれた教えと重ね合わせ“中道”の思想のお彼岸という仏教行事になりました。
806年には、天皇が怨霊を鎮めようと開いたのが最初の彼岸会とされ、語源は太陽信仰の“日願”から来ているという説もあり、極楽浄土は西方にあり、西に沈む日が道しるべになると考えられたと云う。

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